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2025年7月26日土曜日

バルト3国+ヘルシンキ205 三日目(ヘルシンキへ)

 7月4日

7時半に朝食。今日は広い朝食会場がかなり賑わっていた。酢漬けのニシンをたっぷりと皿に盛った。

賑わう朝食会場


今日はフェリーでヘルシンキへ向かう日。9時過ぎにチェックアウトして、フェリー・ターミナルDまで歩く。

マシンでチェックインして船に乗り込む。韓国人の団体がいたので、少し言葉を交わした。フェリー内にはビュッフェ式のレストランやカフェ、バーガーキングのほか、免税店やスロットマシーンなどが用意されている。いずれにしてもたった2時間。ビールやコーヒーにお金を使うことなく、デッキに出たりしているうちにヘルシンキに到着した。

フェリーのデッキ

ヘルシンキでは2泊する予定だが、ホテルは予約していなかった。ただ、Booking.comで目星を付けているホテルがある。ヘルシンキ中央駅近くのOriginal Sokos Hotel Presidenttiという4つ星ホテルだ。

フェリーが到着したターミナル2から中央駅までトラムで行く(フェリーの女性職員が行き方をていねいに教えてくれた)。駅に着いてから、キオスクでSimカードを4.9ユーロ(容量はよくわからなかった)で入手。Simカードの設定には苦労したが、おもしろくもないから詳細は省く。

中央駅から7、8分歩くと、目指すホテルが見つかった。

ヘルシンキ中央駅

大きなホテルで、部屋は空いていた。Booking.comでの値段は1泊159ユーロ。私が支払った2泊分の代金は310ユーロ(53000円近く)だった。

私にとっては高級ホテル。たぶんこれまで泊まったホテルのなかでは最高値だろう。高いだけあって、ジムもあればプールもあり、サウナもある。水着を持っていないこともあり、これらは利用しなかったが、バスタブがあるのはありがたかった。バスタブは一日2回使った。

Original Sokos Hotel Presidentti

部屋で一休みしてから、5時過ぎに外に出る。トラムで中央駅まで来る途中の風景は閑散としていたが、中央駅周辺はそれなりに賑わっていた。目に付いたのは酔っ払い。ホームレスもいれば物乞いもいる。タリンでは見なかった光景だ。

駅の構内に大きなレストランがある。朝食以来なにも食べていない。とりあえずここで腹を満たそう。メニューはイタリア料理が中心みたいだ。パスタ・カルボナーラとフィンランドのビールを注文。びっくりするのはその値段。併せて28.30ユーロ。日本円にすれば5000円近い。ぼられているわけではない。これが西ヨーロッパの物価(そして安い円)の現実なのだ。これからはホテルの朝食をしっかり食べ、昼食は抜き、夜はスーパーの食品でまかなおうと心に決めた。

パスタ・カルボナーラとビール(これで5000円近く!)

スーパーで多少の食べ物(何を買ったか失念した)と水を購入してホテルに戻り、ヘルシンキの第一夜を終えた。


2025年7月25日金曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 二日目(タリン)

 7月3日

7時半に朝食会場に行く。会場は2部屋で広いが、客はあまりいない。せいぜい3、4組か。ビュッフェ式の朝食は充実していた。特においしかったのはニシンの酢漬け。以後、今回の旅行ではほぼ毎日ニシンの酢漬けを口にすることになる。

朝食

「地球の歩き方」によると、旧市街には「トームペア(Toompea)」なる観光スポットがあるらしい。ここをタリン観光の第一歩としよう。グーグル・マップに示された「トームペア」まで行くが、何も見当たらない。それもそのはずで、トームペアとは城壁に囲まれた丘の一帯を指し、特定の構造物を意味するわけではない。グーグル・マップ上の表示の仕方に問題がある。

ともあれトームペアを探す過程で、何人かに声をかけた。トルコ人母娘やウクライナから来た若いカップルなど。ウクライナ人カップルはなんとマリウポリ出身だった。マリウポリといえば、少し前にロシアとウクライナの激しい攻防の場となった都市で、現在はロシア軍の支配下にある。カップルは20歳代前半といったところか。「前線で戦わなくてもよいのか」とは口には出さない私の疑問。

