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2024年10月20日日曜日

トルコ2024 六、七日目(マルディン)

 9月29日

8時40分にテラスに出て朝食をとる。オーナー兄弟の母親が次から次へと皿を運んでくる。その数に圧倒された。

豪勢な朝食


10時半にホテルを出て、マルディンを探索する。山のふもとに広がる景観はなかなかのものだ。

マルディンの景観(1)


マルディンの景観(2)

歩き疲れ、野外カフェで紅茶とアイスクリームを注文し、一休みする。

カフェで一休み

ANA TALiA Houseが面している石畳の細いストリートも趣がある。

マルディンの裏通り


マルディンには2泊する予定だったが、一日延泊することにした。次の目的地は首都のアンカラに決めた。マルディンからカッパドキアに向かうという選択肢もあるが、マルディンからカッパドキアへの空路直行便はなく、インタンブールかアンカラを経由する必要がある。長時間のバスの旅は最初から選択肢にない。Trip.comでアンカラ行きのフライトを調べたところ、明後日(10月1日)ならAjetの約6800円の格安便がある。明日の便はすべて軽く一万円を超えている。ここはもう一日マルディンに留まるのが賢明だろう。

ケバブのサンドイッチとファンタを持ち帰り、夕食とした。合計120リラ(500円ほど)。ホテルのPOSマシンはまだ修復しておらず、宿代は未払いのまま。

9月30日

POSマシンは今朝になっても直っていない。明日修復されるという補償もないので、いざとうときのためにATMから現金を引き出す必要がある。これはできれば避けたかった。カードがATMマシンに吸い込まれることを恐れていたからだ。そのうえ、マルディンのATMには英語を表示する選択肢がない。

そこで目を付けたのが銀行に隣接するATMだ。銀行に入り、「ATMを使いたいが、英語の表示がないので手助けしてほしい」とお願いする。この願いは聞き入れられ、問題なく3泊の代金6000リラを引き出すことができた。これでPOSマシンの好不調にかかわらず支払いが可能になり一安心。

ここ数年「旅行先で散髪する」が恒例になっているが、物価が予想以上に高いトルコでは躊躇していた。しかし、たっぷり時間もあるところから、小さな理髪店に入り、値段を尋ねる。300リラ(1300円弱)とのこと。日本の千円カットとほぼ同じだ。髪を切って貰うことにした。英語をしゃべる先客の男性(トルコとクルドの混血とのことだった)が値段やカットのやり方を通訳してくれた。散髪の途中で紅茶で小休憩したのがトルコらしい。

理髪店で店主と一緒に


3時にホテルに戻り、一休み。ホテルをチェックアウトしようとしていた若いトルコ人女性3人組のひとりから話しかけられる。

メキシコで出会った生まれも育ちもトルコの日本人青年が「ヒジャブ(ヘッドスカーフ)の被り方や髭ののばし方を見れば、その人の宗教観や政治的傾向をほぼ推測できる」と言っていたのを思い出した。短パンなどの開放的な服装の彼女たち。もちろんヒジャブは着用していない。英語も流暢だ。おそらくキューバで出会ったトルコ人男性(「私は宗教的ではない」と言っていた)と同じような世界観なのだろう。

「sensitiveなtopicだが」と前置きしたうえ、トルコ人とクルド人の関係について尋ねてみた。sensitiveなtopicであることに同意したうえ、彼女は「私たちはトルコ人とクルド人を区別(differentiate)していない。まとまって(unifid)いけばいい」と言う。

夜に外出し、メインストリートの動画を撮る。レストランでPideと呼ばれるトルコ風のパイを注文し、夕食とした。210リラ(900円ほど)。明日は首都のアンカラに向けて飛ぶ。

メインストリートの夜


Pide

2024年10月19日土曜日

トルコ2024 五日目(マルディン到着)

