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2019年1月13日日曜日

マイケル、中国で拘束される

昨年の12月、びっくりするニュースが飛び込んできた。「金正日氏の料理人藤本氏を訪ねて(Finding Fujimoto)」の旅を主催し、北朝鮮行きを共にしたカナダ人のマイケル・スパバーが中国当局に拘束されたというのだ。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121300628&g=int

「中国の国家の安全に危害を及ぼす活動に従事した」という容疑だが、明らかに言いがかりで、カナダでファーウェイ(華為)のCFO(Chief Financila Officer)孟晩舟が逮捕されたことへの報復にほかならない。

マイケルは中国の延吉を拠点として(最近は丹東に移動したらしい)、北朝鮮との交流をビジネスとして展開しているが、これが「中国の安全に危害を与える活動」とはとうてい考えられない。むしろ逆に中国の経済にほんの少しは貢献していると言えるだろう。

カナダの外務省ないし諜報機関から金をもらっているならともかく、マイケルには「中国に危害を与える」動機はまったくない。5日間一緒に旅をした私の印象からすればただの気のいい青年だ。中国の機密情報にアクセスするようなルートを持っているわけでもなく、カナダの諜報機関が彼に接触するとも考えられない。

そもそもカナダが孟晩舟を逮捕したのは、米国とのextradition(犯人引き渡し)協定によるものだから、中国が怒りを向けるべき対象はカナダではなく米国だ。米国が孟晩舟の逮捕状を出したのは、イランとの取引にからんでいるが、これはこれで理不尽だ。中国もおかしいし、トランプも狂っている。

マイケルはいずれは釈放されるだろうが、そのまま中国に残って北朝鮮ビジネスに従事するのは難しくなるだろう。マイケルにとっては一大事で、私がもっとも心配している点でもある。

左から2人目がマイケル(北朝鮮の新義州で)

私はファーウェイのスマートフォン(HUAWEI P20 Lite)のユーザーであり、その価格や機能には100%満足している。米国などのファーウェイ叩きは消費者の利益を損ねるものでしかないという考えだ。だが、今回のようにビジネスと政治や外交をすぐに直結させる中国のやり方は完全に間違っている。こんなことでは、いくら経済規模が大きくなっても、世界貿易をリードする国へと成長する道は遠いだろう。

2018年12月22日土曜日

パキスタン2018 十二日目(帰国)

11月15日。

パキスタン最終日。フライトは23時45分だから、今日1日観光の時間はたっぷりある。

朝8時過ぎに朝食の会場に向かう。昨日ほとんど食べていなかったから、さすがに腹が減っている。胃腸の調子も心なしか悪くなさそうだ。とりわけ多い量ではないものの、ちゃんと普通に朝食を食べた。

ホテルに12時のチェックアウトの延長をお願いしておく。1泊の半額、つまり2000ルピー(1800円ほど)で18時まで延長可という話だったが、サービスで19時まで部屋を使えることになった。ちょうどよい。19時に空港行きの車に迎えに来てもらうことにしよう。空港までは1時間もかからないから、23時45分発のフライトには早すぎるが、ラホールの交通事情からして、安全策をとっておいたほうがよいだろう。一昨日に訪れたLahore Backpackersのほうが安く滞在できるが、他の旅行者との交流も期待できそうにないうえ、体調も考え、このホテルにとどまることにする。

チェックアウトの延長と空港行きの車の手配を決めてから、ラホール・フォート(ラホール城)に向かった。パキスタン到着2日目に訪れようとしてかなわなかった観光地だ。トゥクトゥクを拾ったのはよいが、運転手にラホール・フォートを理解させるのに手間取った。ラホールでナンバーワンの観光スポットだから誰もが知っていると考えたのが甘かった。

運転手は何人もの通行人に聞きながらも、なんとかフォートの入口まで連れて行ってくれた。入口は昨日訪れたバードシャーヒ・モスクと共通していて、公園を通じて入ることになる。モスクと違ってフォートには入場料が必要だ。パキスタン人は30ルピーだが、外国人は500ルピー(450円ほど)だった。

ラホール・フォートはムガル帝国によって建造された城だ。ムガル帝国という名前は聞いたことがあっても、その歴史や文化を知る日本人は少ないだろう。私も例外ではない。あとでネットで調べて「16世紀から19世紀にかけてインド亜大陸を支配したイスラム王朝」という知識を得たのが精一杯。

