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2023年1月14日土曜日

ラオス南部2022 五日目(タラート・ダーオフアン)

 12月14日

Pakse Hotelの朝食は充実していた。Vientiane Luxury Hotelの朝食が星3つだとすればPakse Hotelは星4つだ。

昨日から気づいていたことだが、このホテルを采配しているはどうも西洋人らしい。宿泊客に”Good morning”と声をかけ、従業員にいろいろと指示している。ラオスにはこのように外国人が実質的なオーナーとなっているホテルやレストランが少なくないとのことだ。

朝食後に向かったのはタラート・ダーオフアン(ダーオフアン市場)。歩いて30分近くの距離だ。タラート・ダーオフアンは食料品を中心とした巨大な市場だ。パクセーだけではなく近隣の町や村からも人が集まる。私が訪れた東南アジアの数多くの市場のなかでも最大規模だ。肉や魚のほか、生きたカエルが何十匹もバケツに入れて売られていた。

ダーオフアン市場


魚売り場

生きたカエル


市場の近くのTea Roomという小ぎれいなカフェで少し休憩。市場には大きなフードコートも併設されているが、昼食はホテルへ戻る途中の小さな食堂でとった。(たぶん)カオピヤックセンと呼ばれるラオスのヌードルだ。値段は覚えていないが、20000~25000キープ(160円~240円)だっただろう。

カオピヤックセン(?)


ホテルで休憩し、日が暮れかかるころ、メコン川の支流のセードーン川の河岸を散策した。昨日見逃した日没を見るためだ。日没に照準を合わせた写真は撮れなかったが、暑くもなく寒くもなく、風もない中、あくまで静かにたたずむ川の光景は一見に値する。

セードーン川の日没


川沿いを歩く


夕食は路上で買った韓国風のホットドッグとコーラで済ませた。

2023年1月13日金曜日

ラオス南部2022 四日目(パクセー到着)

 12月13日

タクシーはちゃんと6時に迎えに来てくれた。ラオス航空便は定刻の8時5分に離陸し、1時間後にパクセーに到着した。パクセーはビエンチャンに次ぐラオス第二の都市ということだが、人口は10万人ほどだ。

空港から予約してるホテルまでトゥクトゥクで行く。トゥクトゥクに乗ったのは私とフランス人男性のバックパッカーの二人。ひとりあたり5万キープ(400円弱)ということで乗ったのだが、私のホテルに着いたとき、運転手はフランス人に「おまえのホテルは遠いから」という理由で7万キープを要求していた。私もフランス人に加勢して口をはさんだが、彼は結局7万キープで折れた。

私が予約していたのは2泊で60ドル(朝食付き)のPakse Hotelだ。ホテルに着いたのは午前10時前だったが、すぐにチェックインできた。

Pakse Hotel


少し休憩してから外へ出る。ホテルの近くにちょっとした市場があり、大きな食堂を併設していた。ここで昼食をとる。注文したのはFried pork rice。要するに焼き飯だ。確か20000キープ(160円弱)。値段相応の味だった。

市場の中の食堂で昼食

Booking.comの情報によると、パクセー・ホテルは「中心部から1.3km」ということだが、どこが「中心部」なのかわからない。グーグル・マップを見て、ともかく国道13号沿いに歩いてみた。

国道沿いは閑散としていた。車も人も少ない。途中、Wat Prabathというお寺があったので立ち寄る。

国道13号沿いのWat Prabath

ホテルに戻ってから、パクセーに2泊したあとの旅程を考えた。1つはサラワンへ行き1泊する案。もう1つはところどころに立ち寄りながら北上し、ビエンチャンをめざす。サラワンはパクセーの西にあり、ビエンチャンへの途上で立ち寄るというわけにはいかない。といってもパクセーからはバスで3時間であり、日帰りも可能だ。

この旅の動機の1つはサラワン歌謡への関心にあった。したがってサラワンを訪れないという選択には忸怩たるものがある。だが、サラワンはパクセーよりもずっと小さい町だ。Booking.comに登録している宿は皆無。サラワンまで足を伸ばしたところで、歌謡や踊りに触れる可能性はほぼゼロだろう。日程に余裕を持たせるという意味でも、ここはサラワンをあきらめ、このまま北上しよう。ビエンチャンへの途上にあって、パクセーに近いのはサワンナケート(Savannakehet)。パクセーからバスで4時間だ。