 9月28日

今日はバスでマルディンへ向かう日。8時過ぎに朝食を済ませ、早めにホテルをチェックアウト。バス・ターミナル(トルコでは「オトガル」と呼ばれている)行きのミニバスをなんとか見つけ(料金は20リラ)、12時発のマルディン行きのバスに乗ることができた。ディアルバクルからマルディンまでは1時間半の道のりで、料金は200リラだった。

マルディンへ


マルディンのオトガルに到着し、市内までのバスを探す。それらしき停留所で待つが、バスはいっこうに来ない。やむを得ず、目星を付けておいたANA TALiA Houseまでタクシーで向かう(250リラ)。

ホテルを予約していなかったのには理由がある。トルコではBooking.comが制限を受けているからだ。Booking.comを通じてトルコ国内のホテルを検索することはできず、予約もできない(トルコ以外のホテルなら検索も予約も可能だ)。イスタンブールとディアルバクルの宿はBooking.comを通じて予約したが、これはどちらも日本にいたときに行ったものだ。

Trip.comやアゴダを使えばトルコの宿の予約は可能だが、使い勝手が悪く、予約する気になれなかった。以降、Trip.comとアゴダで評判のよいホテルをマークしておき、直接訪れる方法に切り替えた。

ANA TALiA Houseは細い石畳の裏通りにあり、その雰囲気は評判どおりだった。朝食付きで1泊2000リラ(約8500円)と、値段もなかなかのもの。この日はクレジットカードを処理するPOSマシンが不調で、支払いは後日となった。

ANA TALiA House

ディアルバクルと同様マルディンもクルド人の街だが、人口は10万人に満たず、人口56万のディアルバクルよりずっと小さい。そのぶん観光に特化している。

シリアにも近いこの地域の歴史や民族構成、言語は複雑だ。クルド語が主流だが、トルコ語も話され、アラビア語をしゃべる人もいる。宿のオーナーは「アッシリア」の影響にも触れていたが、私にはよくわからなかった。

ホテルから5分も歩けばメインストリートに出る。メインストリートの端の広場まで行くと、山頂の城や斜面にへばりついた家屋が見えた。

マルディンの広場

メインストリートに沿ってすこぶる賑わっているレストラン(Tarihi Sultan Sofrasi)があったので、入って遅めの昼食(あるいは早めの夕食)をとることにした。「ローカルフード」だといって勧められた料理を試してみた(ほとんどの人がこの料理を注文していた)。料金は410リラ(約1700円)と、このエリアにしては高め。

賑わうレストランで昼食兼夕食(午後5時ごろ)

あとでグーグル・マップで調べると、このレストランの評判は上々で、日本人による称賛の書き込みもあった。だが、私には料金に見合うほどの内容とは思えなかった。ケバブとの相性が悪いのかもしれない。

日が暮れてからホテルに戻り、残り物のお菓子とコーラで夜食とした。

2024年10月18日金曜日

トルコ2024 三、四日目(ディアルバクル)

 9月26日

ディアルバクルまでのフライトは17時15分にイスタンブール空港を発つ。あわてる必要はないが、8時過ぎに朝食をとり、12時にチェックアウト。イスタンブール空港は市街から離れており、1時間45分かかる。そのうえ、路面電車、バス、地下鉄を乗り換えて行くともなれば、2時間以上は見込んでおく必要がある。あわてる必要はないが、チェックアウト後、ただちに空港に向かった。

定刻通りに飛び立ったターキッシュ・エアラインズの便は夕刻7時すぎにディアルバクルに到着した。Booking.comを通じて予約してあるKoprucuホテルまでタクシーで行き(350リラ)、8時過ぎにチェックインした。このホテルはメインストリート近くに位置しており、朝食付き1泊約6000円だった。

ホテル近くのケバブのチェーン店で夕食をとる。ラップしたケバブとコーラで130リラ(550円ほど)。イスタンブールの旧市街に比べればリーズナブルな値段だ。

Koprucuホテル(翌日撮影)


9月27日

8時過ぎに朝食をとる。朝食の場で3人の東洋人の女性を見かけた。中年の女性2人と比較的若い女性1人。韓国語をしゃべっているようなので、韓国語で挨拶をしておく。3人とも韓国の日常からそのまま出てきたような感じで、旅行者らしくなかった。トルコのクルド地方まで足をのばす東洋人バックパッカーのイメージとはほど遠く、それがかえって新鮮だった。

