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2016年3月21日月曜日

ミャンマー2016 六日目(マンダレー)

2月13日。

Royal Guesthouseの朝食はトースト、卵料理、バナナ、コーヒー(または紅茶)、ジュースと標準的なもの。ホテル代(1泊15ドル)を考えれば、不満はない。

Royal Guesthouseの朝食

朝食を終え部屋に帰ろうとすると、60歳くらいの日本人男性の宿泊客を見かけた。彼は毎年のごとくミャンマーを訪れ、今回もこの宿にすでに1週間くらい滞在しているという。ホテルのスタッフとは片言のビルマ語でしゃべっていた。仕事で来ているわけではない。何らかの理由でミャンマーに惚れ込んでいるのだろう。

彼の案内でマンダレーの市場の中にある茶屋に紅茶を飲みに出かけることになった。ホテルから市場までは歩いて10分くらいと近い。背の低い小さなテーブルが2つばかりの茶屋だ。茶屋というより屋台と呼んだほうがぴったりするかもしれない。コンデンスミルクと砂糖がたっぷり入ったミャンマー式の紅茶。おいしい。日本人男性は茶屋の女主人とも顔なじみらしく、ビルマ語で話していた。紅茶の代金は300チャット(30円)だが、女主人は私からお金を受け取らなかった。日本人男性は最初から支払うしぐさも見せていなかった。どうなっているのかよくわからないが、「Thank you」と礼を言って茶屋をあとにした。

市場の茶屋

日本人男性(名前も聞いていなかった)は宿へ戻り、私はマンダレー駅へ向かうことにした。明日の夜行列車でヤンゴンに戻ることに決めていたからだ。今日のうちに切符を購入しておきたい。市場から駅までは歩いて20分弱。駅は高台にあるが、そのふもとの風景はスラムと言う言葉を連想させる。掘っ立て小屋、ゴミ、裸で走り回る子供たち。全裸の子供もいる。ただ、住居も人も密集はしておらず、規模も小さいので、スラムという定義からはずれるだろう。バングラデシュやインドでは線路に沿ってスラムが広がる光景を目にした。ヨーロッパでも大都会の大きな駅の付近の治安は概してよくない。駅や鉄道が往々にして貧しさや犯罪と結びつくのはどうしてだろうか。

駅の下の光景

半裸の子供たち

テーブルを囲んで何か飲んでいる男たちがいる。私にも座に加わるように勧めてくる。この誘いはていねいにお断りし、写真だけを撮らしてもらった。男たちのひとりの唇は真っ赤だった。台湾でビンロウ(檳榔)と呼ばれているキンマだろう。体には特に害はないらしい。渋い味がくせになるのか。

テーブルのそばにいた少女

マンダレーからヤンゴンへの列車は1日に3本ある。朝6時発で夜の9時にヤンゴンに着く列車、午後3時発翌朝5時着の列車、それに午後5時発翌朝7時45分着の列車だ。夜行なら明日もたっぷりマンダレーを観光できるうえ、1日の宿泊費が浮く。だが、沿線の景色も楽しみたい。だとすれば午後3時発がベストだ。だが、明日の午後3時発は売り切れていた。そこでセカンドベストとして午後5時発の切符を買った。午後5時発も寝台車は売り切れだったので、アッパークラスなる座席にした。アッパークラスとはリクライニングできるゆったりとした座席らしい。料金は9700チャット(970円)。飛行機に比べれば格安だ。飛行機には外国人価格が適用されているのに対し、列車は現地人と同じ価格で購入できるからだろう。

宿に戻り、昨夜焼きそばを食べた近くの食堂で昼食をとる。1500チャット(150円)のシャン・ヌードル。シャン族のヌードルということだろう。まずは満足できる味だった。

宿の真向かいに10人くらいの理髪師が働いている大きな散髪屋がある。2000チャットということなので頭を刈ってもらった。思っていたよりもだいぶ短い髪になったが、これも悪くはない。

午後の観光はマンダレー・ヒルの見物にあてた。名前のとおり丘の上にある仏教寺院で、数多くのさまざまな仏像がある。宿からマンダレー・ヒルまではかなりあるが、宿の近くから乗り合いのピックアップトラックが出ていた。ヒルに着き、しばらくふもとをぶらぶらした。頂上まで車で上がろうか歩いて上がろうか迷いながら、長い階段を上がる入口まで来ると、日本人の若い男性2人組を見かけた。彼らもRoyal Guesthouseに宿泊しているという。頂上まで一緒に登ることにした。卒業旅行でミャンマーを訪れている学生とのことだ。両人とも今時の若衆だが、ひとつ感心したことがある。ほんの片言ながらビルマ語を使おうとしてることだ。ミャンマーをすでに1週間以上旅しており、その中で覚えたという。「ありがとう」や「こんにちは」のビルマ語さえ知らない私とは大きな違いだ。

大きな仏像や小さな仏像、土産物屋、食べ物屋などを見ながら小一時間かけて頂上まで登った。途中、若くてきれいな女性がいたので写真を撮らせてもらう。頂上からはマンダレーの街が一望できる。

マンダレー・ヒルで見かけた女性

マンダレー・ヒルの仏像

マンダレー・ヒルから宿まで、帰りも乗り合いのピックアップトラックを利用した(1000チャット)。長い階段を登り、また降りてきたのでさすがに疲れている。宿で長めの休息をとった。

夜、宿の受付に「近くにおいしいレストランはないか」と尋ねると、23rd Streetにあるという。宿は25th Streetだから、2ブロック離れた場所だ。23rd Streetまで行くと、路上にテーブルをいくつも並べて大勢の人が食事をしている。てっきりこれが受付の言っていたレストランだろうと思い近づくと、店員らしき人たちが「座れ、座れ」といったしぐさをする。ちょっと変だと思いながらもテーブルについた。注文もしないのに、麺の入ったスープを持ってくる。ここでようやく気がついた。これはレストランではなく、道行く人たちにスープをふるまっているだ。働いているのは店員ではなく、ボランティアだろう。そのうちのひとりが説明してくれたところによると、今日はアウン・サン将軍の誕生日でその祝いをしているとのことだった(あとでネットで調べると、実際2月13日は将軍の誕生日だった)。言うまでもないが、アウン・サン将軍はアウンサンスーチーの父親だ。何も知らずに迷い込んできてスープにありついた外国人の私の写真をスマートフォンで撮る男性もいた。

アウン・サン将軍の誕生祝賀スープ

ちょっと脇道にそれるが、ミャンマーでのスマートフォンの普及率はかなり高いようだった。スマートフォンを一度も見かけなかったブルキナファソとは対照的だ。「I have no money」とのたまい、実際一銭も持っていなかったミッチーナーのトゥクトゥク運転手さえスマートフォンを所持していた。ほとんどは中国製の安い製品だろうが、それにしてもミャンマーの経済の勢いを垣間見させる風景だ。

スープをさらに注ぎ足してくれたので、レストランに行くまでもなく、空白は満たされた。宿に帰ってゆっくり休もう。

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