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2024年6月9日日曜日

キューバ2024 八日目、九日目(ハバナ、ビニャーレス渓谷)

 4月6日

トリニダーから直接にハバナに戻ってきたため、今日からさらにハバナで4泊することになる。サンティアゴ・デ・クーバは無理としても、トリニダーとハバナの中間のどこか(たとえばサンタ・クララ)で2泊くらいしておけばよかった。さてハバナでどこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。

目的もなくハバナを散策する。観光のメインストリートであるObispo通りの入口にInfoturというオフィスを見つける。名称からしてツーリスト・インフォメーション・センターらしい。中に入る。予想通り、観光客に情報を提供するオフィスだった。ハバナからの日帰りツアーについて問い合わせたところ、ビニャーレス渓谷(Viñales Valleyを勧められる。ハバナから110Kmほど離れており、料金は60ドルとのこと。検討には値するが、その場では決めずInfoturを出る。

Infotur


昼食はObispo通りのレストランでとった。ハバナの観光客向けのレストランの常でライブ演奏付きだ。肉(チキンだったかな)料理とモヒートで10ドル。料理は可なし不可なしだったが、ライブ演奏はよかった。

レストランのライブ演奏

夕方になり、再びInfoturに立ち寄り、ビニャーレス・ツアーへの参加を申し込む。代金の60ユーロは明日運転手に払ってくれとのことだった。隣の席でトルコ人の男女がツアーの相談をしていた。この男性のほうも明日のビニャーレス・ツアーに参加するようだ。

4月7日

8時にビニャーレス・ツアーの車が迎えに来る。車はもう一カ所立ち寄り、昨日Infoturで見かけたトルコ人男性を拾う。今日のツアーはこの2人だけ。運転手はビニャーレスを車で巡るだけで、ガイドをつとめるわけではない。

ハバナから2時間半ほど走ったところで、最初の景勝地(ビュー・ポイント)に着いた。絶景とまではいかないが、まずまずの眺め。

ビュー・ポイント

ここでトルコ人男性と話す。イスタンブール在住の建築家で、45歳独身。旅の経験はそこそこあるようだ。3か月後に日本を訪れる予定らしい。3か月後といえば7月だ。7月は暑いから避けたほうがよいと助言するも、「暑いのは好きだから問題ない」と言う。

トルコではつい最近地方選挙があり、エルドワン大統領の与党(AK党)が後退、野党の勝利が伝えられていた。これを話題にすると、必ずしも英語が得意ではないトルコ人男性(名前を聞いていたが忘れてしまった)はGoogle翻訳を使って自分の考えを日本語で表示した。スマホの画面には「私は宗教的ではありません。宗教より人権や民主主義を擁護したい」という主旨が示されていた。つまりは野党支持者なのだ。私も「(今回の選挙結果は)トルコにとってよく、世界にとってもよい」と、同じ意見であることを伝える。

これで男性との距離がずっと近くなった。

続けて葉巻農園に向かう。葉巻を乾燥している作業場を見学したあと、葉巻の説明を聞く。試しに吸ってみる機会もあったが、私は辞退した。

煙草の葉の乾燥

葉巻のあとは洞窟の中の探索。小舟に乗って洞窟の中を巡る。これは私にとっては試練だった。薄暗い中ででこぼこ道を歩くのは危険きわまりない。

洞窟の中

洞窟を出てホッとしたところで昼食タイム。レストランに入ったのは2時過。ランチはツアー代金に含まれていない。肉料理とソフトドリンクを注文して12ドルだった。トルコ人男性と併せて二人分の料理が運ばれてくる。量が多い。多すぎる。とうてい食べきれず、半分近くを残してしまった。食糧危機が伝えられるキューバでの出来事。

トルコ人と一緒に昼食

ツアーはまだ終わりではない。壁面に彩色された絵が描かれている場所に行く。なんとも不思議な光景だ。絵がないほうがずっといい。

壁面の絵画

ツアーをすべて終えてハバナに帰ったときには7時を過ぎていた。トルコ人男性と知り合いになり、いろいろと話したことがこのツアー最大の収穫だった。

夕食は今日もまたテイクアウトのハンバーガーで済ませた。

2024年6月7日金曜日

キューバ2024 六日目、七日目(ハバナへ戻る、市内ツアー)

