10月8日。
今回の旅のメインはチェチェンであり、モスクワ観光はいわばオマケだ。ホテルに近いカフェで遅めの朝食をとったあと、地下鉄でウニヴェルシチェート駅まで出かける。ボリショイ・モスクワ国立サーカスを見るためだ。
ロシアのサーカスは2005年の春にサンクトペテルブルクでも見た。周りからは「なぜまたサーカスに? サーカスなんて子供のためのものじゃないか」といぶかしがられたものだが、これには2004年に平壌で見たサーカスが大きく影響している。人間のような動きをするクマ、観客を舞台に上げて手玉にとるピエロ、そのピエロの演技に心の底から笑っている平壌の子供たち。私のサーカスに対する興味は平壌で生まれた。
何時から始まるのか、そもそもこの日に公演があるのかどうかも調べていなかったが、幸い午後1時からの公演のチケットを購入できた。購入したのはもっとも安い席のチケットで、1000ルーブル(2000円)だった。
12時にオープンした劇場の中で昼食代わりのサンドイッチを食べながら、公演の開始を待つ。観客の大半は子供連れのロシア人だ。170ルーブル(340円ほど)のサンドイッチはまずかった。
1000人くらい収容できそうな会場は5分の4くらい埋まっていた。象や虎などの動物、タンザニア、モンゴル、イタリアなどから招いたサーカス団など、平壌のサーカスよりずっと豪華で、お金もかかっている。しかし、平壌のような感動は得られなかった。サーカスの定番である空中ブランコとピエロが見られなかったのも残念だ。
サーカスは20分の休憩をはさんで、3時間半ほど続いた。サーカス会場を出たのは5時近く。次に地下鉄でアルバート通りに向かう。かつては芸術家などが多く住んでいた通りだが、現在は観光客で賑わっている。観光客目当ての似顔絵描きや土産物屋が並ぶ通りを動画を撮りながら歩く。ストリートパフォーマンスもちらほら。ここらあたりのストリートパフォーマンスはなかなかレベルが高い。
アルバート通りにあるMymyというセルフサービス式のレストランで夕食をとる。2005年にもここで食事をした。ボルシチ(もちろんスメタナも付けた)や魚のフライでなどで500ルーブル近く。2005年同様、今回も満足のいく味だった。
さらに新アルバート通りを歩き、通りにある大きな本屋を覗いてから、ホテルに戻った。オマケのモスクワ観光だったが、それなりに充実した1日といえる。
10月9日。
今日は帰国日だが、フライトは23時50分だから、ほぼ1日を観光にあてることができる。11時ごろにホテルをチェックアウト。チェックアウトの手続きをしていると、フロントのひとりが日本語で話しかけてきた。30~40歳くらいのこの男性の日本語は、流暢ではないが、片言というわけでもない。別れ際、この男性は私に「天皇陛下によろしく」と言う。苦笑するしかない。
このホテルでは荷物を有料(150ルーブル)で預けることができる。荷物預かり所の男性は中央アジア風の東洋人。英語はできない。ロシア語で「カザフスタンから来たのか」と訊くと、キルギスタンからという返事。10年前にキルギスタンを訪れたことなどを話す。
ホテルの近くにはヴェルニサージュ市場がある。メガホテルが並んでいる場所柄か、このテーマパークのような市場ではマトリョーシカ、ロシア帽などのは土産物が売られている。市場は閑散としており、半分以上の店が閉まっていた。マトリョーシカは300ルーブルから。一瞬1個購入しようかと思ったが、やめておいた。土産物はやはりお菓子類が無難だろう。
続いて赤の広場を再訪。昼食はグム百貨店の3階にあるセルフサービス式のスタローバヤ57でとった。「スタローバヤ」とはロシア語で「食堂」という意味だ。そう高くなく(私の場合は400ルーブルくらい)、おいしいので、2時過ぎにもかかららず、テーブルはほとんど埋まっていた。
次に地下鉄トゥーリスカヤ駅近くのダニロフスキー市場に向かう。食品を中心とした屋内市場だ。野菜、果物、肉、魚などの売り場の一角はフードコートとなっており、モロッコ、韓国、ベトナムなどの料理を提供している。どれか試してみたかったが、昼食を食べたばかりの腹には入りそうにない。ケーキとコーヒーだけにとどめた。市場を出ると、少し雨が降っている。今回の旅ではじめて遭遇する雨。
7時ごろにホテルに戻り、預けていたバックパックをもらい受け、係のキルギス人の男性と握手をして別れる。
地下鉄とアエロエキスプレスを乗り継いでドモジェドヴォ空港に到着。モスクワからカタールのドーハ、ドーハから羽田、羽田で一晩過ごし(カタール航空のサービスで平和島温泉で休むことができた)、最後に羽田から伊丹に飛び、チェチェンへの旅を無事に終えることができた。
まとめ
治安に関する若干の危惧をもって訪れたチェチェンとダゲスタンだが、滞在中に不安はまったく感じなかった。もっともこれはアフガンでもアフリカでもどこでもそうで、「不安を感じる」とはすなわち何かが発生したか、発生しそうになっているということにほかならない。実際に事が発生する寸前までは、何も気付かないのが普通だ。だから、私が不安を感じなかったとしても、その地の安全が保証されるわけではない。
