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2015年9月13日日曜日

北朝鮮2014 五日目(8月22日)

朝食をすませて外へ出ると、朝鮮族のおばさんたちがホテルの前で踊っている。いつでもどこでも機会があれば、歌い、踊る。これは日本人にはない民族性だ。おばさんたちが歌っているのはたぶん金剛山タリョンという民謡だろう。自分が歌って踊るのはともかく、私はこうした歌を聞き、踊りを見るのが好きだ。何年か前の訪朝時に日本語ガイドが「朝鮮の踊りのポイントは肩の動きにある」と言っていたのを思い出す。

ホテル前で踊る朝鮮族の観光客

鏡城の革命史跡(金正日が幼少期に滞在したことがある別荘)を見たあと、我々を乗せた車は一路清津へ引き返す。清津エリアでの最後の訪問先は幼稚園だ。幼稚園の校庭にはミサイルや戦車を模した遊具が設置されている。校内の壁にもミサイルが描かれている。2012年に発射された은하 삼호(銀河3号)を描いたものだ。




授業も参観した。樹木をテーマとした授業らしい。若い女性の先生が「アカシアの葉っぱはどんか形をしていますか」といった質問をし、子供たちが答える。小さい声で答えると、「もっと大きな声で」と言い直させる。質疑応答のあとは全員で歌を歌う。これはおそらく我々への演出だろう、ミッキーマウスがプリントしてある筆箱を持っている子もいた。1年ほど前にモランボン楽団の公演にぬいぐるみが登場して以来、ミッキーマウスは金正恩のお墨付きをもらったらしく、このほかにもちょくちょく見かけた。



幼稚園訪問は園児たちの芸の披露で締めくくられる。園児たちだけでなく、先生方の芸も披露された。ここでもモランボン楽団の影響は顕著だ。ミニスカート姿でバイオリンを弾く子供たち。先生方の出し物のひとつはモランボン楽団のヒット曲「ペウジャ(学ぼう!)」だった。芸はすべて水準以上。しかし子供たちの表情は疲れている。ブルガリア人のVesに「どうだった?」と感想を聞くと、「あの表情を見ているととても楽しめない」という答えだった。



幼稚園訪問を終えた我々は、3日前にカラオケを楽しんだ(あるいはカラオケで苦しめられた)船員クラブに再度赴き、昼食をとる。清津最後の食事は冷麺だった。平壌の冷麺とは異なり、つゆはあとで自分で注ぎ入れる。最初からつゆが入っている平壌式のほうが私の好みだ。


食後は経済特別区の羅先(ラソン)に向かう。「この歌はぜひ覚えてくれ」ということで、「アリラン」の歌唱練習をしながらのドライブだ。清津を含む咸鏡北道(ハムギョンプクト)と羅先市の境界に着くと、ガイドとドライバーがすべて交代する。咸鏡北道は七宝山国際旅行社、羅先は羅先国際旅行社の管轄となっている(しばらく前に羅先国際旅行社の女性社長が張成沢の愛人だったとの理由で拘束されたとの噂があった)。

清津から羅先までの道行きには七宝山国際旅行社の幹部も同乗した。幹部といってもまだ若く、40歳くらいか。このころ、拉致被害者の再調査を北朝鮮が約束し、これに応じて日本が経済制裁の一部を解除する動きが出ていた。他方で、北朝鮮と中国の関係にはきしみが生じていた。こうした事情から、日朝関係の好転への期待が北朝鮮の人々の間で大きくなっているように感じた。幹部が私に聞く。「朝日関係は今後どう進むと思うか」と。さらに「安倍は北朝鮮にやって来るのか」とまで。日朝関係についての同じような質問はあとで羅先のガイドからも受けた。北朝鮮の公式報道にしか接していない彼らが日朝交渉の現実をどのくらい正確にとらえているかは定かでなかった。拉致問題がからんでいることは知っていても、それが日本側の最優先課題であることは聞かされていなかったのではなかろうか。「両国の関係がよくなることを望むが、あまり大きな期待を持たないほうがよい」と答えておいた。

羅先のガイドは2人とも「金(キム)」という姓で、ドライバーまでが「金」だ。ガイドはひとりが30歳前後、もうひとりは30歳後半から40歳くらい。両人とも英語をしゃべる。若いほうの金ガイドの説明を聞きながら、我々を乗せた車は羅先の中心部に入る。このツアー第2部の始まりだ。


羅先は羅津(ラジン)と先鋒(ソンボン)が合併してできた都市だ。羅津のほうが圧倒的に大きく、羅津が先峰を吸収したと言ったほうが正確かもしれない。羅津の中心には南山(ナムサン)広場がある。広場には大きな電光スクリーンが設置され、朝鮮中央放送のテレビ番組を流している。レストランで夕食をとった我々はこの広場にあるテント張りの「ローカルバー」に出向く。同行者のほとんどはビールを注文したが、あくまでローカル色を追求したい私はマッコリを所望した。Vesも私に従う。マッコリは1本が3中国元(当時のレートで50円くらい)という安さ。しかし、Vesが買ったマッコリのほうが明らかに私のマッコリより濃い色をしている。瓶ごとにばらつきが大きい。どうも品質管理の思想が浸透していないようだ。

南山広場

ローカルバー

宿は中心部から離れた高台にある琵琶ホテルだった。バスタブはなく、シャワーだけだったが、お湯はしっかりと出た。なぜかテレビは映らなかった(他の部屋も同じだったらしい)。できることなら南山広場にある南山ホテル(旧羅津ヤマトホテル)に泊まりたかった。

清津ではホテルの部屋でテレビを見ることができたが、チャンネルは朝鮮中央放送だけ。平壌のホテルでは北朝鮮の放送に加えて、NHKの海外向け放送、BBC、中国CCTVの英語放送、ロシアの放送などを視聴できる。北朝鮮にいながら、世界の動きについていけるわけだ。しかし、ここ東北部では北朝鮮の外で何が進行しているのか、情報から完全に遮断されていた。中国を離れて1週間近く、ロシア人のAntonは「ロシアとウクライナが全面戦争になっていてもわからない」とぼやいていた。

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