 4月4日

手配してもらっていた乗り合いタクシーが8時15分に迎えに来た。トリニダーでの滞在を心地よいものにしてくれた民宿のオーナーに感謝しておこう。

民宿のオーナー夫妻

タクシーはさらにほかの客3人を拾い、ハバナに向けて出発する。乗客の2人はコロンビア人のカップルだった。首都ボゴタの出身で、2人とも流暢な英語をしゃべる。

ハバナ近くで私だけタクシーを乗り換える。コロンビア人が通訳してくれたところ、「今乗っている車はハバナ空港まで行く。空港まで行ってからハバナ市内に行くのは遠回りだから、ここで別の車に乗ってくれ。料金を余分に払う必要はない」とのことだった。コロンビア人は今日帰国で空港まで行くらしい。

ハバナでの宿は決めていなかったので、とりあえず中心部のセントラル・パークまで送ってもらう。この近くに1泊35ドルのホテルがあることは調査済みだ。しかしそのホテルは満室だった。しばらく前から外は雨。雨の中で宿泊先を探さなければならい。再びLido Hotelに泊まるという選択肢はなかった。満足のいく滞在ではなかったからだ。結局、Lido Hotelと同じ通りにあるHostel Peregrindというホステルに泊まることにした。朝食付きで1泊35ドルで、ネットでの評判がよい。Wifiも通っていて、1日1ドルで利用できる。スマホにはSIMカードが入っているから、Wifiがなくてもネットにはつながる。だが、部屋の中ではモバイルの信号が弱く、またタブレットで動画を見たかったこともあり、1日1ドルでWifiのパスワードを購入した。

Hostel Peregrind


午後になり雨もやんだので、トリニダー行きを手配してくれたHotel Plazaへおもむき、明日の英語ガイド付きの市内ツアーに申し込んでおいた。料金は20ドル。

例によって昼食は抜き、ハバナ2日目と同じ店でハンバーガーとビールをテイクアウトして夕食とした。

4月5日

Hostel Peregrindの朝食はまずまずだった。Lido Hotelよりずっといい。宿泊客は私のほかにもう一人いるようだったが、私の朝食時には姿を現さなかった。

Hostel Peregrindの朝食

市内ツアーに参加するためにHotel Plazaに行く。9時にガイドが迎えに来た。ガイドは20代の女性。さらに近辺のいくつかの高級ホテルに立ち寄り、ツアー参加者すべてがそろった。合計9人。私のほかには、中高年のカップルが4組。なんと全員アルゼンチン人だ。

カピトリオ(旧国会議事堂)の周辺をしばらく歩いてから車で革命広場に向かう。カストロが数時間に及ぶ演説をした場所だ。

革命広場

ガイドはまずスペイン語で説明し、続いて私ひとりのために英語で説明する。スペイン語の説明のほうが長くなるのはやむをえない。

車で旧市街に戻り、観光のメインストリートともいうべきObispo通りを経て、カテドラル広場に至る。Obispo通りは観光客で賑わっている。ヘミングウェイが馴染みとしていたバーの前には人だかりがしていた。

さらにそこからほど近いOld Town Squareにまで足をのばす。この途中でモスレムらしき男性の姿を見かけた。おそらく外国人だろう。付近にモスクがあるとのこと。

キューバでは珍しいイスラム

観光もひととおり終わり、昼食となった。昼食はツアー代金に含まれていない。アルゼンチン人カップル4組のうちの1組は昼食をとらずにツアーを離れた。車でガイドが案内するレストランへ行く。時刻はすでに3時近く。

ライブ演奏付きのレストランで私が注文したのはシュリンプ(小エビ)。ビールと併せて26ドルだった。まずくはないが、シュリンプだけなのでちょっと単調だ。

小エビで昼食

ツアー同行者のアルゼンチン人たちは英語が話せない。知っている限りのスペイン語で隣席の初老の婦人に話しかける。ミレイ新大統領を好きかと尋ねると「ノー」の返事。話題をインフレに移すと「ひどいものだ」という表情で、「前の大統領が国からお金を盗んだ」と言う。私のスペイン語能力からして、相手の言うことを正しく理解したかどうかは不明。

車で旧市街へ引き返し、Hotel Plazaの前でツアーを離れる。別れ際にガイドにチップとして5ドルを渡す。

10ドル渡せばよかったとあとで後悔した。そのくらいこの若い女性ガイドにはお世話になった。大学でドイツ語を専攻したという彼女とドイツ語でも少し話してみた。ちゃんとしたドイツ語を話す。フランス語もしゃべれる。海外には行ったことがないという。どの国へ行きたいかと尋ねると、「ドイツ語を学んだからドイツへ行きたい」という答えだった。思わず「ドイツは人が冷たい(kalt)ぞ」と余計な一言をドイツ語で加えてしまった。

