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2018年3月17日土曜日

平壌からウラジオストクへ2018 一日目(平壌到着)

2月27日。

8時過ぎに宿をチェックアウトし、チェーンレストラン「李先生」で朝食をとる。ワンタンのスープと揚げパンで19元(約320円)。

チェーンレストラン「李先生」で朝食

Koryo Toursの事務所に9時半ごろに到着した。直接に空港に向かうパキスタン系英国人のAfzalを除く総勢9人(ガイドのSimonを含む)が10時前に事務所に集合、空港行きのバスに乗り込む。私を含め数人はスーパーで調達したカップヌードルなどを入れたプラスチックバックをぶら下げている。平壌から羅先への列車の旅に備えた食料だ。

チェックインと搭乗を問題なく終え、Air Koryo機は定刻通り13時5分に北京を飛び立った。ほぼ満席の機内は80%が北朝鮮の人たち、残り20%が我々外国人といったところ。隣席の北朝鮮男性に朝鮮語で「中国で仕事をしていたのか」と尋ねたところ、「クウェート帰り」との返事だった。同乗の北朝鮮男性の大半がそうだとのこと。クウェートの建設現場で働いていたのだろう。

機内食としてチキンバーガーとジュースが出され(ずっと以前にはちゃんとトレイに入った機内食だったものだが)、1時間半ほどで平壌国際空港(順安空港)に着く。イミグレを通過後、税関で電子機器と書籍をすべて提出する(係官は私に日本語で「携帯は?」と求めてきた)。書籍は北京とシベリアのガイドブックしか持ち込んでいなかった。タブレットとスマートフォンには北朝鮮関連の動画やKidleのEブックが数多く保存されていたが、詳しいチェックはなかった。

税関をクリアして到着ロビーに出ると、見覚えのある顔が見える。向こうも私に気付いたようだ。2015年秋の鉄道の旅に見習いガイドとして付き添っていたシン(深)ガイドだった。あれから2年半、この金日成総合大学出身の女性ガイドは一段ときれいになっていた。

彼女はYoung Pioneer Toursの個人旅行者を迎えにきたところだった。鉄道の旅を共にしたJonathanとOksanaが訪日し私が大阪を案内したこと、米国籍のMarkとBobが訪朝できなくなったことなどを話す。

私たちのガイドは両方ともキム(金)。30歳代の男性と20歳代の女性だ。ガイドともどもKITC(朝鮮国際旅行社)のバスに乗り込み、空港を出たときには4時近くになっていた。今日から2泊することになる羊角島ホテルにチェックインする前にまず金日成広場に向かう。空はどんより曇っている。中国の大気汚染の影響ではないかとも思ったが、ただの曇天ということだった。

広場の近くで新婚カップルに遭遇し、「チュッカハムニダ(お祝いします)」と声をかけながら、しばしの記念写真タイム。北朝鮮の新婚カップルの聖地詣と我々の観光ルートは重なっているから、こうした場面が生じるのはめずらしくない。

新婚カップル

続いて大同江ビール工場直営のビアホールを訪れる。こうしたビアホールがあることは知っていたが、訪れるのははじめてだ。

時刻は6時半ごろ。立ち飲み席だけのホールは混んでいた。ほとんどが男性だが、女性の姿もちらほら見える。日本の居酒屋のように食べて飲むのではなく、イギリスのパブ風にひたすら飲むだけだが、タラの干物をつまんでいる人も少数いる。麦100%、麦70%・米30%、麦50%・米50%、麦30%・米70%、米100%、チョコレート・フレーバー、コーヒー・フレーバーの6種類のビールが提供されている。瓶で売られている大同江ビールは大麦70%・米30%だとか。私は大麦100%を注文した。ビールの味についてあれこれ言えるほどの舌も知識も持っていないが、おいしく飲めた。オーストラリア人のNancyeが注文したチョコレート・フレーバーのビールも一口飲ましてもらったが、こちらもなかなかのもの。ほんのりと甘く、口当たりがよい。

平壌のビアホール

隣のテーブルの北朝鮮男性たちと「会話」が始まる。といっても、我がグループに朝鮮語の堪能な者はいない。訪朝170回のSimonは中国語こそ達者だが、朝鮮語となるといくつかの単語や表現を知っている程度。4分の1朝鮮の血が混じっており、朝鮮族の中央アジア移住を研究テーマとしているVikoriyaも、タシケントとニューヨークで朝鮮語を学んだというが、しゃべれるレベルにまでは到達していない。タミール人のAyeshaは韓国語を学習するためにソウルに移住してから7か月になるが、韓国語/朝鮮語万年初級レベルの私とどっこいどっこいといったところ。

