7月8日
8時前に 朝食をとる。これまでのホテルと同様、満足できる内容。ニシンの酢漬けを多めに皿に盛ったのもいつものとおり。
朝食
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
7月8日
8時前に 朝食をとる。これまでのホテルと同様、満足できる内容。ニシンの酢漬けを多めに皿に盛ったのもいつものとおり。
朝食
7月7日
7時半に朝食をとる。旧市街にしては安いホテルだが、朝食の内容に不満はない。もちろんニシンの酢漬けも用意されている。
Three Crowns Residentsの朝食
台湾の3人組
Boutique Hotel Justus
7月6日
今日はヘルシンキを離れる日。再びタリンへ戻るか、それとも次の国のラトビアへ向かうか、少し迷った。ヘルシンキからラトビアの首都リガまでのフェリーもあるらしいが、なにぶんにも時間がかかる(18時間との情報もあった)。朝早くフェリーでタリンへ行き、その日のうちにバスでリガへ向かうことは可能だが、早朝からばたばたするのはおっくうだ。
結局、タリンでもう1泊することにし、フェリーを予約した。午後1時半にヘルシンキを出て、3時30分にタリンに着くフェリー。ヘルシンキまで来たときと同じ運行会社の同じフェリーを選択した。
朝起きたとき、腕時計が止まっていることに気がついた。電池が尽きたのだろう。スマホがあるから時間の確認はできるが、ちょっと不便だ。
8時前に朝食を済まし、浴槽につかってのんびりしてから、10時40分にホテルをチョックアウトした(ボックスにカードキーを入れるだけで完了)。
トラムに乗ってターミナル2まで行き、フェリーに乗船。定刻どおりにタリンのターミナルDに到着した。この日の宿はBooking.comで予約していた。前回に泊まったSt. Olaf Hotelにほど近いThree Crowns Residentsというホテル。
多少は土地勘のある場所だから、小雨が降ったり止んだりしている中、徒歩でホテルに向かった。
Three Crowns Residentsは朝食付きで1泊45ユーロ(7500円強)。St. Olaf Hotelより少し安いが、その分だけ部屋が狭く、若干見劣りがする。
Three Crowns Residents
7月5日
朝起きてまずは風呂。浴槽にゆっくりつかってから、7時半ごろに朝食会場へ行く。広い。人も多く、ビュッフェの種類も多彩だ。ところどころ日本人の客もおり、日本語が聞こえる。おそらくツアー客だろう。
朝食(1)
朝食(2)
7月4日
7時半に朝食。今日は広い朝食会場がかなり賑わっていた。酢漬けのニシンをたっぷりと皿に盛った。
賑わう朝食会場
7月3日
7時半に朝食会場に行く。会場は2部屋で広いが、客はあまりいない。せいぜい3、4組か。ビュッフェ式の朝食は充実していた。特においしかったのはニシンの酢漬け。以後、今回の旅行ではほぼ毎日ニシンの酢漬けを口にすることになる。
朝食
「地球の歩き方」によると、旧市街には「トームペア(Toompea)」なる観光スポットがあるらしい。ここをタリン観光の第一歩としよう。グーグル・マップに示された「トームペア」まで行くが、何も見当たらない。それもそのはずで、トームペアとは城壁に囲まれた丘の一帯を指し、特定の構造物を意味するわけではない。グーグル・マップ上の表示の仕方に問題がある。
ともあれトームペアを探す過程で、何人かに声をかけた。トルコ人母娘やウクライナから来た若いカップルなど。ウクライナ人カップルはなんとマリウポリ出身だった。マリウポリといえば、少し前にロシアとウクライナの激しい攻防の場となった都市で、現在はロシア軍の支配下にある。カップルは20歳代前半といったところか。「前線で戦わなくてもよいのか」とは口には出さない私の疑問。
ベンチに座っているエストニア人の男性にも声をかけた。ガールフレンドの90歳の母親に会いにバスで出かけるところというこの男性とは30分近く話した。エストニアのロシア語話者の割合はおよそ50%という。この時点では「バルト3国内のロシア人の割合は10~20%」という誤った固定観念があった私は、「50%というのはロシア人の割合ではなく、ロシア語が話せる人の割合だろう」と勝手に解釈した。
見つからないトームペアはあきらめ、展望台に至る階段を登った。ここではじめて、この高台の一帯がトームペアだと気づいた。
