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2025年1月17日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その8)

 1月10日

朝食時、私の前には80代の日本人男性が座る。男性は昨日のケープタウン寄港時、南ア在住の友人(白人)に37年ぶりに会いに行ったという。当時、商社に勤めており、ケープタウンには6年住んだとのこと。お手伝いさんや庭師を抱え、大きな屋敷に住んでいたという。アペルトヘイト時代の貴重な経験だ。

次の寄港地のナミビアでは何のオプションもとっていない。すべてのオプションが売り切れていたためだ。ところが、ある若い女性が「ナミビアの多民族文化体験」というオプションを譲る相手を探していた。オプションをキャンセルすれば半額のキャンセル料をとられるが、譲渡する形にすれば、1000円の手続き料で済む。

この話に乗ることにした。これで明後日のナミビアでの行き先が決まった。

1月11日

午前中、乗客の避難訓練があった。「訓練」といっても、IDカードをスキャンして、一定の場所に集合するだけで、その効果は疑わしい。せめて救命具を実際に着用することくらいは必要だろう(やりたくはないが)。

昼食時には中国系オーストラリア人と同席だった。12歳のときに香港からオーストラリアに移住したとのこと。精神科医として働いていたが、今は引退している。日本、中国、韓国からの乗客が大半のなか、このように多様な背景の人に出会えるのがこの船のいいところ。

1月12日

「ナミビアの多民族文化体験」ツアーの日。「多民族」と銘打っているが、有名なヒンバ族などを訪れるツアーではなく、南アフリカの統治下にあった当時の黒人居住地(タウンシップ)を訪ねて交流するツアーだ。

このツアーも興味深かったが、それよりも報告しておかなければならない「ビッグ・イベント」がある。ツアーの途中で負傷してしまったのだ。

みんなでタウンシップに向かって歩いているとき、足がふらつき、そのまま止まらなくなって、道路上に前向きに転倒、額を打ってしまった。

額からは血がかなり出ている。ツアーのナミビア側関係者の車で病院に運ばれ、治療を受けた。傷は深くはないが、ガーゼを貼り、その上に包帯を巻いたため、痛々しい。

ナミビア(ウォルビスベイ)の病院


治療直後

治療後、再度ツアーに合流した。一行はタウンシップに入り、traditional healerから薬草の説明を受けているところだった。 

その後、ナミビア側のリーダーの私宅でナミビア料理の試食、カラハリ砂漠から来たグループのダンスの鑑賞などを経て、7時過ぎに帰船、ツアーを終了した。

私宅に立ち寄って食事

ダンス

ツアーはともかく、予期しないアクシデントの発生と負傷でとんだ災難の一日となった。前日から極度に疲れており(喉も痛かったから、たぶん風邪をひいていたのだろう)、歩くのも前かがみ、自分で自分の歩行をコントロールできなかったことが原因だ。

幸い深手ではないので、傷は時間が経てば治るだろう。困るのは、眼鏡に多数のスクラッチ傷が入ったこと。予備の眼鏡は持って来なかった。できれば南米で新しい眼鏡を購入したい。

1月13日

9時半に船内の医務室へ行く。絆創膏と包帯を新しいものに替える。傷口に砂が混入していることから、水を含んだ綿で傷口を直接に拭く。力を込めた医師の手が傷の上をキュキュッと擦る。1分以上は続いただろうか。医師も看護婦も優しく、好感が持てたが、痛いものは痛い。

今回も包帯で頭をぐるぐる巻きにしたから、船内で目立つことこの上ない。顔見知りに出会うたびに経緯を説明するはめになる。

1月14日

今日も医務室へ。包帯がとれ絆創膏だけになった。包帯男ではなくなったため、目立ち方は昨日ほどではなくなった。ただ、右眼の周りの黒い腫れはまだひいていない。中国ではこの種のblack eyeを「パンダの眼」と呼ぶらしい。

