7月4日
7時半に朝食。今日は広い朝食会場がかなり賑わっていた。酢漬けのニシンをたっぷりと皿に盛った。
賑わう朝食会場
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
7月4日
7時半に朝食。今日は広い朝食会場がかなり賑わっていた。酢漬けのニシンをたっぷりと皿に盛った。
賑わう朝食会場
7月3日
7時半に朝食会場に行く。会場は2部屋で広いが、客はあまりいない。せいぜい3、4組か。ビュッフェ式の朝食は充実していた。特においしかったのはニシンの酢漬け。以後、今回の旅行ではほぼ毎日ニシンの酢漬けを口にすることになる。
朝食
「地球の歩き方」によると、旧市街には「トームペア(Toompea)」なる観光スポットがあるらしい。ここをタリン観光の第一歩としよう。グーグル・マップに示された「トームペア」まで行くが、何も見当たらない。それもそのはずで、トームペアとは城壁に囲まれた丘の一帯を指し、特定の構造物を意味するわけではない。グーグル・マップ上の表示の仕方に問題がある。
ともあれトームペアを探す過程で、何人かに声をかけた。トルコ人母娘やウクライナから来た若いカップルなど。ウクライナ人カップルはなんとマリウポリ出身だった。マリウポリといえば、少し前にロシアとウクライナの激しい攻防の場となった都市で、現在はロシア軍の支配下にある。カップルは20歳代前半といったところか。「前線で戦わなくてもよいのか」とは口には出さない私の疑問。
ベンチに座っているエストニア人の男性にも声をかけた。ガールフレンドの90歳の母親に会いにバスで出かけるところというこの男性とは30分近く話した。エストニアのロシア語話者の割合はおよそ50%という。この時点では「バルト3国内のロシア人の割合は10~20%」という誤った固定観念があった私は、「50%というのはロシア人の割合ではなく、ロシア語が話せる人の割合だろう」と勝手に解釈した。
見つからないトームペアはあきらめ、展望台に至る階段を登った。ここではじめて、この高台の一帯がトームペアだと気づいた。
展望台からの眺め
展望台から坂道を下っていくと、アレクサンドル・ネフスキー聖堂や城壁などのモニュメントが目に入ってくる。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
2時頃にホテルへ戻って一休み。
さてこのホテルに泊まるのは今日まで。明日以降どうするか。当初は3日目はエストニア第2の都市であるタルトゥ(Tartu)への移動を考えていた。だがタリンからフェリーで2時間ないし2時間半でフィンランドのヘルシンキへ行くことができる。ヘルシンキには2004年にサンクト・ペテルブルクへ行く途中に1泊したことがあるだけ。せっかくの機会だ。タルトゥはあきらめ、ヘルシンキまで足をのばそう。日帰りや1泊も可能だが、思い切ってヘルシンキで2泊することにした。
というわけで、明日のタリン発ヘルシンキ行きのフェリーをオンラインで予約した。10時30分にタリンのDターミナルを出て、2時間でヘルシンキに着く。代金は6800円強。
再びホテルを出て、Dターミナルまで約20分の距離を歩いてみる。Dターミナルの近くにショッピング・モールがあり、その中の「Chi」というレストランで遅めの昼食(5時ごろだったから早めの夕食といったほうが正確かもしれない)をとることにした。席についてから判明したことだが、Chiはインド料理の店だった。注文したのはブータンでも食べたモモ(餃子の一種)とエストニアのビールで、代金は12ユーロ(2000円ちょっと)。エストニア料理でなかったのは残念だが、おいしかったのでよしとしよう。
モモとビール
7月1~2日
バルト3国への旅行を思い立ったのは、アルメニアやアゼルバイジャンと同様、「まだ行っていないから」という消極的な理由からだった。つまり、訪れた国の数を増やしたいという、ちょっと下衆な動機だ。
ともあれ、7月1日22時25分関空発タリン(エストニア)行き、7月13日20時20分ビリニュス(リトアニア)発関空行きのターキッシュ・エアラインズの往復便を197000円で購入した。
1日の夜に関空を飛び立ったターキッシュ・エアラインズ便はイスタンブールでの3時間余りの待ち時間を経て、午前11時半にタリンの空港に到着した。
新しい国に降り立ったとき私がまず行うのは、両替とSimカードの購入だ。両替については、手持ちのユーロとドルがいくばくかあったうえ、大阪の銀行ですでに2万円をユーロに換えていたので必要なかった。
問題はSimカード。空港にあるはずのSimカード売り場が見当たらない。いろいろ問い合わせ、空港の外に出て10分ほど歩いたショッピング・モールの中のキオスクでやっと4GBのSIMカードを4ユーロで入手。代金を支払おうとしたところ、カバンの中に入れた財布がなかなか見つからない。もたもたしていると、私の後ろに並んでいた20歳くらいの青年が「お金がないのなら、私が払おうか」と言ってくれる。現金が見つからなくてもクレジット・カードがあるから、青年のお世話にはならず自分で支払ったが、大金ではないとはいえ、思いがけない好意に驚いた。