ディアルバクルは城壁に囲まれた街だ。城壁の中央をメインストリートが貫いている。10時半にホテルを出て、メインストリートを歩く。Ulu Camil(ウル・ジャーミィ)という大きなモスクがあるので、立ち寄った。かつてはキリスト教会だったらしいこのお寺はトルコの一般的なモスクと様相を異にしている。祈りの時間ではなかったので、中に入ることができた(無料)。

ウル・ジャーミィ


城壁に沿って歩く。城壁の下では家族連れで食事をとっている様子も見られた。

城壁


小さな公園に入る。ベンチの代わりに座して休むためのカーペットが敷かれている。靴を脱ぎ、横になって休む。インスタブール同様、ディアルバクルも猫が多い。一匹の猫が足元に寄ってきたので、しばし戯れる。

公園で一休み


2時ごろにレストランで昼食。ケバブ、ライス、サラダ、ミネラルウォーターで260リラ(1000円強)。量はたっぷりあったが、味のほうは...私向きではなかった。

ケバブで昼食

ホテルに戻り、6時ごろに再び街に出る。4本足のミナーレを見てから、夜のメインストリートを散歩。昼食で腹がいっぱいだったので、夕食はお菓子をちょっと食べただけで済ませた。

4本足のミナーレ

夜のディアルバクル

明日はディアルバクルのさらに南にあるMardin(マルディン)にバスで向かう。

2024年10月17日木曜日

トルコ2024 一、二日目(イスタンブール)

 イスタンブールをはじめて訪れたのは15年前、2009年のこと。ターキッシュ・エアラインを利用したジョージア(グルジア)への旅の途中に立ち寄り、確か2泊した。その後もトランジットでイスタンブールを訪れる機会は2回ほどあった。いずれも数時間の滞在だった。

トランジットでイスタンブールに立ち寄っただけでトルコを旅したと称するのはおこがましい。さらに今年、キューバ・メキシコおよびアゼルバイジャンを旅したとき、トルコにかかわる人たちと知り合う機会が幾度となくあった。

トルコ旅行を思い立ったのはこうした事情からだ。関空・イスタンブール間に直行便があることも大きかった。9月23日関空を発ち、10月9日に帰ってくるターキッシュ・エアラインズの航空券を16万4千円で購入した。2週間近くの旅になる。イスタンブールだけではなく、広くトルコを巡ってみたい。

かくて9月23日21時55分に関空を飛び立ち、イスタンブールに向かった。

9月24日

イスタンブール空港に到着したのは9月24日の早朝5時。まずは両替とSIMカードの購入。40ユーロをトルコ・リラに交換し、いくつかあるSIMカードの販売店のうち、Vodafoneを選び、1か月間有効の20GBのSIMカードを購入した。代金はクレジットカードで支払ったが、あとで確かめると8千円を超えていた。法外な値段だ。トルコはSIMの値段が高いうえ、空港では特に割高になるらしい。市内に出てから購入したほうがよかったかもしれないが、ネットに接続していないと市内に出るのに苦労するから、やむをえない選択といえよう。

宿はBooking.comを通じて旧市街に予約していた。旧市街に出るにはエアポートバス(Hvaist)が便利だが、200リラ(800円超)以上する。地下鉄とバス、路面電車を利用すれば、100リラ以下で行ける。時間はたっぷりあるから、後者で行こう。

地下鉄、バス、路面電車を利用するにはイスタンブール・カードという、SUICAに似たカードが便利だが、ここで失敗した。地下鉄の改札口でPttカードなるカードを買ってしまったのだ。このカードでは地下鉄は乗車できるが、バスや路面電車には乗車できない。ただし、バスや路面電車もクレジットカードに対応しているから、イスタンブール・カードがなくても乗車できないわけではない(現金は不可)。

