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2023年5月27日土曜日

イラン2023 ヤズド(その1)

 4月25日

ヤズド行きのバスは午後1時半に出発し、途中の休憩をはさんで、午後8時前にヤズドのバスターミナルに到着した。VIPバスということで、座席はゆったりしており、乗り心地は悪くなかった。

宿については予約していないだけでなく、情報も皆無だった。ヤズドのバスターミナルにはタクシーの窓口がある。日も暮れているので、自分で宿を探すのはむずかしい。タクシーの運転手に頼るしかないだろう。手頃な値段のホテルまで連れて行ってくれるように頼む。

そこで連れて行かれたのがYazdan Hostelという小さなホステルだ。朝食付きで1泊25ドル。このホステルで25ドルは高すぎるが、夜も遅いこともあり、そのまま受け入れてしまった。母親と息子の2人でやっているホステルらしい。どちらも実直そうだった。

昼食はバスの中での林檎1つとビスケットだけだったので、腹が減っている。ホステルの近くには食堂がなく、10分ほど歩いてたどりついたファーストフード店でハンバーガーを食べた。空腹も手伝っておいしかった。

Yazdan Hostel(翌朝撮影)


4月26日

Yazdan Hostelの朝食はこれまでの中・高級ホテルでの朝食とは異なり、ベーシックなものだが、卵料理は母親の手作りだった。

Yazdan Hostelの朝食

ヤズドには3泊する予定だが、このホステルは2泊だけにしている。残り1日の宿を決める必要がある。加えてもうひとつ。ヤズドの観光の目玉である「沈黙の塔」(Tower of Silence)は、ヤズドの中心からは車で30分以上かかる。「沈黙の塔」を含めた観光スポットを訪れるためのガイドも見つけたい。

ホステルから20分ほど歩き、ヤズドの中心とおぼしきところに出る。

ヤズドの中心部

小さな旅行会社が見つかったので、「沈黙の塔」へのガイドを依頼する。ガイドの男性と直接にスマホで話し、どこで落ち合うかなどは後ほど連絡することにした。

次に明日のホテル。ガイドブックに載っていたDad Hotelに行ってみたが、高すぎる。Dad Hotelの近くにあるFarhang Hotelに決めた。値段は忘れたが、Yazdan Hostelの25ドルより安かったはずだ。

スーパーで夕食を買ってからホステルに戻り、ホステル近辺の裏通りの動画を撮った。英語で話しかけられる。声をかけてきたのは54歳の男性で、英語の教師ということだった。イラン・イラク戦争のベテランでもあった。17歳のときにイラク軍の捕虜となり、24歳で解放されるまでイラクで捕虜生活を送ったとのこと。解放されてからテヘランの大学で英語を学び、故郷のヤズドで教師になったという。今回の旅ではじめて出会ったイラン・イラク戦争の体験者。

ヤズドの裏通り

2023年5月25日木曜日

イラン2023 シーラーズの夜道で転ぶ

 4月24日

シーラーズ最後の日。このあとどこへ向かうか。38年前の思い出の地バンダレ・ホメイニイを再訪するにはまずアフヴァーズに行く必要がある。シーラーズからアフヴァーズへ行く手段はバスしかなさそうだ。ガイドブックによると「バスで10時間」とある。10時間はきつい。それに砂漠の中のバンダレ・ホメイニイは灼熱の暑さだろう。アフヴァーズをあっさりあきらめ、つまりバンダレ・ホメイニイをあきらめ、次の目的地をゾロアスター教生誕の地ヤズド(Yazd)に定めた。ヤズドならバスで7時間だ。

明日のヤズド行きのバスのチケットを購入するために、Karandish Bus Terminalまでホテルから歩いて向かった。城砦とショハダー広場を通り抜け、ホシュク川に沿って40分近く歩く。バスのチケットの値段は忘れたが、そう高くはなかったはずだ。「忘れた」というようり、このときに至ってもイランの通貨の価値を正確に把握できず、いくらだったかをちゃんと意識していなかったと言うほうが正しい。