絆創膏だけになった

1月15日

3日連続して医務室へ。傷口に貼る絆創膏はさらに小さくなり、やっと正常に近い船内生活を送れるようになった。次回の診察は3日後の18日。

2025年1月10日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その7)

 1月6日

船は午前7時過ぎにポートエリザベスに着岸した。オプションとして選択していたショッピングモール(Boardwalk)への送迎バスは12時15分に港を出て、20分ほどで目的地に着いた。海辺のそばのショッピングモールだ。

海辺を散策してから、モールに入る。クリーンでしゃれた一階建てのモール。ヨーロッパのモールと比べても遜色はない。無料のトイレもきれいだ。

海水浴を楽しむ地元民

ショッピングモール

ちょっと大きめのレストランでhakeという魚の料理を注文する。あとで調べると、hakeはタラの一種らしい。出てきたのはイギリス式のフィッシュ・アンド・チップス。まずは満足できる味で、1800円ほど。値段もアフリカの平均的なレベルではない。

フィッシュ・アンド・チップス

再度海辺をぶらぶらする。昨日の講演で覚えたXhosa語の「Molo」(ハロー)を使って声をかける。反応は上々だ。日本、中国、韓国人が乗り合わせている「ピースボート」の乗客であることを説明する。

手を振る地元民

6時に帰船の途につき、南アフリカの第一日を終えた。

1月7日

この日は「ポートエリザベス・ショート観光」のオプションをとっていた。9時から12時までの文字通りショートのスケジュール。

ガイドは中年の白人女性。英語のみのガイドで、日本語の通訳はない。

バスは街を見おろす丘に着く。市庁舎、灯台、記念碑などがあるドンキン保護区で、ポートエリザベスの中心部だ。

ドンキン保護区ツアー

誰かがポートエリザベスとケープタウンの間にあるライバル関係についてガイドに質問した。「比較にならない」とガイド。「ケープタウンのほうがずっとよい。ケープタウンは野党(Democratic Alliance)によって統治されているのに対し、ポートエリザベスを統治しているのはANCで、ANCは腐敗しきっている。」

続けてバスは、私が昨日訪れた海辺のショッピングモール(Boardwalk)に向かう。ここで約1時間の自由行動。

海辺を歩いていると、眼だけを露出した黒いヴェール(ニカブ)を被った若い女性が私に話しかけてきた。女性は18歳のインド系南アフリカ人。「そんな服装で歩いていて、人から何も言われないのか」と尋ねると、「まったく大丈夫」との返事。「結婚相手はやはりモスレムがいいか」とも聞いたが、答はよくわからなかった。ともかくこうした服装の女性が男性に積極的に話しかけてきたのは予想外だった。

12時になり、帰船の時間。このショート観光で支出したのは、モールで買ったアイスクリームだけ。340円ほどだった。

早い時間の帰船で、再度の外出も可能だったが、疲れていたのでベッドの上で終日ごろごろしていた。

1月8日

ポートエリザベスとケープタウンの間に挟まれたつかの間の1日の洋上生活。いくつかのイベントに参加する。

GETプログラムの先生であるオーストラリア在住のオランダ人女性Edithによる「サン族」の講演がおもしろかった。カラハリ砂漠に住むサン族(およびコイ族)には従来から興味があり、いつかは訪れようとも思っていた。EdithのDNA解析によるサン族の歴史とユニークさにまで及んでいた。この方面にまったく無知な私にととっては役に立つ情報だった。

1月9日

船は早朝にケープタウン港に接岸した。私が申し込んでいた「タウンシップ・ランガ地区」探訪のツアーは11時に港を出発した。ランガは最古の黒人居住地であり、観光客が単独で入るのは困難と言われている。ピースボートはランガのNGOと数年前からつながりがあり、今回も服や靴などの支援物資を持ち込んでいた。

ツアーはアペルトハイト時代を描く寸劇から始まり、街の散策、昼食へと進む。

昼食はビュッフェ式(ライブ演奏付き)

