4月23日
ペルセポリス観光の日。前日に旅行会社を通じて依頼しておいた英語ガイドと午前8時に旅行会社の前で落ち合う。できればツアーに参加したかったのだが、ツアーが成立するほどの外国人観光客はいないらしく、個人でガイドを頼む形になった。8時から4時ごろまでのフルツアー(ランチを含む)で、私のほかにひとりでも客がいれば料金は25ユーロ、私だけの場合は10ユーロ追加して35ユーロということだった。25ユーロは前日に旅行会社に支払い済みだった。
予想どおり、私以外の客はいなかった。フルツアーだから、ペルセポリスのほかにナクシェ・ロスタムとパサルガダエも見学することになる。ナクシェ・ロスタムとパサルガダエがどんなところか、まったく知らなかった。正直に言えば、ペルセポリスすら名前を聞いたことがあるだけで、知識はゼロに近かった。紀元前520年にアケメネス朝ペルシャのダリウス1世が建造した都であること、アレクサンダー大王によって破壊されたことは直前に目を通したガイドブックから得た知識だ。
ガイドの名前はアリ。年のころは40歳くらいか。立派な髭とシャツの合間から見える胸毛に圧倒されるが、温厚で話しやすそうだ。ペルセポリスまでは車で2時間余りだった。
アリが入場のチケットを買ってくれる。値段はわからないが、ここでもみんなカードで支払っているようだ。少し暑い春の太陽のもと、ペルセポリスの遺跡が広がる。
ペルセポリスの入口
ペルセポリス(1)
ペルセポリス(2)
ペルセポリス(3)
遺跡を一巡りしたあと、自動車を木陰にとめてしばし休憩する。アリはコーヒーと紅茶、菓子類を用意していた。このことを含め、アリの気配りに感心する場面は多々あった。
木陰で一休み(ガイドのアリ)
ナクシェ・ロスタム
パサルガダエに向かう道
パサルガダエ
アリと並んで
ここでは中国人のツアーグループと遭遇した。上海から来た一行とのこと。
これで観光は終了。シーラーズへ向けて引き返す前に、近くにある伝統的なレストランに入る。アフガニスタンや中央アジアで経験したチャイハナに似た造りのレストランだ。時刻は4時を過ぎており、かなり遅めのランチになる。まずスープと調理済みのライスともう1品。ナツメヤシなどの果物と紅茶も出る。料理名はわからないが、今回の旅ではじめてのイランらしい食べ物だ。かなりのボリュームで、2人でも食べきれなかった。
遅めのランチ
レストランのオーナーと客あるいは客同士が自然に会話しているのが印象的だった。私もいくつかの質問を受けた。
シーラーズへの帰路、アリは再び車を停めて10分間の睡眠をとり、お茶とお菓子で休憩をとった。
シーラーズに戻ったのは7時過ぎで、すでに暗くなり始めていた。単独客であったことから、支払い済みの25ユーロに加えて10ユーロを支払う約束だったが、アリにはチップを含めて20ユーロを渡しておいた。4時頃までの予定が7時になったこともあるが、それよりも、イランに関していろいろと興味深い話を聞けたのがありがたかった。
アリはウクライナやロシア、東南アジア、アフリカ(タンザニア、ルワンダなど)広く旅行しており、私と話がよく合った。平均的なイラン人にとって外国旅行は私たちには想像できない困難がある。お金の問題もあるし、ビザの入手も容易でない。ヨーロッパならほぼどの国へでもビザなしで入国できる日本人とは大違いだ。エジプトやヨルダンには渡航できないこともアリから知った。
レストランで見知らぬ客同士が交流しているのを見たことなどから、「イランはいろいろな問題と困難を抱えてはいるが、人々はそれぞれ自分たちの生活を楽しんでいるように見える」という感想を最後にアリに伝えておいた。
ペルシャ王朝やダリウス大王についてはほとんど頭に残っていないが、貴重な一日ではあった。
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