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2025年9月20日土曜日

トルクメンスタン2025 四日目(アシュガバード観光)

 9月8日

8時半に朝食。昨日は我々以外の宿泊客を見かけなかったが、今日の朝食会場はそこそこにぎわっていた。多くは米国在住の中国人の団体客だった。

ホテルのレストランからアシュガバードを望む


観光は10時からはじまった。まず、1995年にトルクメンスタンが国連で中立を宣言したことを記念して建造された「永世中立の塔」を訪れる。ただし、塔は修復工事中であり、外から眺め、写真を撮るだけ。特に興味のある塔ではなかったから、がっかりはしなかったが、塔の頂上から眺められるだろう景色には少し未練が残る。

永世中立の塔

続いてアシュガバードの中心部にある国立博物館。昨日行ったニサ遺跡の出土品の多くはこの博物館に収められている。女性ガイドの英語での説明はあまり耳に入らなかったが、これは私の側の知識と興味の欠如によるものだ。写真は5ドルが必要だったので撮らなかった。

国立博物館

博物館を出たあと、ロシアン・バザールに向かう。Youtubeの旅行動画などでも紹介されているバザールで、市場好きな私としては期待が大きかった。大規模なバザールだが、人でごった返している状態ではない。客はもっぱら観光客とも聞いていたが、地元の人もかなり目についた。

入ったとたんに、キャビアの試食責めにあう。トルクメンスタンの通貨(マナト)を持ち合わせておらず、クレジット・カードも不可となれば、買うのはやっかいだ。

ロシアン・バザール

バザールの動画


バザールの出口で女子高校生らしきグループに写真を撮らせてもらう。

女子高校生

1時半も過ぎ、プロフ料理で有名なレストランでのランチ・タイム。プロフとは中央アジアの炊き込みご飯で、焼き飯ないしピラフの中央アジア版ともいえる。トルクメニスタンのプロフはウズベキスタンほど脂こくないといわれている。正直なところ、これまでいろいろなところで食べたプロフに比べ、それほどおいしいとは思えなかった。しかも量が多いから、半分近くを残してしまった。他のツアー同行者の多くも残していたようだ。デザートの大きなケーキは、体によくないと思いつつも完食してしまった。

プロフ

腹が満ちたところで、馬の厩舎までバスを走らせ、トルクメンスタンが誇るアハルテケ種の馬を見る。4、5頭の馬が1頭ずつ我々の前に引き出される。どれも毛並みのいい馬だ。最後に犬も1匹登場した。

馬と一緒に

続けてスーパーでのショッピング・タイム。ロシアン・バザールに比べ、ごく普通のスーパーだ。動画を撮ったりして店内を回っていると、「ハロー」と声がかかる。トルクメンスタン在住の米国人女性だった。アシュガバードの米国大使館で働いているという。もらった名刺をあとで確かめると、彼女はU.S ArmyのMajor(少佐?)で、Army Attaché(大使館付き武官)だった。「日本に行ったことがあるか」との問いに「沖縄だけだ」と答えていたのもうなずける。

8時過ぎにレストランで夕食をとる。このときもコース料理で、まずくはないが飽食気味だ。

この日の締めくくりは観覧車体験。永世中立の塔に入れなかったことの穴埋めに用意されたプログラムだ。屋内観覧車としては世界最大ということだが、地元の人にもあまり人気はなく、9時過ぎに訪れたときには我々以外の客はいなかった。屋内だから景観もあまり期待できない。

観覧車

各ゴンドラに3人ずつ分乗して、ゆっくりと1周する。10分にも満たない短時間。ガラスで覆われた屋内観覧車だから、夜景の迫力は半減以下。予想どおりのパフォーマンスには苦笑するしかない。みんなで笑いあった。いい笑いのネタを提供してくれたわけだ。

ホテルに戻って就寝したのは11時ごろだった。明日はアシュガバードを離れ、東部の15万都市マリ(Mary)に移動する。

2025年9月19日金曜日

トルクメニスタン2025 三日目(アシュガバードに入る)

 9月7日

7時に朝食。今日は首都のアシュガバードを目指す。

このキャンプ地には我がグループ以外に、男女それぞれ1名の日本人がいた。どちらも個人旅行とのこと。「日本人以外の観光客を見かけないのはどうしてだろう」と男性の方に感想をもらすと、「ここ以外に別のキャンプ地があるのでは」との返事だった。

