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2015年11月6日金曜日

北朝鮮鉄道の旅2015 十一日目(10月12日)

平壌から北京への帰路は空路と陸路(鉄道)のいずれかを選択できた。ただし、アメリカ人は平壌から中国の丹東への鉄道の利用を許されておらず、空路で帰るしかない。咸興や清津への鉄道の旅は可でも、丹東へは不可というのも変な話だ。アメリカ人に対してたとえシンボル的なものであっても何らかの差別待遇を残しておきたいという意図なのか、ただの惰性でそうなっているのか。北朝鮮の動きには、すべて計算しつくし、裏の裏まで読んでいるようで、実は何も考えておらず、ただなりゆきまかせているようなところがある。逆に、特別な意図や動機がなさそうな動きや決定でも、その背後に緻密な計算が働いている場合があるのでやっかいだ。

列車で北京まで帰るのを選択したのは、私のほかに、JonathanとOksanaのカップル、JeremyとMonishaのカップル、Jane、それにNickだった(Janeは丹東1日ツアーのオプションを選んでいたので途中で離脱する)。つまり、アメリカ人以外に空路で帰ったのはFrank、Lloyd、Jamesということになる。

北京行きの飛行機は8時30分発なので、空路組は早朝にホテルをチェックアウトしていた。列車の出発時刻は午前10時。朝も余裕がある。ホテルの朝食会場で日本人らしい若いカップルを見かけたので声をかけた。張氏がガイドをしているグループの一員らしい。

9時過ぎに平壌駅に着き、ガイドたちとの別れの儀式のあと、列車に乗り込む。私はJonathanとOksanaのカップルに加え、個人で訪朝していたオランダ人男性(アムステルダム在住の写真家ということだった)と一緒のコンパートメントに入った。北京行きのこの列車にはKoryo Toursの添乗員であるSarahやVickyも同乗していた。

平壌から新義州を経て丹東に至る鉄道の旅は私にとって初めてではない。2013年4月にはこの路線を往復して訪朝している。このときには、行きの列車で共和国の商務担当外交官と英語で話し、帰りの列車では北朝鮮の男性グループからソジュ(焼酎)や食べ物をわけてもらった。今回帰路に列車を選んだものこうした「交流」を期待したからだったが、この期待ははずれた。同じ車両に北朝鮮の人たちも乗っていたのだが、外国人観光客と相交わることはなかった。北朝鮮の人たちのコンパートメントにひとり放り込まれた前回と違い、今回は我々のグループが大きすぎた。水泳競技(飛び込み)のために北京に向かう北朝鮮の女子選手に声をかけて、写真を撮らせてもらうことができたのがせめてもの「交流」だった。
飛び込みの選手

列車の中での昼食は羊角島ホテルから持ち込んだ弁当だった。10月10日の弁当ほどひどくはかったが、昨年清津や羅先で食べた弁当に比べれば明らかに劣る。たった2回の経験で「羊角島ホテルの弁当はまずい」と結論するのは早すぎるかな。

沿線の風景を少し紹介しておこう。


沿線の風景 1

沿線の風景 2

沿線の風景 3

新義州での出国手続きは特に問題なかった。私は、書き終えた出国カードを紛失したり、携帯電話を荷物の中から取り出すのに手間がかかったりでさんざんな目に遭ったが、これは私個人の不注意と不手際によるものだ。スマートフォンの写真はごく簡単にチェックされていたが、SDカードのチェックはなかった。

出国手続きのために2時間ほど新義州で停まった列車が再度動き出す。鴨緑江を渡ればすぐに丹東だ。Janeはここで降りた。丹東でとれくらい停まったか、よく覚えていない。川を隔てた北朝鮮の風景と中国の風景のコントラストは2013年にすでに経験していた。くすんだような煙突しか見えない新義州と高いビルがそびえる丹東。

丹東出発後、中国車両の食堂で夕食をとった。Jonathan、Oksana、Nickと同じテーブルにつく。料理は一人前一律で80元(1600円弱)と高め。ビールは10元。ビールはBadwiserしかなかった。Badwiserは不評で、注文したのは私だけだった。Nickはワインを注文していた。

食堂車の料理

Nickはロンドンの高級住宅街であるノッティングヒルに住む。両親ともに俳優で、母親は引退後もBBCのJust a Minuteという番組などに出演していたらしい。彼は10月10日に羊角島ホテルのロビーでBBCのインタビューを受けていた。インタビューはかなり挑発的で、「ノッティングヒルの金持ちが北朝鮮に来て何をしたいのか」と聞かれたり、「北朝鮮観光は血の上に築かれた観光だ(tourism based on blood)」と言われたりしたらしい。Nickのことだから、のらりくらりと答えていたもよう。

そのNickがこの夜は我々3人を相手に自分のプライベートな生活のことを蕩々としゃべった。太っていていじめられた子供時代、ホスピスで死んだ父親と死の数週間前に最高の関係を築けたこと、逆に母親との関係は母親の死に至るまで最悪だったこと、離婚で多額の慰謝料を支払ったことなど。「友人にも話していないこんなプライベートな話をして申し訳ない」と謝っていたが、「いやいや非常に興味深い」と返答しておいた。実際興味深かった。

寝台車ではJonathanとOksanaが上段のベッドで寝てくれた。慣れない環境ではなかなか眠れない私にとってはありがたかった。夜中に2、3回目が覚めてトイレに行くはめになったから。

明日の8時過ぎには列車は北京に着くはずだ。

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