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2023年8月7日月曜日

モンゴル2023 ハラホリンを歩く

 7月17日

朝食の席で私の前に座っていたのは米国人の青年。カリフォルニア州出身で、コロナ前に米国を出て、4年間ほど世界各地を旅しているという。昨日フランス人女性が「米国人男性と一緒に歩いて隣町まで行く」と話していたが、この青年がまさにその相手だった。やがて当のフランス人女性も姿を見せた。昨日はフランス語と日本語で話したものだが、第三者がいるこの場では当然言葉は英語になる。

中東風の若いカップルがやってくる。女性はヘッド・スカーフを着用している。どこの国籍だろうか。気になる。シリア、イラン、あるいは...。トルコ人だった。彼らも長期旅行者だ。モンゴルに来る前に日本に4か月ほど滞在したとのこと。日本での体験は総じてポジティブだったようだ。ハラル料理の話から、彼らがよく行ったらしい「サイゼリア」へと話が飛ぶ。

私の斜め前に座っていたのは中年の中国人女性。若い中国人男性と一緒だった。母と息子かとも思ったが、あとから聞くと、ウランバートルのゲストハウスで知り合って一緒に旅をしているだけとのこと。これもあとから聞いたことだが、中国人女性は46歳だった。

彼女はハルピンの出身(以下、「ハルピンおばさん」と呼ぶことにする)。日本はすでに2回訪れたが、あと2回は行ってみたいと言う。「ペイハイド、トンジン、ジンド、ダーバン、そしてXXXなどへ行った」とも。北海道、東京、京都、大阪はわかったが、最後のXXXはわからなかった。スマホの画面を見せてくれる。XXXは沖縄のことだった。

「日本では北海道をペイハイド、大阪をダーバンと言っても通じない。次に日本へ来るときは日本の地名を日本語で(つまりは英語で)覚えてから来るように」と忠告しておいた。

昨日はエルデニ・ゾーを見るだけで終わってしまった。今日はハラホリンのメイン・ストリートを見てみたい。ハラホリンの今日の天気予報は雨ということだが、午前中は大丈夫みたいだ。ゲストハウスから30分以上かけ、ぶらぶらと歩きながら、それらしきところにたどりつく。といっても、ちょっと大きめのホテルと3、4軒のカフェやレストランがあるだけで、メイン・ストリートと呼ぶのはおおげさだ。

通りのはずれのほうにあるらしい川を目指して歩く。20分ほど歩くが見えてこない。さすがに疲れ、引き返す。川を見ることはかなわなかったが、通りすがりに見える家並みは興味深かった。ゲルでもなく、ウランバートルにあるような高層アパートでもなく、おそらくこれが平均的なモンゴル人の住み家なのだろう。

沿道の家並み


午後1時を過ぎたところで、「メイン・ストリート」にあるちょっと大きめのレストランに入る。ウェイトレスがなかなか注文をとりに来ない。こちらから声をかけると、スマホの画面を見せてくる。画面には韓国語が表示されている。私を韓国人だと勘違いし、グーグル翻訳を使ったのだろう。日本人であることを英語で伝える。英語への翻訳に切り替えて表示されたのは「Closed」という情報。まだ客はちらほら残っているようだが、新しい注文は停止していた。

やむなくさらに20分ほど歩いて、昨日訪れたエルデニ・ゾー(寺院)の周辺にある食堂を目指した。昨日とは別の食堂に入る。客の食べている料理を指さし、これを3個くれと伝える。ここでもウェイトレスがスマホの画面を私に差し出す。表示されているのはまたまた韓国語だ。日本人であることを伝え、日本語の翻訳を表示してもらう。注文したのは「ホーショール」というモンゴル伝統のパイのような料理だが、画面には「パンケーキ3個でいいのか」という日本語が表示されていた(ホーショールが「パンケーキ」と日本語訳されていた)。ホーショール3つとミルク・ティー2杯で8000MNT(300円ほど)だった。