朝のキャンプ地

朝の光の中で「地獄の門」を再度訪れ、昨日来の4WDに乗車して「泥のクレーター」や「水のクレーター」を巡る。前者は泥、後者は水が底に溜まったクレーターだ。

朝の地獄の門


水のクレーター

昨夜と同じような悪路を走行するなか、何匹かのラクダが目に入る。飼われているのではなく、野生らしい。

野生のラクダ

アシュガバードに近づくにつれ、悪路は舗装路に変わり、周囲に白い建物が見えてくる。

アシュガバードに近づく

12時ごろに「Mado」という名前のレストランで昼食となる。前菜のサラダとスープ、メインディッシュのビーフ、デザートのアイスクリーム。どれもすばらしかった。

サラダとパン

この昼食の席でツアー・グループの自己紹介が予定されていたが、テーブルが長く、声が届きにくいことから、ホテルのロビーでやることになった。

アシュガバードに入る前に、4WDからバスに乗り換え、1時半ごろにホテルに到着した。Yyldyz(ユルドゥズ)ホテル。アシュガバードで最高級、つまりはトルクメンスタンで最高級のホテルだ。現地ガイドによれば、「トルクメンスタンの人は泊まらない。客は外国人ばかり」とのこと。なにもかもピカピカで、部屋は大きい。もちろんバス・タブ付き。こんな大きなホテルなのに、ロビーには我々グループ以外の客は見当たらなかった。

Yyldyzホテル(Webより借用)

大統領の写真を飾ったレセプション

部屋の中

チェックインし、4時過ぎまで体を休めてから、再びロビーに集合。全員で簡単な自己紹介をすませた。

ホテルを出て、午後の観光がはじまる。アシュガバード中心部の建造物はすべて白い大理石でできている。走行している車は白かシルバーのみ。人通りはほとんどない。人口100万人(後日別のガイドによれば50万人)の都市にしては閑散としすぎている。しかし、感受性がめっきり鈍化している私は、こうした異様な風景を特に異様と受け止めることもなく、車窓から漫然と眺めているだけだった。

アシュガバードの街並み

バスが向かった先はニサ(Nisa)遺跡。「紀元前3世紀ごろに成立したパルティア王国(アルサケス朝)初期の首都」(Wikipediaから)の遺跡ということだが、知識のない私にとっては「豚に真珠」「猫に小判」だ。しかも、写真をまったく撮っていないから(写真撮影には5ドルが必要だった)、すでに記憶もあいまいになっている。覚えているのは、出土品の多くは明日訪問予定の国立博物館に収納されていることくらい。

続いてモスクを訪れてから、アラバイ犬(トルクメンスタンの国犬らしい)の黄金像を写真に収める。大理石の白い建造物といい、犬の黄金像といいすべて大統領の好みらしい。地獄の門に至る未舗装のでこぼこ道と対比したとき、「お金を使う優先度を完全に間違えている」という感想を抱くのは自然だろう。

アラバイ犬の黄金像

8時過ぎ、数多くの伝統的な個室を備えたレストランに入り、夕食をとる。メインディッシュは骨付きの羊肉の煮込み。肉はとろとろに煮込んであり、今回のツアーでもっともおいしく感じた。これまでがまんしてきたビールを追加した(確か3ドルだった)。

メインディッシュ

おいしい料理のあとは「夜のアシュガバード」のツアーだ。バスに乗って光り輝く夜のアシュガバードを巡る。ところどころでバスを降り、現地の人と交わる機会もあった。日曜ということもあるのか、夜の9時でも多くの人が見られた。停車している乗用車からは大音量の音楽が聞こえてくる。北朝鮮とは大違いだ。

夜のウェディング・パレス

新婚カップル

新婚カップルの友人とおぼしき数人の民族衣装の女性たちに写真撮影をお願いしたが、断られてしまった。笑いながらの拒絶なので、しつこく頼んでみたが、結局撮影はかなわなかった。