女性ガイド

ガイドによれば、キューバでは基本的に国に雇われる形で働く。彼女自身も公務員だ。平均月収は20ドルとのこと。あまりにも低い。一瞬聞き間違えたのか思った。20ドルでは今日の昼食の代金すら払えない。こうしたこともあり、多くのキューバ人は観光客などを相手に第2、第3の仕事をしているという。

ぶらぶらしながら、ホステルへ戻ったのは5時すぎ。昨日と同じ店でハンバーガーとジュースをテイクアウトし夕食とした。

2024年6月4日火曜日

キューバ2024 四日目、五日目(トリニダー)

 4月2日

ちょっと遅めの9時に朝食をとる。パン、フルーツ、チーズ、オムレツ、蜂蜜、ジュースをたっぷり食べた。

民宿での朝食


トリニダーの中心はマヨール広場だ。この民宿は難点はマヨール広場から離れていること。歩いて20分余りかかる。広場に行く途中に古い教会がある。今はもう使われていない半ば朽ちかけた教会で、その朽ちかけた様子に「風情」がある。

古い教会

マヨール広場の中心となっているのも教会(Charch of the Holy Trinity)だ。こちらは比較的新しく、今でも人が訪れている。広場は閑散としていたが、それでも観光客とおぼしき人たちがちらほらと見られ、観光客用の馬車も走っていた。土産物屋が密集したストリートもある。

マヨール広場の教会

土産物屋

広場の周囲のたたずまいが私を惹きつける。補修されていない石畳の道を物売りが声を張りあげて歩く。落ち着きと懐かしさを感じる不思議な風景。

トリニダーを歩く

朝食をたっぷりとったので昼食は抜きにした。食事の代わりにカフェでモヒートを注文する。モヒートとはラムをベースとしたカクテルで砂糖、ライム、ミントの葉が入っている。
ミントにちょっと癖があるが、暑いとき、疲れたときなどに飲むと癒やされる。
モヒート

カフェのウエイトレスに「キューバの生活はどうか」と英語で尋ねてみた。「dificil(困難)」という答だった。今朝、民宿の主人に同じことを尋ねたときも「duro(厳しい)」と返された。キューバ人のほとんどが物価の急激な上昇に苦しめられている。少し前にもサンティアゴ・デ・クーバで小規模な抗議行動があったという報道を耳にした。しかし、少なくもキューバには「生活が苦しい」と不満を言う自由は存在する。「苦しい」と言うことすらできない北朝鮮とは大きな違いだ。

宿に帰り、昨日同様、7時に夕食をとる。スープ、豚肉、サラダ、そしてデザートのアイスクリーム。現在のキューバの状況からすれば、十分に贅沢な内容だ。

民宿の主人から「明日は何をするのか。予定がないなら海辺へ行ってみたらどうか」と持ちかけられる。特に予定もないから、この話に乗ることにした。海辺まではかなり距離があるから、タクシーで行けばということになった。

夜に何回か停電があったが、いずれも5分もたたずに復帰した。

4月3日

「タクシー」というっことだったが、やって来たのは自転車のリキシャだった。運転手は民宿の隣家の男。

朝10時に出発し、自転車に揺らされながら30分余りで海辺に着いた。自転車のリキシャに乗るのはバングラデシュ以来か。一所懸命ペダルをこぐ運転手の後ろで楽を決め込むのはなんとなく申し訳ない気がする。

この「タクシー」で海辺に着いた

海辺を散歩し、デッキに寝転びながら海を眺めながら、ゆっくり時間を過ごす。

海辺(その1)

海辺(その2)

にわか雨が降ってきた。屋根の下に避難したが、雨は10分ほどでやんだ。1時間余りを海辺で過ごしたあと、民宿に引き返す。時刻は12時半になっていた。約束していた料金の15ドルを運転手に渡す。

