12月10日
11時にUrban Alley Hotelをチェックアウト。ホテルに手配してもらったタクシーで空港に向かう。タクシー代は12ドルで、Grabとあまり変わらない。
空港内の食堂で牛肉フォーを食べ、朝食とする。値段は忘れたが、空港にしてはそう高くはなかった。
少し遅れて飛び立ったベトナム航空機は午後3時にディエンビエンフーに着いた。
機内から見たディエンビエンフー
Nha nghi Tam Guong
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
12月10日
11時にUrban Alley Hotelをチェックアウト。ホテルに手配してもらったタクシーで空港に向かう。タクシー代は12ドルで、Grabとあまり変わらない。
空港内の食堂で牛肉フォーを食べ、朝食とする。値段は忘れたが、空港にしてはそう高くはなかった。
少し遅れて飛び立ったベトナム航空機は午後3時にディエンビエンフーに着いた。
機内から見たディエンビエンフー
Nha nghi Tam Guong
12月8日
9時にSunny A Hotelをチェックアウトして、ホテルに手配してもらったタクシーで空港へ向かう(20Kドン=120円)。Grabタクシーを使わなかったのは、Sunny A Hotelが狭い小路に位置していて、どこから車をピックアップしていいか確かでなかったからだ。
VietJet便は12時にフエを出て、2時ごろにハノイに着いた。ホテルは旧市街のUrban Alley Hotelを予約していた。2泊で1193Kドン(7150円)。1泊3500円超になる。ホーチミンシティやハノイは千円、二千円台のホテルを見つけるのがむずかしい。
ハノイの空港から市内へ出るにはタクシーやGrabのほか、VietJetやベトナム航空が運営しているシャトルバスもある。格段に安い(50Kドン=300円)シャトルバスでホテルの近くまで行くことにした。バスの難点は中型バスがほぼいっぱいになるまで待たなければならないこと。このときも50分くらいまっただろうか。英語で話しかけてきたベトナム人男性と一緒にバスの中で待った。彼の助言がなければバスを降りて、タクシーかGrabを利用していたかもしれない。この男性はフエ在住の画家だった。作品をいくつかスマホで見せてもらったが、もっぱら抽象画を描いているようだった。
画家
バスから降りたのは、Urban Alley Hotelから徒歩で4分の地点。外はまだ明るく、ホテルを見つけるのはそれほど難しくはなかった。だが、バイクと車の洪水の中をくぐり抜けるのはたいへんだった。ホーチミンシティの交通混雑も相当のものだが、ハノイのカオスぶりはホーチミンを上回っている。
Urban Alley Hotel
チェックインし、しばらく休んでから外へ出る。この日も昼食は抜きだった。Urban Alley Hotelは繁華街の中にあり、食べるところには事欠かない。食堂街の中で適当に店を選び、ビーフ焼き飯とハノイ・ビールを注文する。併せて95Kドン(570円)。可もなく不可もなし。
ビーフ焼き飯とビール
12月9日
昨日コンビニ(サークルK)で購入したおにぎりを朝食とする。エビマヨのおにぎりだったが、まずかった。ライスがパラパラで、とても食べられたものではない。それでもなんとか無理をして最後まで食べた。
ツアー会社のガイドが迎えに来たのは7時半ちょうど。ホテルのスタッフが用意してくれたコーヒーを飲んでいるところだった。
表通りに待ち合わせている中型のバスに乗り込む。バスは市内のところどころで止まり、客を拾い集めていく。全員揃ったところで、3~40人くらいだっただろうか。私の隣席は中年のイタリア人男性だった。背後の席には日本人の若い女性が2人いた。東洋人は私を含めて日本人3人だけだった。残りはインド人のカップル一組ともっぱらヨーロッパ勢。ドイツ人が多いようだが、フランス語も聞こえた。
英語ガイドのベトナム人男性が今日のスケジュールを説明する。どうも聞き取りにくい。隣のイタリア人男性も「15%くらいしかわからない」と言っていた。
バスは2時間半ほどのドライブでハロンに着く。船に乗る前に、真珠の養殖所(Pearl Farm)に立ち寄った。このとき2人の日本人女性と少し話す。金沢市出身の2人で、どちらも22歳と若い。ハノイやダナンを巡る1週間の個人旅行中とのこと。
バスの一行全員が同じクルーズ船に乗り込むと、すでに昼食のテーブルがセットしてある。私は隣席のイタリア人男性、日本人の女性2人組、それにポルトガルから来た中年女性2人と同席だった。イタリア人男性は日本のコマツ(本社は石川県)で働いことがあり、日本人女性たちの出身地である石川県とも多少の縁がある。
食事は予想していたよりよかった。豪勢ではないが、十分に満足できる。ただ、味付けが若干薄めだった。2人の日本人女性も同じ感想だった。
クルーズのランチ
ハロン湾の奇岩が見えてくる。1階のテーブルを離れ、2階に上がる。2階の上にももう1層のデッキがある。
ハロン湾
一番上のデッキから
12月6日