現地の人たちも我々に興味を示し、積極的に話しかけてくる。英語が達者な中年の婦人からも話しかけられる。残念ながら時間がなく、対話を深めることはかなわなかった。

アシュガバードの全体を見渡せる場所からの夜景はどう形容したらいいのだろうか。「夢幻」、「シュール」、「テーマパーク」...。

アシュガバードの夜景(私の安いスマホではちゃんと捕捉できなかった)

ホテルに戻ったのは11時近く。このホテルには連泊だから、明日の予定はゆっくりしている。

2025年9月17日水曜日

トルクメンスタン2025 二日目(入国、地獄の門)

 9月6日

6時半に朝食、7時15分にホテルをチェックアウトという慌ただしいスケジュール。バスでタシケント空港まで向かい、9時15分発ウルゲンチ行きのウズベキスタン機に搭乗。空港ではシンガポールの団体客と遭遇し、少し言葉を交わした。以降、今回の旅行では何組かのシンガポール観光客を見かけた。

ウルゲンチ行きの便に乗り込む


ウルゲンチには11時前に到着。ここからバスでウズベキスタンとトルクメンスタンの国境を目指す。途中、レストランに立ち寄って昼食をとる。

国境に到着したのは午後1時。ウズベキスタンの出国手続きは特に問題なし。コロナのPCR検査まであるトルクメンスタンの入国審査は混乱気味で時間もかかったが、ここは我慢するしかない。

トルクメンスタンのイミグレに入り、審査を待っていると、中年の女性からロシア語で声をかけられた。私に名刺を手渡し、「ここで働いている」と言う(名刺はロシア語なのでとっさには解読できなかった)。さらに「一緒に写真を撮ってもいいか」と尋ねてくる。OKと返事し、女性のスマホにツーショットで収まる。

イミグレの建物内での写真撮影は禁止とのことだったが、おかまいなし。

このちょっとした出来事で、「トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮などではない」と確信した。トルクメンスタンの旅行動画などから判断して、「トルクメンスタン=北朝鮮」には懐疑的だったが、これが確信に変わった瞬間だった。

北朝鮮は言葉の真の意味での全体主義国家、ジョージ・オーウェルの「1984年」に最も近い、唯一無二のユニークな国だ。「アフリカの北朝鮮」と呼ばれるエリトリアにしろ、トルクメンスタンにしろ、それぞれにひどい国であり、変わった国ではあるが、北朝鮮と比べることはできない。北朝鮮ではイミグレ内で写真を撮ることなど考えられない。

帰国後に名刺を調べたところ、女性は医療コンサルタントであり、ウズベキスタン人だった。

なんとか全員が入国を終えたのは午後4時ごろ。国境を出たところで、トルクメニスタン人の日本語ガイド(男性)の出迎えを受ける。ここから6台の4WDにそれぞれ3人ずつ分乗し、カラクム砂漠にある「地獄の門」(ガス漏れを防ぐために着火され、燃え続けているクレーター)を目指す。6時間超の道のり。しかも舗装していないでこぼこ道で、覚悟が必要だ。

途中、小さなスーパーに立ち寄り、いくばくかの食料を補給する(私はなにも買わなかった)。スーパーはこぎれいで、品揃えもよい。これも北朝鮮とは大違い。北朝鮮にはそもそも外国人が立ち寄れるスーパーがほぼ存在しない。

国境近くのスーパー

小学生らしき制服姿の少女がいたので、写真を撮らせてもらう。

小学生

続いて高校生らしき少女の写真も撮る。

高校生(?)

この少女とはロシア語で少し言葉を交わした。

トイレ休憩かなにかで停車したところには、地元のおばさんたちが道ばたでメロンなどの果物を販売していた。ロシア語で「トルクメニスタンのお金は持っていない」と告げる。理解されたのかどうかはわからないが、メロンを試食させてくれた。おいしかった。他のツアー同行者も試食を勧められていた。

道ばたの果物販売


日の暮れかかった悪路を車は進む。が、私の乗っている車が突然停車する。バッテリーの不調らしい。2~30分かけてバッテリーを交換し、再出発。

バッテリー交換

私は運転手の横に座り、後部座席は2人の女性で占められていた。運転手が私に話しかける。英語はほとんどできないとのことなので、ロシア語にならざるをえない。私のロシア語は壊滅的な状態だった。не понимаю(理解できない)を連発するしかなく、まことにふがいない。

