1984年11月、今を去ること38年余り前。ペルシャ湾に面したバンダレ・ホメイニイ(ホメイニイ港)というイランの小さな町で、イラク軍の爆撃を受けた。1980年に始まったイラン・イラク戦争の真っ只中にイラクとの国境に近いバンダレ・ホメイニイにいたのは、物見遊山ではなく仕事のためだ。仕事の詳細はここでは省く。この爆撃の結果、バンダレ・ホメイニイからテヘランへと退避し、高級ホテル(旧ヒルトン・ホテル)で1ヶ月ほど無為に過ごしたあと日本へ帰国した。
以来40年近く、イラン再訪はいつも選択肢にあった。再訪を妨げていたのはビザ取得のややこしさだ。東京のイラン大使館へ電話したこともあるが、釈然とした説明は得られなかった。「グループ・ツアーに参加して旅行会社に(ビザを)取得してもらえ」と突き放される始末。
ところが、いつのころからかビザ事情が変わったらしい。オンラインで申請し、パスポートを郵送するだけになっている。コロナによる制限も解除された今、イラン再訪の絶好のチャンスだ。
当初計画したのは1月か2月の冬期のイラン旅行だった。砂漠の中にあったバンダレ・ホメイニイでの40°を超える灼熱の記憶が強く残っており、イラン旅行のベストシーズンは冬との固定観念があったためだ。しかしネットで調べればベストシーズンは4、5月となっている。そういえば、標高1000mのテヘランの11月はちょうどよい気候だった。テヘランから望む山にはすでに積雪が見られた。冬では寒すぎるだろう。予定を4月に変更し、ビザを申請した。
ビザの申請と取得は特に問題もなくスムーズだった。オンラインでビザを申請し、パスポートを郵送し、ビザを取得するまでに要した時間は10日ほど。ビザの代金は2900円(振込証明書をパスポート送付に同封する)。ビザはパスポートに貼付されるのではなく、A4版の紙(Electronic Visa)で返送された。パスポートにイラン渡航が記録されると、米国への渡航がややこしくなる(ビザが必要になる)ので、この形式はありがたい。
アマゾンで「地球の歩き方 イラン・ペルシャの旅」を購入。2017~18年版で、絶版のため定価の2200円より高く4000円近くの値段だった。コロナとインフレを経た現在、イラン国内の価格など、記載されている情報の多くはまったく役に立たなかったが、イラン国内の観光地の全体像を把握するうえでは助けになった。
4月17日に関空を経ち、5月7日までイランに滞在する予定で、カタール航空の航空券を購入した。コロナ以前は関空からドーハまで直接の便があったが、現在はドーハまではマレーシア航空との共同運行便となっており、クアラルンプールを経由しなければならない。このため、クアラルンプールとドーハで長い待ち時間が必要となる。短い待ち時間もあるのだが、1時間半ほどと短くなりすぎるので、ここは安全のために長い待ち時間を選択した。エミレーツ航空にすればドバイ経由のみで、待ち時間もそう長くはない。しかし、関空・テヘランのエミレーツ往復便は31万円もする。これに対し、カタール航空便は17万円ちょっと。14万円の差は大きい。
テヘランに到着してまず目指すのは南部の観光地シーラーズ。それ以降は決めていなかった。思い出の地バンダレ・ホメイニイにも行ってみたいが、現地の状況と交通手段次第だ。
中国同様、イランではインターネットへのアクセスが大きく制限されている。これをかいくぐるためのVPNアプリを数種類、ネットの情報を頼りにスマホとタブレットPCにインストールしておいた。
ほぼ40年ぶりのイランへの旅はこのようにして始まった。
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