昼食後、NGOの本部まで歩いて行く。住民たちが声をかけてくる。

ランガの子供たち

NGOで支援物資を渡し、ダンスのパフォーマンスを鑑賞、帰船の途についた。 

船に入る前にウォターフロントに立ち寄った。ランガとは対照的に、ここには小ぎれいでしゃれたレストランやバー、ショップが立ち並んでいる。

ウォーターフロント

夕食はいつもの6階のレストランで。丸いテーブルを取り囲む6人のうち、ひとりだけが中国人だった。彼は元外交官で、北米などでの駐在経験があるという。どおりで英語が達者なはずだ。

中国の反日事情(彼によると中国の若者の間では日本語や日本のアニメが大人気とのこと)や少子化問題から始まり、話題は毛沢東の評価にまで及ぶ。英語での会話に入り込めない日本人の同席者に少し配慮が足りなかったかもしれない。

2025年1月6日月曜日

南半球一周ピースボートの旅(その6)

 1月3日

起床、シャワー、デッキを4周(約4km)、朝食(和食を選択する場合が多い)と、いつものルーチンどおり。ウォーキングは5周、6周とのばしたいところだが、なかなか実行できない。

午後、次の寄港地はポートエリザベスであることから、南アフリカの活動家ジャネット・ジョブソンさんの「アペルトハイト30年」という講演があった。講演の最後は「現在のパレスチナの状況はアペルトハイトだ」という言葉で締めくくられた。この言にどれだけの妥当性があるか、考えさせられる。

1月4日

昨日に続きジョブソンさんの講演を聴く。テーマは南アフリカの現状だ。貧富の差の拡大とその根底にある教育の格差。若者の失業率は60%に達するという。

ジョブソンさんの講演


6時半からは「隠し芸大会」が始まる。ピースボートの目玉イベントのひとつだ。私が会場のシアターに行ったときには座席はすでに埋め尽くされており、後方で30分余り立ち見をするにとどまった。

隠し芸大会(阿波おどり)

体は今日も快調。心配の種の歯も今のところは保っている。

1月5日

今日は朝から雨模様。甲板は雨こそかからないが、床は濡れている。デッキ歩きは3周にとどめた。 雨は昼ごろにやんだ。

昼食時、中国から残留孤児として日本に帰国した高齢の男女二人組と同席になる。母子とのことだったが、夫婦もしくは姉弟のようにしか見えない。日本語での会話だが、私の聞き違いかもしれない。文化大革命の嵐のなか、当時は毛語録を振り上げて行進しないと生き延びられなかったという。文革体験者の生の声を聞くのははじめての体験だ。

午後はジャネット・ジョブソンさんの3回目の講演を聞く。明日からの寄港地のポートエリザベスとケープタウンの歴史がテーマだ。講演はコサ語(Xhosa)の簡単な紹介で締めくくられた。コサ語は、私が以前から関心をもっているカラハリ砂漠のコイサン語につながるクリック言語だ。

講演中、私の横に座ったのは日本在住のネパール人女性だった。日本語で少し会話した。私のネパール旅行やネパール地震のことなど。カトマンズの日本料理店「絆」のカツ丼を勧めておいた。
 
夕食では5〜60代のスイス人夫婦と同席だった。なんとピースボートでの世界一周は3回目とのこと。練習のためにドイツ語で話してみる。

明日はポートエリザベスに上陸する。1日目は街までの送迎のオプションに申し込んでいる。

2025年1月3日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その5)


12月30日

今日は午後から「オープンGETフランス語」、「言語交換トーク」、「GETオープンチャット」という3つの言語関連のイベントに参加した。おもしろかったのは「言語交換トーク」。29歳の香港人女性、ノルウェー在住の台湾人女性、英国人のマシュー、GETの先生のケイト、それに私を含めた2人の日本人で、日本語と英語を交えて話す。マシューは香港在住21年の一般乗船客で、中国語や日本語、フランス語などを話す。日本語のレベルも、船内で日本語の自主企画をやるなど、なかなかのもの。

