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2025年5月19日月曜日

ブータン2025 三日目(ティンプー)

 5月1日

朝食に先立ち、ホテルの周りを散策する。ブータン特有の建物が目に付く。早朝だから人通りは多くない。ところどころで作業している人たちの肌は黒く、顔つきもブータン人と異なる。ネパール人かインド人だろう。

ブータン特有の建物(その1)


ブータン特有の建物(その2)


ホテルでのビュッフェ式の朝食後、ティンプーに向かって出発する。4時間ほどの道のり。道ばたにはときおりチベット仏教の旗が見られる。東チベットなどで見た風景だ。ガイドから旗の色の説明もあったが、内容は忘れてしまった。

チベット仏教の旗

ティーブレークを挟み、バスは1時半ごろにブータンの首都ティンプーに入る。少し大きめのレストランでランチ・タイム。工芸品などの土産物屋も兼ねたこのレストランには我々以外に数多くの中国人観光客もいた。昨日のホテル同様、このレストランのビュッフェも品数が限られていた。腹が減っていないこともあり、口にしたのはごく少量。

レストランで昼食

昼食後に向かったのはブータンの国獣ターキン(Takin)の動物園。ターキンとは頭部が山羊に似たウシ科の動物だ。インドや四川省にも生息しているらしいが、目にするのははじめて。なかなかに興味深い。

ターキン(その1)

ターキン(その2)

郵便局(観光客用で、切手をオーダーメイドすることもできる)を訪れ、街の中の手旗信号を写真や動画に収めたあと、4時ごろにホテル(The Willows Hotel)にチェックインした。これも私にとっては立派すぎるホテルだ。このホテルには2泊することになる。

手旗信号(信号機がないブータンでは手旗で交通を整理する)

The Willows Hotel

チェックイン後、5時過ぎにバスで向かった先はタシチョ・ゾン。「ゾン」とは「城」という意味らしいが、国王の執務室や国会議事堂といった政治的機能とチベット仏教の総本山という宗教的機能の両方を兼ね備えた建造物群であり、ティンプー随一の観光スポットとなっている。近くには国王の居住地である宮殿もある(外からうかがえるのは屋根だけ)。

タシチョ・ゾン

現地ガイドと一緒に

日も暮れかかるなか、10軒、20軒と同じような土産物屋が並ぶ通りを歩きながらホテルの方向を目指す。我々以外の観光客はあまり見当たらない。これだけの数の店がよくやっていけるものだ。

軒を並べる土産物屋

8時過ぎにホテルでビュッフェ式の夕食をとる。この日はブータンの伝統衣装(女性の「キラ」と男性の「ゴ」)の着付けも予定されていたが、時間の関係から明日に延期された。

首都のティンプーは思ったより近代的だった。高層ビルはなく、建物はどれもユニークなブータン風であるが、しゃれたショップや光があふれるストリートなど、それだけを切り取ればどの近代都市にも遜色はない。

2025年5月17日土曜日

ブータン2025 二日目(ブータンへ入る)

 4月30日

4時半に添乗員からのモーニングコールがあり、5時にホテルを出て、デリー空港に向かった。朝食はホテルでとる時間的余裕がなかったので、ホテルが用意した弁当をバスの中で食べる形になった。

ホテルが用意した朝食弁当


デリー空港を8時に離陸したAir India便は2時間ほどの飛行でバグドグラに到着した。短い飛行にもかかわらす、比較的充実した機内食が出された。「これだったらあの朝食弁当は必要なかった」というのは私だけでなく、ツアー同行者の多くの感想。

しっかりした機内食


バグドグラ到着


バグドグラから2台の専用バスに分乗して国境の町ジャイガオンに向かう。4、5時間の道のり。途中レストランに立ち寄り、ビュッフェ式の昼食をとる。ここで全員の簡単な自己紹介があった。

14年ぶりのインド。はじめて見る西ベンガル州...ではない。14年前に西ベンガル州の首都コルカタを訪れている。バグドグラの街のインド特有の混沌を通り抜けると、ダージリンの茶畑が広がる。コルカタでは見なかった風景だ。

ダージリンの茶畑


国境での出入国の手続きを終え、夕方6時ごろにブータンに足を踏み入れる。

国境を挟んで、インド側

ブータン側


ブータン側(プンツォリンという町)では、現地の日本語ガイドと運転手が専用車とともに我々を迎える。国境を隔て、インドとブータンでは雰囲気が一変する。個人的にはインドの混沌と乱雑も嫌いではない。