部屋でしばらく休んだあと、昨日と同様にマヨール広場で出かける。今日も昼食抜きで、モヒート1杯で済ます。あてもなくぶらぶら歩くだけで楽しい。

宿への帰り道

7時からの夕食は「ロパ・ビエハ」だった。牛肉をほぐし、玉葱などと一緒に煮込んだキューバの伝統料理で、今までキューバで食べた料理のなかで一番おいしかった。

ロパ・ビエハ

明日はトリニダーを離れる日。キューバ滞在は4月10日までだから、日程的にはまだまだ余裕がある。だが、サンティアゴ・デ・クーバにバスないしタクシーで行くには10時間以上の道のりになる。このままハバナに戻り、のんびり過ごすことにした。民宿の主人に明日のハバナ行きの乗り合いタクシー(taxi collectivo)の手配を依頼しておく。料金は30ドルとのこと。来たときより10ドル安い。

2024年6月2日日曜日

キューバ2024 二日目、三日目(ハバナからトリニダーへ)

 3月31日

Lido Hotelの朝食は貧弱だった。もちろん値段からして豪華な朝食を期待していたわけではないが、パンが付属していないのは予想外だった。

Lido Hotelの朝食


約10日間のキューバ滞在をハバナだけで過ごすつもりはない。キューバ第2の都市であるサンティアゴ・デ・クーバに行ってみたい。事前のネット情報によれば、ハバナからサンティアゴへは毎日飛行機が飛んでいるはずだ。だが、昨日、Lido Hotelのスタッフから、ハバナ・サンティアゴ間のフライトは週に一度、火曜日だけとの話を聞いた。これがほんとうかどうかを確かめ、飛行機を利用できない場合にどうするかを決めなければならない。

Googleマップで「Travel agency」を検索し、道行く人に尋ね、ハバナの中心部からかなり離れたナショナル・ホテルのツアー・デスクまでタクシーを飛ばすが、肝心な情報は得られない。

明日以降の計画がたたないまま、ハバナをぶらぶら探索した。幸い、Lido Hotelはハバナの中心部に近い。

街を歩いていると、さかんに声がかかる。そのほぼ90%は「money change」という両替の勧誘。とりあえず100ドルを替えることにした。レートは1ドル=300ペソ。公式レートの2倍以上だが、1ドル=340ペソくらいが実勢だったかもしれない。レートは日ごとに変わるから確かなことは言えない。

セントラル・パークからカピトリオ(旧国会議事堂)にかけては高級ホテルが並び、観光用のクラシック・カーが何台も駐車している。陽がよくあたり、しかもそれほど暑くはない街の中を歩くのは気持ちがよい。
高級ホテルとクラシック・カー

今日は日曜ということもあり、中心部に近いストリートでは路上マーケットが開かれていた。なかなかの活気だ。

路上マーケット

ピザとペプシコーラを買い、路上に座って食べる。夕食は昨日とは別の店でハンバーガー、ソフトドリンク、ビールをテイクアウトした(合計で1000ペソ)。キューバに来てからまだちゃんとした食事をとっていない。

4月1日

朝からホテルのツアー・デスクを巡り歩き、最後にたどり着いたHotel Plazaで今日のうちにトリニダー(Trinidad)へ行くことにした。サンティアゴ・デ・クーバへのフライトはやはり週に一便であり、バスで行くには18時間以上かかる。あきらめるしかない。

ツアー・デスクの女性はトリニダーでの宿泊先も予約してくれた。キューバにたくさんあるCasa Particularという形態の民宿だ。トリニダーまでは乗り合いタクシー(Taxi Collectivo)で4時間とのこと。料金は40ドル。

12時にLido Hotelをチェックアウトし、キューバに来てはじめての食堂に入り、昼食をとる。国営の食堂で、値段は覚えていないが、かなり安かったように思う。

国営の食堂で昼食

昼食後、Lido Hotelのロビーでタクシーを待つ。タクシーは約束の時間ちょうど1時半にやってきた。乗客は私のほかに3人。すべてキューバ人だ。

タクシーがトリニダーに着いたのは5時過ぎ。予約している民宿まで送ってくれたのはありがたい。

民宿(右側のピンクの家の2階が私の部屋)

部屋の中

感じのいい中年の女性が部屋を案内してくれる。宿泊客は私ひとり。ひとりで2階のすべてを使える。エアコンもあるし、冷蔵庫もある。宿泊費は1泊35ドル。食事はオプションだが、朝食が5ドルで夕食が15ドル。食事を含めて1泊50ドルはキューバとしては高いかもしれないが、値切る気にはなれない。ここで3泊することにした。