3つの交通手段を苦労して乗り継ぎ、予約していた旧市街中心部のSunlife Oldcityホテルに到着したのは午前8時ごろだった。このホテルは朝食付きで1泊約7500円。旧市街中心部のホテルは総じて高く、個室ではこのへんが最低ラインだった。

チェックインは午後2時からということなので、荷物を預け、イスタンブール最大の観光スポットであるブルー・モスクやアヤソフィのあたりをぶらつく。活発に歩き回ったわけではない。機内ではほとんど寝ていなかったから、疲労が激しく、ただただベッドの上で休みたかった。

とあるレストランで昼食をとる。ケバブをラップした料理とコーラで465リラ。日本円で1900円(その日のレートである1リラ=4.2円で換算)。この内容で2000円近くとはおどろきだ。ぼられたわけではない。この界隈のレストランは軒並み400~600リラの値段だった。

初日の昼食


1時ごろにホテルに戻りチェックイン。5時ごろまで休み、再度街へ出る。目指すはグランド・バザール。ホテルからブルー・モスクまでは徒歩で10分以内だが、グランド・バザールまでは20分以上かかる。グランド・バザールは2009年にも訪れた場所で、そのときの印象とあまり変わりない。

グランド・バザール

昼間のレストランが高すぎたこともあり、夕食はマクドナルドの持ち帰りにした。ビッグマック、フレンチフライ、チョコレートシェイクで270リラ(1100円ほど)。のはずだったが、ホテルに戻って袋からとりだすと、なんとチョコレートシェイクが入っていない。マクドナルドで詐欺ということもないだろうから、店員のミスと思いたい。持ち帰るときにチェックしなかった私にも非があるかもしれない。

そんなこんなで初日はかなりネガティブな気になった。疲れ切っていたので、この日は夜の8時に寝入っていた。

9月25日

8時半に朝食をとる。豪華でも貧弱でもなく、値段相応の朝食。

ビュッフェ式の朝食

11時ごろに街へ出で、徒歩でエジプシャン・バザールとガラタ橋を目指す。エジプシャン・バザールはこれまで足を踏み入れたことがなかった。そもそもその存在すら知らなかった。グランド・バザールよりやや小さいが、雰囲気は似ていた。

ガラタ橋を渡り、新市街を垣間見てから旧市街に戻る。シミットと呼ばれる輪状のパンと水を屋台で購入し、日陰に腰掛けて昼食とする。パンと水で25リラ(100円ちょっと)だった。シミットはまずくはないが、歯の悪い私には固すぎた。

シミットとミネラルウォーターで昼食

初日に買いそびれたインスタンブール・カードを購入したうえ、3時ごろにホテルに戻る。疲れていたせいで、5時ごろに寝入ってしまった。夜8時ごろに目が覚め、再度寝入る。夜はポテトチップスをかじったぐらいで、夕食は抜き。

明日はクルド人が多く住むトルコ南東部のDiyarbakir(ディアルバクル)に飛ぶ。インスタンブールからディアルバクルまでの航空券はTrip.comを通じて日本で購入済みだ。ターキッシュ・エアラインズの便で、代金は12,720円だった。

2024年9月16日月曜日

Guy de Maupassant: Une Vie(女の一生)


 著者:Guy de Maupassant

刊行:1883年

評価:★★★★★

Kindle版(無料)

2024年7月24日読了

モーパッサンは高校時代にいくつかの短編を読んだことがある。もちろん翻訳でだ。内容はほとんど覚えていないが、わかりやすくおもしろかった。その後、フランス文学に相当入れ込んだにもかかわらず、モーパッサンには手を出していなかった。なぜだかはよくわからない。だが、「わかりやすくおもしろい」から「軽い」という印象が生まれ、ことさら重厚で難解なものをありがたがる若者にありがちな虚栄心が働いていたのかもしれない。

しかし、電子本の普及のおかげで、モーパッサンの原書をほとんどすべてを無料で読める時代になった。約60年ぶりに彼の作品に手を出したのはこうした事情からだ。Boule de suif(脂肪の塊)、La folle(狂女)、La parure(首飾り)などに続き、モーパッサンの作品のなかでももっとも世に知られているUne Vie(女の一生)へと読み進めた。