川に沿って歩く

ホテルに戻る途中、このところの旅行の恒例となっている「現地での散髪」を実行した。代金は200トマン(200万リアル)。400円ちょっとだ。

ホテルで一休みしてからバザールへ行く。バザールはシーラーズ到着の日にも訪れているが、ちゃんと見るのはこれがはじめてだ。バザールは北と南に分かれている。どちらも現地の買い物客で賑わっていた。

バザールの入口

バザールの中(1)


バザールの中(2)

アイスクリーム屋があったので、ミックスのアイスクリームを買い求めた。値段は忘れたが、おいしかった。12年ほど前にシリアのダマスカスのスーク(市場)で買ったアイスクリームを思い出した。あのアイスクリームもおいしかったなあ。

アイスクリーム

バザールを出るとすでに日は暮れていた。夜になっても賑やかなショハダー広場を抜け、暗い夜道を歩いてホテルをめざす。足元は真っ暗だ。

夜のショハダー広場

突然衝撃を受けて前のめりに倒れた。段差があるのに気がつかなかったのだ。かなりの勢いで両手が地面につく。眼鏡が外れ地面に落ちそうになる。足にはかすり傷。倒れた体を支えた右手の親指が痛む。かなりの痛さだ。

指を曲げることができない。骨折していないか、あるいた骨にひびが入っていないか心配になる。ただの捻挫ならいいのだが。明日はヤズドへ移動する日だからむずかしいが、明後日にでも病院で診てもらったほうがいいだろう。

後日談だが、明後日になると、痛みはかなりやわらいでいたので、病院には行かなかった。帰国後のレントゲン写真でも骨には特に異常はなかった。眼鏡が割れなかったことに加え、軽傷ですんだのは、不幸中の幸いだった。

2023年5月24日水曜日

イラン2023 ペルセポリスの遺跡

 4月23日

ペルセポリス観光の日。前日に旅行会社を通じて依頼しておいた英語ガイドと午前8時に旅行会社の前で落ち合う。できればツアーに参加したかったのだが、ツアーが成立するほどの外国人観光客はいないらしく、個人でガイドを頼む形になった。8時から4時ごろまでのフルツアー(ランチを含む)で、私のほかにひとりでも客がいれば料金は25ユーロ、私だけの場合は10ユーロ追加して35ユーロということだった。25ユーロは前日に旅行会社に支払い済みだった。

予想どおり、私以外の客はいなかった。フルツアーだから、ペルセポリスのほかにナクシェ・ロスタムとパサルガダエも見学することになる。ナクシェ・ロスタムとパサルガダエがどんなところか、まったく知らなかった。正直に言えば、ペルセポリスすら名前を聞いたことがあるだけで、知識はゼロに近かった。紀元前520年にアケメネス朝ペルシャのダリウス1世が建造した都であること、アレクサンダー大王によって破壊されたことは直前に目を通したガイドブックから得た知識だ。

ガイドの名前はアリ。年のころは40歳くらいか。立派な髭とシャツの合間から見える胸毛に圧倒されるが、温厚で話しやすそうだ。ペルセポリスまでは車で2時間余りだった。

アリが入場のチケットを買ってくれる。値段はわからないが、ここでもみんなカードで支払っているようだ。少し暑い春の太陽のもと、ペルセポリスの遺跡が広がる。

ペルセポリスの入口


ペルセポリス(1)

ペルセポリス(2)

ペルセポリス(3)

日曜日ということもあり、訪れている人の数は多い。ほとんどがイラン人のようだ。

遺跡を一巡りしたあと、自動車を木陰にとめてしばし休憩する。アリはコーヒーと紅茶、菓子類を用意していた。このことを含め、アリの気配りに感心する場面は多々あった。

木陰で一休み(ガイドのアリ)

次の目的地のナクシェ・ロスタムはペルセポリスから車で5分ほどの距離。ナクシェ・ロスタムとは、ダリウス1世などのアケメネス朝の王様4人の墓が並んで収められている岩山を指す。規模は小さいが、岩山に彫り込まれた墓はヨルダンのペトラ遺跡を思い起こさせる。

