よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2018年12月22日土曜日

パキスタン2018 十二日目(帰国)

11月15日。

パキスタン最終日。フライトは23時45分だから、今日1日観光の時間はたっぷりある。

朝8時過ぎに朝食の会場に向かう。昨日ほとんど食べていなかったから、さすがに腹が減っている。胃腸の調子も心なしか悪くなさそうだ。とりわけ多い量ではないものの、ちゃんと普通に朝食を食べた。

ホテルに12時のチェックアウトの延長をお願いしておく。1泊の半額、つまり2000ルピー(1800円ほど)で18時まで延長可という話だったが、サービスで19時まで部屋を使えることになった。ちょうどよい。19時に空港行きの車に迎えに来てもらうことにしよう。空港までは1時間もかからないから、23時45分発のフライトには早すぎるが、ラホールの交通事情からして、安全策をとっておいたほうがよいだろう。一昨日に訪れたLahore Backpackersのほうが安く滞在できるが、他の旅行者との交流も期待できそうにないうえ、体調も考え、このホテルにとどまることにする。

チェックアウトの延長と空港行きの車の手配を決めてから、ラホール・フォート(ラホール城)に向かった。パキスタン到着2日目に訪れようとしてかなわなかった観光地だ。トゥクトゥクを拾ったのはよいが、運転手にラホール・フォートを理解させるのに手間取った。ラホールでナンバーワンの観光スポットだから誰もが知っていると考えたのが甘かった。

運転手は何人もの通行人に聞きながらも、なんとかフォートの入口まで連れて行ってくれた。入口は昨日訪れたバードシャーヒ・モスクと共通していて、公園を通じて入ることになる。モスクと違ってフォートには入場料が必要だ。パキスタン人は30ルピーだが、外国人は500ルピー(450円ほど)だった。

ラホール・フォートはムガル帝国によって建造された城だ。ムガル帝国という名前は聞いたことがあっても、その歴史や文化を知る日本人は少ないだろう。私も例外ではない。あとでネットで調べて「16世紀から19世紀にかけてインド亜大陸を支配したイスラム王朝」という知識を得たのが精一杯。

フォートはパキスタン人の観光客や遠足で来ている小学生、中学生で賑わっていた。XXXAmerican InstituteというそろいのTシャツを着た小学生くらいの子供たちが写生している。先生はパキスタン人だが、指示はすべて英語。おそらく富裕層の子弟が通う学校なのだろう。

私に声がかかり、写真を撮るはめになるのはいつものとおりだ。ターバンを巻いた男性を交えたグループもいる。シーク教徒だ。パンジャブは印・パの分離時にイスラムのパキスタンとシークのインドに分かれたと聞いていた。私に話しかけてきた若者は「あれはインドからのツアーだ」と言う。インドとパキスタンの関係からして、インドからの観光客がいることに驚いた。

だが彼らはインドからの観光客ではなかった。グループのひとり(彼はターバンを着用していなかった)が私に説明してくれたところによると、彼らはオーストラリア在住のインド人とのこと。シーク教徒にとってここラホール・フォートは聖地(holy place)のひとつらしい。

ラホール・フォートの中で写生する子供たち

ラホール・フォート観光のパキスタン人家族
 
若者たち
 
オーストラリアから来たインド人のグループ

フォートを出たときには1時近くになっていた。腹の具合は治まっているかにみえるが、まだ本調子ではない。Avari Lahoreという高級ホテルにFujiyamaという和食レストランがある。少々高くても、今は寿司を食べたい。

トゥクトゥクでAvar Lahoreまで行く。ちょうど何かの抗議集会が行われており、このあたり一帯は軍によって交通規制されていた。トゥクトゥクを降り、歩いてホテルまで行く。

しかしFujiyamaは営業していなかった。夜の7時にオープンするとのこと。ホテルではビュッフェ式のランチを提供していたが、今の私には重すぎる。ホテル内のカフェで芋のサラダとコーラを注文し、昼食とした。値段は忘れたが、高級ホテルだからそれなりの値段だったように思う。

Avar Lahoreのすぐ近くにラホール動物園がある。動物たちよりも、見物に来ている家族連れや子供たちを見たいという思いから、入園することにした。動物園には外国人価格はなく、40ルピー(35円ほど)で入れた