7時に1階に降りて夕食をとる。今日のメニューはロブスター(ランゴスタ)だった。キューバの名物であるが、日常的に食べるものではないらしい。


2024年6月1日土曜日

キューバ2024 一日目(ハバナ到着)

 アジア、欧州、中東、アフリカと世界のさまざまな場所を見てきた。足を踏み入れていないのは北欧と中南米くらいだろう。北欧は物価高が足かせなっているうえ、途上国マニアの私としてはそもそもあまり興味がない。

中南米は事情が異なる。まだ行っていないことが一種の「ひけめ」となっていた。これまで中南米を避けていたのは、日本から遠く、時間的および金銭的な負担が大ききということもあるが、それよりも重要なのは「スペイン語がしゃべれない」という一点だ。ラオス語を話さなくともラオスには行く。アラビア語を解さなくてもサウジアラビアやヨルダンへ行くのを躊躇することはない。ラオス語、アラビア語、ミャンマー語などは最初からあきらめているからだ。

だが、スペイン語は世界のメジャーな言語であるうえ、ある程度のレベルに達するのも不可能ではないだろう。中南米旅行を視野に入れて、何度かスペイン語に挑戦してみたが、その都度挫折した。高齢になってからの新しい言語の習得は容易ではない。

スペイン語をある程度マスターするのを待っていては、一生中南米に行けないことに気がついた。幸い、メキシコまでは日本からの直行便があり、航空券も25万円ほど。円安とインフレの経済状況を考えれば、法外な値段ではない。

思い切ってメキシコ行きを決断したのはこうした理由からだ。成田とメキシコシティを直結するアエロメヒコ便の往復航空券を25万3千円で購入。出発は3月26日で帰国は4月23日。1か月近くの長旅となる。この長い期間をメキシコだけで過ごすのはもったいない。隣国のグアテマラも頭に浮かんだが、結局キューバまで足をのばすことにした。この機会を逃せば、キューバは一生無縁になってしまう。3月30日メキシコシティを発ち、4月10日にメキシコに戻るアエロメヒコの往復航空券を7万5千円で購入した。

グアテマラなどとは異なり、キューバに行くにはちょっとした準備が必要になる。まずビザ(ツーリスト・カード)。これはキューバ大使館に申請して郵送で受け取ることができるが、私は代行業者に依頼した(6000円)。ネットで調べると海外旅行保険の証明書も必要になるということなので、Visaカードに付帯する保険の英文証明書をプリントしておいたが、入国時に提出を求められることはなかった。

ツーリスト・カードの記入項目にはキューバでの宿泊先の項目がある。Booking.comなどのホテル予約アプリはキューバに対応していないので、ちょっとやっかいだったが、幸いTrip.comで予約が可能だった。Lido Hotelというハバナのホテルを1泊分だけ予約しておいた。朝食付き1泊5800円ほど。Trip.comではこれより安い宿は見つからなかった。

3月30日(メキシコ到着の3日後)

メキシコシティ国際空港でハバナ行きのアエロメヒコ便にチェックインする際にちょっとしたトラブルが発生した。チェックイン・カウンターでまずツーリスト・カードの有無を尋ねられる。これは当然予想していたこと。予想外だったのは「declarationをしているか」という主旨の質問だ。理解に苦しんでいたところ、隣でチェックインしていたメキシコ人女性が助けてくれた。キューバに入国するには、キューバ政府のWebサイトであらかじめいくつの項目に記入し、declaration(宣言)をしておく必要があるという。女性の助けで、なんとか当該のサイトを開き、搭乗前に必要事項を入力できた。「宿泊先」の選択肢に予約済みLido Hotelの名前がなかったので、適当に別のホテルを選んでおいた(結果的にはまったく問題なかった)。

8時35分にメキシコシティ国際空港を発ったアエロメヒコ機がハバナに着いたのは13時半だった(これは時差のせいで、実際の飛行時間は3時間弱)。空港で10ドルを両替する。1ドル=125ペソの公式レートで、実勢のレート(この時点では不明だった)に比べかなり不利だが、現金の手持ちがゼロでは心もとない。

SIMカードとキューバ第2のサンティアゴ・デ・クーバへの航空券も空港で入手したかったが、どちらも「オンラインで申し込んでくれ」ということでかなわなかった。

予約してあるLido Hotelまでタクシーで向かう(25ドル)。Lido Hotelの予約は1泊だけだったが、明日ハバナを出る見通しが立たないこともあり、もう1泊することにした。1泊35ドル。Trip.comの5800円とほぼ同額だ。SIMカードもホテルで購入した。20GBで40ドル。これは少しぼられたかもしれない。