邦題は「女の一生」だが、原題はUne Vie、すなわち「ある生涯」で、「女」は入っていない。

物語は17歳の主人公Jeanneが修道院から両親のもとへ戻ったときから始まり、晩年を迎えるまで続く。主人公は没落したとはいえ貴族の身分であり、労働の経験もなければ社会も知らない。ほぼ同時代のエミール・ゾラの小説の主人公たちが貧困のなかであえいでいるのとは対照的だ。

ストーリー・テラーのモーパッサンだけあり、世間知らずのJeanneの人生も山あり谷あり(谷あり、さらにもっと深い谷ありと言ったほうが正確か)で、夫の度重なる不倫をはじめとし、それなりに波乱に富んでいる。が、彼女は最初から最後まで他人依存だ。父親に頼り、父亡き後は一人息子のPaulを生きがいとする。

Paulはフランスを離れ、母親からも離れ、お金が必要なときだけ手紙を送ってくる。土地も財産も売ってしまった晩年の彼女にはそれでも因縁あさからぬ乳姉妹であり下女でもあるRosalieが付き添っている。

それほど苦労せずおもしろく読めた。ゾラの「居酒屋」やバルザックの「ゴリオ爺さん」を読むのに四苦八苦したのとは大違いだ。この違いはどこにあるのだろうか。ひとつは描写の濃密度の違いだ。ゾラやバルザックの緻密さに比べ、モーパッサンは比較的あっさりしている。このためか、ゾラやバルザックのほうが、ずっしりとした重みを感じる。

だからとってモーパッサンのほうが劣っているわけではない。文学作品のおもしろさは、ストーリーに加え、どれだけ人間が描かれ、社会が反映されているかにある。他者に依存するしかない没落貴族の娘もその時代の反映であり、その悲しさは十分に伝わる。偏狭な新任司祭に敢然と立ち向かう父親、没落した女主人を支えるRosalieなど、登場人物も十分に魅力的で印象に残る。

2024年8月1日木曜日

アゼルバイジャン2024 十日目、十一日目(夜のバクー、帰国)

 7月14日

バクーのどの旅行代理店もBaku Night Tourと銘打ったツアーを催行している。このツアーに参加するかどうか迷った。料金は50~60マナト(5000円程度)でそう高くはない。だが、3日連続でツアーというのもなんだけ気が引ける。夜のバクーは自分だけで探索しようという結論になった。

夜になる前にバクーのBlack Cityを見ておきたい。Black Cityとはバクーの南西部にある地区で、19世紀から20世紀にかけてバクーの石油産業の拠点だった。Black Cityという名前は工場や精油所から排出される黒煙に由来する。石油が生み出す富がバクーの光の部分だとすれば、Black Cityはその影の部分といえる。「Baku Slum」で検索すると往々にしてBlack Cityが出てくる。

Black Cityの最寄りの地下鉄駅はŞah İsmail Xətaiらしい。地下鉄でXətaiまで行く。だが、街並みは普通でスラムからはほど遠い。もちろん黒煙はまったく見られない。予想はしていたことだが、「バクーの陰の部分」の探索は完全に失敗した。

Xətai


再び地下鉄でバクーの中心部に引き返し、Nesami Streetで遅めの昼食をとる。路上にテーブルを出している小さなレストランでケバブとスプライトを注文。量が多く、パンはとても食べきれなかった。15マナト(1400円ほど)。

遅めの昼食

ホテルに戻って休憩。7時を過ぎたので、やおら「Baku by Night」の探索に出る。7時を過ぎているとはいえ、外はまだ明るい。カスピ海沿いにDeniz Mallを目指してぶらぶらしているころに日は暮れてきた。「Baku by Night」などと見得を切ってみたが、行く場所がない。ライブ音楽をやっているレストランは至るところにある。しかし、流れてくる音楽に耳を貸しても、入る気にはならない。Beer Barという看板も見かけるが、食事は出さず、ビールを飲むだけらしい。

