5月1日
朝食に先立ち、ホテルの周りを散策する。ブータン特有の建物が目に付く。早朝だから人通りは多くない。ところどころで作業している人たちの肌は黒く、顔つきもブータン人と異なる。ネパール人かインド人だろう。
ブータン特有の建物(その1)
ブータン特有の建物(その2)
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
5月1日
朝食に先立ち、ホテルの周りを散策する。ブータン特有の建物が目に付く。早朝だから人通りは多くない。ところどころで作業している人たちの肌は黒く、顔つきもブータン人と異なる。ネパール人かインド人だろう。
ブータン特有の建物(その1)
ブータン特有の建物(その2)
4月30日
4時半に添乗員からのモーニングコールがあり、5時にホテルを出て、デリー空港に向かった。朝食はホテルでとる時間的余裕がなかったので、ホテルが用意した弁当をバスの中で食べる形になった。
ホテルが用意した朝食弁当
デリー空港を8時に離陸したAir India便は2時間ほどの飛行でバグドグラに到着した。短い飛行にもかかわらす、比較的充実した機内食が出された。「これだったらあの朝食弁当は必要なかった」というのは私だけでなく、ツアー同行者の多くの感想。
しっかりした機内食
バグドグラ到着
バグドグラから2台の専用バスに分乗して国境の町ジャイガオンに向かう。4、5時間の道のり。途中レストランに立ち寄り、ビュッフェ式の昼食をとる。ここで全員の簡単な自己紹介があった。
14年ぶりのインド。はじめて見る西ベンガル州...ではない。14年前に西ベンガル州の首都コルカタを訪れている。バグドグラの街のインド特有の混沌を通り抜けると、ダージリンの茶畑が広がる。コルカタでは見なかった風景だ。
国境での出入国の手続きを終え、夕方6時ごろにブータンに足を踏み入れる。
国境を挟んで、インド側
ブータン側
4月29日
4月29日から5月6日まで、ゴールデンウィークの間、西遊旅行社の「幸せの王国ブータン」ツアーに参加した。西遊旅行社のツアーに参加するのは、2016年の貴州省ツアーに次いで2回目、9年ぶりだ。
個人旅行ではなく、グループツアーを選んだのは、ブータン特有の事情からだ。北朝鮮やトルクメニスタンと同様、ブータン旅行には現地ガイドが必須となっていた。昨年以来、現地ガイドは必須でなくなったとの情報もあったが、どうもはっきりしない。個人でガイドを付けるよりグループでガイドを雇ったほうが当然安くなる。そこで、多少なじみのある西遊旅行のツアーを選んだ。西遊旅行ならブータン旅行の取り扱いにも慣れているはずだ。
今回のツアーはまずインドのデリーに飛び、1泊する。翌日デリーから国内便で西ベンガル州のバグドブラまで行き、そこから陸路でブータンに向かう。ブータンにはパロ国際空港があるから、バンコク経由で空路で直接に訪れるほが便利だが、陸路に比べて料金が15万円もアップするとのこと。
私としては西ベンガルを垣間見ることのできる陸路のほうがありがたい。
8時50分に羽田空港に集合(このため東京の品川に前泊した)、11時50分羽田発のAir Indiaの便でデリーに向かった。デリーには夜の7時前に到着、交通渋滞もあり、ホテル(Deventure Sarovar Portico)でビュッフェ式の夕食にありついたときには8時を過ぎていた。
Deventure Sarovar Porticoホテル
ホテルの室内
デリーで宿泊したホテルは私にとっては高級ホテル。インドでこうしたホテルを選ぶのは、個人旅行では考えられない。
明日は朝8時発の国内便に乗るため、5時にホテルを出る。朝4時半にモーニングコールがあるから安心だ。
まとめ
96日間に渡る南半球一周のクルーズは3月16日の神戸港への帰港をもって終了した。ナミビアでの転倒と怪我、眼鏡の損傷、あるいは前歯一本の抜け落ちなど、いくつかのアクシデントにも見舞われたが、いずれも旅の続行を妨げるほどのものではなく、無事に神戸まで帰ってくることができた。
さて振り返ってみて、私にとってはじめてのクルーズ旅はどのような体験だったのだろうか。プラスのポイントとマイナスのポイントをいくつかランダムに挙げてみよう。
プラスのポイント
3月9日
甲板を3周。
夕食は5時から、GETのZu先生を交え、Zuの個人レッスンを受けている7人で一緒にとった。5時から7時まで、英語と日本語を交えてたっぷりしゃべった。
3月10日
今日も甲板を3周。読書が進まない。
3月11日
起床が遅かったこともあり、甲板ウォーキングを断念。今日は自主企画やカルチャースクール(社交ダンスなど)の最終発表が目白押しだった。
3月12日
昨晩時間を1時間戻し、日本との時差は1時間になった。風が強く、今日も甲板ウォーキングを断念した。
入門中文講座の最終回。50回以上はあった講座のうち私は6割くらいは出席しただろうか。
中文講座終了
夕方には船長出席のフェアウェル・パーティーがあり、参加者にシャンパンがふるまわれた。正装の人も多く、最後のダンスはなかなかの盛り上がりだった。私はこの種の盛り上がりには溶け込めない。
フェアウェル・パーティー
3月13日
この日から日本との時差はなくなった。朝早くから甲板を4周。明後日の横浜帰港に備え、今日は荷造デーとなっていた。
これまで何回か寄港地散策を同行したI氏と夕食を共にし、その後I 氏がキープしているウィスキーを一杯ご馳走になった。