ホーショール


今日は「ナダーム」の最終日。エルデニ・ゾー前では子供たちが輪になって踊っていた。

子供たちの踊り

そうこうしているうちに、空模様があやしくなってきた。エルデニ・ゾーの近くにある博物館に入るのはあきらめ、スーパーに立ち寄ってから宿に帰ることにした。

スーパーで買い物を終え、外へ出たときにちょうど雨が降りだした。かなり激しい雨脚だ。急いでカバンから傘を取り出し、宿へ向かう。スーパーから宿までは7、8分。風も強く、傘をまともにさすことができない。ゲストハウスに着いたときにはかなり濡れてしまった。皮肉なことに、着いてからしばらくすると雨はやんだ。

共有スペースに行くと、若い東洋人の女性がタブレットで何かを鑑賞している。韓国語だ。韓国語で声をかける。いつものとおり、韓国語で話しかけてもあとが続かない。英語に切り替えて話を続ける。

彼女はソウル出身。モンゴルははじめてで、モンゴルのあとは列車で北京と上海へ向かう予定だ。三回の訪日経験あり。いずれも東京。どうして東京なのかと尋ねると、劇団四季のテストを受けるためだったとのこと。合格には至らなかったらしい。つまり彼女は女優もしくはその卵なのだ。「女優と名のつく人と話すのは生まれてはじめてだ」と私の驚きを伝えておく。

やがて朝食時に知り合ったハルピンおばさんもやって来た。紅茶を飲みながら、日・中・韓の三者会談がはじまる。3つの国での漢字の意味と使い方からはじまり、東アジア3か国が抱えている問題に及んだ。

日本語で「カンジ」、中国語で「ハンズ」、韓国語で「ハンチャ」と呼ばれる漢字については、韓国人女性に対して「自国語(つまりは韓国語)を理解するには、漢字の勉強が不可欠だ」と力説したが、あまり納得したようではなかった。「愛人」という漢字が3つの国でそれぞれ異なる意味を持つことなども話題にした。

日・中・韓が抱える問題にはいくつかの共通項がある。たとえば、少子化、過度な受験勉強、女性の社会的地位など。こうした共通の問題を抱えているにもかかわらず、3か国の関係がぎくしゃくしているのは残念だとの感想を述べておいた。「中国は世界でナンバーワンになろうとしている」という私に対し、ハルピンおばさんは「そんなことはない」と否定していた。

小一時間は話しただろうか。この三者会談は今回の旅行での忘れがたい経験となった。

この日も夕食はスーパーで購入したイワシの缶詰とビスケットで済ました。明日はバスでウランバートルへ帰る日だ。チケットはGaya's Guesthouseのオーナー夫人が予約してくれていた。ハルピンおばさんと中国人の青年も同じバスでウランバートルへ向かう。

2023年8月5日土曜日

モンゴル2023 ハラホリン

 7月16日

朝食の席で30歳くらいのフランス人女性と出会った。私がフランス語で話し始めると、彼女は日本語で返してきた。数年前にワーキング・ホリディで来日し一年半滞在したとのこと。1年間は日本国内を旅行し、半年間は関西空港で働いたという。一年半の滞在にしてはかなり流暢な日本語で、問題なくコミュケーションが可能。関空で働いていたときには朝から晩まで働きづめでたいへんだったらしい。「これではなんのために日本にいるのかわからない」と感じ、仕事をやめてフランスに帰った。

桜よりも紅葉が好きだという彼女。漢字も好きで、(日本語は)話すよりも読むほうが得意だという。日本語で読んだ(あるいは読もうとしている)本をいくつか紹介してくれた。そのうちのひとつは、逢坂冬馬の『同志少女よ、敵を撃て』。これは私も少し気になっていた本だ。

外国人にとっては読み書きがネックとなる日本語だから、彼女の読書力には感心するしかない。だが、フランスの文学については、どうだろうか。私が愛読したルイ・フェルナンド・セリーヌやエドワルド・ルイについては存在すら知らないようだ。私も彼女が紹介してくれた日本のミステリー小説について作家も作品も知らなかったから、まあおあいこと言えるだろう。