ナクシェ・ロスタム

次ぎにパサルガダエに向かう。車で2時間近くの道のり。途中、アリは「10分ほど休ませてくれ」と車を脇道に止め、睡眠をとる。ちょうど10分後に再出発。道は平坦でストレート。睡魔に襲われやすい。ちょっとでも休んでもらったほうがこちらも安心だ。

パサルガダエに向かう道

パサルガダエは紀元前546年にキュロス大王が建造したアケメネス朝の最初の首都だ。ペルセポリスのようにたくさんの石像や柱が残っているわけではないが、その広さはペルセポリスに匹敵する。かなりの距離を歩いた。

パサルガダエ

アリと並んで

ここでは中国人のツアーグループと遭遇した。上海から来た一行とのこと。

これで観光は終了。シーラーズへ向けて引き返す前に、近くにある伝統的なレストランに入る。アフガニスタンや中央アジアで経験したチャイハナに似た造りのレストランだ。時刻は4時を過ぎており、かなり遅めのランチになる。まずスープと調理済みのライスともう1品。ナツメヤシなどの果物と紅茶も出る。料理名はわからないが、今回の旅ではじめてのイランらしい食べ物だ。かなりのボリュームで、2人でも食べきれなかった。

遅めのランチ

レストランのオーナーと客あるいは客同士が自然に会話しているのが印象的だった。私もいくつかの質問を受けた。

シーラーズへの帰路、アリは再び車を停めて10分間の睡眠をとり、お茶とお菓子で休憩をとった。

シーラーズに戻ったのは7時過ぎで、すでに暗くなり始めていた。単独客であったことから、支払い済みの25ユーロに加えて10ユーロを支払う約束だったが、アリにはチップを含めて20ユーロを渡しておいた。4時頃までの予定が7時になったこともあるが、それよりも、イランに関していろいろと興味深い話を聞けたのがありがたかった。

アリはウクライナやロシア、東南アジア、アフリカ(タンザニア、ルワンダなど)広く旅行しており、私と話がよく合った。平均的なイラン人にとって外国旅行は私たちには想像できない困難がある。お金の問題もあるし、ビザの入手も容易でない。ヨーロッパならほぼどの国へでもビザなしで入国できる日本人とは大違いだ。エジプトやヨルダンには渡航できないこともアリから知った。

レストランで見知らぬ客同士が交流しているのを見たことなどから、「イランはいろいろな問題と困難を抱えてはいるが、人々はそれぞれ自分たちの生活を楽しんでいるように見える」という感想を最後にアリに伝えておいた。

ペルシャ王朝やダリウス大王についてはほとんど頭に残っていないが、貴重な一日ではあった。

2023年5月21日日曜日

イラン2023 シーラーズ到着

4月22日

早朝5時にテヘランのホテルからタクシー(200万リアル)でメフラーバード空港に向かう。若干の遅延はあったものの、午前10時前にはシーラーズ空港へ到着した。空港から市内までは地下鉄で行くことができるという。

1時間40分のフライトでも軽食と飲み物が出た

空港から1kmほどまっすぐに歩き、地下鉄の駅に着いた。ガイドブックによると、Rudaki Streetあたりにホテル密集しているらしい。Rudaki Streetとはどのあたりで、どの駅で降りればよいのか。駅の床に座り込んでスマホやガイドブックを覗き込んで調べる。

すると地下鉄の職員らしき男性が2、3人やって来て、「どこへ行きたいのか」と聞く。Rudaki Streetと答えると、「ああそれならXXX駅だ」と私を駅の構内に案内する。「チケットが...」という言う私に対し、そんなことはどうでもいいといわんばかりだった。テヘランに続き、シーラーズでも職員の好意で地下鉄にただ乗りしたわけだ。いかに地下鉄の料金が安いとはいえ、ルールに厳しい日本ではありえないだろう。

Rudaki Street沿いのホテルをいくつかあたってみたが、満室のものもある。結局、Aryo Barzan Hotelに3泊することにした。朝食付きで1泊25ドル。イラン通貨にすれば1000万リアルとのこと。これはかなりドルに不利なレートであり、実勢ベースでは25ドル=1200万リアルといったところだ。リアルで支払うことにした。テヘランの空港で手にした4つの札束のうち3つ(3000万リアル)が消えてしまった。リアルの手持ちも一挙に少なくなった。