明日はマダガスカルの港町トアマシナに上陸予定。船はトアマシナに2日間碇泊する。

12月31日

船は早朝にマダガスカル第2の都市であるトアマシナに着岸した。

今日は現地に1泊するつもりなので、レセプションでパスポートを返却してもらって、9時過ぎに下船する。

マダガスカルは雨期で、外は雨が降っている。「地球の歩き方」に載っているHotel Joffreまでトゥクトゥクで行く。5ドルで約束して乗ったトゥクトゥクだが、ホテルに着いて10ドル紙幣を出すと、案の定「お釣りがない」と言う。5ドルでも法外な値段だ。だが、ここで争っても勝ち目はない。自宅にあった多くの1ドル紙幣を持参し忘れた私のミス。わずかな釣り銭をもらうだけで矛を収めた。

Hotel Joffreは1泊150,000アリアリ(マダガスカルの通貨)。5000円弱だ。現地通貨しか受け取らないので、60ドルを両替所と銀行で両替する。ほかにも2つのホテルをあたってみたが、いずれも満杯だった。

Hotel Joffre 

宿も決まったところで、メインストリートのAvenue de l'independanceまで歩く。ココナッツの木が植えられた広い通りにテントが並ぶ。

大晦日らしい賑わいはない。際立つのは貧しさだ。3、4歳の言葉もしゃべれないような子供たちが物乞いの手を差し出してくる。乳飲み子を抱えた母親の物乞いも少なくない。

4時ごろに宿の近くの安食堂で遅めの昼食をとる。ステーキとライス、コカコーラで22000アリアリ(約680円)。メニューどおりの値段で、ぼられているわけではない。現地の物価水準からすれば、安食堂とは言えないかもしれない。

ステーキとライス

スーパーで夜食用のパン、イチゴ牛乳、ヨーグルトなどを購入して、宿に戻る。

6時ごろに再度外出。近所の市場はすでに閉まりかけていた。

夜はかなり暑かった。エアコンがなければ寝苦しかったかもしれない。

2025年1月1日

6時前に目が覚める。昨日の夜食の残りを朝食とする。チェックアウトは11時なので、8時過ぎにいったん外出する。早朝降っていた雨は止んでいるが、各所に水溜まりができており、歩きにくい。

水溜まり

昨日見つけた市場で動画をとり、Tシャツを2000アリアリ(600円強)で購入した。市場では今日下船してきたピースボートの乗客も何人か見かけた。

市場

11時ちょうどにチェックアウトし、早めに船に帰る。歩いてでも帰れるが、現地通貨も余っており、プスプス(自転車でこぐトゥクトゥク)を利用した。

持参していたパスポートをレセプションに返す。ホテルではパスポートを見せるどころか、名前すら聞かれなかった。

14階のビュッフェで昼食をとったあと、部屋でぐったりした体を休め、夕食の時間までなすこともなく過ごす。

日本全国から集まった乗船客と、ときには中国人や韓国人の乗船客とも同席する食事はいつも楽しく、話もはずむ。

1月2日

昨日は外出日だったこともあり、ピースボートの正月は今日二日に設定されている。

昼には新春鏡開きがあり、樽酒も振る舞われたが、長い列があり、恩恵に預かることはあきらめた。

鏡開きは人垣で見ることもできない

午後のGETオープン・プログラムでは、中国の延吉から来た朝鮮族の女性と知り合う。英語を学ぶためのプログラムだが、はからずも韓国語(朝鮮語)の練習になった。

明日から数日洋上の生活が続く。

2024年12月31日火曜日

南半球一周ピースボートの旅(その4)

12月28日

早朝にモーリシャスの首都ポートルイスに到着。8時半過ぎには下船できた。地元民がダンスで我々を迎えてくれる。

ダンスでお出迎え

city centerまでは2kmと聞いていたので、人の流れについて歩き始める。いつの間にかショッピング・モールに入ったが、ここがcity centerなのかどうかわからない。2、3人の人に「city centerはどこか」と聞いてみる。