ベンチに座っているエストニア人の男性にも声をかけた。ガールフレンドの90歳の母親に会いにバスで出かけるところというこの男性とは30分近く話した。エストニアのロシア語話者の割合はおよそ50%という。この時点では「バルト3国内のロシア人の割合は10~20%」という誤った固定観念があった私は、「50%というのはロシア人の割合ではなく、ロシア語が話せる人の割合だろう」と勝手に解釈した。

見つからないトームペアはあきらめ、展望台に至る階段を登った。ここではじめて、この高台の一帯がトームペアだと気づいた。

展望台からの眺め


展望台から坂道を下っていくと、アレクサンドル・ネフスキー聖堂や城壁などのモニュメントが目に入ってくる。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂


城壁

2時頃にホテルへ戻って一休み。

さてこのホテルに泊まるのは今日まで。明日以降どうするか。当初は3日目はエストニア第2の都市であるタルトゥ(Tartu)への移動を考えていた。だがタリンからフェリーで2時間ないし2時間半でフィンランドのヘルシンキへ行くことができる。ヘルシンキには2004年にサンクト・ペテルブルクへ行く途中に1泊したことがあるだけ。せっかくの機会だ。タルトゥはあきらめ、ヘルシンキまで足をのばそう。日帰りや1泊も可能だが、思い切ってヘルシンキで2泊することにした。

というわけで、明日のタリン発ヘルシンキ行きのフェリーをオンラインで予約した。10時30分にタリンのDターミナルを出て、2時間でヘルシンキに着く。代金は6800円強。

再びホテルを出て、Dターミナルまで約20分の距離を歩いてみる。Dターミナルの近くにショッピング・モールがあり、その中の「Chi」というレストランで遅めの昼食(5時ごろだったから早めの夕食といったほうが正確かもしれない)をとることにした。席についてから判明したことだが、Chiはインド料理の店だった。注文したのはブータンでも食べたモモ(餃子の一種)とエストニアのビールで、代金は12ユーロ(2000円ちょっと)。エストニア料理でなかったのは残念だが、おいしかったのでよしとしよう。

モモとビール


食事を終えて外へ出ると、小雨が降っていた。配車アプリのBoltを使ういい機会だ。ちょっと大きめのビルの前でBoltタクシーを呼び出すが、スマホ上でArriveとなっても、それらしき車が見当たらない。Boltに正しい電話番号を登録していなかったこともあり、運転手とドッキングすることができず、「無断キャンセル」の罰金3.8ユーロの罰金をとられるだけの結果になってしまった。

幸い雨は止んだので、ホテルまで濡れずに帰ることができた。フムス(ひよこ豆のペースト)とコーラを買ってからホテルに着いたときには7時を過ぎていた。

2025年7月24日木曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 一日目(タリン到着)

 7月1~2日

バルト3国への旅行を思い立ったのは、アルメニアやアゼルバイジャンと同様、「まだ行っていないから」という消極的な理由からだった。つまり、訪れた国の数を増やしたいという、ちょっと下衆な動機だ。

ともあれ、7月1日22時25分関空発タリン(エストニア)行き、7月13日20時20分ビリニュス(リトアニア)発関空行きのターキッシュ・エアラインズの往復便を197000円で購入した。

1日の夜に関空を飛び立ったターキッシュ・エアラインズ便はイスタンブールでの3時間余りの待ち時間を経て、午前11時半にタリンの空港に到着した。

新しい国に降り立ったとき私がまず行うのは、両替とSimカードの購入だ。両替については、手持ちのユーロとドルがいくばくかあったうえ、大阪の銀行ですでに2万円をユーロに換えていたので必要なかった。