大通りにあるPars Touristという旅行会社で明日のペルセポリスのガイドを依頼しておく。8時から4時までのフルツアー(ランチを含む)で、客が私1人だったら35ユーロ、ほかにも客が見つかれば25ユーロという料金だった。とりあえず25ユーロを支払っておく。

大通りには両替を呼びかける男たちがたむろしている。路上で両替しても特に問題はないだろうが、ちゃんとした店舗で両替した。レートは1ドル=490,000リアルだが、私が差し出した旧10ドル札10枚は値引きされ、480,000リアルだった。

通りを歩いていると、中年の男が英語で話しかけてきた。シーラーズの観光スポットに言及し、そのうちの1つであるKoranic School (コーラン学校)に案内すると言う。案内を断っても男は「すぐそこだから」と私の先を歩く。

すぐそこではなかった。キャリーム・ハーン城砦とショハダー広場を抜け、さらにバザールを通過し、20分くらいはかかっただろうか。Koranic Schoolに着くと、「入場のチケットは100トマン(2~3ドル)だ」と男。

「中には入らない」という私に対し、男は突然怒り出し、”You speak too much”、”Go away, poor tourist"と悪態をついて、立ち去ってしまった。私は男の質問に答えていたくらいで、特に多くしゃべったわけではないし、中に入るか入らないかは私の自由だ。そもそも男に案内を頼んだわけではない。男はKoranic Schoolは土曜日しかオープンしていないと言っていたが、どうも嘘くさい。入場料で一儲けするもくろみだったのだろう。この男のおかげで、シーラーズの中心街をひととおり見ることができたので、1~2ドルのチップは与えてもいいと思っていたのだが。

夕方、昼間通過したキャリーム・ハーン城砦とショハダー広場に再び出かけた。シーラーズは人口100万の大きな街だ。夕方の広場は賑わっていた。

夕方の城砦(citadel)

シーラーズを歩く

38年前の記憶から「イランの南部は暑い」という思い込みがあり、シーラーズでは暑さを覚悟していた。だが、シーラーズは標高1500mということもあり、テヘランよりちょっと暑いくらいで、汗をかくほどでもない。気持ちのよい夕暮れの散歩だった。

この日も昼食と夕食は小さな店からの持ち帰りですませた。羊肉のケバブをパンにはさんだ夕食は、はじめてのイランらしい食事だった。

ケバブで夕食


2023年5月19日金曜日

イラン2023 テヘラン(4月18~22日)その2

 7月20日。22日早朝のシーラーズへのフライトの予行練習としてメフラーバード空港まで行ってみた。メフラーバードは主として国内線が発着する空港で、イマーム・ホメイニイ国際空港とは異なり、地下鉄でアクセスできる。

地下鉄のハサン・アバド駅まで行き、窓口で切符を求める。だが、窓口の女性は切符を売ってくれず、英語をしゃべる男性の職員を呼んでくる。男性職員によると、テヘランの地下鉄の切符はすべてカードで購入する決まりになっているとのこと。そう言いながらも、ハサン・アバド駅からメフラーバード空港ターミナル2駅までの行き方を紙に書いて丁寧に説明してくれる。2回の乗り換えが必要になるとのことだ。しかし肝心の切符がない。「チケットは...」と言うと、「あなたはゲストだから、チケットは必要ない」との返事。「銀行でカードを作成すればいいだろう」というヒントとともに。

テヘランの地下鉄


ただ乗りで無事メフラーバード空港までたどり着き、明日のシーラーズ行きのフライトが飛び立つターミナル2を確認してから、カード作成のために空港前の銀行に入るが、ろくに対応してくれず、すべてに「ノー」の返事。