ホテルの受付でサワンナケート行きのバスターミナルの所在を尋ねようとすると、受付の男性はホテルに付設されている観光案内所(Wat Phou Travelという名前だった)に連れて行ってくれた。

案内所で2日後にサワンナケートへ行くバスのチケットを購入した。バスの出発時刻は9時。8時30分から9時の間にホテルまでタクシー(実際はトゥクトゥクだった)が迎えに来るとのことだった。すぐには気づかなかったが、チケットの値段は310000キープ(2400円)とかなり高額だった。自分でバスターミナルまで行って購入すればこの半額以下だったかもしれない。

案内所にいた若いラオス人女性としばらく話す。サラワン歌謡に興味があることを告げると、その女性は「ティアロン、ティアロン」と一節を口ずさむ。私の年齢のこと、彼女がビエンチャンから派遣されてきていることなど、いい雰囲気で話しが盛り上がった。チケットの値段は高かったが、この体験で帳消しにしておこう。

Pakse wHotelはレストランを併設している。グーグル・マップのクチコミを見ると、ホテルの屋上にあるそのレストランの評判がすこぶるいい。「メコン川の日没を見ながら食べるのが最高」といった類いのクチコミだ。

屋上のレストランに行く。かなり賑わっている。メコン川に面する席をとったが、時刻は6時半を過ぎており、日没には間に合わなかった。羊肉のラープ(挽肉と香草を炒めたラオス料理)とカオ・ニャオ(餅米)、それにBeerlaoのGoldenを注文。日の暮れたメコン川(正しくはメコン川の支流であるセードーン川)を見ながら夕食とした。会計のときにニッコリと笑ってくれたウェイトレスの笑顔が印象に残っている。

ラープとカオ・ニャオ、ビールで夕食


2023年1月9日月曜日

ラオス南部2022 三日目(ノーンドゥアン市場)

 12月12日

ホテルでの朝食後、歩いてノーンドゥアン市場(Nongduang Market)へ行く。30分かかっただろうか、40分かかっただろうか、かなり歩いた。この市場は2015年にも訪れた記憶が残っているが、確かではない。肉や野菜の食料品、衣類、雑貨などを売っている。7年前には確かここでラオス歌謡のDVDを買ったように思うが、今回はその種のものは見つからなかった。

ノーンドゥアン市場


ノーンドゥアン市場からタラート・サオへ向かう。これも歩いて行ったはずだが、かなりの距離がある。トゥクトゥクを利用したのかもしれない。記憶があいまいだ。タラート・サオはショッピング・モールだ。タラート・サオとはMorning Marketという意味だが、夕方5時から6時ごろまで営業している。モールは2つあるが、売っているのは同じようなものだ。スマホや生活家電、衣類と布地に加え、貴金属の装飾品売り場が大きなスペースを占めている。買い物する気はさらさらなく、喫茶コーナーで抹茶ラテを飲んで一休みしたのにとどまる。

タラート・サオ

モールの周りには小さい店が軒を並べ、一種の路上市場を形作っている。こちらのほうが興味深い。

タラート・サオからホテルまで歩く。これも30分近くかかる。「ビエンチャンを歩く」が今日のテーマだったように思う。

ホテルの隣にある食堂で遅めの昼食とした。注文したのはチキン・ライスで、25000キープ。Viet何とかという名前の食堂だったので、ベトナム料理だったのかもしれない。歯の状態が悪いという私の側の事情を抜きにしても、それほどおいしくはなかった。

チキン・ライス

ホテルで休んだ後、またまたメコン川に向かう。夜市はいつもどおり賑わっている。川辺で女性たちの集団がエアロビクスのダンスをしていた。中国や東南アジア光景だ。

エアロビクス


2日前と同様、路上でたこ焼き(もどき)を買い、夕食とする。

明日は8時5分発のラオス航空便でパクセーへ向かう。ホテルから空港まではせいぜい15分くらいだが、念のために朝の6時にはチェックアウトしたい。その旨をホテルに伝え、ついで6時のタクシーを予約しておく。料金は100000キープ(800円弱)。配車アプリのLOCAを利用するかどうか迷ったが、昨日の失敗があるうえ、早朝の6時に簡単に車がつかまるかどうか心許なかったこともあり、安全策をとった。