問題はSimカード。空港にあるはずのSimカード売り場が見当たらない。いろいろ問い合わせ、空港の外に出て10分ほど歩いたショッピング・モールの中のキオスクでやっと4GBのSIMカードを4ユーロで入手。代金を支払おうとしたところ、カバンの中に入れた財布がなかなか見つからない。もたもたしていると、私の後ろに並んでいた20歳くらいの青年が「お金がないのなら、私が払おうか」と言ってくれる。現金が見つからなくてもクレジット・カードがあるから、青年のお世話にはならず自分で支払ったが、大金ではないとはいえ、思いがけない好意に驚いた。

通常なら店員がスマホへのSimカードの挿入や設定をやってくれるのだが、キオスクのおばさんにそんなことを求めることはできない。モール内のベンチに腰かけて、自分でカードを挿入し、PINコードを入力して、やっとネットにつながることがきた。

ホテルはBooking.comを通じて2泊だけ予約していた。旧市街にあるSt. Olaf Hotelだ。朝食付きで1日目が59ユーロ、2日目が64ユーロ。かなり高いが、旧市街ではこれより安いホテルを見つけるのが難しい。

空港から旧市街までは15番のバスで行けるらしい。ショッピング・モール前のバス亭でしばらく待つとバスがやってきた。料金の2ユーロはクレジット・カードをタッチして支払う。どこにタッチするかは乗客のおばさんがロシア語で教えてくれた。

旧市街らしきところに来たところでバスを降りる。グーグル・マップで調べると、降車した地点からSt. Olaf Hotelまでは徒歩で14分の距離。これはつらかった。機内であまり寝ていないの疲労困憊していたうえ、バックパックが背中に食い入る。途中で休みながら、30分ほどかけてようやくホテルにたどり着いた。タリン空港に降り立ったのは11時半だが、ホテルにチェックインしたときには午後3時を過ぎていた。

 St. Olaf Hotel


部屋で体を休めたあと、5時過ぎに外に出る。旧市街の中心ともいうべきラエコラ広場までは歩いて5分ほど。趣のある、きれいな石畳の通りが広がっている。目に付いたのは観光客の多さ。大半が欧米人のようだ。

ラエコラ広場

タリンのストリート

5時を過ぎても陽光が降り注ぐ小ぎれいなタリンの街を当てもなく歩く。旧市街の入口になるヴィル門も見た(このときはヴィル門だとは認識していなかった)。

ヴィル門


スーパーで夕食用にビール、缶詰、サラダ、チョコレート、水などを購入し、ホテルへ戻る。

疲れ切っていたせいか、この日は7時過ぎに部屋の明かりをつけたまま寝入ってしまった。

2025年5月27日火曜日

ブータン2025 七日目(帰国、感想)

 5月5日

朝食後、ホテル近くのショッピング・モールへ行く。ここで手持ちのインド・ルピーを使い切りたいところだ。広いモールの中を見て回る。食品や雑貨、衣服などを売っている。シャツを購入して1000円余りを使う。まだ5000円分くらいのルピーが残っているが、買うべきものが見当たらない。デリー空港で3時間ほどの待ち時間があるから、そのときに免税品でも買おう。

一行、ショッピング・モールへ入る

モールの中


レストランで昼食をとり、バグドグラ空港へ向かう。ちょっと厳しいセキュリティ・チェックを通過してデリーまで2時間ちょっとのフライト。デリー空港で手持ちのルピーを使いきろうとしていたところ、予想に反して、両替デスクでルピーを米ドルに交換することができた。ラッキー。35ドルを手にした。

羽田行きを待機中、10 人ほどのネパール人の若者たちと言葉を交わす。埼玉県の日本語学校行くところだとのこと。日本語を交えて話してみたが、日本語はまだおぼつかない様子だった。

羽田までのフライトはスムーズだった。定刻より30分ほど早く、翌6日の午前7時ごろに到着し、8日間のブータン・ツアーは無事終了した。

若干の感想

北朝鮮旅行を除き、私がグループ・ツアーに参加することはめずらしい。「中国貴州省2016」(このときも西遊旅行だった)に詳しく書いたことだが、グループ・ツアーには長所もあれば短所もある。長所はともかく楽なこと。ホテルやレストランを探す必要もなければ、道に迷うこともなく、快適に旅行できる。逆に短所は、どこを訪れ、どのように歩いたかの記憶が希薄になることだ。迷いながら探索することを通じてのみ、訪れた場所の空気にふれ、人とふれあうことができる。