ちゃんと理解できたかどうかは疑わしいが、北朝鮮男性がまず発したのは「美帝(米帝)をやっつける」という言葉。「日帝」という言葉も聞かれた。続けて「国民は」という単語が耳に入った。アメリカも日本も悪いのは政府で、国民は別だというのだろう。英語を話せるかと尋ねると、「朝鮮語最高!」と返ってくる。「朝鮮民族最高!」、「朝鮮は1つ!」というのも聞いた気がするが、確かでない。なんのとも愛国的だ。北朝鮮男性の誰かがおごってくれたのか、いつのまにか私の前に2杯目のジョッキが置かれている。

夕食は朝鮮風の豚肉のしゃぶしゃぶだった(英語ではhot potと説明された)。平壌初日の食事はしゃぶしゃぶ、最終日の食事はアヒルの焼肉というのはよくあるパターンだ。

しゃぶしゃぶで夕食

8時過ぎに羊角島ホテルにチェックイン。オフシーズンなのだろう。我々以外の宿泊客は見あたらず、ホテルは閑散としていた。1階のショップや地下の娯楽施設もクローズしているに違いない。早々に部屋に引きこもって明日に備える。

2018年3月12日月曜日

平壌からウラジオストクへ2018 北京での事前説明会

2018年2月25日、26日。

2015年の10月、北朝鮮を鉄道で巡るツアーに参加し、列車で移動しながら平壌、妙香山、咸興、清津、元山を訪れた。しかしこれは、我々14名のツアー客のために特別に用意された専用列車を利用しての旅だった。列車の中で北朝鮮の人たちとふれあう機会は最初から奪われていた。

2015年秋の鉄道の旅

できれば普通の列車で普段着の北朝鮮の人たちに交じって旅をしたい。北京を拠点とする英国系の旅行会社Koryo Toursが企画するPyongyang to Vladivostok Train Tourはこうした想いに応えるものだった。2月27日に北京から平壌に飛び、平壌で2泊、列車で36時間かけて羅先に向かう。羅先に2泊したあと、列車でロシアのハサン(Khasan)に渡り、ハサンからバスでウラジオストクに移動、ウラジオストクで3泊する行程のツアーだ。ツアーの目玉は北朝鮮で通常に運行されている列車で平壌から羅先まで移動することにある。一も二もなくこのツアーに申し込むことにした。

Koryo Toursのツアーに参加するのは今回で3度目だ。安心感もあるし、手順にも慣れている。

前日の26日の4時からKoryo Toursの北京事務所で説明会があるで、関空から北京への片道券(ソウル経由)とウラジオストクから関空への片道券(同じくソウル経由)を購入し、25日に北京に入ることにした。片道の航空券で中国に入国するときには注意が必要になる。チェックイン時に中国を出国する証拠書類を求められるからだ。案の定、関空のアシアナ航空のチェックインカウンターで中国をどのように出国するのか尋ねられた。ウラジオストクから関空へのEチケットを見せ、北京からウラジオストクへはハルピン経由で陸路で移動すると伝えたが、どうも納得していない様子。空路であれ、バスであれ、列車であれ、中国を出るという確たる証拠がほしいようだ。仕方ない。「実は」と切り出し、Koryo Toursから事前に送ってもらっていた平壌行きのAir Koryoのチケットと北朝鮮ビザの写しを提示した。「北朝鮮」を持ち出すことで話がややこしくなるのではと心配していたが、杞憂に終わり、無事に北京行きの搭乗券を手に入れることができた。

経由地のソウルの仁川国際空港でも同様のことが発生した。搭乗口に呼び出され、中国出国の証拠を求められたのだ。このときもハルピン経由で陸路で出国するという説明では納得してもらえず、結局平壌行きの書類を提出するはめになった。アシアナ航空の女性スタッフは「北朝鮮に行く人を扱うのははじめてだ」とびっくりしていた。

北京行きの往復航空券を買っておけば、こうしたややこしい問題は回避できる。しかも、なぜか往復航空券のほうが片道航空券より安い。だが、帰路の航空券を意図的に放棄することの是非について確かでなかったこともあり、みずからいらぬ苦労を招いてしまった。