その近くにある小さな窓口(2人の男性がいるだけ)に行くと、英語で丁寧に対応してくれた。「イランで使えるデビットカードをつくってほしい」と言う私に対し、「デビットカードをつくるには登録などのややこしい手続きが必要になる。地下鉄に乗るためだったら、簡単なギフトカードをつくったらどうか」と勧めてくれる。勧めにしたがって、100万リアルのギフトカードを作成した。100万リアルはその日のレートにもよるがおよそ2~3ドルだろう。イラン滞在中、このギフトカードで10回くらい地下鉄に乗車したが、リミットにまでは達しなかった。

窓口の男性は5分ほど離れている地下鉄駅まで私に同行し、カードでの切符の買い方を教えてくれた。切符販売のマシンはすべてペルシャ語で表示されているから、この案内がなかったら、もう一度誰かの助けが必要になっただろう。

当初のテヘラン滞在の4日間、イマーム・ホメイニイ広場をうろつくだけで、観光はほとんどしなかった。ホテルから歩いてバザールまで出かけ、動画を撮ったのくらいか。帰国前にもう一度テヘランに戻ってくるから、観光はそのときでいいだろう。バザールで私に英語で話しかけてきた男は、「ダルビッシュ有の父親を知っている。父親もこのバザールで店を出していた」と言っていた。前歯が数本欠けているこの男の言うことの真偽のほどはわからない。

バザール


私がイランを訪れたのは4月18日。4月20日までの2日間はラマダンだった。しかし、テヘランの街中でラマダンの影響を感じることはほとんどなかった。昼間の街角でパンをかじっている男も見かけた。オープンしているレストランも多かった。ギフトカードを作ってくれた男性も「私はあまり宗教的ではないから、ラマダンは守っていない」と語っていた。

レストランが開いているにもかかわらず、また20日にはラマダンがあけたにもかかわらず、ちゃんとしたイラン料理は口にしなかった。ホテルの朝食で腹一杯になったこともあり、昼食と夕食はファーストフードの類いで済ませてしまった。「ファーストフードの類い」と書いたが、あなどるなかれ、そのボリュームは半端なく大きい。夕食に購入した100円ちょっとのサンドイッチを食べきれず、翌日の昼食や夕食でやっと片付けたこともある。

Ferdowsi Grand Hotelの朝食

ソーセージのサンドイッチ(半分食べたところ)

イマーム・ホメイニイ広場の近くには賑やかな屋台通りがある。食指をそそる各種の料理を提供しているが、これも一度しか利用できなかった。

ホメイニイ広場近くの屋台街

私がイランを訪れる半年ほど前には、女性のヒジャブ(スカーフ)着用を巡って大規模な抗議運動が各地で展開されていた。この運動は弾圧され、すでに影も形もなくなっていたが、テヘランではヒジャブを着用していない女性をちらほら見かけた。10%まではいかないが、数パーセントの女性(特に若い女性)は髪を露出していた。道徳警察(Moralty Police)による規制はすでに空洞化しているように見えた。

経済の状態に対する不満も一度ならず耳にした。ホテルで私を助けてくれたコンシェルジュの女性も「月給は100ドルほどなのに、月々の出費はこれを上回る」「石油で得た利益は国民にはほとんど還元されない」と不満を口にしていた。

宗教にそれほど熱心ではなく、YouTubeやFacebook、Instagramなどで世界の情報に接している若い世代が増えるにつれ、イランの今後の変容は不可避であるように感じた。

2023年5月18日木曜日

イラン2023 テヘラン(4月18~22日)その1

関空を発ったのは4月17日の朝9時55分だが、クアラルンプールで11時間ほどの待ち時間(ターミナル2のカプセルホテルで過ごした)、さらにドーハで3時間半の待ち時間があったので、テヘランのイマーム・ホメイニイ国際空港に着いたのは翌18日の正午近くだった。

イランはこれまでの旅行とかなり様相が異なる。まず西側で発行されたVISAなどのクレジットカードを使用できない。したがって現地ではすべて現金で支払うことになる。クレジット・カードという打ち出の小槌がないことから、かなりの額の現金(米国ドルかユーロ)を帯同する必要がある。