8時前に朝食を終え(今日はフォーを注文していた)、11時半にDai A Hotelをチェックアウトした。朝の受付には日本語をしゃべる女性がいて、私を外まで見送ってくれた。日本に10年間滞在し、三重県亀山市のローソク工場で働いていたという。
ダナン駅まではGrabタクシーで行った(33Kドン=200円)。前日言われたとおり、定刻の30分前の12時ごろに駅に着いたが、ホーチミンシティ発の列車は予想どおり遅れ、ダナン駅を出たのは1時20分だった。1時間未満の遅延ならOKだ。
列車到着
列車内
12月4日
今日はベトナム中部の観光都市ダナンへ移動する日。ホーチミンシティからダナンへのフライトはTrip.comを通じて5410円で購入済み。午後2時にホーチミンシティ発のフライトだったが、2時40分発に変更とのメッセージを受け取っていた。
7時50分に朝食をとり、11時20分にチェックアウトした。ダナンへ向かうことをホテルの女性に告げると、ダナンの観光スポットを詳しく説明してくれたが、あまり頭には入らなかった。
ホテルから空港まではGrabタクシーで向かった(90Kドン=540円)。2時40発のフライトはさらに遅れ、3時過ぎの出発となったが、ダナンには1時間足らずで4時ごろに着いた。
ホテルは予約していなかったが、Booking.comで目星をつけていた。中心部にあるDia A Hotelだ。Grabタクシーでこのホテルに向かい、5時過ぎに到着した。予約はしていなかったが、空き部屋はあり、1泊300Kドン(1800円)だった。Booking.comで予約すれば、330kドンになる。このホテルに2泊する。80Kドン(480円)の朝食も付けることにした。朝食のメニューの選択と時間を予約時に尋ねられ、ちょっと驚く。おそらく朝食付きにする客などめったにいないのだろう。ここでもクレジットカードには3%チャージされるので、現金で支払った。
部屋で少し休んでから、すでに日が暮れた外に出る。朝食以来何も食べていないから、まずは食事だ。宿のすぐそばに「居酒屋いだ天」なる居酒屋がある。その真向かいは「Edo Sushi」という寿司屋だ。値段を比較してEdo Sushiの選んだ。それほど大きくない店は客でいっぱいだった(実は観光バスでやってきた中国人観光客の団体だった)。
注文したのはチーズとサーモンのロール(巻き)とTiger Beer。合計で115Kドン(690円)。ロールはまずくはないが、日本の寿司とは別物ものだった。
居酒屋
賑わうEdo Sushiの店内
チーズとサーモンのロールとビール
12月5日
8時近くに朝食をとる。予想どおり客は私ひとり。朝食の値段は80K(480円)。ホテルの外へ出ればこの半額で食べられる食堂がいくつもオープンしているから、他の宿泊客の(宿の朝食をとらないという)判断は合理的だ。ただ、いずれにしても200円ほどの違い。気にするほどのことはない。この日の朝食は前日に注文していたとおり、焼き飯だった。
明日は古都のフエに行く予定だ。フエはダナンから近い。列車なら2時間半。統一鉄道に乗るいい機会だ。
フエ行きの列車の切符を入手するために宿の近くの旅行代理店に赴く。2つ訪れたが、ひとつは列車の切符を取り扱っておらず、もうひつは手数料が上乗せされる。オンラインで購入してもいくらかのマージンをとられるだろう。
宿からは少し遠いが、ダナン駅まで歩き、直接に購入することにした。12時38分の切符を入手できた。代金は130Kドン(780円)。「出発の30分前には駅に来るように」とのこと。「遅延はないのか」と尋ねると、窓口の女性はニヤニヤ笑って、「今日は1時間遅れている」と言う。
ダナン駅
12月3日
7時40分ごろにホテルで朝食をとる。小さいホテルだから、ビュッフェ式ではなく、フルーツと飲み物に加え、麺やトーストなどからどれか1品を選ぶ。私は麺を選んだ(フォーではなかったように思う)。豪勢ではないが、まずは満足できる内容だ。
Jan Hostel Central Pointの朝食
10時過ぎにホテルを出て、徒歩で観光の中心であるドンコイ通りをめざす。ベンタイン市場を経由して、20分ほど歩き、グエンフエ通りにあるホーチミン人民委員会庁舎に到着した。ドンコイ通りはすぐ隣だ。
15年ぶりのホーチミンシティの街並み
ホーチミン人民委員会庁舎
12月にはイラクへ行くつもりだった。ところが、イラクに入国するためのeビザの取得に失敗した(メールで返ってくるはずのQRコードが送られてこない、迷惑メールのフォルダに入った可能性もゼロではない)、急遽別の旅行先を選ぶことになった。奄美群島はどうだろうか。だが、当地から鹿児島中央駅まで新幹線で行こうとすると、往復で57000円を超過する。これに比べ、ベトナム往復の最低価格は39000円ほどだ。コストの面ではベトナムが圧倒的に有利だ。
ベトナムは15年ほど前にホーチミンシティを訪れただけだ。ハノイは何回かトランジットで通過したが、空港周辺しか知らない。3年前のトランジットの際には、空港の両替カウンターの女性にひとかたならぬお世話を受けた思い出もある(夜中にラーメンをつくってもらった)。
http://chojiro22.blogspot.com/2023/01/2022_31.html