モーリシャスは仏領であったり英領になったりしているため、フランス語と英語の両方が話されている(これらの言葉と現地語との混合であるクレオールも存在する。)。住民の多くはインド系のようだ。フランス語のほうが通じやすい印象を受けたが、実際のところはわからない。

なんとかcity centerらしきところに到達し、市場の様子を動画に撮る。

ポートルイスの市場


市場の近くのスーパーで、現地のビールとMeijiお菓子を購入。350円ほどだった(クレジット払い)。

帰船リミットは16時だったが、歩き疲れたこともあり、12時過ぎに帰路についた。途中、フードコートでシュウマイとコーラを購入、昼食代わりとする(クレジット払いで655円)。シュウマイは柔らかみがなく、おいしくなかった。

シュウマイとコーラで昼食

帰船してから、どっと疲れが出た。喉もやたらに渇き、日本から持ち込んでいた缶ビールを部屋の中で1本空けた。明日はレユニオン島に寄港する。

12月29日

船は早朝にレユニオンに着岸した。

レユニオンに着く

朝食後、GETプログラムのリーダーである米国人のクリスとフランス語で会話。クリスはマリに住んでいたことがあるので、フランス語が話せる。話題は読書に。ルイ・フェルナンド・セリーヌの「夜の果ての旅」とジョセフ・ヘラーの「キャッチ22」を勧めておく。

レユニオンではサンジルまでの送迎バスのオプションを申し込んでいた。サンジルはリゾート地だ。首都のサンドニと勘違いして申し込んだオプションだが、後悔するほどのことではない。

10時過ぎに港を出たバスは45分ほどかけてサンジルに着く。浜辺沿いの小ぢんまりした町だ。フランスから来たと思われる観光客が多い。海水浴をしている人も少なからずいる。聞こえてくるのはほぼ100%フランス語。

サンジル


昼食のためレストランに入る。レユニオンはフランスの海外県であるため、通貨はユーロ。値段もフランスほどではないかもしれないが、日本よりは高い。

マグロ料理とビールを頼んで25.80ユーロ。日本円で4252円だ。もちろんクレジットカードで支払った。マグロは生で、火は通っていない。クリームがかかっており、おいしかった。

マグロ料理

ビールを飲むと喉が渇く。カフェで市販のアイスクリームを買ったところ3.2ユーロ(528円)。フランスから来ているウエイレスのお姉さんと若干の会話。「(フランス語を)上手にしゃべる」とほめられる。お世辞でも悪い気はしない。

帰路のバスは4時15分にサンジルを出発し、5時ごろに港に到着した。今日も疲れがひどい。

2024年12月28日土曜日

南半球一周ピースボートの旅(その3)

 12月19日

今朝はデッキを5周した。約2.5kmの距離。明日は6周を目指そう。

船は午前中にシンガポール港に着いた。「英語でチャレンジinシンガポール」のグループは12時45分に下船した。香港と異なり、シンガポールではパスポートと荷物の検査があるので時間がかかる。

シンガポール到着

英国人女性Saraのもと、私を含む4人の参加者が一団となって行動する。私たちの「ミッション」は地元のシンガポール人や他の観光客に英語で話しかけること。最初の目的地であるマーライオンでは、ドイツ人カップルに話しかけ、一緒に写真を撮ったりした。

続いてレストランでビュッフェ式の昼食。思ったより充実した内容でつい食べ過ぎてしまった。

遅めの昼食

遅めの昼食のあと、リトルインディアに向かう。お茶とお菓子で休憩し(代金の1869円は私がクレジットカードで支払った)、街を散策、地元のインド人と一緒に写真を撮る。グループの女性2人はインドの伝統服サリーを購入した。

