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2015年11月5日木曜日

北朝鮮鉄道の旅2015 十日目(10月11日)

朝食をとるために1階に降りると、ロビーに張氏を見かけた。2005年と2010年の訪朝時にお世話になった日本語ガイドの張氏だ。5、6人の日本人のグループに何か説明をしているところだった。握手をして、Koryo Toursの鉄道ツアーで来ていることを告げ、食堂に入るまでの間短い会話を交わした。「今日はどこを訪れるのですか」との問いにうまく答えられない。今日の最初の訪問先は金日成と金正日の遺体が保存されている錦繍山(クムスサン)太陽宮殿だったのだが、この名称を知らなかったのだ。英語のmausoleumしか頭に浮かばず、日本語が出てこない。苦し紛れに「正装して行くところです」と答えると、張氏が「太陽宮殿ですか」と言う。ああ太陽宮殿というのかと、ここで初めて知った。

平壌にはこれまで4回来ているが、錦繍山太陽宮殿を訪れるのは今回が初めてだった。北朝鮮旅行の斡旋をしているMarkは「万寿台の銅像や万景台の生家と並んで錦繍山は必須の訪問地で、平壌観光には必ず含めるように指示される」と言っていたが、こと私に関してはこれはあたっていない。平壌を観光しながら錦繍山どころか銅像や生家さえ訪れなかったこともある。遺体には何の興味もない私は錦繍山をリクエストすることもなかった。きちんとした服装でという条件も鬱陶しく、むしろ避けていた。今回もKoryo Toursのパンフレットにはmausoleumについてふれていなかったので、喜んでいたくらいだ。おかげでネクタイを用意していなく、カナダ人のFrankに借りることになった(ネクタイを着用していない訪問者も見かけたので、着用は必須ではないのかもしれない)。

カメラやカード、金属類をすべて入口で預け、長い廊下を歩き、埃除去装置(?)を通過して中へ入り、まず金日成、続いて金正日の遺体を見る。遺体を囲む四方からそれぞれ4回お辞儀して、先へ進む。宮殿内部には金親子に与えられた勲章、名誉称号、さらには専用車や専用列車も陳列されている。建物の外に出るとき、Jeoffが私に「どう思うか」と聞いてきた。一言「insane」と答えておいた。

太陽宮殿の見物を終えて、バスに戻ったとき、Markがみんなをびっくりさせる。なんと人民服(金正日服かな)姿で登場したのだ。10月2日に平壌に着いたときに羊角島ホテルの仕立屋にスーツを注文したのは知っていた。しかしその「スーツ」が人民服だったとは今はじめて知る。同行者はこぞって彼の写真を撮る。彼もまんざらではなさそう。人民服の代金は125ユーロ。私も次回には一着あつらえようか。

人民服姿のMark

次にバスが向かったのは、光復地区商業中心。中国との合弁で2012年にオープンしたスーパーマーケットだ。ここでは外貨(最低5ユーロ以上)を現地通貨のウォンに両替して、平壌市民に混じって買い物をすることができる。昨年のツアーでは羅先の市場で買い物ができたが、使ったのは中国元であり、ウォンでの買い物ははじめての経験だ。両替したウォンは建前上は国外持ち出し禁止だが、添乗員のSarahによると、「財布にでも入れていない限り、見つかることはない」とのことだった。JamesとRayと私は3人で5ユーロを両替し、ウォンを分け合った。買い物が目的の両替ではなく、持ち出しが目的の両替だ(私は5000ウォン札3枚を日本に持ち帰った)。

光復地区商業中心(内部の写真撮影は不可)

スーパーは思ったより大きく、品揃えも豊富だった。規模からしても品揃えやレイアウトからしても、中国の中規模のスーパーに匹敵する。1階は食品と日用品、2階は衣料と家具、3階はフードコートだった。中国製の商品が多いなか、シャンプーや洗剤には日本製のものもあった。中国経由で輸入しているのだろう。

昼近いこともあり、フードコートは混んでいた。肉や麺類など、量も質も中国の地方都市のレベルと言っていいだろう。最近の平壌が一種の消費社会になりつつあることは知っていたが、ここまでは予想していなかった。ここでも「北朝鮮は貧しいはずだ」という思い込みが崩される。もちろん平壌と清津などの地方との差は大きいし、それ以前に我々が立ち入りを許されていない町や村が数多くあることを忘れてはならない。昨年車がほとんど通らない咸鏡北道の道路で20個余りのリンゴを売っていた中年の女性の姿が思い出される。「貧しい」という思い込みが危険なのと同様、平壌の「豊かさ」に判断を曇らされてしまうことにも注意しなければならない。