そんな状態でも、いくつかの質問を試みた。

問い:「ロシアとウクライナの戦争をどうおもうか」

答え:「不必要な戦争だ。戦争はよくない」

問い:「トルクメニスタンでの生活はどうか」

答え:「アシュガバードはよいが、地方はどうも...」

地獄の門(ダルバザ・クレーター)に到着したときには真っ暗。午後10時近くになっていた。まずは食事。作り置きの肉類や野菜、それにスイカなどの果物。ここで食事に期待するのは野暮だろう。

砂漠の中で夜食

続いてガスが燃え続ける「地獄の門」を見物。予想したより規模が小さい。「地獄の門」というほどのおどろおどろしさもない。もともとあまり期待していなかったから、「まあこんなものか」という感想。日本人だけの見物客のなか、トルクメニスタン人の男性3人もいたので、日本から来たことを告げ、相互に写真を撮った。

地獄の門


トルクメニスタン人


宿泊には各自に小さなテントが用意されている。スペースが限られているのはともかく、入口のジッパーがちゃんと下まで開かなかったのは参った。出入りに難儀する。寒さを心配していたが、用意してあった寝袋を布団代わりにすれば十分にしのげた。夜中に二度目が覚め、合計の睡眠時間は4~5時間といったところ。

テント



2025年9月16日火曜日

トルクメニスタン2025 一日目(タシケント到着)

 9月5日から12日にかけ、ユーラシア旅行社の「未知の国トルクメニスタン・ハイライト」なるツアーに参加した。

トルクメンスタンを選んだ理由は、第一に中央アジアで唯一まだ訪れていない国であること、第二に「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれるこの国がどれほど北朝鮮に近いのか(あるいは遠いのか)を確かめたかったことにある。

北朝鮮やブータンと同様、トルクメニスタンも完全な個人旅行は不可能だ。単独の旅であってもガイド付きが必須となる。以前はトランジットの場合のみ5日間の自由旅行が可能だったが、現在はその道もふさがれているらしい。

1人でガイドを雇うより、ツアーのほうがコストが浮く。トルクメニスタン・ツアーを提供している旅行社は数社ある。私が比較検討したのは西遊旅行社とユーラシア旅行社。西遊旅行のツアーは日数が2日多く、関空からも参加可能だ(ユーラシアは成田発のみ)。だがこうした事情を勘案しても、ユーラシア旅行のほうが若干安上がりだった。そのうえ西遊はすでに2回経験しているのに対し、ユーラシアは初めて。ユーラシア旅行のツアーがどんなものか一度は体験してみたい。というわけで、今回はユーラシア旅行社を選択した。

9月5日

前日成田空港に近いホテルに前泊し、午前8時5分に成田空港の集合場所に赴く。ツアー参加者が17人。女性が13人で、男性は4人。1人参加は7人。この集団を女性添乗員のHさんが率いる。

この日はウズベキスタン航空の直行便でタシケントまで飛び、1泊する。

11時5分に成田を飛び立ったウズベキスタン航空機はほぼ定刻どおり16時過ぎにタシケント空港に到着した(日本との時差は4時間)。ツアーだから、Simカードを購入する必要はなく、両替に煩わされることもない。

空港を出て、ウズベキスタン人の日本語ガイド(女性)の出迎えを受け、バスでホテル(ATECA hotel)まで向かう。私にとってはおよそ17年ぶりのタシケント。空港からホテルまでの約20分の道のりでは、17年前に比べて街並みがどう変容したのかはうかがうすべもない。

ATECA hotel


ホテルにチェックインしたあと、レストランに向かい、夕食をとる。ホテルもレストランも立派だった。個人旅行なら、選択肢に入らない高レベル。

夕食のメインディッシュ

ホテルに戻り、9時半ごろに就寝した。明日は9時15分タシケント発のウズベキスタン航空機でウルゲンチに飛び、そこからバスで国境に向かい、トルクメンスタンへ入る。

2025年8月4日月曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 十二日目(帰国、感想)

 7月13日

今日は帰国日。イスタンブール行きのターキッシュ・エアラインズ機がビリニュスを発つのは20時20分。まだゆっくりと観光できる。

8時過ぎに朝食をとり、11時半にチェックアウト。荷物をホテルに預け、旧市街まで歩く。目指すのは大聖堂の近くにあるゲディミナス塔。ここからビリニュスの街を眺めたい。