貴州省の旅と同様、今回もツアーのメンバーに恵まれた。自分の無知と限界を思い知らされながらも、和気藹々と旅をすることができた。

ブータンはユニークな場所だった。北朝鮮とは別の意味での独特さ。行く所々でブータンでしか見られない光景が展開される。公務員などには着用が義務づけられている民族衣装の「キラ」と「ゴ」。ブータン特有の建築様式。ブータン以外の国では見られない風景だ。

ブータン特有の光景

「幸せの国」と呼ばれるブータンでの幸せの実態はどうだろうか。若者の失業率の上昇、以前からあるネパール系ブータン人の難民化など、ガイドに尋ねたかったところだが、「和」を乱すことを恐れる日本人特有の性向だろうか、問うことがはばかられた。

ポートレートが至るところに飾れている国王(とその家族)についても聞きそびれた。国王を褒め称える言葉は何回も耳にしたが、(北朝鮮とは異なり)これはおそらく本音、あるいは少なくとも本音の一部だろう。だが、別の意見、現体制に対する異議がブータンに皆無なのかどうか、知りたいところだった。

我がグループの中の若い女性は、ガイドや運転手と一緒にクラブやカラオケを訪れたとのことだった。彼女はその場にいた高校生たちに「国王をどう思うか」という主旨の質問をした。答えはすべて好意的なものだったという。

国王夫妻


2025年5月26日月曜日

ブータン2025 六日目(再びインドへ)

 5月4日

今日はブータンを離れる日。インドの国境の町ジャイガオンでの入国窓口が午後1時半に閉まることから、ホテルでの朝食を早々に終え、7時に国境へ向けて出発した。ブータン入国時とは逆のコースをたどり、入国時と同じカフェで休憩、11時半ごろにブータンの国境の町プンツォリンに到着した。レストランで昼食を済ませ、近くのスーパーへ買い物へ。これは余っているブータン・ルピーを使いきるためだ。

デリーの空港で1万円をインド・ルピーに両替していた。インド・ルピーはそのままブータンでも使用できる(1インド・ルピー=1ブータン・ルピー)。ブータンでは若干のインド・ルピーを使った(食事時のビールや野菜市場での山羊バターなど)。このため、お釣りとして受け取ったブータン・ルピーが少し手元にある。ブータン・ルピーはインドでは使えない。つまりブータン・ルピーをここで使い切ってしまう必要がある。事情は他のツアー・メンバーの場合も同じ。

私の場合はブータン・ルピーをほとんど使い切っており、スーパーでまとまったものを買うことはなかった。

レストランの窓から見たプンツォリン


プンツォリンのスーパー


ブータン出国の手続きは簡単だったが、ジャイガオンでの入国手続きは指紋認証に時間がかかり(なぜか私は指紋をとられなかった)、クローズ寸前の1時半ごろにやっと終わった。インド側まで付き添ってくれたブータンのガイドと運転手とはここでお別れ。

ジャイガオンまで迎えに来ていたインド人ガイドとともに西ベンガル州シリグリのホテル(Sinclairs Hotel)に着いたのは現地時間の6時過ぎ。シリグリはバグドグラ空港まで17kmの場所に位置している。今日はここで1泊し、明日バグドグラからデリー経由で羽田に飛ぶ。

再びインドへ


チェックイン後、夕食は7時半ということなので、この合間に「現地での散髪」を実行することにした。グーグル・マップによればホテルから徒歩4分の場所に理髪店がある。

念のためにホテルの従業員に理髪店の場所を尋ねると、私を先導してその店まで連れていってくれた。ところが、店にはすでに先客がいる。「20分くらい待ってくれ」ということだったが、時刻はすでに7時10分前。20分待てば、7時半の夕食の時間に間に合わないかもしれない。あきらめかけたとき、一緒に来たホテル従業員がすぐ近くの別の理髪店に案内してくれた。グーグル・マップに載っている店よりかなりショボいが、より本物の地元体験ができるから、こっちのほうが私の好みだ。散髪にとりかかる前に、理髪師がなにかゴソゴソしている。火をおこしているのだ。店内に煙が漂う。「プジャ」(お祈り)とのことだった。