フォートはパキスタン人の観光客や遠足で来ている小学生、中学生で賑わっていた。XXXAmerican InstituteというそろいのTシャツを着た小学生くらいの子供たちが写生している。先生はパキスタン人だが、指示はすべて英語。おそらく富裕層の子弟が通う学校なのだろう。

私に声がかかり、写真を撮るはめになるのはいつものとおりだ。ターバンを巻いた男性を交えたグループもいる。シーク教徒だ。パンジャブは印・パの分離時にイスラムのパキスタンとシークのインドに分かれたと聞いていた。私に話しかけてきた若者は「あれはインドからのツアーだ」と言う。インドとパキスタンの関係からして、インドからの観光客がいることに驚いた。

だが彼らはインドからの観光客ではなかった。グループのひとり(彼はターバンを着用していなかった)が私に説明してくれたところによると、彼らはオーストラリア在住のインド人とのこと。シーク教徒にとってここラホール・フォートは聖地(holy place)のひとつらしい。

ラホール・フォートの中で写生する子供たち

ラホール・フォート観光のパキスタン人家族
 
若者たち
 
オーストラリアから来たインド人のグループ

フォートを出たときには1時近くになっていた。腹の具合は治まっているかにみえるが、まだ本調子ではない。Avari Lahoreという高級ホテルにFujiyamaという和食レストランがある。少々高くても、今は寿司を食べたい。

トゥクトゥクでAvar Lahoreまで行く。ちょうど何かの抗議集会が行われており、このあたり一帯は軍によって交通規制されていた。トゥクトゥクを降り、歩いてホテルまで行く。

しかしFujiyamaは営業していなかった。夜の7時にオープンするとのこと。ホテルではビュッフェ式のランチを提供していたが、今の私には重すぎる。ホテル内のカフェで芋のサラダとコーラを注文し、昼食とした。値段は忘れたが、高級ホテルだからそれなりの値段だったように思う。

Avar Lahoreのすぐ近くにラホール動物園がある。動物たちよりも、見物に来ている家族連れや子供たちを見たいという思いから、入園することにした。動物園には外国人価格はなく、40ルピー(35円ほど)で入れた

パキスタン人の入園者がどのように振る舞い、どのように楽しんでいるかを観察したいと思った私だが、その意図とはうらはらに、私自身が観察の対象になってしまった。入園者たちの関心を惹く珍獣になったのだ。

私の回りに集まってくるマドラサ(神学校)の生徒たち。写真をせがむ家族連れ。小学生くらいの子供が興味深そうに私に付いてくる。その子の口元を見ると、うっすらと髭らしきものが生えている。髭ずらの高校生には驚かなくなったが、まさか小学生までが...。写真を撮らせてもらった。

動物園でパキスタン人に囲まれて

この少年の口元にはうっすらと髭のようなものが

動物園を出る。空港へ行く前に、パキスタン・ルピーを米国ドルに再両替しておきたい。手持ちのパキスタン通貨がまだ10000ルピーほどある。パキスタン到着の翌日に訪れた両替所に行こうとしたが、抗議集会のために交通が規制され、近づけなかった。周りの人に聞き、郵便局(post offic)にも行ってみたが、だめだった。空港で再両替するしかない。

7時にホテルを出て空港へ向かう。車の料金は来るときと同じで1000ルピー(900円ほど)だった。

空港に着き、さっそく両替所に駆け込むが、「ここにはドルはない。出国ロビーで替えろ」と言われる。

チェックイン、セキュリティチェック、出国手続きを終え、出国ロビーに出る。両替の窓口は見あたらない。

フライトまではまだまだ時間があるので、ファーストフード店でフィッシュ・フィンガーとコーラを注文する(350ルピー)。店員にルピーを再両替する場所を探していると伝えると、「ここにはない。出国手続きする前の場所まで戻らないとだめだ」とのこと。さらに「あなたはもう戻ることはできないが、私なら自由に行き来できる。私に預けたら、替えてきてあげる」と提案してくる。

手持ちのルピーの中から8000を渡し、米国ドルへの両替を依頼した。フィッシュ・フィンガーを食べながら待っているが、なかなか戻ってこない。10分以上経過し、少し不安になる。

