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2024年6月11日火曜日

キューバ2024 十二日目(メキシコへ戻る、若干の感想)

 4月10日

今日はメキシコシティへ戻る日だ。フライトは17時15分。11時半にホステルをチェックアウトし、空港までのタクシーを手配してもらう。30ドルとのこと。空港から市内へ来るときは25ドルだったから、少し高いが、ここで5ドルを値切る気はない。

ホステルに荷物を預けて外へ出る。歩いて10分ほどの革命博物館へ行く。受付はいたが、なぜか中へ入れない。スペイン語なのでよくわからないが、改修中だったのだろうか。

革命博物館


ホステル付近の風景

ホステルに戻って少し待つと、感じのよい青年が運転するタクシーが約束の1時半ちょうどに迎えに来た。空港内でハンバーガーとコーラの昼食をとる。トラブルの噂も聞くハバナ出国だが、すべてスムーズに進行し、特に問題もなく出国できた。アエロメヒコ便は定刻通りハバナを飛び立ち、3時間半のフライトでメキシコシティに着いた。これでキューバ旅行の終了。

ハバナ空港

メキシコのついでに訪れたキューバだが、行った価値は十二分にあった。いくつかの印象をランダムに挙げておこう。

(1)日本の外務省の資料によると、キューバの人口構成はヨーロッパ系25%、混血50%、アフリカ系25%ということだ。私の印象もほぼこの統計に符合している。メキシコやグアテマラなどとは異なり、インディオ系はほぼいない。その代わり、奴隷として連れてこられた黒人の末裔が人口のかなりの部分を占める。カリブ海の他の国も似たような事情かもしれない。表面的には人種間の軋轢はあまりないようだが、実際のところはわからない。ガイド、ホテルの従業員、クラシック・カーの運転手など、観光客を相手をする場面では白人の割合が高いように感じたが、黒人もいないわけではない。

(2)ハバナでは音楽があふれていた。録音した音楽ではなく生の音楽だ。観光客向けのレストランだけではなく、街角のいたるところでギターやコンボの演奏を耳にした。ひとりの場合もあれば、3、4人の集団の場合もある。演奏者は中高年の男性が多かったように思う。日本でも流行ったブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを生で楽しむ機会が遍在しているのがハバナだ。音楽があれば、当然ダンスもある。ダンスを目にする機会も多かった。

ストリートの音楽とダンス

(3)キューバでの両替レートは一定していない。昨日は1ドル=300ペソで両替したのに今日は320ペソ。昨日ぼられたとは限らない。ぼられた可能性もあるが、インフレのおかげで実際にペソの価値が下落しているのかもしれない。ことほどさようにインフレが進み、物価が上昇しているなか、キューバ人の生活は苦しく、明るくなる兆しも見えない。だが、こうした現実と対照的にキューバの人たちは陽気でフレンドリーだ。夕方、人々は戸口に座り、話し込んでいる。私のような外国人が通ると声がかかる。子供たちも路上で遊んでいる。日本では失われた「路地での生活」が今も生きているのだ。スペイン語を勉強してこなかったのが悔やまれる。スペイン語がある程度理解できれば、通りにたむろしているおじさんやおばさん、おじいさん、おばあさんたちとどんなにか興味がある会話を交わせたことか。

(4)街のところどころに「2+2=5」という落書きを見かけた。 何を意味するのか不可解だったが、帰国後にネットで調べると、これはジョージ・オーウェルの小説「1984」から来ているらしい。この小説には自由とは2+2が4であると言える自由である」という一節がある。だとすれば、この落書きはプロテストの落書きといえる。

2+2=5

(5)キューバ旅行中、日本人の姿をひとりも見かけなかった。韓国人にも出会わなかった。中国人は多いだろうと予想していたが、ウォーキング・ツアーで出会ったカップル(彼らは米国在住)以外には、中国人男性ひとりから声をかけられたのみ。相対的に多かったのがロシア人観光客だ。市内ツアー中には葉巻の店でロシア人団体に遭遇し、少し言葉を交わした。宿を探ししているときには、「キューバもロシアと同じ独裁国だ」と言うロシア人のソロ旅行者に会った。キューバはロシア人が心おきなく旅行できる数少ない国のひとつのようだ。

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