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2024年12月31日火曜日

南半球一周ピースボートの旅(その4)

12月28日

早朝にモーリシャスの首都ポートルイスに到着。8時半過ぎには下船できた。地元民がダンスで我々を迎えてくれる。

ダンスでお出迎え

city centerまでは2kmと聞いていたので、人の流れについて歩き始める。いつの間にかショッピング・モールに入ったが、ここがcity centerなのかどうかわからない。2、3人の人に「city centerはどこか」と聞いてみる。

モーリシャスは仏領であったり英領になったりしているため、フランス語と英語の両方が話されている(これらの言葉と現地語との混合であるクレオールも存在する。)。住民の多くはインド系のようだ。フランス語のほうが通じやすい印象を受けたが、実際のところはわからない。

なんとかcity centerらしきところに到達し、市場の様子を動画に撮る。

ポートルイスの市場


市場の近くのスーパーで、現地のビールとMeijiお菓子を購入。350円ほどだった(クレジット払い)。

帰船リミットは16時だったが、歩き疲れたこともあり、12時過ぎに帰路についた。途中、フードコートでシュウマイとコーラを購入、昼食代わりとする(クレジット払いで655円)。シュウマイは柔らかみがなく、おいしくなかった。

シュウマイとコーラで昼食

帰船してから、どっと疲れが出た。喉もやたらに渇き、日本から持ち込んでいた缶ビールを部屋の中で1本空けた。明日はレユニオン島に寄港する。

12月29日

船は早朝にレユニオンに着岸した。

レユニオンに着く

朝食後、GETプログラムのリーダーである米国人のクリスとフランス語で会話。クリスはマリに住んでいたことがあるので、フランス語が話せる。話題は読書に。ルイ・フェルナンド・セリーヌの「夜の果ての旅」とジョセフ・ヘラーの「キャッチ22」を勧めておく。

レユニオンではサンジルまでの送迎バスのオプションを申し込んでいた。サンジルはリゾート地だ。首都のサンドニと勘違いして申し込んだオプションだが、後悔するほどのことではない。

10時過ぎに港を出たバスは45分ほどかけてサンジルに着く。浜辺沿いの小ぢんまりした町だ。フランスから来たと思われる観光客が多い。海水浴をしている人も少なからずいる。聞こえてくるのはほぼ100%フランス語。

サンジル


昼食のためレストランに入る。レユニオンはフランスの海外県であるため、通貨はユーロ。値段もフランスほどではないかもしれないが、日本よりは高い。

マグロ料理とビールを頼んで25.80ユーロ。日本円で4252円だ。もちろんクレジットカードで支払った。マグロは生で、火は通っていない。クリームがかかっており、おいしかった。

マグロ料理

ビールを飲むと喉が渇く。カフェで市販のアイスクリームを買ったところ3.2ユーロ(528円)。フランスから来ているウエイレスのお姉さんと若干の会話。「(フランス語を)を上手にしゃべる」とほめられる。お世辞でも悪い気はしない。

帰路のバスは4時15分にサンジルを出発し、5時ごろに港に到着した。今日も疲れがひどい。

2024年12月28日土曜日

南半球一周ピースボートの旅(その3)

 12月19日

今朝はデッキを5周した。約2.5kmの距離。明日は6周を目指そう。

船は午前中にシンガポール港に着いた。「英語でチャレンジinシンガポール」のグループは12時45分に下船した。香港と異なり、シンガポールではパスポートと荷物の検査があるので時間がかかる。

シンガポール到着

英国人女性Saraのもと、私を含む4人の参加者が一団となって行動する。私たちの「ミッション」は地元のシンガポール人や他の観光客に英語で話しかけること。最初の目的地であるマーライオンでは、ドイツ人カップルに話しかけ、一緒に写真を撮ったりした。

続いてレストランでビュッフェ式の昼食。思ったより充実した内容でつい食べ過ぎてしまった。

遅めの昼食

遅めの昼食のあと、リトルインディアに向かう。お茶とお菓子で休憩し(代金の1869円は私がクレジットカードで支払った)、街を散策、地元のインド人と一緒に写真を撮る。グループの女性2人はインドの伝統服サリーを購入した。

インド系シンガポール人と一緒に

最後に植物園を見学し、帰船の途に着いた。他愛のない「ミッション」であり、珍しくもない訪問地だが、それなりに楽しかった。

帰船した8時過ぎに雨が降り出した。シンガポールの常として蒸し暑かったが、天候の面でもラッキーだった

12月20日

「6周を目指す」と書いたが、疲れていて昨日遅く起きたこともあり、今日のデッキ歩きは3周にとどまった。

朝食時、シンガポールから乗船したインド系マレーシア人と同席。ピースボートは2回目とのこと。イスラム教徒だが、酒は飲む。「イスラムで禁じられているのは、飲酒ではなく、酔っぱらうことだ」というのが彼の説。ほんとうかな。

朝食後、シンガポールから乗船した中国人女性と会話。彼女はシンガポールでドイツ人相手の観光ガイドをしているとのこと。会話はドイツ語に移行した。昨日マーライオン付近でドイツ人観光客とドイツ語で話したのに続き、ドイツ語のちょっとした練習になった。