25日の午後4時過ぎに北京の首都国際空港に到着。Airport Expressと地下鉄を利用し、booking.comで予約しておいたHappy Dragon Hostelに向かう。地下鉄東四駅近くのこの宿を利用するのも3度目だ。シャワー・トイレ・テレビ付きの個室で、今回は1泊125元(約2100円)。同じ条件の部屋が2015年に168元、昨年春に200元だった。値段がかなり下がっている。オフシーズンの冬期だからか、それとも何か別の理由があるのか。

宿に着いたころには暗くなっていた。近くのスーパーで買ったお菓子(きな粉餅)を夕食代わりとして、早々に就寝することにした。ともかくフライトのキャンセルや遅延もなく、事前説明会に間に合うように北京に入れたことに満足。

翌26日。

説明会は午後4時からなので、北京観光の時間はたっぷりある。が、いずれも1泊か2泊かという短期滞在ながら、すでに10回近く来ている北京だ。まだ行ったことのない南鑼鼓巷を散策するのににとどめた。宿から南鑼鼓巷までは徒歩で20分ほど。運動のために歩いて出かける。古い北京の面影をとどめているといわれる南鑼鼓巷だが、観光客が群がり、土産物屋や食べ物屋が軒を連ねる今風の街路で特に感慨もない。古い家並みの胡同には人力車が駆け抜ける。正午近くの時間帯ながら、川面に氷が張っていた。

南鑼鼓巷


胡同

宿に戻って休んでから、東四駅近くのチェーンレストラン「李先生」で遅めの昼食をとる。豚の角煮とスープ、ライスで34元(570円ほど)。まずは満足できる味だった。

豚の角煮定食

事前説明会が行われるKoryo Toursの事務所は地下鉄東十条から徒歩で15分余り。2015年の秋に一度訪れているにもかかわらず、持ち前の方向感覚のなさから、少し迷ってしまった。

それでも3時半頃には事務所に到着。旅行代金の残額をユーロの現金で支払ってから、今回のツアーのガイドとなるイギリス人男性Simonの説明を聞く。Simonは在北京18年、訪朝歴170回のベテラン。Koryo Toursのオーナーではないが、ボス的存在(general manager)だ。

ツアー参加者は9名(当初は10人だったが、1人が直前でキャンセルした)。以下、簡単に紹介しておこう。

CorrieとNancyeの夫妻。
オーストラリアのメルボルンに住んでいる。訪朝は2回目。

Polly(女性)
イギリスのロンドンから。広告代理店勤務。初の訪朝。

Ayesha(女性)
インド出身(タミール人)。香港在住だが、現在はソウルで韓国語を学習中。Pollyの友人。5度目の訪朝。

Vikoriya(女性)
中国在住6年近くのウズベク人。母国語はロシア語。沿海州からウズベキスタンに移住してきた朝鮮人を祖父とする。姓がKimなのはそのため。初の訪朝。

Tom(男性)
ベルリン在住のイギリス人。5度目の訪朝。

Afzal(男性)
今回のツアーの最年長で、82歳。パキスタンのパンジャブ地方の出身だが、ロンドンに移住して51年になる。2度目の訪朝。

Edgar(男性)
ブラジル人。サンパウロ在住。初の訪朝。

性別、国籍、訪朝歴と、すべてにバランスのとれたグループといえよう。

Simonの説明に特に目新しい点はなかった。ただひとつ、平壌から羅先までの36時間の列車の旅では食堂車もなく、食事も提供されないとのこと。食料は平壌の光復商業センター(スーパー)で買い込むことができるが、北京で用意して持ち込んだほうがよいとのアドバイスがあった。

説明会も終わり、宿がある東四駅に戻る。駅近くのはやっていそうな食堂で夕食。24元の牛肉麺。私にはちょっと辛すぎた。食後、スーパーに立ち寄り、Simonのアドバイスに従ってカップヌードル4個と若干のお菓子を買い込んでおく。

明朝は10時にKoryo Toursの事務所に集合して、バスで空港に向かうことになる。直接空港に行くほうが楽なのだが、運動のために私も事務所まで出向くことにした。

2018年2月16日金曜日

エジプト2017 十二日目(帰国、まとめ)

12月28日。

帰国の日。フライトは19時5分。午後3時に空港行きの車が宿に迎えに来る。

9時ごろに朝食をとる。テラスの床に座っての朝食。日本人男性とウクライナ人女性の2人連れが食事にやってきた。この2人組とはエジプト初日にもこの宿で顔を合わせていた。私がアスワンやルクソールを旅行していた間、彼らはずっとここに滞在していた(2人が部屋を一緒にしていたかどうかは確かでない)。「ビジネス」でカイロに来たとのことだった。