プンツォリンのParkホテルにチェックインし、ビュッフェ式の夕食となる。食事はまずまずだが、ビュッフェの品数が少ない(5、6種類)ことにがっかり。ビール(有料)を追加した。

ビュッフェ式の夕食

ホテルのすぐ近くにチベット教の寺院がイルミネーションに照らされている。夕食後に寺院まで出かけた。はじめて体験するブータンの夜。ネオンに輝くこの一角は思ったより近代的だ。人もそこそこ歩いている。「前近代的」というブータンに対する偏見が覆される第一歩だった。

夜の寺院

「ユニクロ」もある。間口1軒の小さな店だ。ツアー同行者たちは「ユニクロであるはずがない。パクリだろう」と言っていたが、商標をそっくりそのままパクるとは考えられない。おそらく本物だろう。中に入る。店主はインド人らしかった。あとで知ったことだが、ブータンではユニクロは高級店とみなされているらしい。

ユニクロ(後日ティンプーで見かけた店)

デリーからプンツォリンまで、今日は移動に費やした一日だった。明日はブータンの首都ティンプーに向かう。

2025年5月16日金曜日

ブータン2025 一日目(デリー到着)

 4月29日

4月29日から5月6日まで、ゴールデンウィークの間、西遊旅行社の「幸せの王国ブータン」ツアーに参加した。西遊旅行社のツアーに参加するのは、2016年の貴州省ツアーに次いで2回目、9年ぶりだ。

個人旅行ではなく、グループツアーを選んだのは、ブータン特有の事情からだ。北朝鮮やトルクメニスタンと同様、ブータン旅行には現地ガイドが必須となっていた。昨年以来、現地ガイドは必須でなくなったとの情報もあったが、どうもはっきりしない。個人でガイドを付けるよりグループでガイドを雇ったほうが当然安くなる。そこで、多少なじみのある西遊旅行のツアーを選んだ。西遊旅行ならブータン旅行の取り扱いにも慣れているはずだ。

今回のツアーはまずインドのデリーに飛び、1泊する。翌日デリーから国内便で西ベンガル州のバグドブラまで行き、そこから陸路でブータンに向かう。ブータンにはパロ国際空港があるから、バンコク経由で空路で直接に訪れるほが便利だが、陸路に比べて料金が15万円もアップするとのこと。

私としては西ベンガルを垣間見ることのできる陸路のほうがありがたい。

8時50分に羽田空港に集合(このため東京の品川に前泊した)、11時50分羽田発のAir Indiaの便でデリーに向かった。デリーには夜の7時前に到着、交通渋滞もあり、ホテル(Deventure Sarovar Portico)でビュッフェ式の夕食にありついたときには8時を過ぎていた。

Deventure Sarovar Porticoホテル


ホテルの室内


夕食

ツアー参加者は13名。添乗員は女性のSさん。のちのちわかってくることだが、ゴールデンウィーク中ということもあり、現役で働いている人も少なくない。東京(埼玉、千葉を含む)以外の地方からの参加者は私を含め3人。広島から母とその息子(32歳)が参加していた。私より3歳ほど上の女性が最高齢者だった。

デリーで宿泊したホテルは私にとっては高級ホテル。インドでこうしたホテルを選ぶのは、個人旅行では考えられない。

明日は朝8時発の国内便に乗るため、5時にホテルを出る。朝4時半にモーニングコールがあるから安心だ。


2025年3月23日日曜日

南半球一周ピースボートの旅(完結編)

 まとめ

96日間に渡る南半球一周のクルーズは3月16日の神戸港への帰港をもって終了した。ナミビアでの転倒と怪我、眼鏡の損傷、あるいは前歯一本の抜け落ちなど、いくつかのアクシデントにも見舞われたが、いずれも旅の続行を妨げるほどのものではなく、無事に神戸まで帰ってくることができた。