10時からモーリシャス、マダガスカルのオプション・ツアーの申し込みがあった。選択できるオプションはほとんど残されておらず、マダガスカル1日目の送迎サービスだけをとった。

3時からは昨日の「英語でチャレンジinシンガポール」の報告会。昨日同行したツアー仲間と再会した。

今日はほとんど読書できなかった。昨日の疲れが残っていたのだろうか。

12月21日

甲板に出ると、雨が降っている。デッキ歩きもそこそこに朝食の席についた。

午後1時20分からGETオープン・プログラムに参加。ほんの少し英語でだが、若い乗船客と触れ合うことができた。

午後6時からGETプログラム参加者たちのパーティー。明日からの個人レッスンの先生が決まった。私のレッスンは明後日から始まる。

今日も読書ははかどらなかった。

12月22日

1月6日のポートエリザベス(南アフリカ)での送迎オプションを申し込む。めぼしいオプションはすべて予約済みだった。

この日は波揺れが激しかった。地震のような揺れを感じることもあったが、恐怖はない。

日中の大半を部屋の中で過ごす。読書に集中できないのは昨日と同じ。

12月23日

朝食時、日本在住の中国人女性と同席。四川省出身ということで、話がはずむ。彼女は中国政府に対してかなり批判的だった。

10時50分から40分間、英語の個人レッスン。私を担当するのはパキスタン系英国人のズー。パキスタン旅行のことなどを話す。

夕食で同席したのはGETプログラムで知り合った台湾人夫妻。主として英語で、だが私の拙い中国語もまじえて話す。彼らに「塩からい」、「甘い」などの日本語を教えた。

12月24日

船は赤道を越えて南半球に入った。

ケープタウンでのオプション・ツアーを申し込む。喜望峰ツアーはすでに満席だったので、タウンシップ(アペルトハイト時代の黒人居住地)訪問を選ぶしかなかった。

今日はクリスマスイブ。クリスマスツリーが飾られ、船やピースボートのスタッフは赤い帽子をかぶっている。生演奏も聞こえてくる。民族衣装の中国人女性たちが目を引いた。

民族衣装の中国人女性

英国人女性のSarahはサリーを着ていた。インドで英語を教えていたときに贈られたものらしい。

12月25日

朝食時、ウエイトレスのAyaというインドネシア人女性と知り合いになった。

14階のビュッフェに行けば、朝の5時から夜の24時まで食べ放題。お菓子もあれば果物もある。お菓子は自制していたのだが、この日は大福の魅力に勝てなかった。

大福を食べていると、横に座ったのは日に焼けた小柄な70代くらいの女性。服装も質素だ。下の歯がまったくなく、よく聞き取れない。わかったのは、中国系マレーシア人で、癌を患っており、放射線治療中であること。頬のあたりを指さしていたから、頬癌か。勇気のある女性だ。歯が不安定になったくらいでくよくよしている私とは大違い。

大福をふたつも食べたことから、夕食では前菜とデザートを抜きにした。

12月26日

時計を1時間戻す。これで日本との時差は4時間になる。

ポートエリザベスの2日目、リオデジャネイロ、ブエノスアイレスのオプションに申し込む。

11時10分から英語の2回目の個人レッスン。ルーマニアのロマ集落訪問のことなどを話す。

午後、「広西チアン族の文化紹介と民族衣装紹介」なるイベントに参加。クリスマスイブに見た中国の民族衣装が広西チアン族のものであることが判明。ショート動画にしてYoutubeにアップした。

今日はなんとかおやつに手をださずに済んだ。

12月27日

今日も時計を1時間戻す。日本との時差は5時間になった。

食事の席などで香港やシンガポールからの乗船者と話す機会が多くなる。1日の会話の半分近くを英語でしゃべっている気がする。

明日はモーリシャス上陸。オプションを何もとっていないので、完全な自由行動となる。



2024年12月18日水曜日

南半球一周ピースボートの旅(その2)

12月15日

船は午前8時前に香港の港に接岸した。

香港到着

香港観光と飲茶のツアーがいくつか組まれており、私はそのうちの1つに申し込んでいる。

我々のツアー・グループは10時に船を出て、バスに乗り込んだ。総勢30人ほど。バスの座席には余裕があった。ピースボートのスタッフ3人と現地の中国人ガイド(中年の女性)も乗り合わせている。

20年ぶりの香港だが、記憶に残っているのは、重慶マンションの猥雑さくらい。バスは高層ビル群の中を通り抜けていく。

30分ほどかけて黄大仙廟という道教のお寺に着く。金色をまじえた色彩豊かなお寺。目につくのは、お寺よりも、ラッシュアワーなみの観光客の群れ。ほとんどが大陸からきた中国人のようだ。