10分余りで終わった散髪の代金は60ルピー(約120円)。付いてきてくれたホテル従業員にチップとして50ルピー(約100円)を渡す。適切な額かどうかはわからないが、不満の言葉が出ることもなかったので、OKなのだろう。

インドで散髪

明日はバグドグラ空港を14時25分に発つAir India便でデリーに飛び、3時間半ほどの待ち時間で羽田を目指す。

2025年5月24日土曜日

ブータン2025 五日目(タクツァン僧院、民家訪問)

 5月3日

8時ごろにホテルをチェックアウトし、パロに向かう。2時間ほどでパロに到着。パロには国際空港があり、ときおり上空に飛行機が見える。

パロに入る

パロの近くにはタクツァン僧院(別称「虎の巣」)がある。この僧院は標高3000mの岩壁に垂直に建てられており、ブータン観光の目玉、アイコンとなっている。5~6時間のハイキングでたどり着けるが、途中の第一展望台まで登るだけという選択肢もある。最後まで登るのはあきらめ、展望台からの眺めで満足するつもりだ。

我が日本人グループはラジオ体操で体をほぐしたあと、それぞれ杖を借りて、まずは展望台を目指す。舗装していない坂道を歩くのはつらい。日頃の鍛錬のなさを露呈して、私は自ずと最後尾になってしまった。疲労困憊した私のめんどうを見るかのように、添乗員が私のあとに続く。私より3歳年上の女性がしっかりした足取りではるか前を行く。さすが登山経験豊富な女性だけある。

第一展望台までの道


麓から展望台までは1時間余りの道のりだとされているが、私は2時間近くかけてようやくたどり着き、みんなに追いついた。ここで全員がしばしのティー・ブレーク(展望台にはカフェテリアが併設されている)。

展望台から僧院を望む

展望台から見たタクツァン僧院

展望台にとどまる私ともうひとりの女性を残し、他のメンバーは僧院を目指して登っていく。展望台にはいろいろな国からの観光客が休息を取っている。ドイツからやってきた2人の高齢女性とドイツ語での会話を試みる。話題はトーマス・マンをはじめとするドイツ文学や最近の政治情勢など。香港から来た女性2人組とも話す。

僧院を目指した連中が展望台に戻ってくるまでには少なくとも3時間はかかる。残された2人(私と女性1人)は、カフェテリアで昼食を済ませたあと、そうそうに下山することにした。予報されている雨が降る前に麓にもどっておきたかったからだ。

下る道も容易ではない。ベンチがあれば休みたくなる。女性には私を置いて先に行って貰うことにした。ときおり行き交う人々に声をかける。やはりインドからの観光客が多いようだが、ベトナム人の団体もいれば、ブータン人にも出会う。

麓に下り、バスに乗って、他のメンバーを待つ。雨がパラッと降ってきたが、すぐに止んだ。

全員揃ったところで、今日泊まるパロ市内のRiver Front Resortホテルに向かう。雨上がりの空には虹がさしている。


6時過ぎにRiver Front Resortホテルにチェックイン。清潔感のある広い部屋だ。

River Front Resortホテルの室内

今日の締めくくりは「民家訪問」。7時過ぎ、ホテルからバスで「民家」へ向かう。かなり大きな家だ。二階に上がり、床に直接に座って、一家の接待を受ける。ビール、ブータンの焼酎、バター茶などの飲み物に続き、いろいろな料理が出てくる。いずれもブータンの家庭料理と思われる。モモ(ネパール式餃子)もあった。辛い料理が多いが、おそらく日本人向けに辛さはかなり抑えられているのだろう。肉食派の私としては豚の背脂がことのほか美味だった。

