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2023年7月31日月曜日

モンゴル2023 ウランバートルで財布をなくす

 7月14日

Top Tour & Guesthouseの朝食は8時から。8時ちょっと過ぎに朝食の場に行く。50代くらいの日本人女性もやってきた。私がキャンセルしたゴビ砂漠ツアーに申し込んでいる女性だ。札幌在住の女性で、話しやすく、感じがよかった。ツアーをキャンセルした一因は同行する女性への懸念だったが、この女性なら問題がないだろう。だがやはり、ゲルでの宿泊を考えると、キャンセルしたことに悔いはない。

朝食の席は賑わった。上海で働いている中国人の若者二人(彼らもゴビ砂漠ツアーに加わるとのことだった)。日本語をしゃべる釜山在住の韓国人男性、ソウル在住の韓国人女性、日本に住んで4年近くになるというイタリア人とポーランド人のカップルなど。韓国や日本のこと、40年前の私のポーランド旅行のことなど、話はつきない。私が通常のホテルよりゲストハウスを好むのは、こうした世界各地の旅行者との出会いにある。ただし、この歳になるとドーミトリーはきつい。ドーミトリーと個室の両方を備えたゲストハウスがベストだ。

ゴビ砂漠のツアーはともかく、明日はウランバートルを離れてどこか地方へ行きたい。ということで行き先をハラホリンに定めた。ハラホリンはかつてのモンゴル帝国の首都であり、当時はカラコルムと呼ばれていた。ウランバートルからはバスで6時間ほど。過酷な旅にはならないだろう。

ハラホリン行きのバスはドラゴン・バスターミナルから出る。明日のチケットを購入するために、配車アプリのUBCabを使ってバスターミナルへ向かった。UBCabはUberなどとは違って、出発点だけを指定し、目的地はドライバーが到着してから告げる。料金は1Kmあたり1500MNTに定められている。

ドライバーとスムーズにマッチングでき、ドラゴン・バスターミナルに到着した。料金は10000MNTちょっとだった(約400円)。ちょっと手間取ったものの、明日11時発のハラホリン行きのチケットも購入した(31400MNT)。ウランバートルの中心までUBCabで戻る。

終日雨模様だった昨日とは異なり、今日はからっとした青空。少し暑いが、ウランバートル観光には最適だ。観光の出発点はスフバートル広場。この広大な広場の片側にはジンギスカーン像が鎮座し、広場の中心にはモンゴル独立の英雄であるスフバートルの騎馬像が陽に輝いている。広場はいろいろな機会にモンゴル人たちの集合の場となっているようで、民族衣装を着用したモンゴル人たちを観察する場ともなる。

ジンギスカーンの座像


スフバートル像


スフバートル広場のすぐ近くにはモンゴル民族博物館がある。入場料20000MNTを払って入ってみる。石器時代から1990年代の民主革命に至る歴史の流れに沿って数多くの衣服やゲル、道具類、写真などが展示されている。

時刻は3時近くになっている。昨日訪れたState Department Storeまで歩き、デパートの1階に併設されているAsian Food Zoneというレストランに入る。モンゴル、韓国、日本の料理を提供しているレストランだ。「ツゥイワン」というモンゴル料理と生ビールを注文する。ツゥイワンが26000MNT(約1100円)、生ビールが8500MNT(約350円)と、モンゴルにしては値が張っている。ツゥイワンはかなりのボリュームだったが、空腹だったせいもあり、おいしく完食できた。

ツゥイワン(牛肉と麺)と生ビールで遅めの昼食


食事を楽しんだのはよいが、ここで財布がないことに気がついた。80ドルほどの米国ドルと10000MNT(400円)余りのモンゴル通貨が入っている財布だ。現金以外に、購入したばかりのバスのチケットも入れていた。SIMカードを入手したときにもらった電話番号を記載したカードも。財布はずっとカバンの中に入れていた。すられた可能性は考えにくい。バスターミナルからのタクシーの中で財布から支払ったとき、あるいは博物館の入場料を支払ったときにカバンから落としてしまった可能性が高い。