黄大仙廟

続いて飲茶の会場であるレストランに向かう。大きなレストランの中は、他のグループも含めたピースボートの客で埋め尽くされた。

ドリンク1つが無料で付く。私は躊躇なくビール(大瓶)を選んだ。焼売、餃子、炒飯などの料理に舌鼓をうつ。久しぶりのアルコールに酔いがまわった。

飲茶

食後にグッチやプラダなどのブランド・ショップが並ぶストリートを散策し、タイムリミットである午後3時前に帰船した。

12月16日

ピースボートではGET(Global English Training)という英語学習プログラムが提供されている。英語の個人レッスンをメインとするプログラムで、もちろん有料。私はこのプログラムに申し込んでいる。キャンセル待ちの末、乗船2週間前になってようやく参加することができた。

午後、このGETプログラムの向けた10分間のインタビューがあった。ズーという名のパキスタン系イギリス人を相手に10分余りたっぷり英語をしゃべった。

10時過ぎに就寝。寝る時間がだんだん早くなる。

12月17日

今日は英語に縁のある日だった。まず19日のシンガポール寄港に向けて申し込んでいた「英語でミッションinシンガポール」というオプションの説明会。シンガポールでは、GETプログラムの先生たちのもと、4人ごとの小班で行動する。

続いて、午後には、GETのオープン・プログラム(乗客の誰もが参加可能)で英会話の練習。

夕方の6時半から「地域大交流会」というプログラムが開催された。私は本来の「北陸」ではなく、「English」グループに参加し、ここでもたっぷり英語をしゃべった。

ピースボートの乗客は大半が日本人、中国人(台湾人、香港人を含む)、韓国人だが、少数の欧米人も乗り合わせている。この日知り合ったのは、それぞれひとり参加の英国人男性、オランダ人男性、オーストラリア人女性だった。このほかにも数人の欧米人がいるようだ。

12月18日

午前中、「中文教室」に参加。「参加」というより、ただ聴いていただけだ。

午後、船内にあるジムにはじめて行ってみたが、マシンの使い方がよくわからなかった。

明日はシンガポールに寄港する。夜7時過ぎに、預けていたパスポートが各乗客に返却された。香港はパスポートなしで入国できたが、シンガポールへの入国にはパスポートが必要になる。

2024年12月14日土曜日

南半球一周ピースボートの旅(その1)

 ピースボートが主催する南半球一周クルーズの旅(Voyage119)に参加する。12月11日に神戸港を出て、香港、シンガポール、モーリシャス、南アフリカ、ナミビア、ウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、チリ、タヒチなどを巡り、3月16日に帰国する長期クルーズだ。

これまでのブログでは、旅が終わったあとで、一括して記事にするのが通例だった。だが、クルーズ終了ごにまとめて報告するのはむずかしい。3か月前のことを日付を追って思い出すのは至難の業。

そこで、今回の旅では 数日ごとにまとめて、現在進行形の形で記載することにした。といっても、船に持ち込んだのはスマホ、タブレット、クロムブックだけということもあり、詳しい説明や長い感想は避け、事実を単純に記載するのにとどめたい。要するに一種の備忘録だ。

12月11日

ピースボートの世界一周船パシッフィク・ワールド号は11日午後5時過ぎに神戸港を出た。船にはすでに前日に横浜港から多くの乗客が乗り込んでいる。

神戸港を出航


予約していたトイレ・シャワー付きの個室に入室。先送りしていた大型スーツケースが届いていたことで一安心。海を展望できない一番安い個室だが、日本の標準的なビジネス・ホテルといった趣きで、特に不満はない。

室内

クルーズ最初の夕食は洋食のコース料理。メインは牛タンを選んだ。これにも満足。

12月12日

昨夜は途中で目が覚め、よく眠れなかった。シャワーのあと、デッキを一周してから朝食。

午後3時頃、船は鹿児島県の南を進んでいる。

屋久島のあたりを通過している午後8時前にディナー。メニューは昨晩とおなじだった。今回はメインに豚肉のマリネを選択。10時半過ぎに就寝。

12月13日

7時に起床。デッキを3周(約1.5キロ)。朝食は今日も和食を選んだ。

朝食

午後3時頃、船は台湾近くを航行しているようだが、グーグルマップが機能せず、位置を確認することはできない。

3度の食事だけでなく、軽食やおやつも常時食べ放題。体によくないとわかっていても、つい手が出てしまう。

3時のおやつ

夜、日本より1時間送れの香港時間に時計を調整する。10時半就寝。

12月14日

朝のウオーキングはデッキを4周。

朝食ははじめて洋式を選択する。向いの席に座った夫婦のご主人の父親は私の幼少時の居住地の出身だった。奇遇だ。まさかあの小さな集落がこの船の上で話題にのぼるとは。

今日もおやつの誘惑に負けてしまった。

夕食はビュッフェ式を選択。

明日はいよいよ最初の寄港地である香港に到着する。

2024年10月28日月曜日

トルコ2024 帰国と若干の感想

 10月8、9日

フライトまでたっぷり時間がある。食事は機内で出るはずだ。それに空港のレストランは高い。カフェでトルコのBaklavaというお菓子とAyranを注文した。これだけで15ユーロ。市内ならせいぜい5、6ユーロだろう。

BaklavaとAyran


関空行きは定刻どおり午前2時に飛び立った。機内での私の隣席はリトアニア人のカップルだった。日本ははじめてとのこと。歌やダンスの公演のための来日で、なんと42人の団体で来ているという。「リトアニアの住人の半分くらいがやって来たのか」と言うと、笑っていた。