この日の読書はゼロだった。
3月14日
悪天候で甲板ウォーキングは不可。若干の読書。
3月15日
午前6時前に横浜に着く。
横浜港到着
横浜での下船は午前中で終了。以後、めっきり人が少なくなった。
3月16日
小雨混じりの曇天。甲板ウォーキングは断念。右舷に本州を望みながら船は進む。
午後2時ごろに神戸港に到着。4時過ぎに下船した。これで96日に渡るクルーズが終わった。全体の感想は次回のブログに記載する。
神戸港
3月4日
船は早朝にサモアの首都アピアに接岸した。7時前から地元民がダンスで出迎えている様子が甲板から見える。
ダンスでお出迎え
9時過ぎに、モンテビデオ以来行動を共にしているI氏と、さらに私の隣室のIN氏を加えた3人で一緒に下船する。I氏の希望で浜辺に立ち寄ったあと、アピアの中心を目指して歩く。途中、立派な(立派すぎる)教会があったので覗いてみる。
教会
港から町の中心までは徒歩で25分位とのことだったが、20分以上歩いてもそれらしき賑やかな場所は現れない。
アピアはタヒチのパペーテに比べてずっとひなびており、商店やレストランの数も少ない。
アピア
雨足が激しくなってくる。マーケットの向こう側に大きめのスーパーがあったので、雨宿りがてら買い物をする。Vanilla Soyaという飲み物と缶ビールを買って清算しようとすると、21サモア・ドル以上でないとクレジットカードを使用できないとのこと。Oat Chocolateと缶ビールをさらに追加して清算を済ませた(23ドル=1300円ほど)。
雨は小止みになっているが、買い物で荷物が多くなったことから、タクシーで帰ることにした。10ドルの言い値を9ドルにまけさせ(つまり1人3ドルで)、3時半過ぎに帰船した。
船内で4時10分から始まった現地のダンスを鑑賞、サモア寄港を完了した。
サモアのダンス
3月5日
甲板を3周。
昼食時に同席した香港人女性によると、香港からの乗客は91人、中国本土からの乗客は106人とのことだった。
午後2時からGETのスピーチフェスティバル。私も規定の2分間のスピーチを行なったが、出来栄えは今ひとつ、満足からはほど遠かった。
3月6日
神戸まで残るところあと10日。遅く(午前7時ごろ)起きたので甲板のウォーキングは省略。
3月7日
甲板を3周。11時10分から最後のGET個人レッスン。
午後は各種自主企画の発表会だった。ダンスやコーラス、太極拳、太鼓など。すべて素人芸だが、ピースボートならではのイベントだ。
Kポップ・ダンス
中国(チベットのダンス)
3月8日
風が強かったので、甲板ウォーキングは3周にとどめた。
午後はGETプログラムの卒業式とパーティーがあった。GETは私の船上生活の核の1つとなっていた。神戸でのクルーズ終了まですでに1週間を切っている。
GETの先生たち
2月26日
朝、甲板を4周。船は順調に航行。明日はタヒチだ。
2月27日
船は早朝にタヒチの首都パパーテに着岸した。
パパーテに着岸
朝食時、中国の元外交官と同席になる。この元外交官は怒りのモードだった。怒りの対象はタヒチ当局。中国籍(台湾は別)の乗客だけタヒチ上陸のために特別な手続きが必要になるというのだ。この差別的措置に対しタヒチ当局に抗議しているところであり、タヒチには上陸しないとのこと。
モンテビデオ、プンタアレナスを一緒に回ったI氏と今日も行動を共にする約束だった。
2人で9時に下船する。下船すればすぐそこはタヒチの中心部。
まずマーケット(マルシェ)を覗く。2階建ての小ぎれいなマーケットで、土産物、雑貨、野菜、魚などを売っている。飲食もできるようだ。
マーケット
タヒチの近くのモーレア島へ渡るためにフェリー乗り場へ行くが、行きの便が10時30分、帰りが16時30分と遅くなりそうなので、あきらめてタヒチ島の探索にとどめることにした。あとから考えると、別の会社のフェリーもあったかもしれない。
I氏にとっては3回目のタヒチ。I氏にまかせて歩くこと30分ほど、ある教会にたどり着いた。どんなゆかりの教会かはしらないが、門は閉じていた。
教会の前で
再び町の中心部に戻り、マーケットで食事を購入、2階の食堂で早目の昼食とした。私が購入したのは半なま(mi-cru)のマグロとライス。ビールと併せて2400円ほどだった。タレをつけて食べたマグロはおいしかった。
11時過ぎに昼食
時間をかけて昼食をとったあと、スーパーマーケットまで歩く。I氏はビール、洗剤などのほかマグロの切り身を購入。私が買ったのは大きなパックに入った乳飲料だけ。
生のマグロを冷やす必要から、I氏はいったん船に帰る。船に帰って再び出直すのがめんどうな私はそのまま散策を続ける。
といっても、すでに歩き疲れており、マクドナルドに入ってチョコレート・シェイクを注文、体を休めるだけにとどまった。
船に戻ったのは4時前。船内で行なわれていたポリネシアンの舞踏を見ることもなく、ベッドに横になった。
2月28日
帰国まで2週間を切った。残る寄港地はサモアだけだ。
3月2日
日付変更線を通過したことにより、日付を1日早めた。3月1日を飛び越え、2月28日から3月2日になったわけだ。
今日は「洋上夏まつり」ということで、希望者には浴衣が貸し出された。露店や盆踊りなどの催し物があり、なかなかの賑わいだった。
露店
6時半から始まった盆踊り
3月3日
甲板を4周。GET (英語)関連の3つのイベントに参加する。明日は最後の寄港地、サモアのアピアに到着する。