問題はバスのチケットだ。明日のハラホリン行きをあきらめ、明日またチケットを買い直すしかないと考えた。だが、まだ5時を過ぎたばかりだ。もう一度バスターミナルへ出かけ、明日のチケットを再度購入しよう。

UBCabで再びドラゴン・バスターミナルへ向かう。時刻は6時近くだったが、窓口にいるのは今朝チケットを購入したときと同じ女性だ。少し時間がかかったが、再度チケットを購入する必要はなく、なくしたチケットを再発行してもらうことができた。チケット購入の際にパスポートを提示し、その記録が残っていたおかげだ。

ちょっとしたエピソード。再購入(または再発行)のために列に並んでいるとき、窓口の女性と中年の女性客がなにか口論している。モンゴル語だから、内容はまったくわからない。客の口調はかなりはげしい。顔つきもなんとなく下品な気がする。この客のためになかなか列が進まない。顔や口には出さないが、私の中には彼女に対する敵意が生まれてきた。

しかし、口論の合間、彼女は私に英語で話しかけてきた。「何をしたいのか」と。チケットを紛失したこと、できれば再発行してもらいたいことを告げる。彼女は「座席番号は覚えているか。覚えていれば問題ない。パスポートを見せれば、チケットがなくても乗せてもらえるはずだ」とアドバイスしてくれた。私は座席番号を覚えていた。ありがたいアドバイスだ。

最終的にはチケットを再発行してもらえたので、彼女のアドバイスに従うことはなかったが、外国人の私に声をかけ、助けてくれたのには感謝しかない。まことに「人を見かけだけで判断してはならない」のいい例だ。

バスターミナルに隣接するスーパーで夜食用のファンタやお菓子を購入し、UBCabでゲストハウスに戻った。これで明日無事にハラホリンに向けて出発できる。

2023年7月29日土曜日

モンゴル2023 ウランバートル到着

モンゴル行きを決めたのは、アルメニアやスリランカの場合と同様、「まだ足を踏み入れていない国だから」という、いわば消極的な理由からだ。7月12日から22日まで、ちょうど10日間の日程で、関空からウランバートルまでのモンゴル航空(MIAT)の 往復チケットを購入した。代金は7万6260円。

7月12日

予定より半時間遅れで19時半に関空発を飛び立ったモンゴル航空便は23時過ぎにウランバートルのジンギスカン空港に到着した。円高のときに購入してあった手持ちの300ユーロをモンゴルの通貨のトゥグルグ(MNT)に両替する。1万MNTが400円くらいだから、とうてい財布には収まりきれない1万MNT紙幣の束を手にした。

SIMカードを購入したかったが、ショップはすでに閉店していた。明日購入するしかない。初日の宿は市の中心部にあるLand Hotelを予約していた。空港朝食付きで22ドル強の安いホテルだが、評判はあまりよくなく、Booking.comの評点は6.3だった。あえてこの宿を選んだのは、受付が24時間オープンだったからだ。空港から市内までは50km以上離れており、深夜にホテル到着といった事態を見込んでおく必要があった。

実際、空港のデスクで頼んだタクシー(料金は100,000MNT)でLand Hotelに到着したのは午前1時近くだった。

Land Hotel(後日撮影)


7月13日

Land Hotelの朝食は9時から10時までのちょっと変則的名時間。9時に朝食の場となる1階へ降りるが誰もいない。紅茶とパン、卵、ソーセージからなる簡単な朝食にありついたときには9時半を過ぎていた。評判が芳しくない一因はこのへんにもあるのだろう。

今日と明日の両日はTop Tour & Guesthouse Mongoliaというゲストハウスを予約していた。Land Hotelとは対照的に、こちらはすこぶる評判がよく、Booking.comの評点も9.3だ。予約しておいたのはドーミトリーではなく、トイレ・バス共用の個室。朝食付きの2泊で53ドル。