塔の裏側にある登り口を探すのに少し苦労する。徒歩でも登れるが、リフトも用意されている(往復で3ユーロ)。徒歩で登ることにした。

ゲディミナス塔

塔に登る

塔からは旧市街と新市街が一望できる。

旧市街の眺望


韓国人の若い女性2人組がいたので、韓国語で声をかける。彼女たちはノルウェー在住で、ノルウェー人女性ひとりと一緒だった。このときは最初から最後まで韓国語で話すことができた。「チャラシネヨ」(お上手ですね)というお世辞に気をよくする。

徒歩でふもとまで降りる。ちょうどリフトから降りてきた韓国人2人とまたばったり会う。私の韓国語の知識はもっぱら読書から得たものであること、韓江や甲京淑の小説を読んだことなどを話す。残念ながらこのときは英語になってしまった。同行のノルウェー人女性に3人の写真を撮ってもらう。

ノルウェー在住の韓国人2人と一緒に


さてビリニュスに3日間滞在したが、夕食をもっぱらスーパーの食材で済ましたこともあり、まだちゃんとしたリトアニア料理を口にしていない。これが最後の機会だ。時刻は3時に近い。

ということで、大聖堂近辺のレストランを見て回る。ネットで見かけたレストランも目に入ったが、客が混んでいたり、逆に閑散としすぎていたりで、あまりしっくりとこない。

レストランを探す

結局、当てずっぽうで7Fridayという店に飛び込んだ。このレストラン、表にはいろいろメニューを飾っていたが、用意できるリトアニア料理は1種類(ピンク色のスープ料理)だけという。他の店に移るのもめんどうなので、フィッシュ・アンド・チップスを注文する。リトアニア最後の料理が英国料理になってしまった。ただ、このフィッシュ・アンド・チップスはロンドンで食べたものよりおいしかったので、よしとしておこう。料金はビールと併せて17.8ユーロ。

フィッシュ・アンド・チップスとビール

4時過ぎにホテルに戻り、預けていた荷物を引き取って、Boltタクシーで空港に向かった(7.6ユーロ)。

イスタンブールへ向かうターキッシュ・エアラインズ便は50分ほど遅延したが、イスタンブールでの乗り継ぎは問題なく(セキュリティ・チェックがなかった)、翌日14日の19時に関空に到着した。


感想

さて、「まだ訪れていないから」という消極的な理由からの今回の旅行だったが、内容は期待をはるかに越えていた。人々とのふれあいがその大きな要因だ。エストニアでもラトビアでもリトアニアでも、そして予定外に訪れたヘルシンキでも、多くの人に助けられた。ヘルシンキのホテルで朝食の後かたづけをしていた女性の笑顔。こうしたちょっとしたことが心に残っている。

他の旅行者との接触も貴重だった。リガのフードコートで同席したユダヤ系米国人の一家。これは忘れられない体験となった。1941年の独軍侵攻のあと、リガですさまじいユダヤ人虐殺(ホロコースト)があったことを知ったのは帰国後のことだ。

エストニア3泊、ラトビア3泊、リトアニア3泊、そして予定外のヘルシンキ2泊。この決して短くはない滞在の中、地方や田舎に一度も足を踏み入れなかったのが悔やまれる。しかもタリン、リガ、ビリニュスのいずれでも行動範囲はほぼ旧市街に限られていた。加齢とともに行動力が劣化するのはやむをえないのかもしれないが。

天候には必ずしも恵まれなかった。雨の日が多かった。あとから知ったのだが、バルト3国で雨量が最大になるのは7、8月だ。もっとも雨の日が多かったといっても、ほとんどが小雨であり、観光の支障になるほどではなかった。夏を想定して出かけた今回の旅行だが、現地は思ったより寒かった。2、3日の例外を除き、長袖のシャツ1枚では少し寒く感じた。Holiday Innでは2日目に毛布を1枚追加してもらった。Holiday Innの朝食の席で顔なじみになったスペイン人のおばあさんが「(スペインでは)40度だ」と言っていたが、同じ欧州でも大きな違いだ。