彼女はモンゴルを皮切りに日本を経由して東南アジアを回る2年がかりのまわる予定だ。数年前にアフリカを長期間旅行したことはあるが、東南アジアははじめてという。「少なくとも一ヶ月は滞在しないとその国を知ったことにはならない」というのが彼女の持論。明日はハラホリンの隣の町まで米国人男性と一緒に20Kmの道を歩いて行く予定だ。そのあとも2週間ほど野宿しながら歩いてモンゴルを巡るつもりらしい。野宿のためのテントも用意している。重い荷物を背負って移動するために、「筋トレ」もやっているとのこと。フランス人女性の口から「筋トレ」という日本語が出たことにも驚いたが、もっとびっくりしたのはそのユニークな旅のスタイルだ。

ハラホリンの観光の中心は「エルデニ・ゾー」という仏教寺院だ。ゲストハウスから歩いて20分ほどの距離。広大な敷地に寺院の建造物が数多く建っている。仏像が建立されている奥の院に入るには入場料が必要。外国人は20000MNT(800円ほど)だった。

エルデニ・ゾーの入口


エルデニ・ゾーの内部

訪問者のなかにはちらほらと外国人も見られるが、大半はウランバートルなどから来たモンゴル人だ。実はこの時期(7月11日から17日まで)、モンゴルでは「ナダーム」という年に一回の祭りの最中で、ずっと祝日だった。モンゴル人の観光客が多かったのはそのせいだろう。

エルデニ・ゾーの前の広場ではナダームの行事の一環で、歌や踊りが披露されていた。これも興味深かったが、それよりももっと心を引かれたのは、広場からずっと離れたところで行われていた女の子たちの伝統楽器の演奏だった。同じ曲を繰り返していたから、練習だったのかもしれない。2、3人の保護者らしい人を除けば観客はゼロ。ぜいたくに伝統音楽を鑑賞できて大満足。

伝統楽器の練習

エルデニ・ゾーの前にはいくつかの食堂や土産物屋が出店している。そのうちのひとつで遅めの昼食をとった。肉と卵とライスの料理。甘い飲み物と併せて14000MNT(550円ほど)。

3時過ぎにゲストハウスへ帰り2時間ほど休む。ゲストハウスの裏の丘には亀石(亀の形の石像)があるというので、丘の頂上を目指す。道のたどって登るが、亀石らしきものは見当たらず引き返す。亀石には出会えなかったが、丘に登る途中、そして丘の頂上から見える景色はいかにもモンゴルらしい絶景だった。

丘に登る途中で

丘の上から

ゲストハウスのオーナー夫人によれば、道を辿って行っても亀石は見つからないとのことだった。ゲストハウスの真裏からまっすぐに道なき道を登っていかなければならない。

オーナー夫人からは朝青龍が経営するAsa Landなるツーリスト・キャンプのことも聞いた。朝青龍はハラホリン近郊の出身らしい。Asa LandはGaya's Guesthouseから5kmほど離れたところにあるとのことだったが、あとで調べると3.8kmの距離だった。「ハラホリンの町を歩いてれば朝青龍に会えるかも」とはオーナー夫人の弁。

Asa Landは1泊150ユーロと高額で、私の選択肢に入るような宿ではない。しかも、ネットの評判も芳しくない。「高い値段にしては...」といったレビューが多かった。

Gaya's Guesthouseには1日延泊することにした。明日はもう少しハラホリンを探索しよう。

昨日と同様、スーパーで買ったイワシの缶詰を夕食としてこの日を終えた。

2023年8月2日水曜日

モンゴル2023 ハラホリン(カラコルム)到着

 7月15日。

今日の朝食の席は昨日ほどにぎやかではなかった。私が顔を出したときに朝食の場にいたのは米国ジョージア州出身の青年ひとりだけだった。彼はモンゴル、日本を経て、東南アジアを数か月かけて旅行する予定とか。そのうち、昨日会った韓国人女性や一昨日チェックインしたときに見かけた米国人も現れた。カリフォルニア州出身のこの男性、日焼けしていて米国人といった雰囲気ではない。それもそのはず、米国を出てから9年以上、一度も帰国することなく世界を放浪しているという。

9時半にゲストハウスをチェックアウトた。ハラホリン行きのバスがドラゴン・バスターミナルを出るのは11時だから、ちょっと早すぎるが、Better to be too early than to be too lateだ。

ゲストハウス近くの大きな通りに出て、配車アプリのUBCabでタクシーを呼ぶ。だがなかなかドライバーとマッチングできない。ドライバーからかかってきた電話を通りがかりのモンゴル人女性に受けてもらい、ようやく車と遭遇できた。