Land HotelからTop Tour Guesthouseまでは歩いて25分ほどの距離。当初の予定では歩いて移動するつもりだったが、あいにく小雨が降っている。しかもSIMカードがないから、グーグルマップも使えない。ウランバートルにはUBCabという配車アプリがあるが、現地の電話番号がないと登録できない。

やむをえずLand Hotelの受付でタクシーを呼んでもらって移動した(10000MNT)。ゲストハウス主催の市内ツアーがあれば参加したかったが、行っていないとのこと。市内ツアーはやっていないが、ゴビ砂漠のツアーは可能だという。ちょうど明日には日本人女性が申し込んでいるツアーがあるから、それに参加しないかとのお誘い。ゲルに2泊し、乗馬などを体験するという。ついその気になり、参加したい旨を伝える。明日のゲストハウスでの宿泊はツアーから帰ったあとの1泊で補填するとのことだった。

さて、今日一番にやるべきことはSIMカードの入手だ。State Department Storeで購入できるというので、小雨の中、デパートまで6~7分の距離を歩く。SIMカードはデパートの5階で入手できる。3つの通信会社のカウンターが並んでいたが、客が列を作っていたのはUnitelのカウンターで、あとの2つは開店休業状態だった。私が購入したのはこのUnitelのSIMカード。10日間有効でデータ通信量は10GB、電話番号も付く。料金は失念したが1000円くらいだったように思う。

デパートの中を見て回る。スーパーもあればPizza Hutなどのレストランもある。レストランはいずれもちょっと高めだ。

State Department Store

State Department Store内のスーパー

時刻は3時近くになっている。デパートのそばにあるウズベク料理の店に入りプロフ(焼き飯)とミネラルウォーターを注文。18000MNT(700円ほど)。朝食を除き、モンゴルではじめての食事がウズベキスタンの料理となった(ウエイトレスはヒジャブを着用しており、顔つきもウズベク人らしかった)。

ウズベク・プロフ

ウランバートルにあるコンビニはほとんどがGS25などの韓国系だ。ゲストハウスへの帰り道、そのうちの一軒に立ち寄り、夜食用のキンパ(韓国風巻きずし)、ファンタなどを購入した。

ゲストハウスに帰ってから、明日のゴビ砂漠ツアーについて考えてみた。問題はゲルでの宿泊だ。夜中に2回も3回も目が覚めてトイレに行くようなことがあると、周囲にも迷惑だし、自分自身にとってもあまり快適ではない。日本人女性との同行も気がかりだった。気が合えばいいが、そうでなければ地獄を見る。Last minute cancelで申し訳ないがとわびてから、ゲストハウスの女性オーナーにキャンセルを伝えた。

これで明日の心配なしに安心して眠れる。

2023年6月6日火曜日

イラン2023 ドーハとクアラルンプールを経由して帰国

 5月7日。

空港行きのタクシーは午前8時にやってきた。代金は450トマン(900円ほど)。このタクシーもマニュアル車だ。イラン滞在中、おそらく20台くらいの乗用車に乗ったが、すべてマニュアル車だった。オートマ車は1台も見かけなかった。経済制裁の結果かなとも思ったが、イランには自動車産業があり(年間80万台以上の製造数)、もちろんオートマ車も製造している。どうしてマニュアル車しか見なかったのか。謎が残る。

イラン・リアルが少し残っているので、空港の免税店でお菓子を買った。免税店の女店員は、私が日本人だとわかると、「私の叔父は日本で働いたことがある。日本人の女性と結婚していっしょにテヘランに住んでいる」と言っていた。

12時ごろにテヘランを飛び立ったカタール航空便は1時間半のフライトの後ドーハ空港に着陸した。クアラルンプール行きの便は翌日の午前1時50分。12時間余りの待ち時間になる。もっと短い待ち時間を選択することもできたのだが、たった1時間半の待ち時間では短すぎる。