旅立ち前には、「もう歳だからパッケージ・ツアーのほうがいいのではないか」とも思った。バルト3国なら、ほぼどの旅行会社からもパッケージ・ツアーが提供されている。実際、この旅行でも何組かの日本人の団体を見かけた。だが、結果的には個人旅行にしたのが正解だった。パッケージ・ツアーなら、Simカードで悩むこともないし(自分で道を探さなくてよいから、モバイル通信は必要ない)、もっと多くの観光スポットを訪れることもできただろう。リトアニアの杉原記念館にも行けたはずだ。スーパーの食材ではなく、地元のちゃんとした料理を口にすることもできただろう。しかし「人々とのふれあい」という、私にとってもっとも大切な体験は団体旅行ではむずかしい。風景や名所旧跡、料理などより、そこに生きている人を知ることこそ、私の旅の目的であることをあらためて確認した。

2025年8月3日日曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 十一日目(市内ウォーキング・ツアー)

 7月12日

8時に朝食をとる。今日もスペインの団体客が多い。

申し込んである旧市街ウォーキング・ツアーは10時から始まり、約2時間かけて市内を歩く。料金は軽食を含めて20ユーロ。集合場所となっている大聖堂のそばのゲディミナス公の像に徒歩で行く。集まったのはおよそ20人。これを2つのグループに分け、それぞれ女性のガイドが引率する。

ウォーキング・ツアー開始


大統領官邸、聖アンナ教会、聖ミカエル教会、ウジュピス共和国(自称)などを巡り、小さな店に立ち寄ってスナックとワインを試す。我がグループは11人。年配の米国人カップル、シンガポール人の女性2人組、南アフリカの青年(ただし現在はロンドン在住)などがいた。南アフリカの青年と少し話した。

聖アンナ教会

聖ミカエル教会

試食タイム

軽食のあと、旧市庁舎を経て、夜明けの門に至り、ツアーは解散となった。時刻は12時を過ぎていた。

いろいろ見て回ったが、残念ながらほとんど記憶に残っていない。というより、そもそもガイドの説明をよく聞いていなかった。

それよりも興味深かったはガイドの女性との質疑応答だ。ガイドの女性によればビリニュスのロシア人比率は10%以下とか。ロシア人が人口の半分を占めるタリンやリガとの大きな違いといえよう。ただ、ビリニュスの街を歩いた私の印象では、ロシア人の割合は10%にとどまらない感じがした(かなり頻繁にロシア語が耳に入ってきたような気がする)。ロシア語の学校が閉鎖されているのはタリンやリガと同じ。

「バルト3国のロシア人比率は10~20%」という私の先入観は、昨年のトルコ旅行の帰国便で隣席だったリトアニア人カップルからの情報によるもの。この情報をバルト3国全体へ敷衍したのが間違いのもとだった。

ロマ集落についても質問した。ロマ集落はビリニュスの近郊にあるらしい。「(行くのは)危険だ」とのことだが、これが偏見かどうかはわからない。

夜明けの門は、昨日は外から眺めただけのハレス市場に近い。今日は中へ入ってみる。

ハレス市場(1)


市場は建物の外にも広がっている。

ハレス市場(2)

ハレス市場を出て、城壁に沿って歩く。私にとっては、教会よりもこちらの景観のほうがぴったりくる。

城壁(1)

城壁(2)

さらに公園を横切り、静かな裏通りに足をすすめる。

ビリニュスの裏通りを歩く

そうこうしているうちに、ウォーキング・ツアーでも立ち寄った「ウジュビス共和国」の「領内」に足を踏み入れてしまった。もちろんこれは正式な国ではなく、芸術家や学生が勝手に自称しているだけの「共和国」だ。

ウジュビス共和国

この共和国は39か条からなる憲法も定め、border controlも設置している。しかし、私のようなツーリストの目には「ただのビリニュスの一角」としか映らなかった。

大統領官邸辺りを通りかかったとき、結婚式らしき一群に遭遇する。ぽかんと眺めていると、参加者のひとりが私に手いっぱいのお菓子を渡してくれた。全員ロシア語をしゃべっている。

結婚式(?)


これだけのお菓子をもらった

いったんホテルに戻り、6時過ぎに再度外出。ぶらぶらと散策しながら、スーパー(MAXAM)に入り、夕食用のサラダやビールを購入した。