「走れメロス」ではないが、ほんの一瞬ながら疑念が生じたことを恥じなければならない。店員は帰ってきた。両替した53ドルを持って。

心配だったのは8000ルピーのお金がなくなってしまうことだけではない。それよりも、これまでのパキスタンのいい印象が最後の最後になって裏切られることがこわかった。しかし杞憂だった。最初から最後までいい思い出だけを持ってパキスタンを去ることができる。

残りのルピーで土産物を買い、タイ国際航空機に乗り込む。バンコクでの乗り継ぎは2時間5分しかなかったが、余裕で間に合い、翌日の午後4時前に関空に到着した。下痢も治まったような気配だ(実際には帰国後に再発して、5日間ほど苦しめられた)。

十二分に満足できるはじめてのパキスタン旅行だったが、いくつかの心残りがある。

まずは「食」だ。旅の前半はあまり考えることなくとりあえず胃袋を満たすだけだった。後半になると腹がやられ、食欲は著しく減退した。ちゃんとしたところでちゃんとしたパキスタン料理を試す機会がなかったのが悔やまれる。

次に、せっかくラホールまで行きながら、ワガ国境のセレモニーを見ることなく、博物館の「断食するシッダールタ」を目にすることもなく終わってしまったこと。

パキスタン音楽を聞く機会がなかったことも残念だ。パキスタン音楽に関する知識はゼロに近いが、かつてジャズ・ミュージシャンのJan Garbarekと共演したパキスタン人音楽家のUstad Bade Fateh Ali Khanの演奏と歌を聞いて感動した覚えがある。今回の旅ではパキスタンの古典音楽にふれるような余裕はまったくなかった。

パキスタンも再訪したい国のひとつとなった。今回行かなかったカラチやクエッタなどの南部、あるいは逆に北部のフンザでパキスタンのまた別の風景を見てみたい。

2018年12月20日木曜日

パキスタン2018 十一日目(ラホール)

11月14日。

下痢はまだ治まっていない。Tourist Inn Hotelは朝食付きだ。ビュッフェにはパンや豆、オムレツが用意されているが、オムレツを少々と紅茶だけで精一杯だった。

食欲はないが、観光ができないという状態ではない。前回は掃除のために閉鎖されていたラホール博物館をまず訪れることにした。ホテルから歩いて15分ほどだ。途中で小さなデモに遭遇した。100人近くはいただろうか。警察に囲まれながら、ぶらぶらと歩く感じで行進している。プラカードをたくさん掲げ、中には英語のものもあったが、よく読めなかった。

デモに遭遇

11時半ごろに博物館に着く。外国人の入場料は400ルピー(350円ほど)。写真撮影のためにはさらに20ルピー必要だった。

博物館の展示物はなかなか充実していた。ガンダーラ仏教などにと知識と興味がある向きには、価値のあるものだろう。

展示物を見ていると、2人連れの若い女性が声をかけてきた。2人とも黒いチャドルで全身を覆っている。ひとりは口元も隠していたが、もうひとりは顔を出していた。大学生で、経済学を学んでいるとのこと。

いままで男性からは幾度となく声をかけられたが、女性からははじめてだ。ペシャワルやミンゴーラなどの保守的な地域との違いだろうか。

ラホール博物館は「断食するシッダールタ」で有名だが、残念ながら見ることはできなかった。この像を展示しているセクションが掃除中だったのだ。いつまで待てば掃除が終わるかわらないのであきらめた。

ラホール博物館の展示物(1)

ラホール博物館の展示物(2)

ラホール博物館の展示物(3)

昼食をとる気はせず、ホテルへ戻って体を休める。ホテルの受付にワガ国境のセレモニー見物について尋ねた。セレモニーが始まるのは5時ごろだが、その1時間前くらいに到着しておいたほうがいいとのこと。ラホールからワガまで行くには1時間近くかかる。タクシーをチャーターすればすべて含めて2000ルピー(1800円ほど)らしい。腹の調子は相変わらずよくないが、2、3時間くらいなら大丈夫かもしれない。だが万一の場合を考え、遠出はやめておくことにした。

代わりにトゥクトゥクでバードシャーヒー・モスクに向かった。このモスクは公園を通じてアクセスするようになっている。かなりの数のパキスタン人観光客で賑わっていた。欧米人の観光客も2、3人見かけた。