さらにBooking.comなどのホテル予約サイトも使えない。つまりホテルもすべて現金払いとなる。ただしTrip.com(Tripadviser)だけは例外で、日本からイランのホテルを予約し、クレジットカードで支払うことができる(選択できるのは中級ないし高級のホテルのみ)。

私はTripadviserを通してテヘランの最初の3泊を予約していた。Ferdowsi International Grand Hote。朝食付き1泊46ドルだ。日本のビジネスホテル並の値段だが、イランでは高級ホテルに分類される。このホテルを選んだのは立地による。テヘランは高級住宅地の北部と庶民的な商業地域の南部に分かれる。Ferdowsi Grand Hotelは南部にある数少ない高級ホテルのひとつで、バザールまで歩いて30分で行ける。38年余り前には北部の旧ヒルトン・ホテルに滞在したが、周りには商店も少なく、寂しかったのを覚えている。

テヘランの空港にまずやったことは2つ。まずは両替。空港の両替所で100ドルをイランの通貨リアルに両替した。ネットで調べると、1ドルは42,145リアル。100ドルを両替した4,214,500リアルになるはずだが手にしたのは100,000万リアル紙幣100枚の札束4つと20枚余りの100,000万リアル紙幣。ボリュームもずいぶんあり、とても財布には収まらない。

100ドルを両替した結果


つまり手にしたのは42,145,000リアルだ。両替の担当者が桁数を勘違いしたのだろうか。もちろんそんなことはない。ネットの情報はイランの公式のレートであり、実際にはこれに0をもう1つ追加する必要がある。1ドル=421,450リアルは空港でのレートであり、市内で両替すれば1ドル=480,000~500,000リアルになることは後で知った。インフレが激しいイランではレートは日々変動し、しかも実際の売買はトマン(10,000リアル)という単位で行われることが多い。これ以降、お金の単位についてはイランを離れる日まで悩まされた。

次にSIMカードを購入する必要がある。1ヶ月で128MB(音声通話付き)のカードを購入した。値段ははっきりしない。担当の女性が笑いながら、両替したばかりの100,000リアル紙幣を何枚か抜き取った。2~3ドルといったところだろう。

15ドルの白タクでホテルまで向かう。運転手は途中で「混雑しているから20ドルにしろ」と言ってきたが、断固として拒否した。5ドルくらいどうということはないが、最初に合意した値段を途中で変更するという不合理を受け入れるようでは、今後のイラン旅行全体がcompromiseされるように思ったからだ。そもそも15ドルは高すぎる。10ドルでも高い。5ドルくらいが相場だろう。

Ferdowsi International Grand Hotel

ホテルの室内

Ferdowsi International Grand Hotelではコンシェルジュの若い女性に助けられた。まずネット関係。日本でインストールしておいたVPNアプリは全滅状態。アプリではなく、IPアドレスを購入するやり方が有効とのことで、規制なしでネットにアクセスできるデバイスをタブレットPCにした。1ヶ月で7ドル。SIMカードを挿しているスマホは街歩きと写真撮影にしか使わない。幸いVPNなしでもグーグル・マップににはアクセスできる。

といってもやはりスマホでも自由にネットにアクセスしたい。翌日、ホテルから歩いて10分足らずのところにあるモバイル・モールという、スマホのショップが集まったモールに行き、店員に相談したところ、無料のVPNアプリをインストールしてくれた。これでタブレットPCとスマホの両方でネットに自由にアクセスできるようになった。ただし、満足からはほど遠い。有料のほうも無料のほうも頻繁に切れるのだ。そのつど再接続が必要になる。

コンシェルジュの女性にはシーラーズ行きの航空券も購入してもらった。4月22日7時35分にテヘランのメフラーバード空港を発ち、1時間40分の飛行でシーラーズに着くATA航空の便だ。航空券の代金は36ドル。4月22日発だから、テヘラン滞在をもう1日延長する必要がある。引き続きFerdowsi Grand Hotelに宿泊することにした。もっと安い宿もたくさんあるが、なにぶんにも早朝のチェックアウトになるので、大きいホテルのほうが安心だ。延泊の料金は36ドルだった。