車に乗り込むと、運転手が韓国語で話しかけてくる。流暢な韓国語だ。韓国の大学に留学していたという。ウランバートルに戻ったときの観光案内を売り込んでくるが、韓国語の案内ではちょっと躊躇する。

バスは11時5分ごろに出発した。通路を隔てた隣には日本人男性が座っていた。5日間のモンゴル旅行で、乗馬やゲル体験のツアーに申し込んでおり、ハラホリンまでは行かずに途中で降車し、ガイドと合流するらしい。長野在住のこの男性、以前に2年間かけて世界を一周したという経験の持ち主だ。

ゲストハウスをチェックアウトする際に部屋の鍵を返却していないことに気がついた。バスの中からゲストハウスに電話し、ウランバートルに戻ったときに返却すると伝えておく。

4時間近く走ったところで、ランチ休憩となった。私が注文したのは「グルヤシ」という肉の煮込み料理。ハンガリーの「グヤーシュ」由来の料理らしい。11500MNT(450円ほど)。

グルヤシで遅めの昼食


ハラホリン(カラコルム)の宿はGaya's Guesthouseを予約していた。ネットの評判がよく、ドーミトリー形式が基本だが、個室も備えている。私が予約したのはもちろん個室で、朝食付きで1泊30ドル。バスターミナルからは2km以上離れており、あらかじめ連絡しておけば無料で送迎してくれる。

バスがハラホリンに着いたのは夕方の6時近く。ウランバートルから7時間ほどかかったわけだ。バスターミナルにはゲストハウスのオーナー夫人が迎えにきてくれていた。バスの到着を待っていたかのようににわか雨が降りだす。

草原の中にあるGaya's Guesthouseはウランバートルのゲストハウスとはかなりおもむきが異なる。メインの建物のほかに、7、8棟のゲルの宿舎がある。

Gaya's Guesthouse(1)

Gaya's Guesthouse(2)

ゲストハウスに到着したときは、落雷のせいで停電だったが、すぐに回復した。共有スペースにはドイツ人の女性がいた。ドイツ語で話してみる。トーマス・マンのことなど。女性は数か月の予定でアジアを旅行しているということだった。モンゴルのあとは日本に向かう。日本には最低3週間は滞在する予定という。モンゴルで出会う欧米人はすべて長期旅行者だ。それはそうだろう。遠い欧米からモンゴルだけをターゲットとしてやってくるケースは考えにくい。日本、中国、韓国の旅行者とはわけが違う。

Gaya's Guesthouseを切り盛りしているのはオーナー夫人とその2人の娘(次女と三女)で、主人はあまり表に出てこない。夫人によれば「シャイだから」ということだった。夫婦の長女は大阪に留学中という。

ゲストハウスの周りには便利なコンビニやレストランなどはない。もっとも近いスーパーマーケットまでは歩いて10分ほどかかる。モンゴルの夏は8時過ぎまで日が沈まない。雨もやんでいるので、スーパーまで出かけ、カップヌードル(中国製)、イワシの缶詰(ロシア製)、ソフトドリンクを購入して夜食とした。ゲストハウスには2泊だけ予約してあったが、もう1泊延長してもよい。明日決めよう。

スーパーからの帰り道

2023年7月31日月曜日

モンゴル2023 ウランバートルで財布をなくす

 7月14日

Top Tour & Guesthouseの朝食は8時から。8時ちょっと過ぎに朝食の場に行く。50代くらいの日本人女性もやってきた。私がキャンセルしたゴビ砂漠ツアーに申し込んでいる女性だ。札幌在住の女性で、話しやすく、感じがよかった。ツアーをキャンセルした一因は同行する女性への懸念だったが、この女性なら問題がないだろう。だがやはり、ゲルでの宿泊を考えると、キャンセルしたことに悔いはない。