この旅の目的のひとつは、プーチンと手を組んだラムザン・カディロフの強権政治のもとで、人々がどのように感じているか、その感じていることをどれくらい自由に表出できるかを探ることにあった。もちろんたった4、5日の滞在で、しかももっぱらガイドだけを相手にして、チェチェンの現実を知ることができるなどと考えていたわけではない。それでもある程度の感触はつかめるのではないだろうか。
チェチェンのところどころに、カディロフの大きな肖像が掲げられている。プーチンと並んだ肖像、プーチンだけの肖像も少なくない。北朝鮮や一部の中央アジア、アフリカの国々で見られる光景だ。
「指導者について否定的に話すこと、批判することはタブーなのか」とガイドに訊いてみた。「公的な場面では批判はタブーだ。しかし仲間うちでは逆に、指導者を持ち上げるような発言すると、ちょっとおかしいのではないか、なにか胸に一物あるのではないかと疑われてしまう」という答えだった。
プーチンやロシアに対する反感、反感以上の憎悪は今も根強く残っている。そのロシアと手を組んだカディロフにはあきあきしている。だが今これに対して武器をもって立ち上がるのはそれ以上の狂気だ。戦争や混乱はイスラム国(IS)を利するだけだ。ここしばらくは我慢するしかない。
カディロフの人気も100%虚構というわけではなく、心底支持している人もいるかもしれない。しかし短い滞在期間中に私が得た感触は上記のようなものだった。私の判断が正しいかどうかはわからない。ただひとつ言えるのは、チェチェンは北朝鮮ではないということ。北朝鮮のように社会の隅々までコントロールされ、恐怖が支配している社会ではないということだ。
今回はガイドを付けての旅だった。ガイドなしでのチェチェン旅行は可能だろうか。ちょっとしたホテルには英語を話せるスタッフがいるし、プーチン大通りから少し外れたところにツーリスト・オフィスもある。ガイドなしでも十分に可能だ。ただし、ロシア語の知識がまったくないと苦労するかもしれない。ストリート名やレストランのメニューはキリル文字だけで表記されている。グロズヌイ市内はともかく、ロシア語の知識なしにチェチェンの村々を探訪するのは並大抵ではない。お金に余裕があるなら、ガイドを付けることをお勧めしたい。
今回の旅のメインはチェチェンであり、モスクワ観光はいわばオマケだ。ホテルに近いカフェで遅めの朝食をとったあと、地下鉄でウニヴェルシチェート駅まで出かける。ボリショイ・モスクワ国立サーカスを見るためだ。
ロシアのサーカスは2005年の春にサンクトペテルブルクでも見た。周りからは「なぜまたサーカスに? サーカスなんて子供のためのものじゃないか」といぶかしがられたものだが、これには2004年に平壌で見たサーカスが大きく影響している。人間のような動きをするクマ、観客を舞台に上げて手玉にとるピエロ、そのピエロの演技に心の底から笑っている平壌の子供たち。私のサーカスに対する興味は平壌で生まれた。
何時から始まるのか、そもそもこの日に公演があるのかどうかも調べていなかったが、幸い午後1時からの公演のチケットを購入できた。購入したのはもっとも安い席のチケットで、1000ルーブル(2000円)だった。
12時にオープンした劇場の中で昼食代わりのサンドイッチを食べながら、公演の開始を待つ。観客の大半は子供連れのロシア人だ。170ルーブル(340円ほど)のサンドイッチはまずかった。
1000人くらい収容できそうな会場は5分の4くらい埋まっていた。象や虎などの動物、タンザニア、モンゴル、イタリアなどから招いたサーカス団など、平壌のサーカスよりずっと豪華で、お金もかかっている。しかし、平壌のような感動は得られなかった。サーカスの定番である空中ブランコとピエロが見られなかったのも残念だ。
サーカスを観る
サーカスは20分の休憩をはさんで、3時間半ほど続いた。サーカス会場を出たのは5時近く。次に地下鉄でアルバート通りに向かう。かつては芸術家などが多く住んでいた通りだが、現在は観光客で賑わっている。観光客目当ての似顔絵描きや土産物屋が並ぶ通りを動画を撮りながら歩く。ストリートパフォーマンスもちらほら。ここらあたりのストリートパフォーマンスはなかなかレベルが高い。
アルバート通りのストリートパフォーマンス
アルバート通りにあるMymyというセルフサービス式のレストランで夕食をとる。2005年にもここで食事をした。ボルシチ(もちろんスメタナも付けた)や魚のフライでなどで500ルーブル近く。2005年同様、今回も満足のいく味だった。
Mymyで夕食
さらに新アルバート通りを歩き、通りにある大きな本屋を覗いてから、ホテルに戻った。オマケのモスクワ観光だったが、それなりに充実した1日といえる。
10月9日。
今日は帰国日だが、フライトは23時50分だから、ほぼ1日を観光にあてることができる。11時ごろにホテルをチェックアウト。チェックアウトの手続きをしていると、フロントのひとりが日本語で話しかけてきた。30~40歳くらいのこの男性の日本語は、流暢ではないが、片言というわけでもない。別れ際、この男性は私に「天皇陛下によろしく」と言う。苦笑するしかない。