日本人男性は40歳代くらい。背はあまり高くなく、眼鏡をかけ、少し禿げかかっている。失礼ながら、つまりはただの「おっさん」であり、服装からしてもビジネスマンらしくはない。ウクライナ女性は年の頃20歳代の半ばから後半。派手な感じではなく、学生あがりのようなごく普通のかわいい女性だ。

この2人とは英語で話したが、男性だけと話すときは日本語に切り替えた。

この一見したところぱっとしない男性、異色の経歴だった。女性がテラスから引きあげたあと、日本語で次のように話してくれた。

ラオスとの国境に近いタイの町で、タイ人の奥さんと息子と暮らしている。タイに住んで17年、息子は日本語をほんとんど話せない。

「ビジネス」とはカジノで稼ぐことだ。今年は、ときどきタイに帰りながら、ずっとカイロのカジノに通っている。

プロのギャブラーになってからすでに13年が経過する。もちろんエジプトだけでなく、ラスベガス、マカオ、韓国など、いろいろな国のカジノに出没している。ラスベガスでは、カジノからカジノへと自転車で通っていた。

世界を股に掛けた日本人のギャンブラーの話はときどき耳にするが、実物に会うのはじめてだ。ウクライナ人女性とどのように組んでいるのか興味深いところ。もっといろいろ話を聞きたかったのだが、今日は私の最後の日で時間がなかった。

11時近くにいったんチェックアウトし、荷物を預けて外に出た。アタバのスークを突き抜けた裏通りや路地を歩く。動画を撮っていると、老人からひどく怒られた。エジプトは写真や動画を撮りやすい国だと思っていたが、そうとも限らないようだ。このとき撮っていた動画は老人の目の前で消去するしかなかった。

裏通りで出会った少女たち

散髪屋があったので入る。バリカンでかなり短くされた。料金はたったの20ポンド(120円)。アジアやアフリカで何回か散髪する機会があったが、平均して300円くらいはかかる。これほど安いのははじめて。

散髪屋の主人

さてせっかくのエジプトだが、これまでのところサンドイッチやコシャリなどの安い食べ物しか口にしていない。最後にちゃんとした料理を食べたい。ということで、26th of July Steetから少しはずれたところにある(私にしては)高価そうなレストランに入った。注文したのはミックスグリルと茄子、それにマンゴージュース。値段は忘れてしまったが、日本円で1000円くらいはしただろうか。

レストランで昼食

食事を終わると、2時を過ぎているので、宿に戻り、空港行きの送迎車を待つ。同じエミレーツのフライトを利用して関空へ帰る日本人が私のほかにもう一人いた。同行者がいると、なんとなく心強い。

ドバイでの乗り継ぎ時間が2時間30分だったので、少し不安だったが、余裕で間に合った。12日間に及ぶはじめてのエジプト旅行の終わり。

最後に簡単にまとめておこう。

今回の旅行の目的は、ヌビアの村を訪れることと、シシ大統領の強権政治のもとでのエジプトの「空気」を感じることだった。

確かにヌビアの村は訪れた。しかしヌビアの文化(特に音楽と踊り)にふれることはできなかった。まあこれは予想していたことだ。ともかく訪れたということで満足しておこう。

強圧的なシシ政権のもとでも、エジプトは予想以上に活気があった。メインストリートには衣服や靴が文字通り山積みされ、賑わっていた。だが、シシ大統領がエジプトポンドをフロートさせ、変動相場制に移ったことから、通貨価値が大幅に下落している。外国からの旅行者には好都合だが、現地の人たちは輸入品の高値に直撃され、生活は楽ではないだろう。

にもかかわらず、現政権を公然と批判する声は聞かれなかった。ヌビアの運転手が「エジプト人はみんなシシを嫌っている」と言っていたのを除いて。多くの人にエジプトの現状について尋ねてみたところ、「これでいいのだ」というのがほとんどの人の反応だった。といっても、現政権を積極的に肯定している感じではなく、曖昧な物言いだったのが印象に残る。「問題はない」と言いつつも、表情は晴れやかでない。

徒労に終わったアラブの春のあと、今の政権にたてつくようなエネルギーはもうないのかもしれない。それに、シリアやリビアの現状を見れば、「今のままのほうがまだましだ」と考えるのもうなずける。