リトアニアは私にとって、というより日本人にとってあまりなじみのない国だ。リトアニアのロシア系住民は現在は10%くらいであること、リトアニア語とラトビア語はよく似ていることなど、おおいに話がはずんだ。

若干の感想

今回のトルコ旅行についていくつか思ったことをランダムに記しておこう。

(1)行程。イスタンブール2泊→ディヤルバクル2泊→マルディン3泊→アンカラ2泊→カッパドキア2泊→イスタンブール3泊という今回の旅の行程はまずは妥当なものだった。最後のイスタンブール3泊の代わりにどこかもう一箇所行けばよかったかもしれないが、ぎりぎりの行程を組むのは超慎重な私の性格に合っていない。

(2)物価。2009年の「地球の歩き方トルコ編」では1リラが56円と記載されている。今回私が両替したときのレートは1リラが4.2~4.3円くらいだった。つまりこの15年くらいの間にトルコ・リラは日本円に対して10倍以上下落していることになる。インフレに対し利上げではなく利下げで対応するという、エルドアン政権の非常識な政策が、収拾がつかないほどにインフレを加速させた結果だ。だからといってトルコが相対的に安くなったわけではない。インフレを出し抜くために値上げを急ぐのは当然といえば当然の庶民の反応だ。

食事は日本より高い。観光地では2倍とみてもいい。初日以降食事への出費に慎重になったのはこのためだ。ホテル代や交通費は日本より安いが、その差は大きくない。イスタンブールではタクシーはもちろんUberも利用しなかった。

(3)東洋人観光客。日本人を誰一人見かけなかったアゼルバイジャンと異なり、トルコ、特にイスタンブールとカッパドキアでは日本人観光客を目にすることもめずらしくなかった。だが、東アジアの観光客で圧倒的に多いのは中国人だ。続いて韓国人か。カッパドキアでは中国レストランがいくつかあり、韓国レストランも2つ見かけた。日本料理専門のレストランは私の知る限り存在しなかった。その反面、現地の人が私に声をかけてくるときに多かったのは、「日本人か」という問いかけ。それに「コンニチハ」とか「オゲンキデスカ」という片言の日本語。「ニイハオ」と声をかけられたのは1回だけだった。これは日本人観光客が多かった過去の遺産だろうか。

(4)犬。トルコに猫が多いことは知っていたが、犬が多いのにはびっくりした。一般にモスレムの国では犬は忌み嫌われており、ほとんど見かけない。だが、トルコでは大きな犬が寝そべっているを幾度となく目にした。元気のいい小型犬もいないわけではないが、圧倒的に多かったのは大型犬だったような気がする。どの犬もリードは付けていない。犬を見かけるたびに写真に収めておいた。そのうちほんの一部を紹介して、トルコ旅行のブログを締め括ろう。

怠惰なトルコの犬(その1)

怠惰なトルコの犬(その2)

怠惰なトルコの犬(その3)

トルコ2024 十四、五日目(イスタンブール観光)

 10月7日

今日はボスポラス海峡クルーズの日。12時過ぎにホステルまで小型バスが迎えに来て、船乗り場まで連れて行ってくれる。クルーズが出発したのは午後1時半。英語とロシア語での説明が始まる。

ツアーという形ではないが、このクルーズは2009年にも経験している。ガイドもなく食事も付かないただの周航だから、値段はずっと安かったはずだ。もちろんこうした単純な周航は今でも運航されているのだろう。

ボスポラス海峡を巡る


2時を過ぎ、ランチ・タイムとなった。小型バスで一緒だった高齢の女性2人と同じテーブルにつく。2人はイラン人の姉妹だった。姉は米国在住で、妹はスエーデン在住とのこと。イランを出たのは1989年。姉はかなり体が弱っており、私と同年生まれの妹の介助なしには歩行も困難なようだ。妹の一人息子はlawer(たぶん弁護士)で、今回のトルコ旅行をすべて手配してくれたらしい。革命前にイスラエルを旅行したこと、どちらも看護士として働いていたことなど、いろいろ興味深い話を聞くことができた。

ランチ(可もなく不可もなし、ツアーの食事に多くは期待できない)


ツアーが終わり、下船してから、バスが同じだった中年のカップルと話す。女性のほうは黒いヒジャブとアバヤ(全身を覆うロングコート)を着用している。彼らはアルバニア人だが、現在は米国のニューヨークに住んでいる。「その服装でニューヨークの街を歩いて何も言われないか」と尋ねると、「問題ない」との答えだった。ニューヨークにいる彼らの息子ともスマホを通じて挨拶した。

余分のお金を出してわざわざツアーにしたのは、こうした交流が期待できたからだ。

ホステルで休憩してから、再び夜の街に出る。中規模のレストランに入り、キョフテ、スープ、それにAyranを注文。315リラ(1300円ほど)。観光客で賑わう旧市街中心部では安いほうだ。