2023年1月8日日曜日

ラオス南部2022 二日目(仏陀公園、凱旋門)

 12月11日

8時過ぎにホテルで朝食をとる。なかなか充実したビュッフェ形式の朝食だ。

Vientiane Luxury Hotelの朝食


今日はのんびりとビエンチャンを観光する予定。朝食後に目指したのは仏陀公園(Buddha Park)だ。仏陀公園とは、1958年に一私人が建造した石像群で、信仰心を育むためというより、奇妙きてれつな像を陳列したキッチュな場所として知られている。ビエンチャン中心部から30Km離れており、バスでは1時間近くかかる。ラオスの配車アプリでるLOCAを利用して行くことにした。LOCAは日本でインストールし、設定しておいた。登録時に電話番号が必要になるからだ(ラオスに入ってからは電話通話できなる可能性が大だった)。

このLOCAの使い方でとまどう。これまでUber、Grab、Yandexといった配車アプリを使ったが、いずれも出発地と目的地を指定すれば自動的に料金が表示される。ところが、LOCAの場合、Estimated Cost(推定料金)が表示されるだけで、乗車時には決まった料金が表示されない。あとで知ったことだが、料金は到着時にアプリの画面に表示され、登録してあるメールアドレスにも送られる。これを知らなかったため、Estimated Costを支払ってしまった。料金はもちろん運転手にも通知されているから、正直な運転手ならその旨を告げてくれるはずだが、このときの運転手は「インターネットへの接続が途切れた」との口実で、私が差し出すEstimated Costをそのまま受け取ってしまった。実際の料金は30万キープほどだったが、Estimated Costは40万キープを上回っていたからだ。無知につけこまれ、10万キープ、すなわち800円弱を余分に払ってしまった。アプリの画面を到着時に確かめなったミス。

そのときはミスに気づかなかった私は帰路もこの運転手に依頼してしまった(1時間後に帰るとして、帰路は30万キープの料金で)。

仏陀公園は予想どおりのおどろおどろしい像のオンパレードだが、結構な数の見物客がいた。大多数はラオス人だが、西洋人もちらほら見かけ、日本の家族の声も聞こえた。

仏陀公園の像

仏陀公園を歩く

これだけの数の見物客が訪れれば、おそらく採算はとれているのだろう。観光スポットの少ないビエンチャンで十分に存在意義を発揮しているともいえる。

帰りは凱旋門(パトゥーサイ)まで乗車した。これはパリの凱旋門にならって1960年に作られた建造物で、若干の胡散臭さを感じるものの、観光スポットとしてはそれなりに成功している。ビエンチャン中心部から近いこともあり、2015年にも訪れた場所だ。

凱旋門そのものよりも、ここを訪れるラオス各地からの団体客の様子を見ているほうが興味深かった。記念の集合写真を撮っている姿がいかにも「おのぼりさん」らしく微笑ましかった。

凱旋門

凱旋門から30分近く歩きホテルへ戻る(途中でヌードルとビールで昼食)。日暮れになってから再び外出し、途中で見つけた理髪店で髪を切った。十数年来の習慣となっている「旅先で散髪」をラオスでも実行したわけだ。代金は45000キープ、日本円にして350円ほど。旅行先での散髪の平均価格といったところだ。後知恵だがこれはちょっと早まった。ラオス南部ではこれより安そうな理髪店を何回も見つけたからだ。

ホテルからメコン川へ向かう途中に屋台ストリートがある。100近くの屋台がならび、おいしそうな料理を提供している。寿司やたこ焼きなど日本風の料理、韓国数の料理も見られた。ここで鶏の甘い唐揚げとお菓子を購入しホテルへ持ち帰った。間違いなくおいしかったが、いかんせん昨日あたりから歯がぐらついていたので、おいしさを満喫することはできなかった。

ビエンチャンの屋台ストリート







2023年1月5日木曜日

ラオス南部2022 一日目(ビエンチャン到着)

 12月10日

8時過ぎにハノイ空港内のホテルをチェックアウト。シャワーもトイレもない小さなカプセルもどきのホテルで、「選択ミス」だと思っていた。だが、前日あまり眠っていなかったこともあり、途中で一度目が覚めたものの、昨晩は合計8時間ほどぐっすり眠れた。ホテルを出てチェックイン・カウンターに直行できるのもありがたい。結果よければすべてよしだ。「選択ミスだった」は撤回しておこう。

