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2015年11月11日水曜日

北朝鮮鉄道の旅2015 まとめ

ボストンから来たBobは、今回のツアーに参加した理由を「curiosity(好奇心)」としていた。好奇心が訪朝の動機となっているのは、今回のツアー参加者のほぼ全員に共通しているだろう。北朝鮮への旅は風光明媚な自然や名所旧跡を求める旅ではない。ショッピングや美食のための旅でもない。美しい自然、歴史上の名所、おいしい食べ物が北朝鮮にないわけではないが、これらはいわば付随的な楽しみだろう。動機としてもっと大きく、もっと強いのは、我々と違う体制、そのもとで暮らす人々への興味だ。欧米や日本の報道で批判され、非難され、恐れられ、揶揄されている体制。そんな過酷な体制下に暮らす(暮らさざるをえない)人たちも我々と同じ人間だという、ごく当たり前のことを発見するのが北朝鮮への旅だといえる。だが、私のように1度ならず何回も訪朝するケースはどうだろうか。好奇心だけで説明するのはちょっと無理かもしれない。ここらへんの事情、つまり「なぜ北朝鮮に行くのか」については、「北朝鮮旅行2014」に記しておいた。

http://chojiro22.blogspot.jp/2015/09/2014_20.html

「北京での事前説明会」の記事に書いたように、Koryo Toursの鉄道ツアーに申し込むにあたって私が期待していたのは次の2つだった。

(1) まだ訪れたことのない北朝鮮第二の都市、咸興に行くこと。
(2) 10月10日の朝鮮労働党創設70周年のパレードを見ること。

咸興訪問もパレードの見物も実現はされたが、どちらも満足度は100点満点でせいぜい50点くらいだった。咸興での滞在時間は短く、訪問先も銅像と肥料工場だけだった。市民の暮らしぶりを垣間見るような機会は与えられなかった。咸興駅の待合室にいる人たちがプラットフォームにいる我々をガラス越しに興味深そうに見ていた光景が記憶に残る。このガラスが我彼を隔てる厚い壁のようにも思える。

駅の待合室から我々を見る咸興市民

金日成広場でパレードを見ることは最初から期待していなかった。が、沿道でのパレード見物も満足のいくものではなかった。さんざん待たされたあげく、日がとっぷりと暮れてから始まったため、よく見ることができなかったからだ。暗すぎて写真撮影もかなわなった。

10月10日の平壌

ついでに期待外れだったことをもう1つ挙げておこう。北朝鮮の人たちとのふれあいがほとんどなかったことだ。2013年に個人で訪朝したときには、農家で行われていた還暦の祝いの席に偶然に立ち会うことができた。平壌・丹東を往復した列車の中で誰に監視されることもなく北朝鮮の人たちと交わるといったこともあった。昨年の北朝鮮東北部ツアーでも、七宝山や清津の海岸で北朝鮮の観光客や家族とつかの間の交流を持つことができた。演出されたものであるとはいえ、中・高校生と英語で話す機会もあった。今回はこうした場面が皆無だった。せいぜい通りすがりの子供に年齢を尋ねたり、地下鉄で写真撮影の許可をとるために話しかけたりしたくらいだ。唯一の例外は清津観光旅館で日本から帰国した老人と話したことだが、これも短すぎた。

還暦を祝う農家にて(2013年)

だからといって、鉄道ツアーに参加したことを後悔しているわけでは毛頭ない。平壌ー妙香山ー咸興ー清津ー元山を行く列車から見た北朝鮮の風景は私にとっては新しい発見だった。写真や動画もたっぷり撮ることができた。10日間を共に過ごし、しかもそのうち6日間は狭いコンパートメントや食堂車の中で一緒だった同行者たちとは昨年のツアー仲間以上に親密な関係を築くことができた。数人の同行者とはかなり立ち入った政治的な話もしたが、おおよそ同じような意見だったこともうれしい。先の記事でも書いたように、北朝鮮を知る旅は、ツアー同行者について知る旅でもあった。

食堂車でのひととき 1

食堂車でのひととき 2

私にとっては6回目の訪朝だが、昨年は平壌を外した清津・七宝山・羅先のツアーであり、首都を訪れるのは2年半ぶりだった。この2年半、平壌はどう変わったか。私たちのガイドも運転手も全員スマートフォンを使っていた。携帯電話とデジカメの登場は2010年の訪朝時に目にしていたが、スマートフォンは2013年の時点でも見なかった。2010年ごろにはすでに顕著だった車の増加はさらに一段と進んでいるようだった。とりわけタクシーの増加が目についた。10年前には高麗ホテルの前でタクシーを1台見かけたどうか。外国人客などたかがしれているから、おそらく平壌市民のタクシー利用が増えているのだろう。

地元の客でにぎわう光復地区のスーパーマーケットの印象はとりわけ強い。一定の購買力を持つ中産階級の存在を示唆するような光景だった。こうした階層が人口のどれくらいを占めるのかはわからない。ごく一部だとしても、どれくらいごく一部なのか。もっと具体的に、彼らの多くは党や軍の幹部なのか、それとも配給制度の破綻に乗じた商人たちが主体なのか(外見だけからすればスーパーの客の多くはごく平均的な平壌市民だった)。こうした「消費社会化」と金正恩の体制がどう関係するのか。残念ながら「見る」ことが理解につながるわけではない。

先に書いたことの繰り返しになるが、「北朝鮮は貧しい、貧しいはずだ」という思い込みに引きずられないようにすると同時に、平壌の一風景から北朝鮮全体を判断する危うさにも注意しなければならない。

今回の鉄道ツアーをもって私の北朝鮮訪問は一段落ついた。十分とはいいがたいが、北朝鮮第2の都市である咸興にも足を踏み入れた。外国人に開放されている所でまだ行っていないのは、平城、信川、海州、新義州(新義州は最近日本人にも訪問可能となったと聞く)くらいか。いずれもマイナーな場所だ。何か特別なツアーでもない限り、北朝鮮行きは一休止となる可能性が高い。とはいいながら、またすぐにでも行くかもしれないのが、北朝鮮の不思議な魅力だ。


 

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