バングラデシュやエチオピアとは異なり、ストリートチルドレンや物乞いはあまり目に付かなかった。しかし、普通の格好をした大人や子供たちからさえ「マネー」、「バクシーシ」、「ワンドラー」などの、お金を請う言葉を聞くのも一度や二度でなかった。カイロでも、アスワンでも、ルクソールでも、そしてヌビアの村でも。おまけにピラミッドでは手の込んだ詐欺に遭遇した。

あまり愉快な経験ではないが、これだけがエジプトではない。数多くの人に無償で助けて貰ったこと、数多くのフレンドリーな人々に巡り会えたことも付け加えておかなければならない。

2018年2月15日木曜日

エジプト2017 十一日目(カイロ)

12月27日。

8時すぎに朝食をとろうとして、ドーミトリーの部屋から出るが、宿のオーナーが見あたらない。呼んでも出てこない。しばらく待ったが、戻ってこない。これは困った。朝食が出ないのはともかく、今日はこの宿をチェックアウトしてベニス細川家に移動するつもりだ。

宿代はまだ払っていなかった。このまま何も払わずに出て行くことも可能だが、さすがにそれはまずいだろう。2日分の宿代20ドル(今日の朝食が出ていないわけだからもっと少ない額でもよかったが)をわかりやすいところに置いて宿を出た。

「さくら」からベニス細川家までは徒歩で30分ほど。10時過ぎに到着し、予約していた部屋にチェックインした。

宿の近くの大勢の客で賑わっている食堂で豆のコロッケを挟んだバーガーをテイクアウトし、ベンチに座って食べる。予想通りおいしい。

腹もふくれたところで、地下鉄の駅に向かう。カイロ動物園に行くためだ。ガイドブックにはカイロ動物園とあるが、正式な名称はギザ動物園だ。この動物園に行くには、地下鉄のカイロ大学駅で下車してバスに乗らなければならない。

カイロの地下鉄は距離に関係なく均一2ポンド(12円)という安さ。日本と同様に女性専用車両もある。宗教的理由かと思ったが、ベニス細川家のエジプト人スタッフに聞くと、日本と同じで痴漢対策らしい。

地下鉄に比べバスはちょっと難しい。どこで降りたらいいかわからないからだ。車掌が同乗している大きめのバスならよいが、乗り合いのマイクロバスの場合は他の乗客に尋ねるしかない。

カイロ大学駅からマイクロバスに乗り、他の乗客を頼りになんとか動物園に着いた。入場料は確か20ポンドだった。

Giza Zoo

子供のとき以来の動物園だから、他と比較することはできないが、動物の種類や数もそう多くはなく、施設もあまり立派とはいえない。だが、家族連れのエジプト人で結構賑わっている。3人連れの韓国人の家族にも遭遇した。

人気のあるのはライオンと虎の檻だが、檻の中の数匹のライオンや虎は疲れた様子だった。こんなに狭い檻の中に閉じ込められているのだから仕方ないか。

ギザの動物園

狭い檻の中でも元気だったのはハイエナだ。1つの檻に4、5匹ずつ、全部で20匹弱のハイエナが文字通り飛び回っている。凄まじい鳴き声を出しながら。体も結構大きい。こんなのに襲われたと思うとちょっと怖い。

動物園を出てギザからカイロに帰ってきたときには4時を過ぎていた。繁華街を散策してから、夕食用のサンドイッチを2個購入して、宿へ戻る。

夕食のサンドイッチ(安くておいしい)

明日は帰国日。フライトは19時05分だ。空港までの車を宿に依頼しておく。3時に迎えにくるとのこと。

 

2018年2月13日火曜日

エジプト2017 十日目(カイロ)

12月26日。

宿泊している「さくら」で8時すぎに朝食をとる。「さくら」はその名前が示すとおり、日本人旅行者をターゲットとするいわゆる「日本人宿」で、日本語を話すエジプト人男性が経営している。ここに2泊し、最後にベニス細川家で1泊してから帰国の途につく。3泊ともベニス細川家にしたかったのだが、最後の日を除いて個室はすべて予約で埋まっていた。

日本人宿を選んだのは旅の情報を得られると思ったからだ。しかし「さくら」の宿泊客は2日とも私ひとりだった。これは誤算。個室が1泊15ドル、ドーミトリーが10ドル(いずれも朝食付き)ということだったが、ひとりなら個室もドーミトリーも同じこと、当然安いドーミトリーを選択した。

「さくら」の内部

この宿がこれほど閑散としてるのは、部屋が汚いからでもなく、オーナーがやっかいな人だからでもなく、立地が悪いからでもない(タフリール広場から歩いて10分ほど)。サービスが劣悪ということもない。主な原因は、booking.comなどのホテル予約サイトに登録していないことにある。加えて、自前のWebサイトを持っておらず、積極的に情報を発信していないことも大きい。要するに、ネット時代に乗り遅れてしまったのだ。