インド系シンガポール人と一緒に

最後に植物園を見学し、帰船の途に着いた。他愛のない「ミッション」であり、珍しくもない訪問地だが、それなりに楽しかった。

帰船した8時過ぎに雨が降り出した。シンガポールの常として蒸し暑かったが、天候の面でもラッキーだった

12月20日

「6周を目指す」と書いたが、疲れていて昨日遅く起きたこともあり、今日のデッキ歩きは3周にとどまった。

朝食時、シンガポールから乗船したインド系マレーシア人と同席。ピースボートは2回目とのこと。イスラム教徒だが、酒は飲む。「イスラムで禁じられているのは、飲酒ではなく、酔っぱらうことだ」というのが彼の説。ほんとうかな。

朝食後、シンガポールから乗船した中国人女性と会話。彼女はシンガポールでドイツ人相手の観光ガイドをしているとのこと。会話はドイツ語に移行した。昨日マーライオン付近でドイツ人観光客とドイツ語で話したのに続き、ドイツ語のちょっとした練習になった。

10時からモーリシャス、マダガスカルのオプション・ツアーの申し込みがあった。選択できるオプションはほとんど残されておらず、マダガスカル1日目の送迎サービスだけをとった。

3時からは昨日の「英語でチャレンジinシンガポール」の報告会。昨日同行したツアー仲間と再会した。

今日はほとんど読書できなかった。昨日の疲れが残っていたのだろうか。

12月21日

甲板に出ると、雨が降っている。デッキ歩きもそこそこに朝食の席についた。

午後1時20分からGETオープン・プログラムに参加。ほんの少し英語でだが、若い乗船客と触れ合うことができた。

午後6時からGETプログラム参加者たちのパーティー。明日からの個人レッスンの先生が決まった。私のレッスンは明後日から始まる。

今日も読書ははかどらなかった。

12月22日

1月6日のポートエリザベス(南アフリカ)での送迎オプションを申し込む。めぼしいオプションはすべて予約済みだった。

この日は波揺れが激しかった。地震のような揺れを感じることもあったが、恐怖はない。

日中の大半を部屋の中で過ごす。読書に集中できないのは昨日と同じ。

12月23日

朝食時、日本在住の中国人女性と同席。四川省出身ということで、話がはずむ。彼女は中国政府に対してかなり批判的だった。

10時50分から40分間、英語の個人レッスン。私を担当するのはパキスタン系英国人のズー。パキスタン旅行のことなどを話す。

夕食で同席したのはGETプログラムで知り合った台湾人夫妻。主として英語で、だが私の拙い中国語もまじえて話す。彼らに「塩からい」、「甘い」などの日本語を教えた。

12月24日

船は赤道を越えて南半球に入った。

ケープタウンでのオプション・ツアーを申し込む。喜望峰ツアーはすでに満席だったので、タウンシップ(アペルトハイト時代の黒人居住地)訪問を選ぶしかなかった。

今日はクリスマスイブ。クリスマスツリーが飾られ、船やピースボートのスタッフは赤い帽子をかぶっている。生演奏も聞こえてくる。民族衣装の中国人女性たちが目を引いた。

民族衣装の中国人女性

英国人女性のSarahはサリーを着ていた。インドで英語を教えていたときに贈られたものらしい。

12月25日

朝食時、ウエイトレスのAyaというインドネシア人女性と知り合いになった。

14階のビュッフェに行けば、朝の5時から夜の24時まで食べ放題。お菓子もあれば果物もある。お菓子は自制していたのだが、この日は大福の魅力に勝てなかった。

大福を食べていると、横に座ったのは日に焼けた小柄な70代くらいの女性。服装も質素だ。下の歯がまったくなく、よく聞き取れない。わかったのは、中国系マレーシア人で、癌を患っており、放射線治療中であること。頬のあたりを指さしていたから、頬癌か。勇気のある女性だ。歯が不安定になったくらいでくよくよしている私とは大違い。