朝食の席は賑わった。上海で働いている中国人の若者二人(彼らもゴビ砂漠ツアーに加わるとのことだった)。日本語をしゃべる釜山在住の韓国人男性、ソウル在住の韓国人女性、日本に住んで4年近くになるというイタリア人とポーランド人のカップルなど。韓国や日本のこと、40年前の私のポーランド旅行のことなど、話はつきない。私が通常のホテルよりゲストハウスを好むのは、こうした世界各地の旅行者との出会いにある。ただし、この歳になるとドーミトリーはきつい。ドーミトリーと個室の両方を備えたゲストハウスがベストだ。

ゴビ砂漠のツアーはともかく、明日はウランバートルを離れてどこか地方へ行きたい。ということで行き先をハラホリンに定めた。ハラホリンはかつてのモンゴル帝国の首都であり、当時はカラコルムと呼ばれていた。ウランバートルからはバスで6時間ほど。過酷な旅にはならないだろう。

ハラホリン行きのバスはドラゴン・バスターミナルから出る。明日のチケットを購入するために、配車アプリのUBCabを使ってバスターミナルへ向かった。UBCabはUberなどとは違って、出発点だけを指定し、目的地はドライバーが到着してから告げる。料金は1Kmあたり1500MNTに定められている。

ドライバーとスムーズにマッチングでき、ドラゴン・バスターミナルに到着した。料金は10000MNTちょっとだった(約400円)。ちょっと手間取ったものの、明日11時発のハラホリン行きのチケットも購入した(31400MNT)。ウランバートルの中心までUBCabで戻る。

終日雨模様だった昨日とは異なり、今日はからっとした青空。少し暑いが、ウランバートル観光には最適だ。観光の出発点はスフバートル広場。この広大な広場の片側にはジンギスカーン像が鎮座し、広場の中心にはモンゴル独立の英雄であるスフバートルの騎馬像が陽に輝いている。広場はいろいろな機会にモンゴル人たちの集合の場となっているようで、民族衣装を着用したモンゴル人たちを観察する場ともなる。

ジンギスカーンの座像


スフバートル像


スフバートル広場のすぐ近くにはモンゴル民族博物館がある。入場料20000MNTを払って入ってみる。石器時代から1990年代の民主革命に至る歴史の流れに沿って数多くの衣服やゲル、道具類、写真などが展示されている。

時刻は3時近くになっている。昨日訪れたState Department Storeまで歩き、デパートの1階に併設されているAsian Food Zoneというレストランに入る。モンゴル、韓国、日本の料理を提供しているレストランだ。「ツゥイワン」というモンゴル料理と生ビールを注文する。ツゥイワンが26000MNT(約1100円)、生ビールが8500MNT(約350円)と、モンゴルにしては値が張っている。ツゥイワンはかなりのボリュームだったが、空腹だったせいもあり、おいしく完食できた。

ツゥイワン(牛肉と麺)と生ビールで遅めの昼食


食事を楽しんだのはよいが、ここで財布がないことに気がついた。80ドルほどの米国ドルと10000MNT(400円)余りのモンゴル通貨が入っている財布だ。現金以外に、購入したばかりのバスのチケットも入れていた。SIMカードを入手したときにもらった電話番号を記載したカードも。財布はずっとカバンの中に入れていた。すられた可能性は考えにくい。バスターミナルからのタクシーの中で財布から支払ったとき、あるいは博物館の入場料を支払ったときにカバンから落としてしまった可能性が高い。

問題はバスのチケットだ。明日のハラホリン行きをあきらめ、明日またチケットを買い直すしかないと考えた。だが、まだ5時を過ぎたばかりだ。もう一度バスターミナルへ出かけ、明日のチケットを再度購入しよう。

UBCabで再びドラゴン・バスターミナルへ向かう。時刻は6時近くだったが、窓口にいるのは今朝チケットを購入したときと同じ女性だ。少し時間がかかったが、再度チケットを購入する必要はなく、なくしたチケットを再発行してもらうことができた。チケット購入の際にパスポートを提示し、その記録が残っていたおかげだ。

ちょっとしたエピソード。再購入(または再発行)のために列に並んでいるとき、窓口の女性と中年の女性客がなにか口論している。モンゴル語だから、内容はまったくわからない。客の口調はかなりはげしい。顔つきもなんとなく下品な気がする。この客のためになかなか列が進まない。顔や口には出さないが、私の中には彼女に対する敵意が生まれてきた。