カタール航空は長い待ち時間の乗客に対して市内のホテルでの休憩を無料で提供している。ホテルまでの往復も無料だ。2017年のチェチェン旅行の際にこのサービスを利用したことがある。

空港内のトランジット・カウンターで問い合わせてみる。残念ながら無料ホテルの恩恵に与ることはできなかった。短い待ち時間の乗り継ぎがあるにもかかわらず、わざわざ長い待ち時間を選択したのがその理由。

長椅子を並べたQuiet Roomで少し休んだあと、空港内をぶらつく。City Tourと銘打ったデスクが目に入った。3時間のドーハ見学ツアーだ。2時間ごとに出発するらしく、次回の出発時間は6時だ。値段も29ドルと、そう高くはない。6時出発なら9時過ぎには空港に帰ってくる。参加しない手はない。

20人ほどのをトランジット客を乗せたバスは陽の暮れかかったドーハの街に入る。私がドーハに入るのは3度目だが、いずれも乗り継ぎ時の数時間の滞在だ。ツアー参加者の国籍や行き先はさまざま。インドを旅行して帰国の途にあるスウェーデン人、米国のIT企業で働くインド人の青年、スペインに向かう韓国系米国人の女性、そしてかなりの数の中国人観光客など。北京帰りのアゼルバイジャンの男性2人もいた。

ドーハの夜景を見るのは初めてだ。ドバイ同様、光に輝くモダンな高層ビル群が目の前に展開される。ラクダが休んでいる場所も通過した。ガイドの説明もあったが、よく聞き取れなかった。

ラクダ


最後はこのツアーのハイライトであるスーク(市場)に立ち寄る。ここで30分ほどの自由時間。8時過ぎのスークはカタールの地元民や外国人観光客で賑わっていた。

ドーハのスーク


ちょうど9時に空港に戻る。いい時間つぶしになった。といっても搭乗時間の午前1時50分まではまだかなり時間がある。

クアラルンプールに着いたのは現地時間で午後3時近く。ここでも待ち時間が8時間ほどある。空港内のSama Sama Express Hotelで体をやすめることにした。6時間で87ドル。マレーシアにいったん入国してターミナル2まで移動すれば、6時間40ドルほどのホテルがあるが、もう精も根も尽き果てている。40ドル余り余分に支払って楽をとった。

関空出発のカタール航空便を選んだのは失敗だった。ドーハまではマレーシア航空との共同運行便(実質的にはマレーシア航空便)で、クアラルンプールとドーハを経由しなければならない。これに対し、成田からドーハまでのカタール航空便は正真正銘のカタール航空便で、直接にドーハまで飛ぶ。新幹線を使ってでも成田から出発したほうが、ずっと楽だっただろう。

関空には翌日の早朝に着いた。20日近くのイランへの旅はこうして終わった。

イランでは、ぼられたれたり、詐欺まがいの行為に遭遇したり、ぶっきらぼうに対応されたりしたことももちろんあった。だが、年老いた一介の外国人旅行者である私に対して示された好意、ときにはおせっかいなまでの親切、笑顔の数々は、そうしたネガティブな体験を圧倒して印象に残っている。ルーマニア、ミャンマー、パキスタンなどと並んで、イランもmy favorite countriesのひとつになった。

2023年6月5日月曜日

イラン2023 テヘラン探訪(Tajrish Bazaar)

 5月6日。

イラン最後の日。ホテルの前でSnappタクシーを呼ぶ。テヘラン北部にあるTajrish Bazaarへ行くためだ。

ホテルの前ではスムーズにSnappタクシーとドッキングできる。30分以上かけてTajrish Bazaarに着く。 料金は71トマン(約1.5ドル)。

バザールとその付近はかなりの賑わいだった。動画や写真を撮りながらバザールを一巡し、土産用のお菓子を購入する。

Tajrish Bazaar(1)


