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2015年11月23日月曜日

ソマリランド2011 ハルゲイサ1

2011年の冬、つまり今から5年前に、未承認国家ソマリランドを旅行した。もう記憶もおぼろげになっているが、すべて忘却してしまう前に、思い出す限りをここに記録しておこう。日記どころかメモもとっていないから、金額や時間等の数字については間違いがあるかもしれない。

関空→エチオピア→ソマリランド→エチオピア→関空という行程を12日間でこなそうという旅。エチオピアの首都、アジスアベバでのソマリランド・ビザの取得に少なくとも1日、アジスアベバからソマリランドの首都のハルゲイサへのバス移動に2日、その帰路に同じく2日かかる。時間に余裕のある旅ではない。1日も無駄にせずに動かなければならない。

2011年1月25日にアジスアベバでソマリランドへのビザを取得し、翌26日にバスで10時間以上かけてエチオピア東部のハラルに移動して1泊。27日の早朝にハラルからミニバスでまずジジガがまで移動。ジジガでバスを乗り換えてエチオピアとソマリランドの国境に着いた。バスを降りると、同乗していた老人が何も言わずにエチオピアのイミグレの建物まで案内してくれた。エチオピアの出国手続きは10分もかからなかった。ソマリランドから再度アジスアベバに戻ってくるつもりだから、もちろんエチオピアのビザはマルチエントリーで取得してある。


エチオピアのイミグレを出て、ソマリランドのイミグレまで歩く。200メートルぐらいの距離だっただろうか。ソマリランドの入国手続きも問題なくすぐに終わった。係官が私のパスポートを見て、「エリトリアに行ったことがあるのか」と聞いてきたのを覚えている。当時(今でもか)、エリトリアはソマリアで戦っているアルカイダ系のアル・シャバブを支援しているといわれていた。イデオロギーや宗教上の親近性からではない。「敵」(エリトリアの敵はエチオピア)の「敵」(エチオピアの敵はアル・シャバブ)は「味方」という論理からだ。ソマリランドもアル・シャバブらしき勢力に爆弾を仕掛けられて数多くの死傷者を出したことがある。当の係官がエリトリアに対してどのような感情を持っているかは伺うすべもなかったが、入国にはなんの支障もなかった。

出入国事務所を出ると、首都ハルゲイサに向かう乗り合いタクシーが何台か停まっていた。ハルゲイサまではエチオピアの通貨で120ブル。当時のレートで6ドルだった。あとで知ることになるが、ソマリランド国内での長距離の乗り合いタクシーは6ドルが相場みたいだった。といってもこれは外国人価格で、地元民はもっと安いのかもしれない。ハルゲイサに着くまで何回かパスポートのチェックがあった。

乗り合いタクシーは私が目指すHadhwanaagホテルまで乗り付けてくれた。前もってネットで目星を付けていたホテルだ。シャワー・トイレ、衛星テレビ付きで1泊8ドル。ノートパソコンを持参していなかったため、Wi-fiの有無についてはわからない。今から5年前のことだから、おそらくWi-fiは飛んでいなかっただろう。ホテルの敷地内には両替所やレストランが併設されていた。さっそく5ドルほど両替して、レストランでかなり遅めの昼食をとる。5ドルの両替でも、かなりの札束になる。財布に収めることは不可能。

ソマリランドでは現地通貨のシリングと米国ドルのどちらも同等に流通している。ドルで支払ってシリングでお釣りをもらうといった具合だ。カンボジアでリエルとドルの両方が支払い手段となっているのに似ている。

ホテルはハルゲイサの中心にほど近い。ホテルを出て5分も歩くと、1991年の内戦時に撃墜されたミグ戦闘機のモニュメントにたどり着く。ハルゲイサ随一の(唯一の?)観光スポットだ。

ミグ戦闘機のモニュメント

モニュメントの台座に描かれている生々しい絵

メインの道路に沿って歩いて行くと、道沿いにいろいろなものが売られている。さながらストリート・マーケットといったところ。中古の日本車が多い。ハルゲイサを走る車の半数以上を占めるのではなかろうか。ドバイ経由で入ってくるのだろう。

ハルゲイサ1

ハルゲイサ2

ハルゲイサ3

ハルゲイサ4

夕食は別のホテルに併設されているレストランでとった。スパゲッティ付きのビーフ。何十枚もの500シリング札で支払った。

ホテルの衛星テレビではBBCのニュースを見ることができた。

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