人民服のMarkを交えてレストランで昼食をとる。またまた朝鮮国際旅行社のレストランだ。冷麺とビビンバのどちらかを選択でき、私はビビンバを選んだ。隣の席のJeoffに韓国の反日感情や竹島(独島)の領土問題について聞いてみる。Jeoffはソウルに3年間住んでいる。「韓国の政府は人気がなくなると反日カードを切る傾向がある」とのことだった。これはまあよくある見方だ。彼は"Samsung Empire"という本を執筆する予定らしい。

昼食後は路面電車の乗車体験だ。2004年に初めて訪朝したとき、平壌市民に混じって路面電車に乗ることができた。案内員がいろいろ手をつくしてくれて可能になった乗車だった。夕暮れが迫る中、路面電車の中の黄色い灯り、灯りに照らし出された人々の暗い表情、束になった切符を持つ若い女性車掌の顔。今でも忘れられない。乗車の際に「財布に気をつけて」と注意してくれた案内員の言葉も。今回は我々専用にチャーターした路面電車だ。朝から降っていた小雨も止み、申し分ない。ゆっくり走る路面電車から見る平壌の風景は車の車窓から眺めるものとはひと味違う。かなり長く乗った。1時間近く、あるいはそれ以上だったかもしれない。


路面電車を降りた我々は平壌駅前を歩く。Markは人民服のままだ。平壌の街の中での堂々のコスプレ。道行く平壌市民もちらちらと彼のほうに視線をやっていた。

平壌駅前のMark

このあとの予定は金日成花・金正日花の展示場と朝鮮労働党創設記念塔へ行くことだったが、ホテルで休むという選択肢もあった。私を含めほとんどの同行者がホテルでの休息を選んだ。金日成花・金正日花の展示場も朝鮮労働党創設記念塔もすでに訪れたことのある場所だ。疲れた体を引きずって再訪するほどの場所ではない。まだ午後3時。6時の夕食まで3時間の長い休息となった。

平壌最後の夕食が午後6時と早い時間になったのは、私を含め何人かが夜の9時に始まる青峰楽団のコンサートに行くことになっていたからだ。夕食は市内のレストランでアヒルの焼き肉。平壌最後の夜に食べる定番の料理だ。食事の席でMarkが私に言う。「お前とはこれからもずっとコンタクトをとりたい。ぜひ一度アメリカへ来い。」「アメリカがお前にとってエキゾチックな場所でないことはわかっている。だが、私はアメリカの中のエキゾチックな場所を知っている。」

平壌最後の夜

10月10日前後の平壌でのオプションとして、当初、サーカス、マス・ダンス、青峰楽団のコンサートの3つが提案されており、私はすべてに申し込んでいた。しかし、実現されたのはコンサートだけだった。コンサートのチケット代は100ユーロ。安くはないが、こうした機会はそうあるものではない。

青峰(청봉=チョンボン)楽団は7月に結成されたばかりで、今回の公演が北朝鮮でのデビューという。この新しい楽団の説明が韓ガイドと深ガイドで食い違っていた。「チョンボンはモランボンを発展的に継承したものだ」という韓ガイドの説明に対し、深ガイドは「チョンボンはまったく新しい楽団で、モランボンは今までどおり活動を続ける」と言っていた。帰国してから調べると、深ガイドのほうが正しいことがわかった。

コンサート鑑賞を申し込んだのは私、Mark、Jeoff、Lloydの4人だけだった。8時過ぎに羊角島ホテルの前に集まり、Koryo Toursの他のグループや個人旅行者と一緒に1台のバスで会場の人民劇場に向かった。人民劇場は内も外もライトで煌々と照らされており、そこだけ取り出せば他の国のどのコンサート会場と比べても遜色なかった。

コンサートの写真撮影は禁止。入口で荷物をチェックされ、カメラは預けることになった。なぜかチェックを逃れてカメラを持ち込むことに成功したMark、公演中に1、2枚写真を撮っていたのはいいが、警備員に見つかってしまう。休憩時間に別室に連れて行かれ、カメラを没収される(画像削除のうえ、会場を出るときに返してもらった)。最後の最後までMarkらしかったといえよう。

青峰楽団は北朝鮮の歌に加え、「草競馬」などのアメリカ民謡、ロシアの歌曲なども披露した。正直なところ、私の好みにぴったりというわけではない。カヤグムやヘグムなどの伝統楽器が登場する今は亡き銀河水(ウナス)管弦楽団がなつかしい。疲れていたせいもあり、公演中は早く終わればと思ったほどなのだが、Youtubeにアップされているこのときの公演を見るとそう悪くもない。

ホテルに帰ったのは11時ごろ。明日はいよいよ平壌、そして北朝鮮を離れる日だ。

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