12月10日
8時過ぎにハノイ空港内のホテルをチェックアウト。シャワーもトイレもない小さなカプセルもどきのホテルで、「選択ミス」だと思っていた。だが、前日あまり眠っていなかったこともあり、途中で一度目が覚めたものの、昨晩は合計8時間ほどぐっすり眠れた。ホテルを出てチェックイン・カウンターに直行できるのもありがたい。結果よければすべてよしだ。「選択ミスだった」は撤回しておこう。
空港内の小さなカフェで朝食をとる。カフェラテとチョコレート入りのクロワッサン。いくらだったかは覚えていないが、昨日両替した10ドル分のベトナム・ドムはほぼなくなった。
クロワッサンとカフェラテで朝食
入国はスタンプを押すだけ。ビザなしで12月24日まで滞在できる。在ラオス日本大使館などの公式情報によれば入国にはワクチン接種証明書が必要とのことだったが、提出を求められることはなかった。
空港から街に出る前に済ませておくべきことが3つあった。まず両替。400ユーロをラオスの通貨(キープ)に替える。ユーロは円安になるずっと以前に購入しておいたものだ。手にしたキープは700万を超えていた。多すぎるかもしれないが、両替の領収書さえあれば再両替が可能とのことなので、使い切れなくても心配には及ばない。
次にSIMカード。15日間50GB使用できるカードを購入した。データ通信だけで電話での通信はできない。50GBも必要ないが、15日間有効なカードとしてはこれ以外に選択肢がなかった。いずれにしても代金は500円程度だから迷うまでもない。
3番目はパクセーまでの航空券の購入。パクセーはラオス南部に位置する都市。ここを起点にラオス南部を探るつもりだ。ビエンチャンからパクセーまでバスで行けば十数時間かかる。これはきつい。年齢相応の私の体力からすれば、途中で1泊して、2日はかけたい。飛行機なら1時間ほど。航空券が2万円未満なら空路にしよう。国内航空券を販売している窓口へ向かう。
ビエンチャンの宿は12月13日まで3泊を予約してある。13日のパクセー行き航空券は8時5分の早朝の便しか残っていなかった。代金は97万キープほど。日本円にすれば8千円未満だ。朝早すぎるのが難点だが、迷いなく空路にした。
航空券を購入した直後、とんでもないことに気がついた。スマホがないのだ。今回の旅では2つのスマホを携帯していた。日本の格安SIMカードと256GBのマイクロSDカードを装備したメインのスマホとラオスのSIMカードを挿入したサブのスマホ。メインのスマホはカメラとして使用し、サブのスマホはラオス現地でのモバイル通信に使うつもりだった。どちらもズボンのポケットに入れていた。
なくなったのはメインのほうのスマホだ。カバンやバックパックの中を探すが見当たらない。焦る。デジカメも用意しているし、サブのスマホでも写真は撮れるから、旅の続行には支障はないが、メインのスマホにはいろいろな個人情報が入っている。なくしたらいろいろジタバタしなければならないだろう。
航空券を買う前にいたベンチに戻ってみる(航空券販売窓口から10メートル以上離れている)。置き忘れているのかもしれない。10分ほど前に座っていた席まで戻るが、スマホはない。再びカバンの中を調べ右往左往していた。すると前のベンチに座っていた若い女性が私の様子に気づき、「スマホを探しているのか」と尋ねてくる。「そうだ」と言うと、前方にある国内線のチェックインカウンターを指さし、「あそこに預かってもらっている」と言う。カウンターに行くと、私のスマホを差し出してくれた。若い女性とのやりとりが英語だったのか、ラオス語と英語の混合だったのか、それとももっぱらゼスチャーだったのかまったく記憶に残っていない。ともかく女性には感謝の言葉しかない。
スマホが見つかったのは、いくつかの偶然が奇跡的に重なったからだ。まず航空券購入後すぐにスマホの紛失に気がついたこと。次に購入前に座っていた席まで私が戻ってみたこと。椅子の上に放置されているスマホをたまたま見つけたのが親切な女性であり、彼女がチェックインカウンターに届けてくれたこと。元いた席に私が戻ったときにその女性がまだ近くにいたこと。このうち1つでも欠けていたら、メインのスマホは失われたままで、その後の旅に暗い陰を投げかけていただろう。
宿はBooking.comを通じてVientian Luxury Hotelを予約していた。朝食付きで3泊80ドル。ビエンチャン中心部にある中級ホテルだ。
空港のタクシーサービスを利用して(105000キープ)Vientiane Luxury Hotelに着いたのが12時半。チェックインは2時からというので、荷物だけ預けて外へ出る。昼食をとるいいタイミングだ。
Vientiane Luxury Hotel
ビエンチャンは2015年に続いて2度目。ルアンパバーンを起点とした2017年の旅ではビエンチャンをスキップした。ビエンチャンで覚えているのはメコン川沿いのナイトマーケットくらいだ。グーグルマップを見ながら、メコン川まで歩いてみる。ホテルからは10分余りの距離だった。
ホテルに戻る途中で見つけたレストランに入る、ライスの上に卵をのせたオムライス(もどき)と缶のビアラオ(BeerLao)を注文する。併せて300円弱。空腹だからおいしいはずなのだが、このころから右下の奥歯が揺らぎ始めていた。抜けないように慎重に食べなければならない。旅の醍醐味のひとつである「食」を十分に享受できない状態がこのあとずっと続く。
オムライスとビールで昼食
2時過ぎにチェックインし、体を休め、暗くなり始めたころ、再びメコン川をめざす。ナイトマーケットはオープンし、賑わっていた。7年前に見た光景と同じ。7年前に見なかったのは、河川敷にある子供用の遊戯施設やレストラン。いつ建設されたのだろうか。
ビエンチャンのナイトマーケット
河川敷の遊戯施設
路上で買ったたこ焼きに似たボールを10個購入してホテルに持ち帰り夕食とした。5年ぶりのラオス、7年ぶりのビエンチャンの一日目はこうして終わった。
ここで、ラオスの経済事情について気がついたことを少し付け加えておこう。コロナとウクライナ戦争の影響に直撃され、ラオス経済についてはかんばしからぬ報道がされていた。スリランカと同じような事態になるのではとの懸念まであった。しかし一介の観光客の目から見れば、表面的には5年前、7年前とそう変わりはない。ガソリンスタンドに車が行列をつくっている光景も目にしない。
ただ、日本も大幅な円安のまっただ中だったが、ラオスの通貨キープはそれ以上に下落していた。5年前には1万キープが140円くらいだったが、現在では80円弱だ。キープの価値下落に伴い物価も上昇している。5年前にはヌードル一杯の最安値が10000キープだったのに対し、今は20000キープ。老人や子供の物乞いにも再三遭遇した(ただしビエンチャン以外では見かけなかった)。7年前のビエンチャンで物乞いがいたかどうかは覚えていない。
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