結局、ネオンに輝く夜のバクーをぶらつくだけの「探索」に終わってしまった。

夜のバクー(1)


夜のバクー(2)

泉の夜景(Fountain Square)

せめてもと缶ビールを買ってホテルに戻った。これがアゼルバイジャンで飲む最初のアルコール。

7月15日

今日は帰国日。ドバイ行きのFlydubai(エミレーツ航空の子会社)の便は18時ドバイ発だから、3時ごろに空港に向かえばよい。

ということで、11時過ぎににホテルをチェックアウトし、バクー2日目に行こうとして見つからなかったタザ・バザールを再度目指す。見つけたのはTaza Basarの看板だけ。ここでやっとバザールが移転したことを知る。

街の中心へ戻る途中、理髪店に入る。恒例の「旅行先での散髪」だ。料金は20マナト(2000円弱)ということだった。日本の1000円カット(今は1300円か)より高いが、記念のためだと思い切った。ところが、料金を支払う段になると、25マナトだと言われる。理由はよくわからないが(バックも刈ったからと言っていたが理由にならない)、支払うしかない。ここでもぼられてしまった。こうした経験が積み重なると、アゼルバイジャンの印象が悪くなる。公平を期すために言っておくと、親切なアゼルバイジャン人に助けられた体験も少なくない。

旧市街の近くに戻り、Dolmaというレストランで昼食をとる。バクーの旅行記などでしばしば紹介されているレストランだ。「満席で待たなければならなかった」という記事が多かったが、数多くのテーブルがある大きなレストランで、1時半という時間帯にもかかわらず空席はいくつもあった。スープ(トマト・スープだったかな)、挽肉をかけたライス(料理名は覚えていない)、アゼルバイジャンのビールを注文した。正確な値段は覚えていないが、30マナト(3000円弱)くらいだっただろう。

Dolmaで昼食


慎重を期して2時過ぎにBoltでタクシーを呼び、バクー国際空港へ向かった。

コーカサスの山を越え...


夜のドバイに到着

ドバイでの待ち時間は6時間。長椅子に横になってひたすら休み、真夜中の3時に飛び立つ関空行きのエミレーツ航空便を待った。

「まだ行ったことがないから」という消極的な理由で訪れたアゼルバイジャンだが、それなりに楽しめた。楽しめた最大の要因は、いろいろな国から来ている旅行者と交流できたことだ。

だが、肝心のアゼルバイジャン人と深い会話をする機会はなかった。アルメニアとの紛争をどう考えるか、アリエフ親子がつくりあげている政治体制に不満はないのか、そもそもこうしたことを語り合える自由があるのかどうか。こうしたことに探りを入れるチャンスすらつくり出せなかったことが悔やまれる。

アゼルバイジャン2024 九日目(バクー市内ツアー)

 7月13日

8時過ぎに朝食をとる。ビュッフェ式の朝食はMadinah Hotelに比べれば規模も小さく、品数も少ないが、不満を言うほどのレベルではない。

欧米系の女性2人組が朝食の場にやってくる。母子か姉妹か、ただの友達か。若いほうは10代くらい。ハローキティのTシャツに短パン。腕や腿には派手なタトゥー、鼻にはピアス。ひょっとしたはずみから会話が始まる。彼女たちはルーマニアから来ていた。ルーマニアは私のお気に入りの国のひとつで、話が弾む。話題はチャウシェスク時代からデモクラシー、イラン旅行にまで及ぶ。これにエジプト人男性も加わり、賑やかな朝食となった。

Sherlock Hotelの朝食


今日はBaku City Tourに参加するつもりだ。予約はしていない。昨日と同様にATI Travelのツアーにしてもいいが、一昨日に無料の旧市街ツアーを提供してくれたTES Tourを利用するのが礼儀だろう。