夕食


10月8日

関空行きの帰国便は10月9日の午前2時にイスタンブール空港を発つ。実質的には8日の深夜だ。今日一日たっぷり時間がある。荷物をホステルに預けて空港へ行くまでの時間を外で過ごす選択肢もあるが、ベッドの上で休む時間をほしいことから、ドーミトリーに1泊する形をとることにした。料金は300リラ(1200円ほど)。

というわけで、11時にチェックアウトしたあと、直ちにドーミトリーにチェックインし、荷物をロッカーに保管したうえで外に出た。

ホステルの入口に黒いヒジャブとアバヤの中年女性3人と男性1人がいた。服装からしてトルコ人かと思ったが、ボスニア人だった(正確にはボスニアに住んでいるアルバニア人)。男性がドイツ語もしゃべると言うので、ドイツ語でも少し会話した。

今日行こうと思っていたのは、カラフルな建物が並ぶBalatという地区だ。グーグル・マップで経路を調べ、トラムでいったん新市街へ出てから、Balatへ行くバスの乗り場を探す。それらしきバス乗り場を見つけ、マップに示されている番号のバスを待つが、いっこうにやって来ない。30分ほど待ったところで、Balat行きをあきらめた。もともとそれほど興味があったわけではない。

Balatの代わりに、今いる新市街を歩いて探索することにした。長い石段を上ってガラタ塔まで行き、そのふもとのレストラン通りを通過して、新市街の中心部にあるタクシム広場を目指す。

途中、ラップしたケバブとAyranのセットで75リラ(300円強)という安いレストランを見つけたので、昼食をとった。

ガラタ塔


30分以上歩いてタクシム広場に到着。特に見るべきものはない。

タクシム広場(その1)

タクシム広場(その2)

タクシム広場の公園にある野外カフェに入り、トルコ風コーヒーとキュネフェというお菓子で一休み(205リラ)。トルコのお菓子は以前から私のお気に入りだ。イスタンブールに立ち寄るたびに土産としてTurkish Delightを購入していた。キュネフェも期待を裏切らなかった。甘すぎるともいえるが、それがいい。

ターキッシュ・コーヒーとキュネフェ

トラムを使ってホステルまで戻り、ドーミトリーのベッドに体を横たえる。2、3時間休んだが、予想どおり、寝入ることはできなかった。

8時過ぎにホステルをチェックアウトする。空港まではちょっと高いがシャトルバスを利用した。トラム→バス→地下鉄がもっとも安いのだが、夜のバスに乗るのは不安だ(下車する停留所を乗り越す心配がある)。トラムでシャトルバスの乗り場まで行き、そこから一路空港に向かった。シャトルバスの代金は覚えていないが、200リラ以上だったことは確か。

空港には10時前と、かなり早めに到着し、関空行きのターキッシュ・エアラインズの便を待つばかりとなった。

2024年10月26日土曜日

トルコ2024 十二、三日目(イスタンブールへ戻る)

 10月5日

いよいよ旅も終盤、今日はイスタンブールへ戻る日。カッパドキア(Nevsehir空港)からイスタンブールへの航空券はTrip.comを通じて購入してある。15時50発17時到着のターキッシュ・エアラインズの便で代金は17,630円。

11時にチェックアウトする際に、ホステルで空港行きのシャトルバスを予約しておく(300リラ)。バスは午後1時に迎えに来るとのことなので、いったん荷物を預けてギョレメを散策し、レストランで昼食をとった。

カッパドキアの見納め


来るかどうか迷っていたカッパドキアだが、来てよかったという結論だ。宿のテラスからの眺めはすばらしかった。だが景観に特に感動したというわけではない。カッパドキアの景色は今までに写真や動画で何回となく見ていたから、いわばdesensitizeされていた。体験として残ったのは、多くの観光客やそれを目当てとしたツアーやレストラン、土産物などの全体、その有りようだ。これもまたトルコの現実。

午後5時過ぎにイスタンブール空港へ着く。トルコ国内では制限されていたBooking.comだが、VPNを通じて接続すれば、検索も予約も可能になることを知った。だがあえて予約はしなかった。気に入った宿をいつでも自由に選ぶほうがベターと思ったからだ。ただBooking.comを通じて目星は付けていた。

目星を付けていた安宿に行こうと経路を調べ、空港から出ている地下鉄で終点のGayrettepe駅まで行くが、そのあとのバスの停留所がよくわからない。周りが暗くなっていくなか、この周辺で適当に宿を見つけようと決めた。グーグル・マップを頼りに地下鉄駅から10分くらい離れたホテルにたどり着く。朝食付きで1泊2650リラ。日本円にすれば12,000円弱。少々高いが、バックパックを背負って暗闇のなかを歩くのはもういい。このホテル(Milport Hotel)に1泊することにした。

MilPort Hotelの室内


あとから考えるとこれは失敗だった。バスはともかく、地下鉄ならGayrettepeで簡単に乗り替えることができる。同じ新市街でもGayrettepeよりもっと観光客が多そうな駅へ行けば、選択肢も多く、安い宿が見つかったはずだ。