しかし、口論の合間、彼女は私に英語で話しかけてきた。「何をしたいのか」と。チケットを紛失したこと、できれば再発行してもらいたいことを告げる。彼女は「座席番号は覚えているか。覚えていれば問題ない。パスポートを見せれば、チケットがなくても乗せてもらえるはずだ」とアドバイスしてくれた。私は座席番号を覚えていた。ありがたいアドバイスだ。

最終的にはチケットを再発行してもらえたので、彼女のアドバイスに従うことはなかったが、外国人の私に声をかけ、助けてくれたのには感謝しかない。まことに「人を見かけだけで判断してはならない」のいい例だ。

バスターミナルに隣接するスーパーで夜食用のファンタやお菓子を購入し、UBCabでゲストハウスに戻った。これで明日無事にハラホリンに向けて出発できる。

2023年7月29日土曜日

モンゴル2023 ウランバートル到着

モンゴル行きを決めたのは、アルメニアやスリランカの場合と同様、「まだ足を踏み入れていない国だから」という、いわば消極的な理由からだ。7月12日から22日まで、ちょうど10日間の日程で、関空からウランバートルまでのモンゴル航空(MIAT)の 往復チケットを購入した。代金は7万6260円。

7月12日

予定より半時間遅れで19時半に関空発を飛び立ったモンゴル航空便は23時過ぎにウランバートルのジンギスカン空港に到着した。円高のときに購入してあった手持ちの300ユーロをモンゴルの通貨のトゥグルグ(MNT)に両替する。1万MNTが400円くらいだから、とうてい財布には収まりきれない1万MNT紙幣の束を手にした。

SIMカードを購入したかったが、ショップはすでに閉店していた。明日購入するしかない。初日の宿は市の中心部にあるLand Hotelを予約していた。空港朝食付きで22ドル強の安いホテルだが、評判はあまりよくなく、Booking.comの評点は6.3だった。あえてこの宿を選んだのは、受付が24時間オープンだったからだ。空港から市内までは50km以上離れており、深夜にホテル到着といった事態を見込んでおく必要があった。

実際、空港のデスクで頼んだタクシー(料金は100,000MNT)でLand Hotelに到着したのは午前1時近くだった。

Land Hotel(後日撮影)


7月13日

Land Hotelの朝食は9時から10時までのちょっと変則的名時間。9時に朝食の場となる1階へ降りるが誰もいない。紅茶とパン、卵、ソーセージからなる簡単な朝食にありついたときには9時半を過ぎていた。評判が芳しくない一因はこのへんにもあるのだろう。

今日と明日の両日はTop Tour & Guesthouse Mongoliaというゲストハウスを予約していた。Land Hotelとは対照的に、こちらはすこぶる評判がよく、Booking.comの評点も9.3だ。予約しておいたのはドーミトリーではなく、トイレ・バス共用の個室。朝食付きの2泊で53ドル。

Land HotelからTop Tour Guesthouseまでは歩いて25分ほどの距離。当初の予定では歩いて移動するつもりだったが、あいにく小雨が降っている。しかもSIMカードがないから、グーグルマップも使えない。ウランバートルにはUBCabという配車アプリがあるが、現地の電話番号がないと登録できない。

やむをえずLand Hotelの受付でタクシーを呼んでもらって移動した(10000MNT)。ゲストハウス主催の市内ツアーがあれば参加したかったが、行っていないとのこと。市内ツアーはやっていないが、ゴビ砂漠のツアーは可能だという。ちょうど明日には日本人女性が申し込んでいるツアーがあるから、それに参加しないかとのお誘い。ゲルに2泊し、乗馬などを体験するという。ついその気になり、参加したい旨を伝える。明日のゲストハウスでの宿泊はツアーから帰ったあとの1泊で補填するとのことだった。

さて、今日一番にやるべきことはSIMカードの入手だ。State Department Storeで購入できるというので、小雨の中、デパートまで6~7分の距離を歩く。SIMカードはデパートの5階で入手できる。3つの通信会社のカウンターが並んでいたが、客が列を作っていたのはUnitelのカウンターで、あとの2つは開店休業状態だった。私が購入したのはこのUnitelのSIMカード。10日間有効でデータ通信量は10GB、電話番号も付く。料金は失念したが1000円くらいだったように思う。