通常なら店員がスマホへのSimカードの挿入や設定をやってくれるのだが、キオスクのおばさんにそんなことを求めることはできない。モール内のベンチに腰かけて、自分でカードを挿入し、PINコードを入力して、やっとネットにつながることがきた。
ホテルはBooking.comを通じて2泊だけ予約していた。旧市街にあるSt. Olaf Hotelだ。朝食付きで1日目が59ユーロ、2日目が64ユーロ。かなり高いが、旧市街ではこれより安いホテルを見つけるのが難しい。
空港から旧市街までは15番のバスで行けるらしい。ショッピング・モール前のバス亭でしばらく待つとバスがやってきた。料金の2ユーロはクレジット・カードをタッチして支払う。どこにタッチするかは乗客のおばさんがロシア語で教えてくれた。
旧市街らしきところに来たところでバスを降りる。グーグル・マップで調べると、降車した地点からSt. Olaf Hotelまでは徒歩で14分の距離。これはつらかった。機内であまり寝ていないの疲労困憊していたうえ、バックパックが背中に食い入る。途中で休みながら、30分ほどかけてようやくホテルにたどり着いた。タリン空港に降り立ったのは11時半だが、ホテルにチェックインしたときには午後3時を過ぎていた。
St. Olaf Hotel
5月5日
朝食後、ホテル近くのショッピング・モールへ行く。ここで手持ちのインド・ルピーを使い切りたいところだ。広いモールの中を見て回る。食品や雑貨、衣服などを売っている。シャツを購入して1000円余りを使う。まだ5000円分くらいのルピーが残っているが、買うべきものが見当たらない。デリー空港で3時間ほどの待ち時間があるから、そのときに免税品でも買おう。
一行、ショッピング・モールへ入る
モールの中
5月4日
今日はブータンを離れる日。インドの国境の町ジャイガオンでの入国窓口が午後1時半に閉まることから、ホテルでの朝食を早々に終え、7時に国境へ向けて出発した。ブータン入国時とは逆のコースをたどり、入国時と同じカフェで休憩、11時半ごろにブータンの国境の町プンツォリンに到着した。レストランで昼食を済ませ、近くのスーパーへ買い物へ。これは余っているブータン・ルピーを使いきるためだ。
デリーの空港で1万円をインド・ルピーに両替していた。インド・ルピーはそのままブータンでも使用できる(1インド・ルピー=1ブータン・ルピー)。ブータンでは若干のインド・ルピーを使った(食事時のビールや野菜市場での山羊バターなど)。このため、お釣りとして受け取ったブータン・ルピーが少し手元にある。ブータン・ルピーはインドでは使えない。つまりブータン・ルピーをここで使い切ってしまう必要がある。事情は他のツアー・メンバーの場合も同じ。
私の場合はブータン・ルピーをほとんど使い切っており、スーパーでまとまったものを買うことはなかった。
レストランの窓から見たプンツォリン
プンツォリンのスーパー
5月3日
8時ごろにホテルをチェックアウトし、パロに向かう。2時間ほどでパロに到着。パロには国際空港があり、ときおり上空に飛行機が見える。
パロに入る
パロの近くにはタクツァン僧院(別称「虎の巣」)がある。この僧院は標高3000mの岩壁に垂直に建てられており、ブータン観光の目玉、アイコンとなっている。5~6時間のハイキングでたどり着けるが、途中の第一展望台まで登るだけという選択肢もある。最後まで登るのはあきらめ、展望台からの眺めで満足するつもりだ。
我が日本人グループはラジオ体操で体をほぐしたあと、それぞれ杖を借りて、まずは展望台を目指す。舗装していない坂道を歩くのはつらい。日頃の鍛錬のなさを露呈して、私は自ずと最後尾になってしまった。疲労困憊した私のめんどうを見るかのように、添乗員が私のあとに続く。私より3歳年上の女性がしっかりした足取りではるか前を行く。さすが登山経験豊富な女性だけある。
第一展望台までの道
5月2日
朝食後、8時ごろにホテルを出る。目指すのはティンプーから70kmほど離れた「冬の首都」プナカ。プナカはティンプーよりも標高が1000mほど低く比較的温暖なため、かつて冬の間だけ首都となっていた。
ティンプーの近郊(バスの車窓から)
プナカに至る途中に、ブータン最古のシムトカ・ゾンを遠くに望み、標高3090mのドチュ・ラ(ドチュ峠)を越える。天気がよければドチュ・ラからヒマラヤを望めるとのことだったが、私の目では確かめることができなかった。たまたまスイス人観光客とフランス語で言葉を交わすことになった。彼は息子と一緒にバリでホテルを経営しており、インドネシア人のグループに交じってブータンを訪れたとのことだった。フランス語をほめられ、ちょっといい気分。
シムトカ・ゾンを望む
ドチュ・ラ
プナカ近郊の丘陵上に建つチミ・ラカンというお寺まで、ゆるやかな坂を上る。30分くらいはかかっただろうか。なんとか到達できたが、かなり疲れた。
チミ・ラカンまでの道