Tajrish Bazaar(2)

バザールの外へ出る。モスクの前では無料の食事を配っていた。小さなプラスチックの包みも配っている。好奇心から私もひとつもらったが、塩だった(不要なので返した)。

モスクの入口


商店が並んだ通りの動画を撮っていたときのことだ。地下鉄の入口が見えたので、これも動画に収めようとしていたら、入口にたむろしていた3、4人の警察官から動画の撮影を遮られた。動画の撮影にストップをかけただけで、撮影の中身はチェックされず、削除も求められなかった。動画の撮影一般がダメだったのか、それとも地下鉄の撮影がダメだったのか。おそらく後者だろう。

 地下鉄の存在を知ったからには、帰りはもちろん地下鉄だ。電車の中で、隣に座った中年の男性が話しかけてくる。英語ではないので、理解不可能だ。なんとか彼がアゼルバイジャンの出身であることだけはわかった。アゼルバイジャンならロシア語が通じるだろうと思い、ロシア語で話しかけたが、要領の得る答は返ってこなかった。

昨日もショッピング・モールの外で2人の若者から声をかけられたが、彼らもアーザリー人だった。このあと、帰国途上のドーハ空港でも2人のアゼルバイジャン人に遭遇することになる。イランにかなりの数がいるはずのクルド人とは出会っていないが、なぜかアーザリー人との出会いが多い旅だった。

地下鉄はエマーム・ホメイニイ駅まで行ったが、途中のSaadi駅のほうがホテルに近いことに気づき、再度地下鉄に乗って引き返す。

夕食は例の通りファーストフード店のホットドッグで済ませた。

明日は午前11時50分発のカタール便でドーハとクアラルンプールを経由して帰国の途につく。

空港までのタクシーをホテルに依頼しておく。Snappを利用したほうがずっと安いだろうが、最後の最後でへまをしたくないので、安全策をとった。

イラン・リアルがかなり残りそうなので、ホテルでドルに両替してもらった。両替で手にしたのは35ドル。

2023年6月4日日曜日

イラン2023 テヘラン探訪(Milad TowerとKourosh Mall)

 5月5日

10時半ごろにホテルの前でSnappで車を呼ぶ。ホテルの前ならちゃんと見つけてくれるはずだ。行き先はMilad Tower。2008年にオープンしたこのタワーはイランでもっとも高い建造物だ(435m)。

Snappタクシーはすぐにやってきた。なんと運転手は中年の女性だ。女性がハンドルを握っている場面は何回か目撃していたので、驚くには当たらない。だが配車サービスにまで女性が進出しているのは予想外だった。

助手席に乗り込み、女性運転手と並んで座る。彼女はマレーシアなどに旅行したこともあり、少し英語がしゃべれた。私が日本人だと告げると、彼女はclean、hard working、earthquakeに言及した。いずれも日本認識として間違いではない。

Milad Towerまでの料金は53万リアルだったが、チップを含めて100万リアル(約2ドル)を渡しておいた。

Milad Towerの展望台に登るには15ドルかかる。これは外国人価格であり、料金は英語で表記してあった。

展望台からはテヘランの街を一望できる。遠くの山々は雪で覆われている。38年前の11月に見た光景と同じだ。

Milad Tower


展望台からの眺望


Milad TowerからSnappタクシーでKourosh Mallへ向かう(チップ込みで50万リアル=50トマン)。Kourosh Mallはテヘランの富裕層に人気のショッピング・モールだ。

Kourosh Mall

Kourosh Mallの中

他の国の大型ショッピング・モールとあまり変わらないが、外国ブランドのショップがほとんどないのが特徴だ。ただ外国ブランドをまねた店はある。

Subwayのテヘラン版(?)

