10月4日
朝早く目が覚めたこともあり、5時過ぎにホステルの屋上のテラスに行く。カッパドキアの早朝の空を覆う気球の群れを見るためだ。しかし外はまだ暗く、気球はまだ上がっていない。気球を目にしたのは、再度テラスに上った午前6時半ごろだった。
テラスから眺めた気球
気球に乗る気はまったくなかった。最低でも100ドルくらいというその値段がネックだった。それに加え、何年も前にイスタンブールに滞在していた際に、気球の事故で死者が出たというニュースを耳にしたことがあり、若干の恐怖心もあった。
今日はグリーン・ツアーの日。9時半にホステルまで迎えの車がきた。他のホテルからも何人かのツアー客をピックアップし、ツアーの出発点である「ギョレメのパノラマ」まで連れ行く。迎えの車の運転手の中年男性は私に日本語で話しかけてきた。「コンニチハ、ゲンキデスカ」のレベルの日本語ではなく、まがりなりにもコミュニケーションが可能なレベルだ。東京と静岡に数か月暮らしたことがあるという。
パノラマ
グリーン・ツアーはこの「ギョレメのパノラマ」から始まる。小型バスに乗り込んだ一行は女性ガイドを含めて15名。バスの中でまず各自簡単な自己紹介をする。インド人のカップルが2組、中国人の若い女性二人組、中国在住のオーストラリア人と中国人のカップル、テキサスのオースティンから来たカップル(新婚旅行中とのこと)、カザフスタン人のカップル、一人参加の米国人男性(ニューハンプシャー州在住)、それに私。
最初にThe Church of Virgin Mary(聖母マリア教会)に立ち寄り、12時過ぎにUnderground Town(地下都市)に到着。これがこのツアーの目玉らしい。
地下都市は迫害を逃れるキリスト教徒たちの避難地として建造され、万を超える人たちが暮らせるようにつくられている。
地下都市の入口
地下都市を探索
確かに興味深い構造物ではあるが、暗がりのなか、背をかがめて進むのは簡単ではない。地下深くほられているから、石の階段も多い。階段を降りるのが苦手な私はどうしてもツアー一行から遅れてしまう。おそるおそる、よたよたと歩いていると、同行の男性が私の腕をとろうとし、あるいは「俺の腕につかまれ」といって言って助けてくれる。あるときはインド人、あるときはアメリカ人の男性が。助けの申し出をていねいに断り、なんとか自力で地下都市から外へ出た。「これは私にとっては拷問(torture)だ」との感想を一言述べておいた。同行者たちはおそらく20~40代。自分ではそれほど自覚がなかったものの、私の老いぼれ具合は第三者から見て明々白々だったのだろう。
ツアーはナル湖、ウフララ渓谷と続き、ようやくランチの時間。時刻は3時近くになっていた。ランチ(飲み物を除く)や地下都市への入場料はツアー代金に含まれている。ランチに何を食べるかはあらかじめバスの中でガイドが各自に確かめていた。チキン、ビーフ、魚(鱒)、ベジタリアンのなかからの選択だ。私は魚を選んだ。
ナル湖
このレストランで
魚料理を食べる(おいしかった)
土産物屋に立ち寄ってギョレメに戻ってきたときには午後5時を過ぎていた。ツアーの感想は特にない。地下都市を歩く際の苦行を考えると、レッド・ツアーのほうがよかったかもしれない。
ツアーよりも興味深かったのは同行者との交流だ。中国人女性を相手に中国語を、カザフスタン人相手にロシア語を使ったりもした。といってもせいぜい1、2のフレーズだが。
アゼルバイジャンでもインド人が多かったが、今回も同様だ。アゼルバイジャンではインドとアゼルバイジャンに特別な関係でもあるのかと思ったが、要するにインドも豊になる途上にあり、中産階級が膨らむにつれ、海外へ出る余裕が生まれているのではないだろうか。ちょうど50年前の日本、30年前の韓国、そして20年前の中国がそうであったように。
ホステルで休んでから、夕食のために外へ出る。小さな食堂でTantuniという料理とAyranというトルコの飲み物を頼んだ(205リラ)。
隣のテーブルに50~60代の2人の東洋人の女性がいた。顔は中国人のようだが、服装や所作が旅慣れ、垢抜けている。そのうちひとりが帰り際に私のほうに微笑みかけてきたので、どこから来たのか聞いてみた。中国人だがオーストラリア在住とのこと。どおりで...と納得した。
0 件のコメント:
コメントを投稿