大福をふたつも食べたことから、夕食では前菜とデザートを抜きにした。

12月26日

時計を1時間戻す。これで日本との時差は4時間になる。

ポートエリザベスの2日目、リオデジャネイロ、ブエノスアイレスのオプションに申し込む。

11時10分から英語の2回目の個人レッスン。ルーマニアのロマ集落訪問のことなどを話す。

午後、「広西チアン族の文化紹介と民族衣装紹介」なるイベントに参加。クリスマスイブに見た中国の民族衣装が広西チアン族のものであることが判明。ショート動画にしてYoutubeにアップした。

今日はなんとかおやつに手をださずに済んだ。

12月27日

今日も時計を1時間戻す。日本との時差は5時間になった。

食事の席などで香港やシンガポールからの乗船者と話す機会が多くなる。1日の会話の半分近くを英語でしゃべっている気がする。

明日はモーリシャス上陸。オプションを何もとっていないので、完全な自由行動となる。



2024年12月18日水曜日

南半球一周ピースボートの旅(その2)

12月15日

船は午前8時前に香港の港に接岸した。

香港到着

香港観光と飲茶のツアーがいくつか組まれており、私はそのうちの1つに申し込んでいる。

我々のツアー・グループは10時に船を出て、バスに乗り込んだ。総勢30人ほど。バスの座席には余裕があった。ピースボートのスタッフ3人と現地の中国人ガイド(中年の女性)も乗り合わせている。

20年ぶりの香港だが、記憶に残っているのは、重慶マンションの猥雑さくらい。バスは高層ビル群の中を通り抜けていく。

30分ほどかけて黄大仙廟という道教のお寺に着く。金色をまじえた色彩豊かなお寺。目につくのは、お寺よりも、ラッシュアワーなみの観光客の群れ。ほとんどが大陸からきた中国人のようだ。

黄大仙廟

続いて飲茶の会場であるレストランに向かう。大きなレストランの中は、他のグループも含めたピースボートの客で埋め尽くされた。

ドリンク1つが無料で付く。私は躊躇なくビール(大瓶)を選んだ。焼売、餃子、炒飯などの料理に舌鼓をうつ。久しぶりのアルコールに酔いがまわった。

飲茶

食後にグッチやプラダなどのブランド・ショップが並ぶストリートを散策し、タイムリミットである午後3時前に帰船した。

12月16日

ピースボートではGET(Global English Training)という英語学習プログラムが提供されている。英語の個人レッスンをメインとするプログラムで、もちろん有料。私はこのプログラムに申し込んでいる。キャンセル待ちの末、乗船2週間前になってようやく参加することができた。

午後、このGETプログラムの向けた10分間のインタビューがあった。ズーという名のパキスタン系イギリス人を相手に10分余りたっぷり英語をしゃべった。

10時過ぎに就寝。寝る時間がだんだん早くなる。

12月17日

今日は英語に縁のある日だった。まず19日のシンガポール寄港に向けて申し込んでいた「英語でミッションinシンガポール」というオプションの説明会。シンガポールでは、GETプログラムの先生たちのもと、4人ごとの小班で行動する。

続いて、午後には、GETのオープン・プログラム(乗客の誰もが参加可能)で英会話の練習。

夕方の6時半から「地域大交流会」というプログラムが開催された。私は本来の「北陸」ではなく、「English」グループに参加し、ここでもたっぷり英語をしゃべった。

ピースボートの乗客は大半が日本人、中国人(台湾人、香港人を含む)、韓国人だが、少数の欧米人も乗り合わせている。この日知り合ったのは、それぞれひとり参加の英国人男性、オランダ人男性、オーストラリア人女性だった。このほかにも数人の欧米人がいるようだ。

12月18日

午前中、「中文教室」に参加。「参加」というより、ただ聴いていただけだ。

午後、船内にあるジムにはじめて行ってみたが、マシンの使い方がよくわからなかった。

明日はシンガポールに寄港する。夜7時過ぎに、預けていたパスポートが各乗客に返却された。香港はパスポートなしで入国できたが、シンガポールへの入国にはパスポートが必要になる。