10時前にTES Tourを訪れる。一昨日は申込者が私だけで中止になったBaku City Tourだが、今日は土曜日ということもあり、問題なく催行されそうだ。料金は50マナト(5000円弱、ランチや各種入場料は含まない)。旧市街を出発した小型バスは途中いくつかのホテルに立ち寄り、参加者を拾っていく。ガイドは60代の男性。同行者の内訳は、パキスタン人女性2人、エジプト人2人、トルコ人4人、英国人、米国人、イタリア人、日本人(私)各1人。なぜかロシア人はいない。ガイドは英語に加え、トルコ人に対してアゼルバイジャン語でも説明していた。

Baku City Tourといっても、行き先はバクー市内に限らない。舗装されていないでこぼこ道を1時間近くかけて到達したのはMud Volcanos(泥の火山)。地下から噴出する天然ガスによって泥が泡立っている。こうした火山がいくつもあり、一帯はまるで月の表面だ(見たことはないが)。確かに奇景ではある。

泥の火山

泥の火山をあとにしてゴブスタンに向かう。これも奇景だ。ゴツゴツした岩の群れ。これらの岩には人や動物の絵が彫り込まれており、考古学的な価値があるらしい。

ゴブスタンの岩群

ゴブスタン全景

3時近くになってやっとランチの時間。ビュッフェ式のレストランだが、それぞれ好みの皿をとって最後に会計で支払うのではなく、ウェイターに好みの皿を指差しで告げ、それをウェイターがそれぞれのテーブルに持ってくるという、ややこしいシステムだった。

私はパキスタン人女性2人、米国人、英国人、エジプト人と同席した。私が注文したのは肉とジャガイモ、ジャガイモのサラダ、ヨーグルト。15マナトちょっとだったが、最後にウェイターに16マナトを支払おうすると、ウェイターは微妙な表情をして、お金を会計に持っていかない。チップがほしいのだ。やむなく20マナト札を出す。料理はおいしかったが、私にとっては量が多すぎた。

昼食

朝食後に向かったのはAteshgah Fire TempleとYnardag Burning Mountain。この2つの施設への入場チケットはまとめて購入でき、15マナトだった。

これらはどちらも「火」に関係しており、火の宗教であるゾロアスター教につながる。ガイドからいろいろ説明があったが、基礎的な知識の不足のために頭に入ってこないのは昨日と同様。

Ateshgah Fire Temple

Ynardag Burning Mountain

最後にHeydar Aliyev Centerを訪れる。Heydar Aliyevはソ連時代から30年以上にわたってアゼルバイジャンを支配してきた、いわば独裁者だ。現在の大統領はその息子。ザハ・ハディッドという有名な女性建築家の設計によるこの建造物は現在ではかっこうの観光スポットになっている。

Heydar Aliyev Center

旧市街に戻り、ツアーを解散したときには午後6時を過ぎていた。

ツアー同行者との会話が楽しかったのはいつものこと。立派な髭をたくわえた米国人から「日本人ですか」と日本語で話しかけられたのにはびっくりした。カリフォルニアの大学で日本語を学習したという。日本語だけでも結構話が通じるが、「もう6年間日本語にほとんど触れていないの忘れてしまった」とのことだった。米国の大統領選については「そもそも50%近くの米国人がトランプに投票するのが問題だ」と言っていた。

パキスタン人女性2人はカラチから来ていた。ひとりは精神科医、もうひとりは世界銀行勤務で、いわばパキスタンのエリートだ。世銀勤務の女性は村上春樹の愛読者だった。「ノルウェーの森」と「女のいない男たち」を読み、「海辺のカフカ」に手を出そうとしているところだった。彼女の父親は国連の研修で日本に4か月ほど滞在したことがあり、「人は親切で、街はきれいで、世界最高の国だ」とべた褒めだったという。私が褒められたわけではないが、聞いて悪い気はしない。

ドバイで働いているエジプト人は「昨日はワインを3本空けた」と言っていた。「モスレムか」と聞くと「そうだ」との答え。イスラム教徒にもいろいろいるものだ。

スーパーでコーラとアイスクリームを買ってホテルへ戻る。