ホテルのベランダから眺めるハバナの街並み。今までに目にしたのない風景だ。どの家もどのビルも古くて、ところどころ崩れかかっている。貧しい街、みすぼらしい家並みはこれまでいたるところで見てきたが、時代に取り残された街を見るのははじめてだ。まるで映画の一シーン。おもわず「風情がある」という感想が口をついた。なんとものんきで無責任な感想だ。こうした古びて崩れかけた家に住まざる得ない人々への想像力が完全に欠けている。

Lido Hotelのベランダから眺めたハバナ


ハバナの街路

街角で買ったハンバーガーとペプシコーラを持ち帰り、キューバではじめての夕食とした。ハンバーガーは300ペソ、ペプシは250ペソ。翌日になって判明したことだが、ペソの実勢レートは1ドル=300~340ペソだ。つまりこの日の夕食は2ドル弱。ハンバーガーはおいしかった。


2023年11月25日土曜日

Édouard Louis: Changer: Méthode


 2023年11月11日読了

著者:Édouard Louis

刊行:2021年

Kindle: 1478円

評価:★★★★☆

1992年生まれの若手フランス人作家Édouard Louisがこれまでに発表した作品は5つ。私はこれらすべてを読んでおり、本書を含めてそのうち3つをこのブログで取り上げている。これまでと同様、本書も非常に読みやすかった。おそらく辞書なしでも読めただろう。文章が平明なだけではない。息をもつかないような独白の流れがおもしろく、ほとんどつまずくこともなく読み進められた。本書と並行して読んでいた泉鏡花の「高野聖」と「婦系図」のほうが未知の単語も多く、一筋縄ではいかなかった。

Changer: Méthode(変わる:方法)は作者の処女作であるEn finir avec Eddy Bellegueule(エディに別れを告げて)の続編だ。「エディに別れを告げて」は、著者が地元(villageと表現されているが、これを「村」と訳するのは正確ではない。確かに田舎ではあるが、「地元」はフランス北部の工業地帯にあり、農業とは無縁。small townといったほうがぴったりする)を離れ、小都市Amiensのリセ(高校)へ入学するところで終わっている。村を出るとは、貧困と暴力が連鎖する環境、テレビと酒だけが娯楽である生活から逃れることを意味している。村を支配するmachismo(マッチョ)も同性愛的傾向持つ著者を苦しめた大きな要因だ。

Changer: Méthodeは、アミアンの高校に入った著者が周囲に合わせて必死に自分を変えようとするところから始まる。その触媒となったのがElenaという同級生の女性とその家族だ。クラシック音楽や観劇、それに読書を趣味とするElenaやその母親を模倣する著者、「変わる」こと、「(これまでの環境から)逃げる」ことに取りつかれた生活がいろいろなエピソードを通じて描かれる。

だが、やがてアミアンからも逃れ、パリに出ることが新しいobsessionとなる。そのきっかけは社会学者のDidier Eribonだ。彼の講演を聴き、その後知己を得たことから、「彼のようになりたい」という思いから逃れられなくなる。同性愛者であること、田舎の貧しさから逃れてきたことなど、両者の境遇は重なるところが多い。

筆者の逃亡願望、地元を捨て、アミアンをも捨て、別の誰かとして存在したいという想いは、エリート校であるパリのÉcole normale supérieure(高等師範学校)に入学することで現実のものとなる。

それだけにとどまらない。やがて処女作のEn finir avec Eddy Bellegueuleを発表。この作品は高い評価を受け、英語をはじめ多くの言語に翻訳されている。ここに至る過程で、同性愛者としてさまざまな階層の男性と知り合い、富豪や貴族の世界をも垣間見ることになる。30歳にも満たない身で、あまりにも多くのことを見て、経験してきたのだ。

もちろん本書は一介の青年の成功譚ではない。こうした青年を生み出したフランス社会の構造を浮き彫りにした本ともいえる。作者は自らのアイデンティティの核とも言える貧困と無知の出発点にいつも立ち返っている。しかし、その立ち返りが不十分だという感がしないでもない。本書の評価を5つ星ではなく4つ星にした理由はここにある。