短いフライトであったにもかかわらず機内では軽食も出たから、お腹はすいていない。残っていたお菓子とコーラで満足し、そのまま就寝した。

10月6日

Milport Hotelをチェックアウトし、旧市街を目指す。昼間なら移動もそうむずかしくない。バスとトラムを乗り継いで簡単に旧市街の中心(スルタンアファメト)まで行くことができた。

目指したのは、ホステルでありながら個室も用意している宿だ。1軒目は空きがなく、2軒目はちょっと高かった。3軒目にたどり着いたのが、Avrasyaホステル。朝食は付かないが、トイレ・シャワー付きの個室で1泊700リラ(3000円ほど)と、旧市街中心部としては格安だ。ここに2泊することにした。

Avrasyaホステル

あらためて旧市街の観光に出る。アヤソフィア、ブルー・モスク、トプカプ宮殿はすでに2009年に内部まで見学している。その記憶は完全に消え去っているが、わざわざ高い入場料を払って入る気はない。ブルー・モスクだけは今も入場無料なので入ってみた。

ブルー・モスクの内部

そういえば2009年には鯖サンドも食べたな。今回も、ということで、日暮れの旧市街を海辺近くまで歩く。2009年には海辺近くには鯖サンドの屋台が数多く出ていたが、今見かけるのはほとんどが焼トウモロコシの屋台だ。

しばらく歩くと、3軒連なった鯖サンドの店が大勢の客で賑わっている。2009年同様、客の大半はトルコ人のようだ。そのうちのひとつに入る。提供されているのは鯖サンドと飲み物だけ。鯖サンドが150リラ(650円ほど)でレモネードが30リラ(130円ほど)だった。

賑わう鯖サンドの店

鯖サンドとレモネード

2009年にも思ったことだが、鯖にはパンより白米と大根おろしのほうが相性がよい。

腹がくちくなったところで、30分以上かけてホステルまで歩いて帰った。

ホステルでボスポラス海峡クルーズ・ツアーのポスターが目に入った。ランチ付きのAfternoon Tour(3時間)で35ユーロ。30ユーロに値引きするというので申し込んでおいた。

2024年10月25日金曜日

トルコ2024 十一日目(カッパドキアのツアー)

 10月4日

朝早く目が覚めたこともあり、5時過ぎにホステルの屋上のテラスに行く。カッパドキアの早朝の空を覆う気球の群れを見るためだ。しかし外はまだ暗く、気球はまだ上がっていない。気球を目にしたのは、再度テラスに上った午前6時半ごろだった。

テラスから眺めた気球

気球に乗る気はまったくなかった。最低でも100ドルくらいというその値段がネックだった。それに加え、何年も前にイスタンブールに滞在していた際に、気球の事故で死者が出たというニュースを耳にしたことがあり、若干の恐怖心もあった。

今日はグリーン・ツアーの日。9時半にホステルまで迎えの車がきた。他のホテルからも何人かのツアー客をピックアップし、ツアーの出発点である「ギョレメのパノラマ」まで連れ行く。迎えの車の運転手の中年男性は私に日本語で話しかけてきた。「コンニチハ、ゲンキデスカ」のレベルの日本語ではなく、まがりなりにもコミュニケーションが可能なレベルだ。東京と静岡に数か月暮らしたことがあるという。

パノラマ

グリーン・ツアーはこの「ギョレメのパノラマ」から始まる。小型バスに乗り込んだ一行は女性ガイドを含めて15名。バスの中でまず各自簡単な自己紹介をする。インド人のカップルが2組、中国人の若い女性二人組、中国在住のオーストラリア人と中国人のカップル、テキサスのオースティンから来たカップル(新婚旅行中とのこと)、カザフスタン人のカップル、一人参加の米国人男性(ニューハンプシャー州在住)、それに私。

最初にThe Church of Virgin Mary(聖母マリア教会)に立ち寄り、12時過ぎにUnderground Town(地下都市)に到着。これがこのツアーの目玉らしい。

地下都市は迫害を逃れるキリスト教徒たちの避難地として建造され、万を超える人たちが暮らせるようにつくられている。

地下都市の入口


地下都市を探索

確かに興味深い構造物ではあるが、暗がりのなか、背をかがめて進むのは簡単ではない。地下深くほられているから、石の階段も多い。階段を降りるのが苦手な私はどうしてもツアー一行から遅れてしまう。おそるおそる、よたよたと歩いていると、同行の男性が私の腕をとろうとし、あるいは「俺の腕につかまれ」といって言って助けてくれる。あるときはインド人、あるときはアメリカ人の男性が。助けの申し出をていねいに断り、なんとか自力で地下都市から外へ出た。「これは私にとっては拷問(torture)だ」との感想を一言述べておいた。同行者たちはおそらく20~40代。自分ではそれほど自覚がなかったものの、私の老いぼれ具合は第三者から見て明々白々だったのだろう。

ツアーはナル湖、ウフララ渓谷と続き、ようやくランチの時間。時刻は3時近くになっていた。ランチ(飲み物を除く)や地下都市への入場料はツアー代金に含まれている。ランチに何を食べるかはあらかじめバスの中でガイドが各自に確かめていた。チキン、ビーフ、魚(鱒)、ベジタリアンのなかからの選択だ。私は魚を選んだ。