空港内の小さなカフェで朝食をとる。カフェラテとチョコレート入りのクロワッサン。いくらだったかは覚えていないが、昨日両替した10ドル分のベトナム・ドムはほぼなくなった。

クロワッサンとカフェラテで朝食


ビエンチャン行きのベトナム航空便は予定通り離陸し、1時間ちょっとのフライトで午前11時前にビエンチャンに着陸した。食事はまったく出なく、ミネラルウォーター1本が配られただけだった。

入国はスタンプを押すだけ。ビザなしで12月24日まで滞在できる。在ラオス日本大使館などの公式情報によれば入国にはワクチン接種証明書が必要とのことだったが、提出を求められることはなかった。

空港から街に出る前に済ませておくべきことが3つあった。まず両替。400ユーロをラオスの通貨(キープ)に替える。ユーロは円安になるずっと以前に購入しておいたものだ。手にしたキープは700万を超えていた。多すぎるかもしれないが、両替の領収書さえあれば再両替が可能とのことなので、使い切れなくても心配には及ばない。

次にSIMカード。15日間50GB使用できるカードを購入した。データ通信だけで電話での通信はできない。50GBも必要ないが、15日間有効なカードとしてはこれ以外に選択肢がなかった。いずれにしても代金は500円程度だから迷うまでもない。

3番目はパクセーまでの航空券の購入。パクセーはラオス南部に位置する都市。ここを起点にラオス南部を探るつもりだ。ビエンチャンからパクセーまでバスで行けば十数時間かかる。これはきつい。年齢相応の私の体力からすれば、途中で1泊して、2日はかけたい。飛行機なら1時間ほど。航空券が2万円未満なら空路にしよう。国内航空券を販売している窓口へ向かう。

ビエンチャンの宿は12月13日まで3泊を予約してある。13日のパクセー行き航空券は8時5分の早朝の便しか残っていなかった。代金は97万キープほど。日本円にすれば8千円未満だ。朝早すぎるのが難点だが、迷いなく空路にした。

航空券を購入した直後、とんでもないことに気がついた。スマホがないのだ。今回の旅では2つのスマホを携帯していた。日本の格安SIMカードと256GBのマイクロSDカードを装備したメインのスマホとラオスのSIMカードを挿入したサブのスマホ。メインのスマホはカメラとして使用し、サブのスマホはラオス現地でのモバイル通信に使うつもりだった。どちらもズボンのポケットに入れていた。

なくなったのはメインのほうのスマホだ。カバンやバックパックの中を探すが見当たらない。焦る。デジカメも用意しているし、サブのスマホでも写真は撮れるから、旅の続行には支障はないが、メインのスマホにはいろいろな個人情報が入っている。なくしたらいろいろジタバタしなければならないだろう。

航空券を買う前にいたベンチに戻ってみる(航空券販売窓口から10メートル以上離れている)。置き忘れているのかもしれない。10分ほど前に座っていた席まで戻るが、スマホはない。再びカバンの中を調べ右往左往していた。すると前のベンチに座っていた若い女性が私の様子に気づき、「スマホを探しているのか」と尋ねてくる。「そうだ」と言うと、前方にある国内線のチェックインカウンターを指さし、「あそこに預かってもらっている」と言う。カウンターに行くと、私のスマホを差し出してくれた。若い女性とのやりとりが英語だったのか、ラオス語と英語の混合だったのか、それとももっぱらゼスチャーだったのかまったく記憶に残っていない。ともかく女性には感謝の言葉しかない。

スマホが見つかったのは、いくつかの偶然が奇跡的に重なったからだ。まず航空券購入後すぐにスマホの紛失に気がついたこと。次に購入前に座っていた席まで私が戻ってみたこと。椅子の上に放置されているスマホをたまたま見つけたのが親切な女性であり、彼女がチェックインカウンターに届けてくれたこと。元いた席に私が戻ったときにその女性がまだ近くにいたこと。このうち1つでも欠けていたら、メインのスマホは失われたままで、その後の旅に暗い陰を投げかけていただろう。

宿はBooking.comを通じてVientian Luxury Hotelを予約していた。朝食付きで3泊80ドル。ビエンチャン中心部にある中級ホテルだ。

空港のタクシーサービスを利用して(105000キープ)Vientiane Luxury Hotelに着いたのが12時半。チェックインは2時からというので、荷物だけ預けて外へ出る。昼食をとるいいタイミングだ。