パキスタン人の入園者がどのように振る舞い、どのように楽しんでいるかを観察したいと思った私だが、その意図とはうらはらに、私自身が観察の対象になってしまった。入園者たちの関心を惹く珍獣になったのだ。

私の回りに集まってくるマドラサ(神学校)の生徒たち。写真をせがむ家族連れ。小学生くらいの子供が興味深そうに私に付いてくる。その子の口元を見ると、うっすらと髭らしきものが生えている。髭ずらの高校生には驚かなくなったが、まさか小学生までが...。写真を撮らせてもらった。

動物園でパキスタン人に囲まれて

この少年の口元にはうっすらと髭のようなものが

動物園を出る。空港へ行く前に、パキスタン・ルピーを米国ドルに再両替しておきたい。手持ちのパキスタン通貨がまだ10000ルピーほどある。パキスタン到着の翌日に訪れた両替所に行こうとしたが、抗議集会のために交通が規制され、近づけなかった。周りの人に聞き、郵便局(post offic)にも行ってみたが、だめだった。空港で再両替するしかない。

7時にホテルを出て空港へ向かう。車の料金は来るときと同じで1000ルピー(900円ほど)だった。

空港に着き、さっそく両替所に駆け込むが、「ここにはドルはない。出国ロビーで替えろ」と言われる。

チェックイン、セキュリティチェック、出国手続きを終え、出国ロビーに出る。両替の窓口は見あたらない。

フライトまではまだまだ時間があるので、ファーストフード店でフィッシュ・フィンガーとコーラを注文する(350ルピー)。店員にルピーを再両替する場所を探していると伝えると、「ここにはない。出国手続きする前の場所まで戻らないとだめだ」とのこと。さらに「あなたはもう戻ることはできないが、私なら自由に行き来できる。私に預けたら、替えてきてあげる」と提案してくる。

手持ちのルピーの中から8000を渡し、米国ドルへの両替を依頼した。フィッシュ・フィンガーを食べながら待っているが、なかなか戻ってこない。10分以上経過し、少し不安になる。

「走れメロス」ではないが、ほんの一瞬ながら疑念が生じたことを恥じなければならない。店員は帰ってきた。両替した53ドルを持って。

心配だったのは8000ルピーのお金がなくなってしまうことだけではない。それよりも、これまでのパキスタンのいい印象が最後の最後になって裏切られることがこわかった。しかし杞憂だった。最初から最後までいい思い出だけを持ってパキスタンを去ることができる。

残りのルピーで土産物を買い、タイ国際航空機に乗り込む。バンコクでの乗り継ぎは2時間5分しかなかったが、余裕で間に合い、翌日の午後4時前に関空に到着した。下痢も治まったような気配だ(実際には帰国後に再発して、5日間ほど苦しめられた)。

十二分に満足できるはじめてのパキスタン旅行だったが、いくつかの心残りがある。

まずは「食」だ。旅の前半はあまり考えることなくとりあえず胃袋を満たすだけだった。後半になると腹がやられ、食欲は著しく減退した。ちゃんとしたところでちゃんとしたパキスタン料理を試す機会がなかったのが悔やまれる。

次に、せっかくラホールまで行きながら、ワガ国境のセレモニーを見ることなく、博物館の「断食するシッダールタ」を目にすることもなく終わってしまったこと。

パキスタン音楽を聞く機会がなかったことも残念だ。パキスタン音楽に関する知識はゼロに近いが、かつてジャズ・ミュージシャンのJan Garbarekと共演したパキスタン人音楽家のUstad Bade Fateh Ali Khanの演奏と歌を聞いて感動した覚えがある。今回の旅ではパキスタンの古典音楽にふれるような余裕はまったくなかった。

パキスタンも再訪したい国のひとつとなった。今回行かなかったカラチやクエッタなどの南部、あるいは逆に北部のフンザでパキスタンのまた別の風景を見てみたい。

2 件のコメント:

  1. that must have been a memorable experience

    Merry Christmas!!

    返信削除
  2. 今年の夏にパキスタン旅行を考えているので大変参考になりました。
    ありがとうございます。

    返信削除