ナル湖

このレストランで

魚料理を食べる(おいしかった)

土産物屋に立ち寄ってギョレメに戻ってきたときには午後5時を過ぎていた。ツアーの感想は特にない。地下都市を歩く際の苦行を考えると、レッド・ツアーのほうがよかったかもしれない。

ツアーよりも興味深かったのは同行者との交流だ。中国人女性を相手に中国語を、カザフスタン人相手にロシア語を使ったりもした。といってもせいぜい1、2のフレーズだが。

アゼルバイジャンでもインド人が多かったが、今回も同様だ。アゼルバイジャンではインドとアゼルバイジャンに特別な関係でもあるのかと思ったが、要するにインドも豊になる途上にあり、中産階級が膨らむにつれ、海外へ出る余裕が生まれているのではないだろうか。ちょうど50年前の日本、30年前の韓国、そして20年前の中国がそうであったように。

ホステルで休んでから、夕食のために外へ出る。小さな食堂でTantuniという料理とAyranというトルコの飲み物を頼んだ(205リラ)。

隣のテーブルに50~60代の2人の東洋人の女性がいた。顔は中国人のようだが、服装や所作が旅慣れ、垢抜けている。そのうちひとりが帰り際に私のほうに微笑みかけてきたので、どこから来たのか聞いてみた。中国人だがオーストラリア在住とのこと。どおりで...と納得した。 

2024年10月23日水曜日

トルコ2024 十日目(カッパドキア到着)

 10月3日

7時に朝食をとり、早めにバスターミナル(ASTi)へ向かう。カッパドキア(ギョレメ)行きのバスはを予定どおり9時に出発した。私の席の前列に座っていたカップルと話す。「ドイツから来た」とのことだったが、顔つきがドイツ人らしくない。2人ともアフガニスタン人だった。男性のほうはハザーラ。バーミヤンに行ったときのこと、ダリ語とパシュトー語の違いなどについて話した。男性によるとダリ語とパシュトー語はまったく違う言語だとのこと。ほんとうだろうか。どちらもペルシャ語系の言語のはずだが。

バスは特徴のある岩が見えるカッパドキアに入り、アンカラを出発してから4時間ほどで目的地のギョレメに到着した。カッパドキアといっても広い。ギョレメはカッパドキア観光の中心であり、世界各地からの観光客で賑わっている。

カッパドキアに入る

宿は予約はもちろん、目星も付けていなかった。ざっと調べたところ、ギョレメの宿はどれも高そうだ。目に付く宿を適当にあたってみよう。バス停からほど近いところに、Terra Vista Hostelというホステルがあった。ホステルという名前だが個室もあるとのこと。個室は朝食なしで1泊1500リラ(6300円)。カッパドキアにしては安い。ここに2泊することにした。

Terra Vista Hostel


このホステルでは各種のツアーも取り扱っていた。カッパドキアの一日ツアーにはレッド・ツアーとグリーン・ツアーの2種類がある。レッド・ツアーはギョレメを含むカッパドキア北部を一周するツアー、グリーン・ツアーは南部を一周する。料金はどちらも45ユーロ。標準的なレッド・ツアーを申し込もうとしたが、宿のスタッフの勧めるのはグリーン・ツアーだった。「レッド・ツアーで訪れる場所ならここから個人で行くことが可能」との理由からだ。勧めに従って、明日のグリーン・ツアーを申し込んだ。

ホステルの外へ出ると、尖った岩がにょきにょきと頭をもたげているカッパドキアの風景が目に入る。数多い観光客のなかでも特に目立つのが東洋人だ。大半は中国人で、韓国人がそれに続く。日本語も何回か耳にした。

ギョレメのメインストリート


ギョレメをぶらぶらと散策したあと、5時半に早めの夕食をとることにした。インスタンブールの旧市街同様、どのレストランも強気の値段設定だ。レンズ豆のスープとフムス(ひよこ豆のペースト)という軽い食事で340リラ(1400円強)を支払った。

スープとフムスで早めの夕食

カッパドキアのほぼすべてのホテルやホステルは屋上にテラスを設けており、外の風景を一望できる。Terra Vista Hostelも例外ではない。こうした安ホステルでも眺めはすばらしい。

テラスから見た夜景


このテラスでソウル出身の韓国人青年と知り合った。兵役を終え、大学に復学するまでの間、世界一周の旅に出ているとのこと。父親は大阪大学に留学した経験があり、本人も東京、大阪はもちろん、北海道、仙台など日本を広く旅行している。日本の料理では「ひつまぶし」が最高と言う。ひつまぶしが名古屋の名物であることも知っていた。ちなみに日本人の私はひつまぶしを食べたことがない。値段が高すぎる。

2024年10月22日火曜日

トルコ2024 八、九日目(アンカラ)

 10月1日

アンカラ行きのAjetの便は13時45分にマルディンの空港を発つ。空港行きのシャトルバスは11時半の予定。空港までは1時間もかからないから、これで間に合うはずだが、ことのほか慎重な私は10時半にタクシーで空港に向かった(500リラ)。