日本人宿の魅力は、日本語の通じる大勢の旅行者が集まることにある。したがって、いったん客が少なくなると、不人気が加速化する。悪循環だ。実際、いくら親切なオーナーであっても、他に客がおらず、二人きりというのはなんとなく気まずいものだ。女性だったら、泊まるのを躊躇するだろう。

昨日のピラミッドでの不愉快な体験がまだ跡を引きずっていたが、起こってしまったをいつまでも悔やんでいても仕方がない。残された2日間、カイロをもう少し探訪しよう。

午前中はオールドカイロ、午後はエジプト考古学博物館とねらいを定めて9時過ぎに宿を出る。

地下鉄のマル・ギルギス駅を降りれば、もうそこはオールドカイロだ。オールドカイロはカイロ発祥の地ということだが、現在ではコプト教の教会や修道院が密集していることで知られている。それだけにイスラム過激派のターゲットになりやすいし、実際襲われたことも一度や二度ではない。

当然警備は厳しい。教会に入るには手荷物の検査がある。といってもピリピリとしているわけではない。のんびりした雰囲気の中、いくつかの教会を訪れる。ユダヤ教のシナゴーグもある。観光客もそこそこいるようだ。スークもあったが、ほとんどの店は空っぽで、閑散としていた。

コプト教会

コプト教会の内部

オールドカイロを歩く

オールドカイロをあとにし、ラムセス駅に立ち寄る。駅で昼食でもと思ったのだが、適当な食堂がなく、腹もあまり空いていなかったので、駅の2階にあるカフェでマンゴージュースを注文するにとどめた。

昼食をとらずにそのままタフリール広場の近くにあるエジプト考古学博物館に向かうことにした。日本のガイドブックではエジプト考古学博物館となっているが、英語名はEgyptian Museum、つまりただの「エジプト博物館」だ。

エジプト考古学博物館

入場料の120ポンドを払って中へ入る。1階と2階からなる大きな博物館だ。1階は古王国、中王国、新王国と時代と、ぐるっと回って見るように構成されている。今から3000年以上前にこれだけの文明が存在し、これだけの遺物が残されていることは確かに驚嘆に値する。しかしやはりこれらのほんとうの価値を知るにはちゃんとした知識と興味が前提となる。悲しいかな、私はそれが欠けている。

考古学博物館の展示物1

考古学博物館の展示物2

考古学博物館の展示物3

有名なツタンカーメンの黄金のマスクは2階の3号室にあった。ガイドブックには「このマスクの部屋はいつも超満員」と書いてあったが、超満員ではなく、満員でもなかった。マスクの写真を撮ろうとすると、警備の男が慌ててやってきて撮影を止められた。この部屋だけは撮影禁止らしい(博物館の入口にその旨の表示があることをあとで知った)。

博物館を出たときには3時をまわっていた。タフリール広場から北へ延びる大通りを歩く。この時間帯にもかかわらず客で賑わっているコシャリ屋があったので、かなり遅めの昼食をとることにした。繁盛しているだけにおいしかった。

コシャリで遅めの昼食

オールドカイロと考古学博物館で今日の目的は達成している。「さくら」の周辺をぶらぶらと探索したが、特に目を惹くものもなかった。茄子と野菜を挟んだ3ポンドのサンドイッチを夕食としてテイクアウトし(エジプトのサンドイッチはあまり当たり外れがない)、「さくら」に戻る。明日はこの宿をチェックアウトして、予約済みのベニス細川家に移る。

2018年2月10日土曜日

エジプト2017 九日目(ピラミッド詐欺事件)

12月25日。

まんまとやられた。くやしい。なさけない。しゃくだ。みじめだ。腹がたつ。そしてなによりもはずかしい。屈辱の一日。

のこのことピラミッド見物に出かけたのはいいが、手の込んだ詐欺にコロッと引っかかってしまったのだ。事の顛末は次のとおり。

この日、夜行列車で早朝にカイロのラムセス駅に着き、タフリール広場近くの宿「さくら」にチェックインした。この宿のことは後日ふれる。

10時過ぎに宿を出て、先週遠くから見たピラミッドをもっと近くからじっくり観察しようと、ギザ駅に向かった。

ことはギザ駅を降りたところから始まる。陸橋を渡ろうとしたとき、子供連れの若い男が話しかけてきた。彼らもピラミッドを見に行くところだという。男によると、ピラミッドの入口には2種類あって、ひとつは外国人観光客用、もうひとつはエジプト人用だとのこと。