Vientiane Luxury Hotel

ビエンチャンは2015年に続いて2度目。ルアンパバーンを起点とした2017年の旅ではビエンチャンをスキップした。ビエンチャンで覚えているのはメコン川沿いのナイトマーケットくらいだ。グーグルマップを見ながら、メコン川まで歩いてみる。ホテルからは10分余りの距離だった。

ホテルに戻る途中で見つけたレストランに入る、ライスの上に卵をのせたオムライス(もどき)と缶のビアラオ(BeerLao)を注文する。併せて300円弱。空腹だからおいしいはずなのだが、このころから右下の奥歯が揺らぎ始めていた。抜けないように慎重に食べなければならない。旅の醍醐味のひとつである「食」を十分に享受できない状態がこのあとずっと続く。

オムライスとビールで昼食

2時過ぎにチェックインし、体を休め、暗くなり始めたころ、再びメコン川をめざす。ナイトマーケットはオープンし、賑わっていた。7年前に見た光景と同じ。7年前に見なかったのは、河川敷にある子供用の遊戯施設やレストラン。いつ建設されたのだろうか。

ビエンチャンのナイトマーケット


河川敷の遊戯施設

路上で買ったたこ焼きに似たボールを10個購入してホテルに持ち帰り夕食とした。5年ぶりのラオス、7年ぶりのビエンチャンの一日目はこうして終わった。

ここで、ラオスの経済事情について気がついたことを少し付け加えておこう。コロナとウクライナ戦争の影響に直撃され、ラオス経済についてはかんばしからぬ報道がされていた。スリランカと同じような事態になるのではとの懸念まであった。しかし一介の観光客の目から見れば、表面的には5年前、7年前とそう変わりはない。ガソリンスタンドに車が行列をつくっている光景も目にしない。

ただ、日本も大幅な円安のまっただ中だったが、ラオスの通貨キープはそれ以上に下落していた。5年前には1万キープが140円くらいだったが、現在では80円弱だ。キープの価値下落に伴い物価も上昇している。5年前にはヌードル一杯の最安値が10000キープだったのに対し、今は20000キープ。老人や子供の物乞いにも再三遭遇した(ただしビエンチャン以外では見かけなかった)。7年前のビエンチャンで物乞いがいたかどうかは覚えていない。


2023年1月3日火曜日

ラオス南部2022 ハノイで一泊

 10月下旬のアルメニア・ジョージア旅行から一ヶ月余り、ほぼ矢継ぎ早にラオス南部を訪れた。

ラオスは2015年、2017年につぎ3度目だ。2015年はルアンパバーン、バンビエン、ビエンチャンといった観光スポットを巡り、2017年はルアンパバーンとルアンナムター、ムアンシンの周辺の少数民族の集落を訪れた。

今回はまだ足を踏み入れていないラオス南部をターゲットとした。歌と踊りへの興味も南部を選んだ理由だ。かなり以前から、南部に位置するサラワン県の歌謡(Lum Saravan)にことのほか惹かれていた。

Lum Saravan


12月9日関空を発ち、12月24日関空に戻ってくる行程で、ビエンチャンInビエンチャンOutの航空券を購入した。ベトナム航空便で、11万円強。2017年の関空・ルアンパバーン往復航空券は同じくベトナム航空で約7万5千円だった。コロナとウクライナの戦争がここでも価格を押し上げていた。

往路も帰路もハノイ空港を経由する。帰路はともかく、往路は13時50分にハノイに着き、ビエンチャンに向けて飛び立つのは翌日の9時25分。15時間近くの待ち時間がある。空港で野宿するような歳でないし、便利さを優先して、ハノイ空港第2ターミナル(国際線ターミナル)内にあるVATC スリープ ポッド ターミナル 2なる宿を予約しておいた。

この宿、空港内にあるので便利ではあるが、カプセルホテルをちょっと大きくしたようなもので、シャワーもトイレも付いていない。しかも1泊6000円ほどと、ベトナムにしては法外の値段だ。空港から10分か20分歩けば、ちゃんとした個室の部屋を2000円以下で利用できる。安易に便利さを求めたあげくの選択ミスだ。