バードシャーヒー・モスク

ここでも声をかけられ、写真をリクエストされる機会が1度ならずあった。家族連れの女性から声をかけられたケースも2度ほど。カラチからやってきたという家族もいた。

モスク見物の家族

モスクを出て、公園内のカフェでポテトチップと紅茶を注文した。170ルピーくらいだっただろうか。

トゥクトゥクを拾って宿へ戻るころには陽が暮れていた。今日口にしたのは、朝のほんの少しのオムレツと夕方のポテトチップだけ。下痢はまだ続いている。明日はいよいよ帰国だが、フライトは夜遅くだ。

2018年12月19日水曜日

パキスタン2018 十日目(ラホールに戻る)

11月13日。

昨日の昼から何も食べていないが、朝起きても食欲はない。昨日持ち帰った炒飯は手つかずだ。今日はラホールへ戻る日。炒飯はこのまま宿に残しておこう。誰かが食べてくれたら幸いだ。

ひどい下痢がまだ続いているが、しょっちゅうトイレに駆け込まなければならないという状態ではない。これなら鉄道を使わずにバスでも大丈夫だろう。Daewooバスならトイレ休憩もあるし、問題ないだろう。パキスタンの鉄道に乗ることなく帰国するのは心残りではあったが。

Daewooバスを運行しているBilal Travelsのバスステーションまでトゥクトゥクで行く(200ルピー)。ラホール行きは1100ルピー(900円ほど)。バスは9時過ぎに出発した。

ラホールからペシャワルへ向かったときと同様、お菓子とミネラルウォーター、コーラが配られた。結構早いWifiも利用できる。トイレ休憩もあり、ラホールまで快適なバスの旅を楽しむことができた。

サービスエリアで休憩

ラホールのバスステーションに到着したのは午後1時過ぎだった。ホテルはBooking.comを通じてTourist Inn Hotelを2泊予約していた。パキスタン到着時に2泊したホテルだ。バスステーションからTourist Inn Hotelまでタクシーで350ルピー(300円ほど)。

ラホールに戻る

Tourist Inn Hotelの受付の男性は顔なじみだった。ところが、Booking.comでの私の予約は1人分ではなく4人分となっていると言うではないか。Booking.comから私に来ていたメールを見ると確かに4 personsとなっている。メールが届いていることは承知していが、ただの確認のメッセージだと思い、内容は見ていなかった。受付の勧めに従い、いったんBooking.comの予約を取り消し(当日の18時までキャンセル可能だった)、あらためて直接に1人分を予約した。料金はBooking.comより安く、2泊で8000ルピー(7000円ほど)だった。

部屋でしばらく休んでから外へ出る。向かったのはLahore Backpackersというゲストハウスおよびその近くにあるTDCP(Tourism Development Corporation of Punjab)だ。

帰国日は2日後の11月15日だ。ただしフライトは23時45分なので、15日いっぱいをラホールで過ごせる。Tourist Inn Hotelのチェックアウトは12時だから、荷物を預けて、空港に行くまでの時間を観光に使うことができる。しかし腹の調子がよくないことを考えれば、15日の午後もホテルで休めるようにしておきたい。Tourist Inn Hotelでは2000ルピー出せば、チェックアウトを午後6時まで延長できる。

ただ体を休めるだけなら、ゲストハウスのドーミトリーでもかまわない。おそらく2000ルピーもかからないだろう。

それだけではない。ゲストハウスなら、外国人旅行者に遭遇する可能性もある。これまでのところ、他の旅行者の出会いはまったくない。できれば互いの旅の経験を共有できるような機会がほしい。Lahore Backpackersに行こうとした動機はお金よりもこっちのほうが強かった。Lahore Backpackers(旧称はRegal Internet Inn)は、私の知る限りラホールで唯一の外国人旅行者用ドーミトリーだ。

Tourist Inn Hotelから歩いて30分ほど、Lahore Backpackersは比較的簡単に見つかった(表に看板が出ていなかったら、人に尋ねる必要があったが)。オーナーらしき男性に15日にお世話になるかもしれない旨を伝えておく。ドーミトリーと個室がある。正確な金額は忘れたが、ドーミトリーは確か500ルピーくらいだった。問題は、オーナー以外の姿は見あたらず、現在の宿泊者はゼロとのこと。これでは「他の旅行者との交流」という目的がかないそうにない。

TDCPを訪れるのは、ワガ国境でのセレモニーを見物するツアーを探すためだった。パキスタンとインドの国境であるワガでは両国の国旗を降ろす儀式が毎夕行われている。ひとりでも行けないことはないが、ツアーがあればそれに乗っかったほうが楽だ。