「外国人観光客用の入口では法外な料金をふっかけられるが、あなたはどっちへ行くか?」
「外国人でもエジプト人用の入口から入れるのか?」
「入れる。問題ない。」

こうしたやりとりのあと、男と同じマイクロバスに乗る。男が連れているのは、10歳くらいのおとなしいそうな色白の男の子。アレキサンドリアに住んでいる姉の子ということだった。「私はピラミッドに3回行ったことがあるが、この子ははじめてだ。学校でピラミッドのことを学習するので、一度見せてやりたい。」

バスを降りて、道を渡るとき、男は私に子供と手をつないでくれと言う。子供は私と男の両方に手をつながれて道を渡る。あとから考えると、これも親近感を増すための小技だった。

ピラミッドが近くに見えるところまで来て、小さな部屋に入る。中年の男がひとりいる。なんとなくこの入口の管理者みないな雰囲気だ。男は「馬とラクダとどちらがいい」と聞いてくる。「馬」と答えてしまう。動物に乗ってピラミッドを巡るつもりなどまったくなく、ただピラミッドを近くから見ればいいと思っていたにもかかわらず。値段を尋ねると、「コースによって異なる」としか答えない。

馬に乗ってしまった。子供も別の馬に乗っている。あらためて値段を聞くと、750ポンド(4500円ほど)とのこと。明らかに高い。だが払ってしまった。さらに、750ポンドは3つのピラミッドだけで、9つのピラミッドをすべて回るのは950ポンド(5700円ほど)という。3つのピラミッドだけでよかったのだが、子供が9つすべてを見たいと言っているとのことでさらに200ポンドを追加することに。ポンドをあまり持っていなかったので、ドルで支払った。200ポンドだからせいぜい10ドルだが、男は40ドルを要求する。レートを考えることもなく40ドル払ってしまった。750ポンド+40ドルで総額9000円ほど。異常な金額だ。

馬に乗ったガイドが案内する。私、子供、ガイドが乗る3匹の馬が一歩を踏み出したとき、やっと欺されたことに気がついた。まるで催眠術にかけられたように欺された。鍵となるのはおとなしそうな子供の存在だった。高いと思いつつも、子供の存在が目を曇らせてしまった。加えて、前の日にルクソールからカイロに帰る途中で複数の親切なエジプト人に出会っていたことも大きい。疑うことを忘れてしまっていた。

地下鉄の駅から始まる手の込んだ詐欺だ。しかし、いくら手が込んでいたとはいえ、こうやすやすと欺されるとは。私もそれなりに経験を積んだ旅行者だ。アフリカははじめてではない。中東もヨルダン、シリア、レバノンの3カ国に足を踏み入れた。モロッコやチュニジアも知っている。その私がこうも簡単に欺されるとは。腹が立つというより恥ずかしい。長く旅していれば、多少ぼられることは避けられない。ぼられても気がついていないケースも少なくないだろう。しかし、今回のようなあからさまな詐欺、しかも高額な詐欺ははじめてだ。

「エジプト人用の入口」なるところまで連れて行かれたのは仕方ない。子供を連れた男の話をはじめから疑ってかかるのは困難だ。お金、お金とうるさいエジプトでも、何回も無償の親切に遭遇していた。だから当初男を信用してしまったのは、いわば不可抗力だ。だが、馬に乗る前に値段をちゃんと確かめなかったこと、そもそも馬に乗ってしまったこと、金額を提示されたときに断らなかったこと(お金を持っていないと言えば済むことだ)、これらは言い訳不可能なミスだ。ボーとしてしまい、思考がどこかへ飛んでしまっていた。

ガイド、私、子供の3人で1時間余りピラミッドを回る。子供もピラミッドを見るのははじめてということになっているから、本来なら子供にも説明すべきところだが、ガイドは私だけを相手にすべて英語で説明する。ガイドの説明は簡単だ。おそらくあまり知識もないのだろう。私がピラミッドをつまんでいるかのような、あるいは大きな岩を持ち上げているかのような、いわいるトリック写真を撮ってくれるが、私は完全にしらけていた。ガイドは最後にチップを求めてくる。当然これは無視した。