このモールのフードコートでかなり遅めの昼食をとった。注文したのはビーフ(羊)のホットドッグだが、肉をパンにはさむのではなく、プレートに載せる形にした。コーラと併せて175トマン(4ドル近く)。街の食堂よりちょっと高い。例よってボリューム満点だったが、ほぼ完食した。

ほぼ満席のフードコート


遅め(午後3時過ぎ)の昼食


地下のスーパーで夕食代わりのお菓子と飲料を購入してモールを出た。

モールの入口でSnappを呼ぶが運転手とドッキングできない。モールから少し離れた場所で試みるがやはりうまくいかない。問題は相手からかかってくるペルシャ語の電話に対応できないことにある。

やむをえず、流しのタクシーを拾ってホテルまで帰る。料金は120トマン。おそらくSnappタクシーの倍近い値段だ。

2023年6月3日土曜日

イラン2023 テヘラン探訪(ホテルを替わる)

 5月4日。

Asia Hotelはアーザリー人の親子で経営している。「アーザリー人」とは主としてイラン北部に住む民族で、ペルシャ語ではなくトルコ語系のアーザリー語を話す。帰国までの残り3日をずっとこのホテルに滞在してもよかったのだが、ひとつ問題があった。このホテルではWifiには接続できるのが、インターネットにはつながらないのだ。そこでホテルを替えることにした。後で考えると、このときネットにつながらなったのは、Asia Hotelの問題ではなく、あの時点でテヘラン全域がそうであったのかもしれない。

選んだのはMarkazi Hotel。Asia Hotelから歩いて20分ほどの距離にある。Asia Hotelよりちょっと格上の二つ星ホテルで、1泊25ドル。手持ちのイラン・リアルは有り余るほどなので、リアルで支払った。

Markazi Hotel

Markazi Hotelにチェックインし、少し休んでから、バザールまで歩き、さらにそこらタクシーでAzadi Towerまで行った。タクシー代は200トマン(約4ドル)。ぼられたと言ってもいい値段だ。配車アプリのSnappを使えばこうした事態は避けられるのが、バザールのような場所ではSnappタクシーと落ち合うのはむずかしい。

Azadi Towerは1971年に建造されたタワーで、その大きさからテヘランのランドマークのひとつとなっている。

Azadi Tower


Azadi Towerの見学を早々に切り上げ、エマーム・ホメイニイ駅に向かおうとするが、タクシーがあまり通っていない。Snappで呼び出すが、どうもうまく行かない。スマホを見ながらうろうろしていると、3人連れの若者(女性2人に男性1人)が「どこへ行きたいのか」と尋ねてくる。英語はできないらしく、スマホの翻訳場面を見せながらだ。

再度Snappで車を呼び出す。しばらくすると、スマホの画面に車が到着したと表示される。しかしそれらしい車は見つからない。運転手から電話がかかってくるが、ペルシャ語だからコミュニケーションがとれない。

するとこの様子を見ていた若い男性2人が電話を替わってくれた。運転手と彼らの何回かのやりとりの末、やっと車と遭遇することができた。若者2人は地方からの観光客だった。

Azadi Towerそのものはとりたて感想を述べるほどのものでもなかったが、イランの若者たちの親切心は強く印象に残った。

エマーム・ホメイニイ駅からホテルまで20分ほどの道のりを歩いて帰った。

テヘランの中心から近いということで選んだMarkazi Hotelだが、周りは照明器具を販売するショップばかりで、食堂やスーパーらしきものがまったくない。10分以上歩いてようやくファーストフード店を見つけ、夕食のホットドッグを買った。

2023年6月2日金曜日

イラン2023 テヘランへ戻る

 5月3日

テヘランへ戻る日。バスのチケットは前日にホテルに頼んであった。バスターミナルまでのタクシーとテヘランまでのバスのチケットと併せて220トマン(4ドル余り)とのことだった。カーシャーンからテヘランまでバスで3時間以上かかる。いまだにイランの通貨と物価に慣れていないこともあり、タクシーと3時間のバスで500円程度とはさすがに安すぎるのではないかと思ったが、よくよく考えてみれば妥当な値段だった(テヘランまでタクシーで行くには20ドルが相場らしい)。