勝手のわからないテヘランで私を助けてくれたコンシェルジュの女性は「私の夢は日本に住むことだ」と言う。「アメリカはどうも好きになれない」とも。彼女の夢がかなうとよいが、道はそう平坦ではない。

4月22日までのテヘラン滞在を1つにまとめようとしたが、長くなりすぎるので、続きは次回に回す。

テヘランの街(バザール近く)


2023年5月16日火曜日

イラン2023 経緯と準備

 1984年11月、今を去ること38年余り前。ペルシャ湾に面したバンダレ・ホメイニイ(ホメイニイ港)というイランの小さな町で、イラク軍の爆撃を受けた。1980年に始まったイラン・イラク戦争の真っ只中にイラクとの国境に近いバンダレ・ホメイニイにいたのは、物見遊山ではなく仕事のためだ。仕事の詳細はここでは省く。この爆撃の結果、バンダレ・ホメイニイからテヘランへと退避し、高級ホテル(旧ヒルトン・ホテル)で1ヶ月ほど無為に過ごしたあと日本へ帰国した。

以来40年近く、イラン再訪はいつも選択肢にあった。再訪を妨げていたのはビザ取得のややこしさだ。東京のイラン大使館へ電話したこともあるが、釈然とした説明は得られなかった。「グループ・ツアーに参加して旅行会社に(ビザを)取得してもらえ」と突き放される始末。

ところが、いつのころからかビザ事情が変わったらしい。オンラインで申請し、パスポートを郵送するだけになっている。コロナによる制限も解除された今、イラン再訪の絶好のチャンスだ。

当初計画したのは1月か2月の冬期のイラン旅行だった。砂漠の中にあったバンダレ・ホメイニイでの40°を超える灼熱の記憶が強く残っており、イラン旅行のベストシーズンは冬との固定観念があったためだ。しかしネットで調べればベストシーズンは4、5月となっている。そういえば、標高1000mのテヘランの11月はちょうどよい気候だった。テヘランから望む山にはすでに積雪が見られた。冬では寒すぎるだろう。予定を4月に変更し、ビザを申請した。

ビザの申請と取得は特に問題もなくスムーズだった。オンラインでビザを申請し、パスポートを郵送し、ビザを取得するまでに要した時間は10日ほど。ビザの代金は2900円(振込証明書をパスポート送付に同封する)。ビザはパスポートに貼付されるのではなく、A4版の紙(Electronic Visa)で返送された。パスポートにイラン渡航が記録されると、米国への渡航がややこしくなる(ビザが必要になる)ので、この形式はありがたい。

アマゾンで「地球の歩き方 イラン・ペルシャの旅」を購入。2017~18年版で、絶版のため定価の2200円より高く4000円近くの値段だった。コロナとインフレを経た現在、イラン国内の価格など、記載されている情報の多くはまったく役に立たなかったが、イラン国内の観光地の全体像を把握するうえでは助けになった。

4月17日に関空を経ち、5月7日までイランに滞在する予定で、カタール航空の航空券を購入した。コロナ以前は関空からドーハまで直接の便があったが、現在はドーハまではマレーシア航空との共同運行便となっており、クアラルンプールを経由しなければならない。このため、クアラルンプールとドーハで長い待ち時間が必要となる。短い待ち時間もあるのだが、1時間半ほどと短くなりすぎるので、ここは安全のために長い待ち時間を選択した。エミレーツ航空にすればドバイ経由のみで、待ち時間もそう長くはない。しかし、関空・テヘランのエミレーツ往復便は31万円もする。これに対し、カタール航空便は17万円ちょっと。14万円の差は大きい。

テヘランに到着してまず目指すのは南部の観光地シーラーズ。それ以降は決めていなかった。思い出の地バンダレ・ホメイニイにも行ってみたいが、現地の状況と交通手段次第だ。

中国同様、イランではインターネットへのアクセスが大きく制限されている。これをかいくぐるためのVPNアプリを数種類、ネットの情報を頼りにスマホとタブレットPCにインストールしておいた。

ほぼ40年ぶりのイランへの旅はこのようにして始まった。