TDCPを探すのには手間取った。というのも2か月ほど前に場所を移動していたのだ。あれこれ聞いて回り、結局はある男性が私をスクーターのうしろに乗せて見つけてくれた。

TDCPではワガ国境ツアーはやっていないとのことだった。代わりに赤いダブルデッカーをよるラホール・ツアーを催行している会社(あるいは何らかの団体)を紹介された。しかし、あとで電話で問い合わせたところ、ワガ国境ツアーは週末のみということだった。今日は火曜日。だから、これも無理。

朝から何も食べておらず、時刻はすでに5時。胃腸の状態を考え、未知の食べ物は避け、ケンタッキーフライドチキン(KFC)に入った。ライスの上にチキンをのせたメニューがある。いわば玉子抜きの親子丼(正確には親丼)だ。これとペプシコーラで併せて320ルピー(289円ほど)。おいしくなかった。もともとまずかったのか、それとも私の体の調子のゆえにおいしく感じることができなかったのか。前者の可能性が高い。

KFCで昼食兼夕食

陽が暮れてきたラホールを少し散策する。さすがに1日KFCの1食だけでは物足りないので、路上でサモサを2個買って、ホテルに持ち帰った。

2018年12月17日月曜日

パキスタン2018 九日目(ラワルピンディ)

11月12日。

朝起きると、腹の調子がよくない。下痢気味で、胃も重い。昨晩食べたチキンの串焼きが原因だろうか。あの辛さに胃腸がびっくりしてしまったのかもしれない。

このホテルには朝食は付いていない。いずれにしても朝食を食べる気分ではない。

今日はまずパキスタンの首都であるイスラマバードへ行くつもりだ。9時前にホテルを出て、歩いて10分ほどのメトロバスの駅を目指す。

電線が垂れ下がる街を歩きメトロバスの駅へ向かう

メトロバスとは信号のない専用の高速道路を走るバスのことだ。バスの停留所はそれぞれ駅のような構造になっている。ラワルピンディとイスラマバードはメトロバスで結ばれている。メトロバスが開通したのは2015年ということだから、当然10年前の「地球の歩き方」には載っていない。

メトロバスの駅(メトロバスの撮影は禁止されている)

赤い車体のメトロバスはいくつかの駅に停車しながら、40分余りでイスラマバードに着いた。私が降りたのは、終点より2つ、3つ手前の駅だった。メトロバスの料金は一律で20ルピー(18円ほど)。1区間だけ乗っても始発駅から終点まで乗っても料金は同じ。発車時間も決まっており、駅以外で停まることはない。だから乗り心地は地下鉄とほとんど変わらない。地下鉄を設置するには莫大なコストがかかる。専用の高速道路ならずっと安くあがる。そのうえ地下鉄同様の効率性と快適さが期待できる。なかなかいいアイデアだ。

終点より手前が降りたのは、どこがイスラマバードの中心部かわからなかったからだ。しかし降りたところには銀行などが並んでいるだけで、人通りも少ない。

気を取り直して、再度メトロバスに乗り、終点まで行く。しかし終点も同様で、公共の建物が散在しているだけ。タクシーを拾って中心地まで行こうかとも思ったが、腹の調子がよくなく、疲れてもいたので、ベンチに座って小一時間休み、そのままメトロバスでラワルピンディまで戻った。徒労。事前にイスラマバードについてちゃんと調べておかなかったつけだ。

イスラマバード

いったんホテルに戻って休んでから、再度外に出る。時刻は2時を過ぎているが、今日はまだ何も食べていない。といっても、頻繁にトイレに駆け込むような状態ではないものの、下痢はまだ続いている。刺激の強いパキスタン料理は避けたい。昨日紹介された中華料理店へ行こう。少々高くてもかまわない。

中華料理店ではエビのスープと玉子炒飯を注文した。これは失敗だった。スープはハーフサイズを注文したのだが、ゆうに2人分はある。炒飯も2~3人分の量。以前バングラデシュのダッカでも同じ失敗をしたことを思い出した。ダッカの中華料理店でひとりでは食べきれないほどの料理が出てきたのだ。バングラデシュやパキスタンの中華料理店はひとりで入るところではない。食べきれなかった半分ほどの炒飯は箱に包んでもらい、持ち帰りとした。スープも半分以上残した。全部で1260ルピー。1300ルピー(1100円ほど)を支払っておいた。