さて振り返ってみて、私にとってはじめてのクルーズ旅はどのような体験だったのだろうか。プラスのポイントとマイナスのポイントをいくつかランダムに挙げてみよう。

プラスのポイント

(1)交流。世界一周クルーズは同時に日本を巡る旅でもあった。というのも日々の大半を洋上で過ごすクルーズでは他の乗船客との交流が大きな比重を占める。食事の席などで日本の各地から集まった乗客と話し、それぞれの土地の事情を聞くのは船上生活の大きな楽しみだった。与論島や沖縄の話は特に勉強になった。乗客は日本人だけではない。香港、中国大陸、シンガポール、マレーシア、韓国の人もいれば、少数ではあるが非アジア圏からの乗客もいる。もっぱら英語でコミュニケーションをとることもあり、私が話した相手はシンガポールや香港からの乗客が多かった。香港の人たちが現状に対して抱いている不満と不安が強く印象に残っている。

(2)部屋。私が選択した内側(窓なし)の一人部屋は、日本のビジネスホテル並のクオリティだった。部屋は毎日清掃された。96日の航行中、水回りなどのトラブルは皆無。天井の電灯が切れたことは2回あったが、いずれもすみやかに交換された。心配していた隣室からの騒音も気になるほどではなかった。

一人部屋

(3)食事。何回も乗船している乗客(「リピーター」と称されている)によれば食事の質は以前よりも格段によくなっているとのことだ。船内には2つのレストランに加え、ビュッフェ式の食堂が1つ用意されている。レストランのうち1つは朝食と昼食に和食を、もう1つは洋食を提供する(夕食はどちらも同じメニューの洋食のコース料理)。ビュッフェ式の食堂は朝の5時から夜の12時まで開いており、いつでも腹を満たすことができる。終盤になるとこうした料理にもいささか飽きてきた感があったものの、質量ともに十分で、文句を言う筋合いではない。

朝食(和食)

朝食(洋食)

(4)GETプログラム。GET(Global English Training)とは英語の教育プログラムだ。私はこの有料会員であり、合計18回の個人レッスンを受けることができた(1レッスン40分)。個人レッスン、しかも18回すべて同じ先生ということで、少なからぬ不安があった。先生との相性が悪かったら抜け道はないのだ。しかし私を担当したパキスタン系英国人のZuとは何の問題もなく楽しく会話することができた。30歳という若さながら彼はニーチェやラッセルの話題を抵抗なく受け入れてくれ、私も遠慮することなく心の赴くままにしゃべることができた。もちろんたった18回のレッスンで私の英語力に変化が生じるわけではない。だが久しぶりに英語をしゃべる機会を与えられたことは大きい。

GETの先生たち

マイナスのポイント

(1)若い人との交流の欠如。1850人の乗船客中、35歳以下の若い人は3~400人くらいだっただろうか。彼らと交流する機会はほとんどなかった。食事の際も、高齢者と若い人はそれぞれ別のテーブルに案内されるのが恒例で、混じり合うケースは5,6回しかなかった。異なる世代がどのような世界観を持ち、ピースボートをどのように体験しているかを知りたかった私としては残念きわまりない。

(2)寄港地の未消化。リオデジャネイロやブエノスアイレスといった大都会の訪問日がたった1日に限られていたのは残念。1日といっても実際の現地滞在時間は半日ほどだ。特にリオデジャネイロでは観光オプションを選択したため、ほとんどをバスの中で過ごし、リオを訪れたという感覚はほとんどなかった。自分の足で歩き、現地の人々と声を交わしてはじめて、その土地の空気にふれ、その土地を感じることができる。たった半日では短すぎる。できれば現地に1泊するくらいの余裕がほしかった。

(3)オプションの値段。寄港地ではいろいろなオプションが用意されていたが、いずれも高すぎた。しかもほとんどのオプションがすでに満杯であり、選択不可能になっていた。オーバーランド・ツアーは30~70万円くらいに設定されており、私の選択肢にはなかった。コロナ後は世界的にインフレで、円安ということあるから、オプションの値段が高くなるのもやむをえないかもしれないが、港からバスで街に出るだけで7000円もするのはどうだろうか。

まとめのまとめ

はじめての世界一周クルーズをずばり評価すると、ちょっと辛めだが100点満点中70点というところ。ぎりぎり「可」ともいえる。このクルーズを選択したことに悔いはないが、大満足というわけでもない。これには私自身のミスも関与している。特にスペアの眼鏡を用意していなかったことが大きい。適切なオプションを選択しなかったというミスもある。

ピースボートにはリピーターが多い。私の印象では、今回の乗船客のうち半数以上はリピーターだったように思う。さて、私自身、次回のピースボート乗船はあるだろうか。今のところ可能性は低いがゼロではない。これだけのお金を時間を使うなら、もっと別の可能性、選択肢があるように思える。その反面、今回のクルーズで学んだことを生かし、もう一回もっと賢く乗ってみたいという願望も否定しがたい。