デパートの中を見て回る。スーパーもあればPizza Hutなどのレストランもある。レストランはいずれもちょっと高めだ。

State Department Store

State Department Store内のスーパー

時刻は3時近くになっている。デパートのそばにあるウズベク料理の店に入りプロフ(焼き飯)とミネラルウォーターを注文。18000MNT(700円ほど)。朝食を除き、モンゴルではじめての食事がウズベキスタンの料理となった(ウエイトレスはヒジャブを着用しており、顔つきもウズベク人らしかった)。

ウズベク・プロフ

ウランバートルにあるコンビニはほとんどがGS25などの韓国系だ。ゲストハウスへの帰り道、そのうちの一軒に立ち寄り、夜食用のキンパ(韓国風巻きずし)、ファンタなどを購入した。

ゲストハウスに帰ってから、明日のゴビ砂漠ツアーについて考えてみた。問題はゲルでの宿泊だ。夜中に2回も3回も目が覚めてトイレに行くようなことがあると、周囲にも迷惑だし、自分自身にとってもあまり快適ではない。日本人女性との同行も気がかりだった。気が合えばいいが、そうでなければ地獄を見る。Last minute cancelで申し訳ないがとわびてから、ゲストハウスの女性オーナーにキャンセルを伝えた。

これで明日の心配なしに安心して眠れる。

2023年6月6日火曜日

イラン2023 ドーハとクアラルンプールを経由して帰国

 5月7日。

空港行きのタクシーは午前8時にやってきた。代金は450トマン(900円ほど)。このタクシーもマニュアル車だ。イラン滞在中、おそらく20台くらいの乗用車に乗ったが、すべてマニュアル車だった。オートマ車は1台も見かけなかった。経済制裁の結果かなとも思ったが、イランには自動車産業があり(年間80万台以上の製造数)、もちろんオートマ車も製造している。どうしてマニュアル車しか見なかったのか。謎が残る。

イラン・リアルが少し残っているので、空港の免税店でお菓子を買った。免税店の女店員は、私が日本人だとわかると、「私の叔父は日本で働いたことがある。日本人の女性と結婚していっしょにテヘランに住んでいる」と言っていた。

12時ごろにテヘランを飛び立ったカタール航空便は1時間半のフライトの後ドーハ空港に着陸した。クアラルンプール行きの便は翌日の午前1時50分。12時間余りの待ち時間になる。もっと短い待ち時間を選択することもできたのだが、たった1時間半の待ち時間では短すぎる。

カタール航空は長い待ち時間の乗客に対して市内のホテルでの休憩を無料で提供している。ホテルまでの往復も無料だ。2017年のチェチェン旅行の際にこのサービスを利用したことがある。

空港内のトランジット・カウンターで問い合わせてみる。残念ながら無料ホテルの恩恵に与ることはできなかった。短い待ち時間の乗り継ぎがあるにもかかわらず、わざわざ長い待ち時間を選択したのがその理由。

長椅子を並べたQuiet Roomで少し休んだあと、空港内をぶらつく。City Tourと銘打ったデスクが目に入った。3時間のドーハ見学ツアーだ。2時間ごとに出発するらしく、次回の出発時間は6時だ。値段も29ドルと、そう高くはない。6時出発なら9時過ぎには空港に帰ってくる。参加しない手はない。

20人ほどのをトランジット客を乗せたバスは陽の暮れかかったドーハの街に入る。私がドーハに入るのは3度目だが、いずれも乗り継ぎ時の数時間の滞在だ。ツアー参加者の国籍や行き先はさまざま。インドを旅行して帰国の途にあるスウェーデン人、米国のIT企業で働くインド人の青年、スペインに向かう韓国系米国人の女性、そしてかなりの数の中国人観光客など。北京帰りのアゼルバイジャンの男性2人もいた。

ドーハの夜景を見るのは初めてだ。ドバイ同様、光に輝くモダンな高層ビル群が目の前に展開される。ラクダが休んでいる場所も通過した。ガイドの説明もあったが、よく聞き取れなかった。