このホテルでは荷物を有料(150ルーブル)で預けることができる。荷物預かり所の男性は中央アジア風の東洋人。英語はできない。ロシア語で「カザフスタンから来たのか」と訊くと、キルギスタンからという返事。10年前にキルギスタンを訪れたことなどを話す。
ホテルの近くにはヴェルニサージュ市場がある。メガホテルが並んでいる場所柄か、このテーマパークのような市場ではマトリョーシカ、ロシア帽などのは土産物が売られている。市場は閑散としており、半分以上の店が閉まっていた。マトリョーシカは300ルーブルから。一瞬1個購入しようかと思ったが、やめておいた。土産物はやはりお菓子類が無難だろう。
続いて赤の広場を再訪。昼食はグム百貨店の3階にあるセルフサービス式のスタローバヤ57でとった。「スタローバヤ」とはロシア語で「食堂」という意味だ。そう高くなく(私の場合は400ルーブルくらい)、おいしいので、2時過ぎにもかかららず、テーブルはほとんど埋まっていた。
次に地下鉄トゥーリスカヤ駅近くのダニロフスキー市場に向かう。食品を中心とした屋内市場だ。野菜、果物、肉、魚などの売り場の一角はフードコートとなっており、モロッコ、韓国、ベトナムなどの料理を提供している。どれか試してみたかったが、昼食を食べたばかりの腹には入りそうにない。ケーキとコーヒーだけにとどめた。市場を出ると、少し雨が降っている。今回の旅ではじめて遭遇する雨。
ダニロフスキー市場のフードコート
7時ごろにホテルに戻り、預けていたバックパックをもらい受け、係のキルギス人の男性と握手をして別れる。
地下鉄とアエロエキスプレスを乗り継いでドモジェドヴォ空港に到着。モスクワからカタールのドーハ、ドーハから羽田、羽田で一晩過ごし(カタール航空のサービスで平和島温泉で休むことができた)、最後に羽田から伊丹に飛び、チェチェンへの旅を無事に終えることができた。
まとめ
治安に関する若干の危惧をもって訪れたチェチェンとダゲスタンだが、滞在中に不安はまったく感じなかった。もっともこれはアフガンでもアフリカでもどこでもそうで、「不安を感じる」とはすなわち何かが発生したか、発生しそうになっているということにほかならない。実際に事が発生する寸前までは、何も気付かないのが普通だ。だから、私が不安を感じなかったとしても、その地の安全が保証されるわけではない。
グロズヌイのシンボル
この旅の目的のひとつは、プーチンと手を組んだラムザン・カディロフの強権政治のもとで、人々がどのように感じているか、その感じていることをどれくらい自由に表出できるかを探ることにあった。もちろんたった4、5日の滞在で、しかももっぱらガイドだけを相手にして、チェチェンの現実を知ることができるなどと考えていたわけではない。それでもある程度の感触はつかめるのではないだろうか。
チェチェンのところどころに、カディロフの大きな肖像が掲げられている。プーチンと並んだ肖像、プーチンだけの肖像も少なくない。北朝鮮や一部の中央アジア、アフリカの国々で見られる光景だ。
カディロフの肖像
「指導者について否定的に話すこと、批判することはタブーなのか」とガイドに訊いてみた。「公的な場面では批判はタブーだ。しかし仲間うちでは逆に、指導者を持ち上げるような発言すると、ちょっとおかしいのではないか、なにか胸に一物あるのではないかと疑われてしまう」という答えだった。
プーチンやロシアに対する反感、反感以上の憎悪は今も根強く残っている。そのロシアと手を組んだカディロフにはあきあきしている。だが今これに対して武器をもって立ち上がるのはそれ以上の狂気だ。戦争や混乱はイスラム国(IS)を利するだけだ。ここしばらくは我慢するしかない。
カディロフの人気も100%虚構というわけではなく、心底支持している人もいるかもしれない。しかし短い滞在期間中に私が得た感触は上記のようなものだった。私の判断が正しいかどうかはわからない。ただひとつ言えるのは、チェチェンは北朝鮮ではないということ。北朝鮮のように社会の隅々までコントロールされ、恐怖が支配している社会ではないということだ。
今回はガイドを付けての旅だった。ガイドなしでのチェチェン旅行は可能だろうか。ちょっとしたホテルには英語を話せるスタッフがいるし、プーチン大通りから少し外れたところにツーリスト・オフィスもある。ガイドなしでも十分に可能だ。ただし、ロシア語の知識がまったくないと苦労するかもしれない。ストリート名やレストランのメニューはキリル文字だけで表記されている。グロズヌイ市内はともかく、ロシア語の知識なしにチェチェンの村々を探訪するのは並大抵ではない。お金に余裕があるなら、ガイドを付けることをお勧めしたい。
チェチェン旅行をもくろんでいる者です。とても参考になりました。
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