民家

床に座り

ブータン料理を堪能

メンバーのひとりの誕生日が近いことこら、サプライズのケーキも提供され、ご相伴に与る。

食事が済むと、中庭でキャンプファイヤーを囲み、地元の若者たちによるブータンの歌と踊りを鑑賞した。本来は祭りの際に披露される仮面舞踏も見ることができた。ゆったりした歌と踊りは予想以上におもしろい。

ブータンの歌と踊り

最後に我々を含む全員で輪になって踊り、「民家訪問」を終えた。「民家」といっても、こうしたサービスを提供できるわけだから、いわばセミプロだろうが、食事も芸も十分に満足できる内容だった。

2025年5月21日水曜日

ブータン2025 四日目(冬の首都プナカへ)

 5月2日

朝食後、8時ごろにホテルを出る。目指すのはティンプーから70kmほど離れた「冬の首都」プナカ。プナカはティンプーよりも標高が1000mほど低く比較的温暖なため、かつて冬の間だけ首都となっていた。

ティンプーの近郊(バスの車窓から)


プナカに至る途中に、ブータン最古のシムトカ・ゾンを遠くに望み、標高3090mのドチュ・ラ(ドチュ峠)を越える。天気がよければドチュ・ラからヒマラヤを望めるとのことだったが、私の目では確かめることができなかった。たまたまスイス人観光客とフランス語で言葉を交わすことになった。彼は息子と一緒にバリでホテルを経営しており、インドネシア人のグループに交じってブータンを訪れたとのことだった。フランス語をほめられ、ちょっといい気分。

シムトカ・ゾンを望む


ドチュ・ラ


プナカ近郊の丘陵上に建つチミ・ラカンというお寺まで、ゆるやかな坂を上る。30分くらいはかかっただろうか。なんとか到達できたが、かなり疲れた。

チミ・ラカンまでの道


時刻は1時近く。昼食は川のほとりに用意されたテーブルでとることになった。いつものようにビュッフェ式。なるべく辛くないものを選んだ。

昼食は野外で

野外のビュッフェ

私が選んだ料理

昼食後に向かったのはプナカ・ゾン。中に入るには急な階段を登らなければならない。上がりはともかく、下りがこわい。ここは遠慮して、私ひとりだけ下で待つことにした。

プナカ・ゾン

ティンプーへ戻り、野菜市場を訪れたのは6時前。かなり大きな屋内市場だ。動画を撮りながら見て回る。動画を撮る私に対するブータンの人々の反応は総じて好意的で、笑顔を見せてくれる人が多い。小学生くらいの女の子3人組から声がかかる。”Which country are you from?”。ちゃんとした英語だ。女の子たちは3人とも12歳だった。

ブータンは英語教育に力を入れており、住民の英語能力は非常に高いと聞いていた。これはいろいろな場面で確かめられた。私たちのガイドの説明にもたびたび英語が交じっていた。おそらく英語のガイドもやっているのだろう。運転手も英語で十分に意思疎通できた。

私にとっては、寺院や城よりも、日常生活の一端を見ることのできるマーケットのほうが興味深い。寺院や城を鑑賞するだけの歴史的・文化的な知識の欠如を露呈しているだけなのかもしれないが。

野菜市場

野菜市場に続いて土産物屋を訪れた。女性陣の何人かはブータンの民族衣装「キラ」に興味を示し、試着していた。試着姿を見て私も「こっちのほうがよい」など、役にも立たない助言をした。

ホテルに戻って、女性は「キラ」、男性は「ゴ」の着付けタイムとなった。着付けは2、3人の
現地スタッフの手を借りてそれぞれの部屋で行われた。

「ゴ」を着る

夕食はホテルではなくティンプー市内のレストランで。スープとデザート、コーヒー以外はビュッフェ式。ビュッフェの品数の少なさはここでも同じ。「キラ」や「ゴ」を着用したままレストランに向かうことも可能だったが、私は自分の服に着替えた。「ゴ」の上に食物をこぼすことを恐れたからだ。「ゴ」で食事した男性によると、「非常に寒かった」とのこと。膝から下が靴下だけの「ゴ」は寒さに弱い。

レストランで夕食(8時過ぎ)