ラクダ


最後はこのツアーのハイライトであるスーク(市場)に立ち寄る。ここで30分ほどの自由時間。8時過ぎのスークはカタールの地元民や外国人観光客で賑わっていた。

ドーハのスーク


ちょうど9時に空港に戻る。いい時間つぶしになった。といっても搭乗時間の午前1時50分まではまだかなり時間がある。

クアラルンプールに着いたのは現地時間で午後3時近く。ここでも待ち時間が8時間ほどある。空港内のSama Sama Express Hotelで体をやすめることにした。6時間で87ドル。マレーシアにいったん入国してターミナル2まで移動すれば、6時間40ドルほどのホテルがあるが、もう精も根も尽き果てている。40ドル余り余分に支払って楽をとった。

関空出発のカタール航空便を選んだのは失敗だった。ドーハまではマレーシア航空との共同運行便(実質的にはマレーシア航空便)で、クアラルンプールとドーハを経由しなければならない。これに対し、成田からドーハまでのカタール航空便は正真正銘のカタール航空便で、直接にドーハまで飛ぶ。新幹線を使ってでも成田から出発したほうが、ずっと楽だっただろう。

関空には翌日の早朝に着いた。20日近くのイランへの旅はこうして終わった。

イランでは、ぼられたれたり、詐欺まがいの行為に遭遇したり、ぶっきらぼうに対応されたりしたことももちろんあった。だが、年老いた一介の外国人旅行者である私に対して示された好意、ときにはおせっかいなまでの親切、笑顔の数々は、そうしたネガティブな体験を圧倒して印象に残っている。ルーマニア、ミャンマー、パキスタンなどと並んで、イランもmy favorite countriesのひとつになった。

2023年6月5日月曜日

イラン2023 テヘラン探訪(Tajrish Bazaar)

 5月6日。

イラン最後の日。ホテルの前でSnappタクシーを呼ぶ。テヘラン北部にあるTajrish Bazaarへ行くためだ。

ホテルの前ではスムーズにSnappタクシーとドッキングできる。30分以上かけてTajrish Bazaarに着く。 料金は71トマン(約1.5ドル)。

バザールとその付近はかなりの賑わいだった。動画や写真を撮りながらバザールを一巡し、土産用のお菓子を購入する。

Tajrish Bazaar(1)


Tajrish Bazaar(2)

バザールの外へ出る。モスクの前では無料の食事を配っていた。小さなプラスチックの包みも配っている。好奇心から私もひとつもらったが、塩だった(不要なので返した)。

モスクの入口


商店が並んだ通りの動画を撮っていたときのことだ。地下鉄の入口が見えたので、これも動画に収めようとしていたら、入口にたむろしていた3、4人の警察官から動画の撮影を遮られた。動画の撮影にストップをかけただけで、撮影の中身はチェックされず、削除も求められなかった。動画の撮影一般がダメだったのか、それとも地下鉄の撮影がダメだったのか。おそらく後者だろう。

 地下鉄の存在を知ったからには、帰りはもちろん地下鉄だ。電車の中で、隣に座った中年の男性が話しかけてくる。英語ではないので、理解不可能だ。なんとか彼がアゼルバイジャンの出身であることだけはわかった。アゼルバイジャンならロシア語が通じるだろうと思い、ロシア語で話しかけたが、要領の得る答は返ってこなかった。

昨日もショッピング・モールの外で2人の若者から声をかけられたが、彼らもアーザリー人だった。このあと、帰国途上のドーハ空港でも2人のアゼルバイジャン人に遭遇することになる。イランにかなりの数がいるはずのクルド人とは出会っていないが、なぜかアーザリー人との出会いが多い旅だった。

地下鉄はエマーム・ホメイニイ駅まで行ったが、途中のSaadi駅のほうがホテルに近いことに気づき、再度地下鉄に乗って引き返す。

夕食は例の通りファーストフード店のホットドッグで済ませた。

明日は午前11時50分発のカタール便でドーハとクアラルンプールを経由して帰国の途につく。

空港までのタクシーをホテルに依頼しておく。Snappを利用したほうがずっと安いだろうが、最後の最後でへまをしたくないので、安全策をとった。

イラン・リアルがかなり残りそうなので、ホテルでドルに両替してもらった。両替で手にしたのは35ドル。