いったんバスターミナルまで行き、それからまた移動して路上でバスを待つという変則的な形であったが、ともかく9時半発のバスに乗車できた。

テヘランのバスターミナルについたのは午後1時過ぎ。ここでやっかいなことが発生した。SIMカードが容量のリミットに達し、使えなくなってしまったのだ。確か128GBのSIMカードだったはずだ。イランに20日間滞在するには十分な容量なはずだ。ひょっとすると購入時に聞き間違えたのかもしれない。

バスターミナル内でSIMカードを販売しているところを探すが見つからない。

SIMカードがなければ配車アプリは使えず、グーグル・マップも無力だ(実はオフラインで使用できるMaps.meアプリをインストールしており、イランの地図もダウンロードしていたのだが、このときはまったく頭に浮かばなかった)。

やむなく普通のタクシーで宿探しすることにした。大きなバスターミナルにもかかわらず、タクシーもなかなか見つからない。路肩で休んでいるタクシーをやっと見つけたが、高齢の運転手はごく基本的な英単語すら理解しない。30年前に日本で働いたとのことだったが、知っている日本語は「ニホン」と「オウジ(東京都の王子のことか)」だけだった。

Heritage Hostelへ行きたかったのだが、運転手の知らないホステルであり、グーグル・マップで場所を示すこともできない。仕方なく、ガイドブックに住所が載っているAsia Hotelへ向かうことにした。このホテルは先にテヘランに滞在したときに下見しており、値段も確認済みだった(1泊15ドル)。

Asia Hotelに到着し、とりあえず1日だけ泊まることにした。

Asia Hotel(Webより借用)

ホテルのオーナーに尋ねると、SIMカードは地下鉄のエマーム・ホメイニイ駅で入手できるとのことだった。駅まで10分ほどの距離を歩き、Irancellのオフィスで残量ゼロの手持ちのSIMカードをリチャージしてもらう。値段は忘れたが、容量は確か15GBだった。イランには残り4日の滞在だから、これで十分だろう。

ホテルへの帰り道、車が次から次へとやってくる道路を渡るのに躊躇していたら、高齢の男性が無言で私の腕をとり、向かい側まで導いてくれた。忘れがたい好意。

ホテルに戻る。エスファハーンで食事を共にした日本人女性から電話があり、今日の晩に再度いっしょに食事することになった。

女性の宿泊先はHeritage Hostelで、Asia Hotelからは歩いて10分余り。6時ごろにHeritage Hostelに向かう。もしHeritage Hostelにホテルに個室の空きがあれば、明日以降の宿にするつもりだった。テヘランのHeritage Hostelはエスファハーンの同名のホステルと同じ系列で、イラン随一のバックパッカー向けのように思えた。

残念ながら、個室は1日しか空いていなかった。値段は24ユーロとのことだった。

エスファハーン同様、Heritage Hostelの中庭には大勢の外国人旅行者がたむろしていた。といっても大半は中国人旅行者だ。自転車で長期旅行している中年のドイツ人旅行者もいたが、西欧人や日本人は総じて少数派だ。

私と日本人の女性、それに中国人女性ひとりを加え、夜のテヘランでレストランを探す。ちょっと大きめのごく普通のレストランに入る。チキン、魚、ビーフ(羊?)のケバブと小サラダを注文、3人でシェアすることにした。

ケバブで夕食

食事を終えて、レストランを出たのが9時過ぎ。Asia Hotelまでの帰り道、迷いはしなかったが、漆黒の中、人通りの少ない道路を渡るときには恐怖を感じた。かなりのスピードで向かってくる車の群れををかいかぐるのは、命をかけた冒険だ。シーラーズの夜道で転んだことともあわせ、イランの危険は夜の道にあることを思い知らされた。