展望台からの眺め
展望台から坂道を下っていくと、アレクサンドル・ネフスキー聖堂や城壁などのモニュメントが目に入ってくる。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
2時頃にホテルへ戻って一休み。
さてこのホテルに泊まるのは今日まで。明日以降どうするか。当初は3日目はエストニア第2の都市であるタルトゥ(Tartu)への移動を考えていた。だがタリンからフェリーで2時間ないし2時間半でフィンランドのヘルシンキへ行くことができる。ヘルシンキには2004年にサンクト・ペテルブルクへ行く途中に1泊したことがあるだけ。せっかくの機会だ。タルトゥはあきらめ、ヘルシンキまで足をのばそう。日帰りや1泊も可能だが、思い切ってヘルシンキで2泊することにした。
というわけで、明日のタリン発ヘルシンキ行きのフェリーをオンラインで予約した。10時30分にタリンのDターミナルを出て、2時間でヘルシンキに着く。代金は6800円強。
再びホテルを出て、Dターミナルまで約20分の距離を歩いてみる。Dターミナルの近くにショッピング・モールがあり、その中の「Chi」というレストランで遅めの昼食(5時ごろだったから早めの夕食といったほうが正確かもしれない)をとることにした。席についてから判明したことだが、Chiはインド料理の店だった。注文したのはブータンでも食べたモモ(餃子の一種)とエストニアのビールで、代金は12ユーロ(2000円ちょっと)。エストニア料理でなかったのは残念だが、おいしかったのでよしとしよう。
モモとビール
7月1~2日
バルト3国への旅行を思い立ったのは、アルメニアやアゼルバイジャンと同様、「まだ行っていないから」という消極的な理由からだった。つまり、訪れた国の数を増やしたいという、ちょっと下衆な動機だ。
ともあれ、7月1日22時25分関空発タリン(エストニア)行き、7月13日20時20分ビリニュス(リトアニア)発関空行きのターキッシュ・エアラインズの往復便を197000円で購入した。
1日の夜に関空を飛び立ったターキッシュ・エアラインズ便はイスタンブールでの3時間余りの待ち時間を経て、午前11時半にタリンの空港に到着した。
新しい国に降り立ったとき私がまず行うのは、両替とSimカードの購入だ。両替については、手持ちのユーロとドルがいくばくかあったうえ、大阪の銀行ですでに2万円をユーロに換えていたので必要なかった。
問題はSimカード。空港にあるはずのSimカード売り場が見当たらない。いろいろ問い合わせ、空港の外に出て10分ほど歩いたショッピング・モールの中のキオスクでやっと4GBのSIMカードを4ユーロで入手。代金を支払おうとしたところ、カバンの中に入れた財布がなかなか見つからない。もたもたしていると、私の後ろに並んでいた20歳くらいの青年が「お金がないのなら、私が払おうか」と言ってくれる。現金が見つからなくてもクレジット・カードがあるから、青年のお世話にはならず自分で支払ったが、大金ではないとはいえ、思いがけない好意に驚いた。
通常なら店員がスマホへのSimカードの挿入や設定をやってくれるのだが、キオスクのおばさんにそんなことを求めることはできない。モール内のベンチに腰かけて、自分でカードを挿入し、PINコードを入力して、やっとネットにつながることがきた。
ホテルはBooking.comを通じて2泊だけ予約していた。旧市街にあるSt. Olaf Hotelだ。朝食付きで1日目が59ユーロ、2日目が64ユーロ。かなり高いが、旧市街ではこれより安いホテルを見つけるのが難しい。
空港から旧市街までは15番のバスで行けるらしい。ショッピング・モール前のバス亭でしばらく待つとバスがやってきた。料金の2ユーロはクレジット・カードをタッチして支払う。どこにタッチするかは乗客のおばさんがロシア語で教えてくれた。
旧市街らしきところに来たところでバスを降りる。グーグル・マップで調べると、降車した地点からSt. Olaf Hotelまでは徒歩で14分の距離。これはつらかった。機内であまり寝ていないの疲労困憊していたうえ、バックパックが背中に食い入る。途中で休みながら、30分ほどかけてようやくホテルにたどり着いた。タリン空港に降り立ったのは11時半だが、ホテルにチェックインしたときには午後3時を過ぎていた。
St. Olaf Hotel