7月3日
7時半に朝食会場に行く。会場は2部屋で広いが、客はあまりいない。せいぜい3、4組か。ビュッフェ式の朝食は充実していた。特においしかったのはニシンの酢漬け。以後、今回の旅行ではほぼ毎日ニシンの酢漬けを口にすることになる。
朝食
「地球の歩き方」によると、旧市街には「トームペア(Toompea)」なる観光スポットがあるらしい。ここをタリン観光の第一歩としよう。グーグル・マップに示された「トームペア」まで行くが、何も見当たらない。それもそのはずで、トームペアとは城壁に囲まれた丘の一帯を指し、特定の構造物を意味するわけではない。グーグル・マップ上の表示の仕方に問題がある。
ともあれトームペアを探す過程で、何人かに声をかけた。トルコ人母娘やウクライナから来た若いカップルなど。ウクライナ人カップルはなんとマリウポリ出身だった。マリウポリといえば、少し前にロシアとウクライナの激しい攻防の場となった都市で、現在はロシア軍の支配下にある。カップルは20歳代前半といったところか。「前線で戦わなくてもよいのか」とは口には出さない私の疑問。
ベンチに座っているエストニア人の男性にも声をかけた。ガールフレンドの90歳の母親に会いにバスで出かけるところというこの男性とは30分近く話した。エストニアのロシア語話者の割合はおよそ50%という。この時点では「バルト3国内のロシア人の割合は10~20%」という誤った固定観念があった私は、「50%というのはロシア人の割合ではなく、ロシア語が話せる人の割合だろう」と勝手に解釈した。
見つからないトームペアはあきらめ、展望台に至る階段を登った。ここではじめて、この高台の一帯がトームペアだと気づいた。
展望台からの眺め
展望台から坂道を下っていくと、アレクサンドル・ネフスキー聖堂や城壁などのモニュメントが目に入ってくる。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
2時頃にホテルへ戻って一休み。
さてこのホテルに泊まるのは今日まで。明日以降どうするか。当初は3日目はエストニア第2の都市であるタルトゥ(Tartu)への移動を考えていた。だがタリンからフェリーで2時間ないし2時間半でフィンランドのヘルシンキへ行くことができる。ヘルシンキには2004年にサンクト・ペテルブルクへ行く途中に1泊したことがあるだけ。せっかくの機会だ。タルトゥはあきらめ、ヘルシンキまで足をのばそう。日帰りや1泊も可能だが、思い切ってヘルシンキで2泊することにした。
というわけで、明日のタリン発ヘルシンキ行きのフェリーをオンラインで予約した。10時30分にタリンのDターミナルを出て、2時間でヘルシンキに着く。代金は6800円強。
再びホテルを出て、Dターミナルまで約20分の距離を歩いてみる。Dターミナルの近くにショッピング・モールがあり、その中の「Chi」というレストランで遅めの昼食(5時ごろだったから早めの夕食といったほうが正確かもしれない)をとることにした。席についてから判明したことだが、Chiはインド料理の店だった。注文したのはブータンでも食べたモモ(餃子の一種)とエストニアのビールで、代金は12ユーロ(2000円ちょっと)。エストニア料理でなかったのは残念だが、おいしかったのでよしとしよう。
モモとビール
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