船尾から見たピースボートの航行

以上、どっちつかずで煮え切らないが、「南半球一周ピースボートの旅」のブログの完結としたい。

2025年3月16日日曜日

南半球一周ピースボートの旅(その16)

 3月9日

甲板を3周。

夕食は5時から、GETのZu先生を交え、Zuの個人レッスンを受けている7人で一緒にとった。5時から7時まで、英語と日本語を交えてたっぷりしゃべった。

3月10日

今日も甲板を3周。読書が進まない。

3月11日

起床が遅かったこともあり、甲板ウォーキングを断念。今日は自主企画やカルチャースクール(社交ダンスなど)の最終発表が目白押しだった。

3月12日

昨晩時間を1時間戻し、日本との時差は1時間になった。風が強く、今日も甲板ウォーキングを断念した。

入門中文講座の最終回。50回以上はあった講座のうち私は6割くらいは出席しただろうか。

中文講座終了

夕方には船長出席のフェアウェル・パーティーがあり、参加者にシャンパンがふるまわれた。正装の人も多く、最後のダンスはなかなかの盛り上がりだった。私はこの種の盛り上がりには溶け込めない。

フェアウェル・パーティー

3月13日

この日から日本との時差はなくなった。朝早くから甲板を4周。明後日の横浜帰港に備え、今日は荷造デーとなっていた。

これまで何回か寄港地散策を同行したI氏と夕食を共にし、その後I 氏がキープしているウィスキーを一杯ご馳走になった。

この日の読書はゼロだった。

3月14日

悪天候で甲板ウォーキングは不可。若干の読書。

3月15日

午前6時前に横浜に着く。

横浜港到着


横浜での下船は午前中で終了。以後、めっきり人が少なくなった。

3月16日

小雨混じりの曇天。甲板ウォーキングは断念。右舷に本州を望みながら船は進む。

午後2時ごろに神戸港に到着。4時過ぎに下船した。これで96日に渡るクルーズが終わった。全体の感想は次回のブログに記載する。

神戸港



2025年3月9日日曜日

南半球一周ピースボートの旅(その15)

 3月4日

船は早朝にサモアの首都アピアに接岸した。7時前から地元民がダンスで出迎えている様子が甲板から見える。

ダンスでお出迎え

9時過ぎに、モンテビデオ以来行動を共にしているI氏と、さらに私の隣室のIN氏を加えた3人で一緒に下船する。I氏の希望で浜辺に立ち寄ったあと、アピアの中心を目指して歩く。途中、立派な(立派すぎる)教会があったので覗いてみる。

教会

港から町の中心までは徒歩で25分位とのことだったが、20分以上歩いてもそれらしき賑やかな場所は現れない。

アピアはタヒチのパペーテに比べてずっとひなびており、商店やレストランの数も少ない。

アピア


小さなスーパーに立ち寄ったあと、フィッシュ・マーケットに入る。だが、11時過ぎのフィッシュ・マーケットはすでに閑散としていた。

閑散としたフィッシュ・マーケット

ときおり道行く人に尋ねながらレストランを探すがなかなか見つからない。

落ち着いた先がとあるカフェ。残念ながら、ビールをはじめアルコール類は提供していない。私が注文したのはClub Sandwich。ClubをCrabと勘違いし、「蟹サンド」と思い込んで注文してしまったのだ。Club Sandwichはただの3角形の焼きサンドだった。ハムとチーズを挟んだこのサンド、濃厚な味で十分においしかった。サンドとコーラで20米国ドル。

Club Sandwich 

食後しばし町をぶらつく。とある雑貨店に入ると、レジに数人の中国人らしき姿。ブロークンな中国語で話しかける。福建省から来ているとのこと。遠く離れた土地に来て商売を始め、地元に溶け込んでいる中国人たちのバイタリティーに感心する。

雨が降り出してくるなか、バス・ターミナルにたどり着く。ターミナルには大きめのマーケットが隣接しており、野菜や衣服を売っていた。

マーケット

雨足が激しくなってくる。マーケットの向こう側に大きめのスーパーがあったので、雨宿りがてら買い物をする。Vanilla Soyaという飲み物と缶ビールを買って清算しようとすると、21サモア・ドル以上でないとクレジットカードを使用できないとのこと。Oat Chocolateと缶ビールをさらに追加して清算を済ませた(23ドル=1300円ほど)。