明日はラホールへ戻る。腹がこんな調子では長距離のバスはきついかもしれない。鉄道での移動のほうが安全だろう。

ラホールまでの列車の時刻と料金を調べるため、ホテルからラワルピンディ鉄道駅まで歩く。2、3キロはあっただろうか。30分以上かかった。正確な時刻と料金は忘れてしまったが、ラホール行きは午前中に2本ほど、600~900ルピーかかるとのことだった。

ラワルピンディ鉄道駅

線路を越え、そのままラジャ・バザールの方向に歩く。2人の男性が声をかけてきた。ひとりは中年、もうひとりは20~30歳代くらいか。若いほうはペシャワル出身だと言い、「日本まで行くのにどれくらいかかると」と私に問う。航空運賃のことだと思い「1000ドルくらいだろう」と答えたが、彼の知りたいのはビザの代金だった。日本で働きたいらしい。「私は日本人だから日本のビザは必要ないし、わからない」と答えるしかなかった。

線路を越える

歩いてホテルに帰ったときにはすでに日は暮れていた。再度外に出て、人と光であふれるラワルピンディの街を散策する。、

夜のラワルピンディを歩く

夕食は食べていないが、食欲はない。せっかく持ち帰った炒飯だが、手を付ける気がしない。

2018年12月15日土曜日

パキスタン2018 八日目(ラワルピンディへ)

11月11日。

昨日買ったお菓子の残りを朝食代わりとし、8時過ぎにホテルをチェックアウトする。バス・ステーションはホテルから歩いて5分ほどだ。

ラワルピンディ行きのミニバスはすぐに見つかった。ミニバスの代金は乗車してから車掌(ないし運転手)に手渡すのが普通だが、ここではデスクを構えた男からあらかじめチケットを購入する仕組みになっていた。ラワルピンディまで280ルピー(250円ほど)。

ベシャムからマンセラまでとマンセラからラワルピンディまでは、後者のほうが距離にすれば少し長いが、道路の状態はすっとよかった。

ミニバスの最後部に座った私の隣は2人の若者だった。パキスタン軍の兵士とその従兄弟とのこと。私の話相手になったのはもっぱら兵士のほうであり、彼の従兄弟はあまり英語がしゃべれないようだった。

パキスタン軍についてはタリバンとの関係をはじめ知りたいことは多々あるのだが、その種の微妙な話題は避け、たわいない話に終始した。兵士は今から軍に戻るところだった。「そうでなかったらラワルピンディを案内したいのだが」と何回も言っていた。これまで経験してきたパキスタン人のホスピタリティからして、単なるリップサービスとは言い切れない。

ミニバスの中で一緒だった兵士とその従兄弟

8時半ごろに出発したミニバスは12時半ごろにラワルピンディのバス・ステーションに着いた。

市内まで行くためのタクシーは兵士とその従兄弟が捕まえてくれた。300ルピー(260円ほど)。マンセラからラワルピンディまでのバス代より高いが、あとで調べた限りそう法外な値段ではない。

とりあえず向かったのはParadise Innというホテル。タクシーはかなりの年代物でボロボロだったが、運転手の中年男性ははわかりやすい英語を話した。私が日本人であることを知ると、「日本人はhonestでhard workingだ。パキスタン人はhonestでもなくhard workingでもない」とかなり自虐的。

冒涜(blasphemy)罪で死刑判決を受けたものの、最高裁で一転無罪となったクリスチャンの女性の話題をふってみた。この無罪判決に対してイスラム強硬派による抗議行動がパキスタン各地で勃発していた。

運転手はこうした抗議を一蹴した。抗議行動活動を行っているのはごく一部であり、当のクリスチャン女性(アーシア・ビビさん)はちゃんとした人物であるように見えると言う。まっとうな意見だ。イスラム勢力の過剰な影響力が目立つパキスタンでこうした(私にとっては)常識的な見解を聞けたのはうれしい。

ラワルピンディは安宿を探すのが難しいと言われている。安宿が少ないわけではないが、その多くが外国人を受け入れないのだ。外国人を宿泊させるには特別な許可が必要なのだろう。中国の宿事情と少し似ている。

私が目指すPradise Innは安宿ではない。「地球の歩き方」にも中級ホテルとして紹介されている。しかしなにぶんにも10年前の情報だ。ネットで探ると、2015年までの宿泊体験記はあるが、それ以降はない。Booking.comなどにも登録されていない。