そんな経緯から、ベトナム行きを決めた。今回は、ホーチミンシティから入り、ダナンなどの中部を経由して、ハノイから帰国しよう。関空発ホーチミンinハノイoutのVietJet便を46380円で購入した。12月2日に出国し16日に帰国する2週間の旅。
ベトナム統一鉄道には以前から一種のあこがれがあり、今回もできる限り鉄道を利用したかったが、例の通りの事前の調査不足で、ホーチミンからダナンまで、ダナンからハノイまで、いずれも鉄道では16時間以上かかることを知らなかった。 この歳になって16時間の寝台車はつらい。しかも値段も飛行機のほうが安い。とりあえずTrip.comでホーチミン・ダナン間のフライトを5410円で購入しておいた。ダナンからハノイまでどのような手段で行くかは現地で考えることにした。
12月2日
9時半に関空を飛び立ったVietJet機は約6時間でホーチミンシティの空港に到着した。日本とベトナムの間には2時間の時差があるから、現地時間では午後1時半の到着となる。入国審査にはには長い行列ができており、通過に1時間ほどかかった。空港内でSimカードを購入(50GBで17ドル)し、200ドルをベトナム・ドンに両替する。
ホーチミンシティには2泊する予定で、ホテルは中心に近いJan Hostelを予約していた。ところが、このJan HostelはJan Hostel Central Pointと改称しており、場所も移動していた。私がBooking.comで予約したホテル名はJan Hostel、グーグル・マップでもJan Hostelなる旧い場所が表示される。
このため、空港から路線バスを利用してJan Hostelに行こうとして、ずいぶん時間を使い苦労した。私がウロウロしているのを見かねた中年のベトナム人女性の助けでバイクタクシーでJan Hostel Central Pointに到着したのは夜の8時近くだった。ベトナム人女性は自分のスマホで宿に電話してくれ、他の女性とも協力して、バイクタクシーを呼び止め、ヘルメットの装着を助け、私の足をとり、バイクにまたがせてくれた。ことほどさように私は疲労困憊し、フラフラの状態だった。30分、1時間くらい歩くのはどうということはない。普段のウォーキングでやっていることだ。だが、それほど重くはないとはいえバックパックを背負って歩くとなると話しは別だ。バルト3国の旅行で、タリン初日にバックパックを背負って長時間歩き、くたばりそうになったのはつい最近のことだ。
宿を探してヘトヘトになる直前の5時半過ぎ、小さな食堂に入って夕食をとった。注文したのは牛肉を載せた麺とスプライト。合計で110Kドン(約650円)だった。おいしかった。それもそのはず、LCCのVietJetの機内では昼食は出ず、朝の6時に小ぶりのサンドイッチを食べてから何も口にしていなかったからだ。
牛肉麺とスプライト
刊行:1844 - 46年
評価:★★★★★
Kindle版(無料)
2025年9月24日読了
Le Comte de Monte Cristoは長編である。1844年から1846年にかけて新聞に連載され、18巻本として出版された。Kindle版はそれぞれ300~400ページの4巻(Tome I - IV)からなる。読了にかなりの時間を費やした。1年以上はかかったように思う。だがこの長丁場、途中で飽きたり、いやになったことはなく、毎日ページをめくるのが楽しみだった。新聞連載ということもあり、長いストーリーが多様に枝分かれしており、サスペンスの連続、山場がいくつも用意されている。
読むのが楽しみだったことは事実だが、なにぶんにも180年前のフランス語、読みやすかったわけではない。おそらく理解できたのは3分の2くらいで、残りの3分の1はただ活字を目で追っただけ。ストーリーの展開は基本的には非常に平易な文章で描かれているが、ちょっと込み入った場面になると、私のフランス語の能力では太刀打ちできなくなる。理解の妨げになったのは語学の能力だけではない。19世紀中葉のフランス社会の仕組みや慣習に対する知識の欠如も大きかった。特に、復讐相手のひとりが銀行家であることから生じるお金の貸し借り、投資などの場面になるとほぼお手上げだった。
獄中14年、さらにモンテクリスト伯として3人の復讐相手の前に登場するまでに9年。23年の歳月を経て恨みの3人と再会する主人公のエドモンド・ダンテス。3人はモンテクリストがエドモン・ダンテスであることにまったく気づかない。今時のリアリズムからすればひっかかるところだ。
復讐の的となった3人はそれぞれ出世し、相当な社会的地位を得ているが、その過程で悪行を重ねている。つまりは根っからの悪人だ。善人と悪人の区別ははっきりしており、善人が悪の側面を示したり、悪人が善の方向に踏み出すといった場面はほとんどない。
バルザックの「ゴリオ爺さん」は1835年、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は1862年にそれぞれ発表されている。ゾラの「居酒屋」は1876年だ。「モンテクリスト伯」とは10年から30年の時間差がある。この間に、フランスの小説がデュマ流の単純明快な勧善懲悪から自然主義、リアリズムの方向へどのように歩んでいったのか、探ってみたいところではある。