2023年10月4日水曜日

シンガポール短期英語留学記 その2

 学校

EF Language Schoolはシンガポール中心部のクラーク・キー地区にある。英語を学ぶ学生が大半だが、10~20%は中国語を学びに主として欧米からやってきた学生だ。

この学校に通うにあたって私の最大の懸念は、年齢のギャップであった。17~25歳くらいの学生が90%くらいを占めるなか、私はだんとつに高齢だった。この懸念は半ば外れ、半ば当たった。

日本でオンラインで受けたReadingとListeningのテストに加え、学校初日の簡単なインタービューの結果、私は上級のクラスに配置された。14、5名のクラスメートの半数近くはドイツ人だった。その他、メキシコ、エクアドル、ベルギー、フランスなど。1週目は私のほかに日本人も2人いたが、2週目は私だけが日本人だった。

英語のレベルについては特に問題なかった。問題は、スマホやパソコンを操作する授業が多かったことだ。日本の田舎で暮らしている高齢者としては、私のスマホのスキルはそう見劣りのするものではない。しかし、20代前半の欧州の若者たちと比べるとなると話は別だ。いろいろな場面で先生やクラスメートの助けを借りなければならないはめになった。

もうひとつ。若い連中との興味や知識のレベルの違い。最近のニュースについて10の質問をつくり、クイズ形式で競い合うという「プロジェクト」があった。私の質問は、カナダとインドの関係の悪化、インド北部の民族紛争など、きわめてまじめなものだった。しかし他の学生たちの質問はその多くがスポーツ選手や芸能人のゴシップに関するものだった。私にとって未知の世界で、答えようがない。"We are living in different planets"という感想を述べておいた。

といっても彼らと会話がないわけではなかった。世界のいろいろな場所を経験しているということで、彼らもある種の敬意をもって接してくれたように思う。彼らとの会話から私が得ることも多かった。

こんな苦労をするためにどうしてわざわざ高いお金を払ったのかと入学を後悔する日もあったが、今となっては欧州や中米の若者と接する機会をもてたことは貴重な体験だったように思う。急速に変化する現代社会の中で自分がいかに取り残されており、いかに無力であるかを自覚できただけでも得るものがあった。ただし、スマホの多用が英語力の向上につながるかどうかについては今でも疑問が残る。もっと深い討論をしたかったというのが本音だ。

シンガポールの印象

3、4日で十分なはずのシンガポールに20日間も滞在した。ホテル内に引きこもることが多かったので、その割には見るべきところを見ておらず、シンガポール人とのふれあいもほとんどなかった。それでも気づいたことがいくつかあった。

まずシンガポールの人たちが予想外に親切だったこと。交通カードのチャージなどでやり方がわからず困っていると、だれかが助けてくれる。MRT(Massive Rapid Transpot=地上も走る地下鉄)で席を譲られたことが合計4回(東京でも大阪でも地下鉄で席を譲られたことは一度もない)。シンガポールは過剰なまでの競争社会だ。この忙しい街の中でcompassionはまったく期待していなかっただけに、うれしい驚きだった。学校の授業の中でシンガポールの感想を求められたとき、このことを発言しておいた。

MRTの車内

次に気づいたのは、日本の存在感の大きさ。モンゴルでは韓国の影響力に圧倒されたが、シンガポールでは日本のほうが目立っていた。シンガポールの銀座といわれるオーチャード・ロードには伊勢丹と高島屋がどんと店を構えている。MRTの大きな駅には必ずドンキがある(シンガポール人の耳にも「ドンドン・ドンキ~」というメロディーがこびりついているらしい)。すき家もあれば吉野家もあり、大戸屋やサイゼリア、あるいはモスバーガーで食事することもできる。ダイソーやユニクロは言うまでもない。スーパーへ行けば、寿司や刺身、日本風の弁当まで購入できる。街の中で日本語が聞こえることも多かった。

ドンドン・ドンキ

居酒屋もよく見かけた



3番目はシンガポール社会のジタル化。空港での出入国は、係官を顔を見ることなく、すべて自動的に処理された。MRTはEZ Linkという交通カードを使って利用したが、通常のクレジットカードをかざすだけでも利用できる。スマホでQRコードを読み取って注文するレストランも少なくない。クレジットカードさえあればほぼ万全だが、ホーカー・センターの一部の店や街中の小さな店などでは現金しか受け取らないところもあるので、ある程度の現金は必携。