雨は小止みになっているが、買い物で荷物が多くなったことから、タクシーで帰ることにした。10ドルの言い値を9ドルにまけさせ(つまり1人3ドルで)、3時半過ぎに帰船した。

船内で4時10分から始まった現地のダンスを鑑賞、サモア寄港を完了した。

サモアのダンス

3月5日

甲板を3周。

昼食時に同席した香港人女性によると、香港からの乗客は91人、中国本土からの乗客は106人とのことだった。

午後2時からGETのスピーチフェスティバル。私も規定の2分間のスピーチを行なったが、出来栄えは今ひとつ、満足からはほど遠かった。

3月6日

神戸まで残るところあと10日。遅く(午前7時ごろ)起きたので甲板のウォーキングは省略。

3月7日

甲板を3周。11時10分から最後のGET個人レッスン。

午後は各種自主企画の発表会だった。ダンスやコーラス、太極拳、太鼓など。すべて素人芸だが、ピースボートならではのイベントだ。

Kポップ・ダンス

中国(チベットのダンス)


3月8日

風が強かったので、甲板ウォーキングは3周にとどめた。

午後はGETプログラムの卒業式とパーティーがあった。GETは私の船上生活の核の1つとなっていた。神戸でのクルーズ終了まですでに1週間を切っている。

GETの先生たち

2025年3月3日月曜日

南半球一周ピースボートの旅(その14)

 2月26日

朝、甲板を4周。船は順調に航行。明日はタヒチだ。

2月27日

船は早朝にタヒチの首都パパーテに着岸した。

パパーテに着岸

朝食時、中国の元外交官と同席になる。この元外交官は怒りのモードだった。怒りの対象はタヒチ当局。中国籍(台湾は別)の乗客だけタヒチ上陸のために特別な手続きが必要になるというのだ。この差別的措置に対しタヒチ当局に抗議しているところであり、タヒチには上陸しないとのこと。

モンテビデオ、プンタアレナスを一緒に回ったI氏と今日も行動を共にする約束だった。

2人で9時に下船する。下船すればすぐそこはタヒチの中心部。

まずマーケット(マルシェ)を覗く。2階建ての小ぎれいなマーケットで、土産物、雑貨、野菜、魚などを売っている。飲食もできるようだ。

マーケット

タヒチの近くのモーレア島へ渡るためにフェリー乗り場へ行くが、行きの便が10時30分、帰りが16時30分と遅くなりそうなので、あきらめてタヒチ島の探索にとどめることにした。あとから考えると、別の会社のフェリーもあったかもしれない。

I氏にとっては3回目のタヒチ。I氏にまかせて歩くこと30分ほど、ある教会にたどり着いた。どんなゆかりの教会かはしらないが、門は閉じていた。

教会の前で

再び町の中心部に戻り、マーケットで食事を購入、2階の食堂で早目の昼食とした。私が購入したのは半なま(mi-cru)のマグロとライス。ビールと併せて2400円ほどだった。タレをつけて食べたマグロはおいしかった。

11時過ぎに昼食

時間をかけて昼食をとったあと、スーパーマーケットまで歩く。I氏はビール、洗剤などのほかマグロの切り身を購入。私が買ったのは大きなパックに入った乳飲料だけ。

生のマグロを冷やす必要から、I氏はいったん船に帰る。船に帰って再び出直すのがめんどうな私はそのまま散策を続ける。

といっても、すでに歩き疲れており、マクドナルドに入ってチョコレート・シェイクを注文、体を休めるだけにとどまった。

船に戻ったのは4時前。船内で行なわれていたポリネシアンの舞踏を見ることもなく、ベッドに横になった。

2月28日

帰国まで2週間を切った。残る寄港地はサモアだけだ。

3月2日

日付変更線を通過したことにより、日付を1日早めた。3月1日を飛び越え、2月28日から3月2日になったわけだ。

今日は「洋上夏まつり」ということで、希望者には浴衣が貸し出された。露店や盆踊りなどの催し物があり、なかなかの賑わいだった。

露店


6時半から始まった盆踊り


3月3日

甲板を4周。GET (英語)関連の3つのイベントに参加する。明日は最後の寄港地、サモアのアピアに到着する。