案の定、なかなか見つからない。運転手は通行人などに尋ねてくれる。教えられた場所に行くが、それでも見つからない。結局、Paradise Innはしばらく前に解体(demolish)されたことが判明した。

ある程度予想していたことではあるが、困った。同じく昔の「地球の歩き方」に載っているFlashman's Hotelに向かうことにした。Paradise Innより少し高いホテルだ。

Flashman's Hotelはすぐに見つかった。しかし最安値の部屋で6000ルピー(5400円ほそ)とのこと。高すぎる。いずれにしてもこのホテルへの宿泊は無理だった。受付の女性によれば、ホテルの正面にGHQ(General Headquarters)があるので外国人を泊めるわけにはいかないとのことだった。GHQとはパキスタン軍の本部のことだ。

目当てのホテルもなくなったので、宿探しを運転手に任せる。しばらくしてあるホテルに到着し、運転手ともども2階の受付に上がっていく。

3500ルピーの部屋と2500ルピーの部屋があった。2500ルピー(2200円ほど)の部屋は受付のすぐうしろで狭い。運転手と受付の男が何か話している。ウルドゥー語(またはパンジャブ語)なので私には内容はわからない。だが、その結果3500ルピーの部屋も2500ルピーまでディスカウントされた。ありがたい。この部屋に泊まることにした。

Paradise Innまで300ルピーということで乗ったタクシーだが、すでにParadise Innまで走る倍近くの時間を費やしている。チップの形での上乗せが必要だろう。100ルピー札がなかったこともあり、500ルピーを渡した。運転手は喜んでいた。「やはり日本人はhonestだ」と言いながら。私も満足だった。またひとつ、パキスタンのいい思い出ができた。

このホテルの名前はKhursneed Palace。もう2時を過ぎている。ホテルの近くに中華料理店があるとのことで、ホテルのスタッフが案内してくれた。中華料理店はホテルから歩いて2、3分のところにあった。メニューを見せてもらったが、いずれも1000円近くするようだ。また別の機会にしよう。

すぐ近くにあるカレー店で昼食をとる。キーマ・カレーとナンで160ルピー(140円くらい)。

遅めの昼食

Hotel Khursneed Palaceはメインストリートの南端にある。ラワルピンディの街を知るために、メインストリートを北上してみる。ペシャワルやミンゴーラ、ベシャムとは異なり、ブルカ姿の女性はまったく見かけない。目に付いたのは、低く垂れ下がった電線、そして路上の古本屋と駕籠に入った数多くの小鳥。小鳥は食用か、それとも...。

低い電線と変圧器

路上の古本屋

駕籠に入った小鳥(スズメ?)

歩き疲れてホテルに戻る。体を休めていると、ホテルのスタッフがドアをノックする。トイレの便座が外れているため、配管屋を連れてやって来たのだ。こちらから頼んだわけではない。

配管屋が便座を直している10分間ほど、ホテルのスタッフと話す。4、50歳代とおぼしき労働者風のこの男性、カシミール出身だという。カシミール人と話すのははじめてだ。

男性はサウジアラビアのホテルで6年間働いていたとのことだった。サウジアラビアでもっと長く働きたかったのだが、ビザが下りなかったらしい。

暗くなってきたので、夕食を求めて外へ出る。夜のラワルピンディは人通りも多く、大きな店がまばゆいばかりに輝いている。予想外の光景だ。

夜のメインストリート(1)

夜のメインストリート(2)

路上レストランでチキンの串焼きとピンク・ドリンク(紅茶の一種だろうか、正体不明の飲み物)を注文し、夕食とした。チキンは柔らかくておいしかったが、辛すぎた。代金は240ルピー(210円ほど)と高め。

これだけでは足りないので、路上でポテトフライを購入し(50ルピー)、ホテルに持ち帰った。

明日は1日ラワルピンディで過ごす。

 

2018年12月11日火曜日

パキスタン2018 七日目(マンセラ)

11月10日。

朝食抜きで7時半ごろにホテルを出て、ラワルピンディ行きのミニバスを探す。「あれがラワルピンディ行きだ」と教えられたミニバスはメインストリートに停まっていた。私が乗り込んでしばらくし、バスは8時前に出発した。

ラワルピンディ行きのはずだが、車掌は「マンセラ、マンセラ」と呼びかけて客を集めている。ひょっとしてラワルピンディ行きではなく、マンセラという町に行くバスではないだろうか。