いまさら悔やんでもしかたない。10ドルをベトナム通貨(ドン)に両替し、空港の近くを散策したあと、宿に隣接するレストランで夕食をとった。注文したのはチキンのフォー(きしめんに似たベトナムのヌードル)。正確な値段は忘れたが、安くはなく、5ドル以上はしたように思う。

チキン・フォー


2022年12月1日木曜日

アルメニア・ジョージア2022 帰国(10月31日)

 今日は帰国日。ドバイ行きの便は12時30分にエレバン国際空港を発つ。ゆっくり朝食をとってから、空港までYandexタクシーで行く。1700ドラム、およそ600円だ。

ドバイに到着し、セキュリティを通過したのが午後4時。関空行きのエミレーツ航空便は午前3時5分だから、11時間もの待ち時間がある。ドバイの街に出るつもりはなかった。ドバイの街は一度見たことがあるうえ、外は暑いだろう。夜中に空港に帰ってくるのもおっくうだ。

以前にも同じように10時間以上の待ち時間をドバイ空港で過ごしたことがあった。休憩のためのホテルが出国ロビー内にあったのだが、6時間で200ドルと高価だったため、あきらめて長椅子に横たわって体をやすめた記憶がある。

今回、出国ロビーに入ってすぐ目に付いたのは"Sleep 'N Fly"の利用を勧誘するカウンターだった。6時間の利用で110ドルという。高いことは高いが、ここは体をやすめることを優先したい。

帰国後に調べると、"Sleep 'N Fly"は2017年にオープンした施設で、プライオリティパスのメンバーなら2、3時間無料で利用できるらしい。

私は5時から11時まで、6時間利用することにした。"Sleep 'N Fly"は空港内のカプセルホテルといったところだった。ソフトドリンクやコーヒーは無料。シャワーも使える。

ドバイ空港の"Sleep 'N Fly"


予想していたとおり、疲れていたにもかかわらず(あるいは極度に疲れていたが故に)一睡もできなかった。だが長椅子よりもはるかに快適に体をやすめることができた。

エミレーツ航空便は定刻どおり離陸し、翌日の17時ごろに関空に到着した。入国手続きはMySoSのQRコードを提示するだけでスムーズに完了した。

アルメニアとジョージアを訪れる12日間の旅はこうして終わった。最後にいくつか感想を記しておこう。

(1)2年8ヶ月ぶりの海外へのひとり旅を大きなトラブルなしに終えたことで、今後の旅行継続への自信が付いた。といっても、体力の劣化、老化は隠せない。10年前なら可能だった24時間のバス移動、ドーミトリーでの宿泊などはもう無理だ。

(2)もともとの予定はアルメニア一国の旅行だった。しかし、欲張ってジョージアにまで足を伸ばし、トビリシに5泊もしてしまったことから、アルメニアでの滞在が3泊ずつに分断された。このため、近郊へのバスツアーを除いてエレバンの外に出ることはなかった。アルメニアの田舎も見てみたいという当初の願望はかなわなかった。

(3)アルメニアを語るうえで欠かせないのは第一次大戦の前後に発生したトルコによるアルメニア人の大虐殺だ。エレバンのウォーキングツアーでも近郊のバスツアーでも、ガイドはこの「ジェノサイド」に何回か触れていた。この事件はいわばアルメニア人のアイデンティティの一部になっている。今回の旅ではあえてこれに触れなかった。エレバンにある虐殺記念碑を訪れることもなかった。知識がないから、事前にちゃんと調べていないからというのが理由だが、言い訳でしかない。関心がないわけではなく、忸怩たる思いが残る。

(4)アルメニアとジョージアを目的地として選んだ理由のひとつは、ウクライナの戦争が両国にどのような影響を及ぼしているかを見ることにあった。とりわけ、プーチン下のロシアに嫌気がさして、あるいは動員令による徴兵を逃れるためにジョージアやアルメニアに流れてきたロシア人たちに関心があった。予想にたがわず、多くのロシア人に遭遇した。エレバンでもトビリシでもロシア語を頻繁に耳にした。しかし予期に反して、ロシア人のほとんどが観光客だった。母国を脱出してきたロシア人に会ったのは二回だけ、合計三人に限られる。これはまあ当然かもしれない。私自身が観光客で、ホテルやツアーなど、もっぱら観光客が集まる場所しか訪れていないからだ。下記のYouTube動画を見れば、ロシア脱出組は観光客とは異なる環境に生きていることがわかる。