この顛末の鍵となった子供のことを考えてみる。先に書いたように、色が白く、おとなしそうな子で、服装もきちんとしている。「おとなしそう」というより、おとなしすぎた。地下鉄の駅からピラミッドへ向かう間、馬に乗ってピラミッドを見て回る間、ほとんど何もしゃべらない。おそらく自分がやろうとしていること、やっていることを意識しての無口だったのだろう。私を誘った若い男の甥というふれこみだったが、これが本当かどうかはわからない。2人はあまり似ていなかったから、血縁関係ではない可能性が高い。こうした詐欺まがい(というより正真正銘の詐欺)に年端もいかないころから荷担していること、あるいは荷担させられていることが、この子の将来にどのような影響を及ぼすのか。気になるところではある。

ピラミッド

憂鬱な気持ちのままカイロ市内に引き返したときには2時半になっていた。26th of July Steetからちょっと入ったところの食堂で遅めの昼食をとってから、地下鉄アタバ駅のスースを見物。さらに市内をぶらぶらしたあと、タフリール広場の近くにある宿「さくら」に戻る。この旅で、というより最近の数ある旅の中で最悪の一日はこのようにして終わった。

遅めの昼食

アタバ広場のスーク

2018年2月8日木曜日

エジプト2017 八日目(ルクソール最後の日)

12月24日。

今日はカイロへ戻る日だが、カイロ行きの夜行列車がルクソール駅を出るのは19時10分。今日もほぼ丸一日をルクソールで過ごせるわけだ。

チェックアウトぎりぎりの12時近くまで部屋でゆっくりしたあと、バックパックをホテルに預けて街に出た。観光スポットは昨日のツアーで十分だ。特に目的を定めずに、気の向くままにぶらぶら歩いてみよう。路地や裏通りに迷い込むのもいいだろう。

ルクソールの路地

少しぶらついたあと、昼食をとることにした。まだ試していない魚料理をということで、そう高そうにない食堂に入る。注文したのは焼鯖、ライス、サラダ。鯖は脂がのっておらず、おいしくなかった。ナイルの川魚を注文すべきだった。

昼食の鯖料理

昼食後、ルクソール神殿前の広場で少し休み、スークに入る。一昨日ここを訪れたときにはもっぱら観光客用の物品を連ねた店々に失望したものだが、このスークを突き抜けてさらに奥に入っていくと、地元の人たちのための本来のスークが現れた。こちらのほうが数倍おもしろい。日本のキャベツの3倍くらいありそうな巨大なキャベツ。生きた魚や鶏。馬車も通る。ここでエジプトのお菓子を購入。エジプトのお菓子は若干甘すぎる感もあるが概しておいしい。

スーク

大きなキャベツ


ハローキティのシャツを着た女の子

あてどもなく裏通りを歩き、子供たちの写真を撮ったりして、再び神殿前の広場に戻ると、昨夕と同じNational Festival of TAHTIBの祭典をやっていた。この古代武術の祭典は1週間続くらしい。

National Festival of TAHTIB

もう陽は暮れている。駅前の食堂でちょっと早めの夕食(ハンバーガー)をとり、ホテルに立ち寄ってバックパックを受け取ってから、駅に向かう。

19時10分発カイロ行きの切符は持っているものの、どのホームからどの列車に乗ればよいのかさっぱりわからない。電光掲示場を見てもはっきりしないし、駅員らしき姿も見あたらない。他の乗客に聞くしかない。聞けば親切に答えてくれる。私の切符を見てわざわざ係員に確かめてくれた男性もいた。

列車はおよそ30分遅れてルクソール駅を出発した。1等席は1人掛けの席と2人掛けの席がある。1人掛けの席を期待していたのだが、残念ながら2人掛けの席だった。しかも窓側なのでトイレに立つときに不便だ。

隣は30歳代の男性。ルクソールの西岸に住み、保護が必要な子供たちのための施設を運営しているという。100人を超える子供たちを預かっているらしい。ルクソール以南のUpper Nileの住人は北部に比べてよりフレンドリーだとのこと。

この男性にもエジプトの政治状況をどう思うか尋ねたが、はっきりした答えは返ってこなかった。ひとつだけ、年金が少ないことを嘆いていた。月に50ドル程度だという。物価の安いエジプトではあるが、確かに月に50ドルではやっていけないだろう。彼の父親にいたってはたった35ドルの年金だという。父親の年齢を尋ねると、57歳とのこと。待てよ、57歳で年金を支給されるか。ちょっと疑問が残った。

予期していたことだが、2人掛けの席ではよく眠れなかった。うとうとしては目が覚め、またうとうとと。併せて4時間程度は寝ただろうか。