宿泊費の6000リラはチェックアウトの直前にオーナーの父親にキャッシュで支払った。

約1時間半のフライトでアンカラ空港に到着した。リラのキャッシュを補強しておくために40ユーロと10ドルを両替する。アンカラは少し寒く、用意していた軽い上着を着込む。

アゴダやTrip.comでマークしていたEnerji Otelを目指し、バスでバスターミナル(アンカラではASTiと呼ばれている)まで行き、そこから地下鉄に乗り換えて最寄りの駅で下車した。バスと地下鉄の支払いはどちらもクレジットカードのタッチで済ませた。地下鉄に乗ろうとしていたとき、トルコ人の男性がスマホの翻訳アプリを使って助けてくれた。一緒に車内に乗り込むので(ASTiは最終駅で行き先は一方向しかないからこれは当然)、「ひょっとするとチップをせがんでくるのではないか」とあらぬ疑いをかけてしまう。まったく余計な心配で、私の下車駅で気持ちよく別れた。詐欺とはほど遠い穏やかな表情の男性にまでそんな嫌疑をかける私の猜疑心こそ病的といえよう。

Enerji Otelは朝食付きで1泊約1500リラ(6500円弱)。とりあえず2泊することにした。

Trip.comなどの情報によればEnerji Otelは街の中心から1キロ以上離れているとのことだったが、周りにはレストラン、バー、カフェなどが数多くあり、賑わっていた。官庁などが存在するという意味では「中心」ではないが、商業的にはこのあたりが「中心」のように思えた。

Enerji Otel


トルコの物価高にびっくりし、「できるだけ安く」というのがこれまでのレストラン選びの指針だった。だが今日は久しぶりに贅沢とまではいかなくてもそれなりのもの食べようという気になっていた。

で、午後8時ごろ、ホテル近くの大勢の客で賑わっているレストランに入った。

このレストランで夕食


注文したのはレンズ豆のスープと鶏肉料理、それにスプライト。スープが登場した時点で、数多くの皿がテーブルに並べられる。とうてい食べ切れそうにない。

スープ登場

ラップ(パン)に包まれたメインディッシュがやってくる。

メインディッシュ

ラップをはがすと

最後にサービスでデザートと紅茶も提供される。正確な値段は忘れたが、600リラ強(2500円ほど)だった。店員も態度も悪くなく、まずは満足できるレストラン体験だった。

10月2日

8時過ぎに朝食会場へ行く。1泊6500円にしては充実した朝食だった。

朝食後、アンカラの「中心部」(ウルスというエリア)にあるアタテュルク像を目指す。バスか地下鉄で行く手もあったが、アンカラの街を知るために30分以上かけて歩くことにした。

アタテュルク像や大きなモスクを見たあと、街をぶらぶらと散策しながらホテルの方向に引き返す。

アタテュルク像

モスク

モスクの中には入らなかった。私にとっては、モスクの内部よりも、モスクの前に横たわっていた汚れて疲れ切った犬のほうが気になった。

モスクの前の犬

途中、破壊された車が展示されているのが目に入った。英語の説明文を読むと、2016年に発生たクーデター騒ぎの中で、クーデター側のタンクに抵抗して破壊された車らしい。このクーデターの試みとその結果は「Victory of Democracy」としてエルドアン政権のプロパガンダの格好の材料となっている。

破壊された車

メインストリート上にパトカーや消防車が何台か停まっており、何人もの警官がいる。見上げると、ビルの屋上にひとりの男が立っており、野次馬も集まっている。どうも男が飛び降りを図っているらしい。労働者風の野次馬のひとりが私に向かってドイツ語で「彼は一文無しだ(Er hat keine Geld)」と説明し、「俺も一文無しだ」と続ける。「私もお金がない」とドイツ語で切り返しておいた。ドイツ語をしゃべったこの男はミュンヘンに住んでいたらしい。すぐにその場を離れたので、この騒ぎの顛末がどうなったかは知らない。

アンカラを歩く

明日はバスでカッパドキアに行くつもりだ。観光地に興味がない私としては、カッパドキアを省き、アンカラと最後のイスタンブールでゆっくりと過ごすという選択肢もあった。しかし「トルコまで来てカッパドキアに行かないのはちょっと」という思いのほうが勝った。

行くとなれば、バスのチケットを今日のうちに入手しておいたほうがいいだろう。ホテル近くの地下鉄の駅からバスターミナル(オトガル)のASTiまで行き(昨日来た経路の逆)、いくつかあるバス・カウンターのうちKamitKocという会社を選んで、カッパドキア(正確にはギョレメ)までのチケットを購入した。明朝9時出発で、ギョレメ到着が12時40分。代金は400リラ(1700円ほど)だった。

トルコではホテルの朝食をたっぷり食べるため、昼食を抜く習慣になっていた。この日も、午後遅くにカフェでバナナシェイク(85リラ)を注文するにとどまった。

夕食はホテル近くの大きなショッピング・モールでとった。8時を過ぎており、客が数人にいるだけのフードコードで食べたCecil Peynirliという1品は思いのほかおいしかった。

ガランとしたフードコートで

Cecil Peynirliを食べる