10年前の「地球の歩き方」を調べると、案の定、マンセラはベシャムとラワルピンディの中間にある町だ。交通の要地だが、観光地ではないらしい。

ミニバスはカラコルム・ハイウェイを走り、12時半ごろにマンセラのバス・ステーションに着いた。交通の要地らしく、バス・ステーションは数多くのミニバスで埋め尽くされていた。ここで乗客はすべて降りる。やはりマンセラが終点だった。車掌はラワルピンディ行きのバスはあちらと指し示す。マンセラまでのバス代は340ルピー(300円ほど)だった。おそらくベシャムからラワルピンディまで直行するバスはなく、すべてここで乗り継ぐのだろう。

マンセラのバス・ステーション

ここで考えた。このままラワルピンディまで行くか、それともここマンセラで1泊するか。今日ラワルピンディに着けば、そこで3泊することになる。ラワルピンディに3泊はちょっと長すぎる。私にとっては観光地でないというのは逆にマンセラの魅力のように思えた。できるだけ「普通」のパキスタンを見たかったからだ。

そこで予定を変更し、ここで1泊することにした。朝食を抜いたこともあり、まずは腹ごしらえ。バス・ステーションにはいくつかの食堂が並んでいる。そのうちのひとつに入る。ハンバーグのような肉とナンで100ルピー(90円ほど)。食堂のスタッフはやけにフレンドリーだった。

肉とナンで昼食

腹もふくれたので、次は宿探し。「Hotel」という看板を探すが、なかなか見つからない(実際はバス・ステーションの並びにひとつあったのだが、気付かなかった)。

人に尋ねながら探し続ける。ホテルは存在するが、看板はすべてウルドゥー語だ。最初に連れて行かれたホテルでは「ホットウォーターが出ないから別のところのほうがいい」と、親切にも近くの別のホテルを紹介してくれた。結局この別のホテルに落ち着いた。このホテルも英語の看板はなかったが、Wifiのサイト名がcontinentalとなっていたから、おそらくコンチネンタルというホテルだろう。奇しくも昨日のベシャムのホテルと同じ名前だ。昨日のホテルより規模は小さく、部屋代も1泊1000ルピー(900円ほど)だった。

部屋で少し体を休めてから外に出る。ホテルからそれほど離れていないところに20ばかりのテントの集落がある。遠くから見ても貧しさが際立っている。近くの井戸から汲んだ水を運んでいる3人の子供たちに遭遇した。兄弟だろうか。カメラを構えると、一番下の子が泣き出した。兄らしき子はそれを見て笑っている。私は特に怖い顔の持ち主ではない(と思いたい)。はじめて見る東洋人にカメラを向けられてびっくりしたのだろう。申し訳ないことをした。このときの出会いがこの幼い子のトラウマとならないことを願うのみ。

水を運ぶ子供たち

私を見て泣き出す子供

このテントの小集落はどういう経緯で出現し、誰が住んでいるのだろう。2005年にはパキスタン北部に大地震が発生し、その後多くの人がテント暮らしとなったと聞いているが、地震からすでに13年経つ。アフガニスタン難民の可能性もゼロではないが、マンセラはアフガニスタンからかなり遠い。後日2、3人に尋ねてみたが、はっきりした回答は得られなかった。

メインストリートに出る。声を掛けられ、写真を撮ってくれとリクエストされるのはこれまでと同様。日本語ロゴが残ったままの中古車やデコレーション・トラック(デコトラ)もお馴染みの風景だ。

マンセラを歩く

路上でおいしそうなお菓子を売っていたので、つい購入してしまった。

歩き疲れたので宿へ戻り、買ってきたお菓子をつまみながら休む。暗くなってきたころ、夕食を求めて外へ出る。バス・ステーションの裏手、メインストリート沿いの建物の2階にある食堂に入る。テーブルが10前後ある大きな食堂だ。チキン・フライドライスを注文。ここでもチキン・フライドライスではあまりにも変わりばえがしないが、どうしても既知の料理に頼ってしまう。紅茶と併せて170ルピー(150円ほど)だった。

ホテルへ帰る途中、ナンを焼いて販売している店があったので、動画を撮らせてもらう。ナンをつくる手順はアフガニスタンと同じだ。撮り終わると、Thank youの声が返ってくる。お礼を言うのはこちらの側なのに。

マンセラのパン(ナン)屋


明日はラワルピンディ。旅も終盤に入る。